カルマの旋律2-2
「佐久間くん、お待たせ!」
秀一はエントランスで待ち合わせていた女と、連れ立って会社を出た。
「ねえ、こんなに堂々と一緒に出て行って何も言われないかな」
「だーいじょうぶ。こういうのはコソコソしてるほうが怪しまれるんだ。堂々としてればいいの」
そう言って肩を抱き寄せてキスをする。
「ちょっと、やめてよォ」
「な、今日、なに作ってくれるの?」
「家にある食材でしか作れないわよ」
「なんでもいい、なんでもいい」
彼女が住んでいるアパートに着き、部屋を片付けて来るから待っていてくれと言われた。うきうきとしながら待っていると、砂利を踏む足音が聞こえた。思わぬ人物に出くわした。秀一はその姿を見るなり、嫌悪をあきらかにした。神崎正臣。少しも関わったことはないが、存在は知っている。高校三年の時に同じクラスになり、いつもひとりでいる彼を見ていた。人より勉強でもスポーツでも優秀だった神崎は、はっきり口にはしなくとも他人を見下していた。秀一はそんな神崎を好ましく思っていなかった。月日が流れて譲歩することを覚えた大人になっても、こうして向き合うと神崎の冷めた眼には胸がざわざわする。
「こんなところで再会するとは思わなかったぜ、神崎」
「俺もお前なんかと会いたくなかったさ」
嫌悪を抱いていたのは神崎も同じだったらしい。それが更に秀一を苛立たせた。神崎の隣で子犬のような顔でハルカが立っている。今にも泣きそうで悲壮感を漂わせた表情に、すべてを悟ったのだと気付く。
「いくら連絡しても俺が反応しねぇから、神崎に浮気調査の協力を依頼したってことか? で、無事、現場を押さえられたってわけか」
「しゅ、秀一、どうして」
「普通さ、分かるだろ。電話してもラインしても返事がない、既読にならない。『あ、避けられてるんだ』って馬鹿でも気付くぜ」
「避けてた……の」
「だって、お前、鬱陶しんだもん。いい歳した男のくせにウジウジして、すぐメソメソして、お前と一緒にいたら辛気臭くなるんだよ」
「……でも、秀一はそういう僕を好きになったって」
「んーまあ、顔はその辺の女よりは綺麗だからよ、いけるかと思ったけど、俺もそろそろ結婚とか視野に入れたいしな。あきらかにお前はナシだろ」
秀一の胸ぐらを掴んだ神崎は、まるで自分のことのように怒りをあらわにしている。
――やっぱりな。
秀一は、神崎がハルカを好きだということを知っていた。高校三年のある放課後、教室の隅で本を読んでいた神崎がおもむろに立ち上がって、迷いなく音楽室へ向かうのを見た。ハルカがピアノを弾くことも知っていた秀一は、咄嗟に神崎はハルカのところに行くのだと察した。まったく他人に興味を示さない彼がハルカに会いに行くとしたら、一体なんの目的があるのかと、好奇心に勝てずにあとを追った。そして窓からピアノを弾いているハルカの姿を、うっとりとした表情で見つめている神崎を見たのだった。
――まさか今でも好きだとはね。
嘲笑うかのように神崎に唾を吐きかける。そしてわざと、
「なんだよ、嫉妬か? 俺がハルカを落としたのが、ハルカが俺を好きなのがそんなに悔しいか。そりゃそうだよなぁ、ずーっと、ハルカを好きだったもんな?」
と、煽るのである。いつも澄ました態度で氷の表情を変えたことがない神崎が、こうも唇を歪ませて怒りに打ち震えている姿を見るのは愉快だった。いくら殴られても痛みはないし、地べたに座り込んで挑発することにプライドなどない。そのくらい、取り乱した神崎は気味が良かったのだ。泣いて走り去るハルカを追い掛けようとも謝ろうという気も起こらない。
「追い掛ければ? アイツのこと好きなんだろ? ああ、あいつの良いところひとつ教えてやろうか。フェラは上手いぜ」
ハルカを追う神崎の背中を見送りながら、我ながら下衆な男だと秀一は思った。
タイミングを見計らったように、部屋から彼女が秀一を呼ぶ。
「佐久間くーん、入っていいわよー」
「おっ、楽しみ~」
「さっき、なにかあったの? 騒がしかったみたいだけど……頬が腫れてない?」
「なんにもないよ、ちょっと野良犬に絡まれただけ」
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秀一はエントランスで待ち合わせていた女と、連れ立って会社を出た。
「ねえ、こんなに堂々と一緒に出て行って何も言われないかな」
「だーいじょうぶ。こういうのはコソコソしてるほうが怪しまれるんだ。堂々としてればいいの」
そう言って肩を抱き寄せてキスをする。
「ちょっと、やめてよォ」
「な、今日、なに作ってくれるの?」
「家にある食材でしか作れないわよ」
「なんでもいい、なんでもいい」
彼女が住んでいるアパートに着き、部屋を片付けて来るから待っていてくれと言われた。うきうきとしながら待っていると、砂利を踏む足音が聞こえた。思わぬ人物に出くわした。秀一はその姿を見るなり、嫌悪をあきらかにした。神崎正臣。少しも関わったことはないが、存在は知っている。高校三年の時に同じクラスになり、いつもひとりでいる彼を見ていた。人より勉強でもスポーツでも優秀だった神崎は、はっきり口にはしなくとも他人を見下していた。秀一はそんな神崎を好ましく思っていなかった。月日が流れて譲歩することを覚えた大人になっても、こうして向き合うと神崎の冷めた眼には胸がざわざわする。
「こんなところで再会するとは思わなかったぜ、神崎」
「俺もお前なんかと会いたくなかったさ」
嫌悪を抱いていたのは神崎も同じだったらしい。それが更に秀一を苛立たせた。神崎の隣で子犬のような顔でハルカが立っている。今にも泣きそうで悲壮感を漂わせた表情に、すべてを悟ったのだと気付く。
「いくら連絡しても俺が反応しねぇから、神崎に浮気調査の協力を依頼したってことか? で、無事、現場を押さえられたってわけか」
「しゅ、秀一、どうして」
「普通さ、分かるだろ。電話してもラインしても返事がない、既読にならない。『あ、避けられてるんだ』って馬鹿でも気付くぜ」
「避けてた……の」
「だって、お前、鬱陶しんだもん。いい歳した男のくせにウジウジして、すぐメソメソして、お前と一緒にいたら辛気臭くなるんだよ」
「……でも、秀一はそういう僕を好きになったって」
「んーまあ、顔はその辺の女よりは綺麗だからよ、いけるかと思ったけど、俺もそろそろ結婚とか視野に入れたいしな。あきらかにお前はナシだろ」
秀一の胸ぐらを掴んだ神崎は、まるで自分のことのように怒りをあらわにしている。
――やっぱりな。
秀一は、神崎がハルカを好きだということを知っていた。高校三年のある放課後、教室の隅で本を読んでいた神崎がおもむろに立ち上がって、迷いなく音楽室へ向かうのを見た。ハルカがピアノを弾くことも知っていた秀一は、咄嗟に神崎はハルカのところに行くのだと察した。まったく他人に興味を示さない彼がハルカに会いに行くとしたら、一体なんの目的があるのかと、好奇心に勝てずにあとを追った。そして窓からピアノを弾いているハルカの姿を、うっとりとした表情で見つめている神崎を見たのだった。
――まさか今でも好きだとはね。
嘲笑うかのように神崎に唾を吐きかける。そしてわざと、
「なんだよ、嫉妬か? 俺がハルカを落としたのが、ハルカが俺を好きなのがそんなに悔しいか。そりゃそうだよなぁ、ずーっと、ハルカを好きだったもんな?」
と、煽るのである。いつも澄ました態度で氷の表情を変えたことがない神崎が、こうも唇を歪ませて怒りに打ち震えている姿を見るのは愉快だった。いくら殴られても痛みはないし、地べたに座り込んで挑発することにプライドなどない。そのくらい、取り乱した神崎は気味が良かったのだ。泣いて走り去るハルカを追い掛けようとも謝ろうという気も起こらない。
「追い掛ければ? アイツのこと好きなんだろ? ああ、あいつの良いところひとつ教えてやろうか。フェラは上手いぜ」
ハルカを追う神崎の背中を見送りながら、我ながら下衆な男だと秀一は思った。
タイミングを見計らったように、部屋から彼女が秀一を呼ぶ。
「佐久間くーん、入っていいわよー」
「おっ、楽しみ~」
「さっき、なにかあったの? 騒がしかったみたいだけど……頬が腫れてない?」
「なんにもないよ、ちょっと野良犬に絡まれただけ」
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