カルマの旋律2-1
仕事中であろうが睡眠中であろうが、スマートフォンはひっきりなしに鳴った。画面を見るのが嫌だった。相手は誰か分かっている。それでも鳴り止まないバイブに見かねた同僚が「さっさと出ろよ」と促した。溜息をつきながらスマートフォンを手に取ると、画面には思った通り『栄田ハルカ』と表示されていた。舌打ちをして応答せずに電源を切る。
「佐久間さーん、これチェックお願いします」
「はいよ」
明るい猫なで声に姿勢を正す。ふわりと香る女性ものの香水、長い髪を耳に掛ける仕草がいい。
――やっぱり女だよなァ。
秀一は女に目配せして、給湯室で落ち合った。
「ねえ、今日、何時に仕事終わる?」
「わたしの部署は暇だからチャイムと同時に帰れるわよ」
「じゃあさ、」
給湯室では二人きりだが、万が一誰かに聞かれることを気にして耳元で囁いた。
「今日、メシ作ってくれない?」
「えー? もっとちゃんと綺麗に片付けてる時にしてよォ」
「散らかってたって俺、気にしないし。ね?」
「ご飯食べたらすぐ帰る?」
「うん、帰る」
「本当に?」
「ウソ。朝までいる」
小声でそんなやり取りを経て、なんとか約束を取り付けた。つい三日前の飲み会でたまたま一緒になったこの女に、秀一ははまっている。同期や学生時代の友人がここ数ヵ月で次々に結婚した。秀一はもともと交際相手をひとりに絞りたくないタイプだが、幸せそうな姿を見るとやはり羨ましくなるもので、どうせ付き合うなら結婚を考えて選びたいと思うようになった。そうなればやはり相手は異性であることが前提だ。男であるハルカとはさっさと縁を切るしかなかった。付き合い始めてからまだ二ヵ月しか経っていない。
ハルカとは高校時代は話をしたこともなかったが、彼は女子をも凌ぐ綺麗な顔立ちだったので学年ではちょっとした有名人だった。ハルカが音楽室でピアノを弾いていたことも知っている。確かに彼のピアノは上手い。クラシックに殊更興味がなくとも、思わず感嘆の吐息が出るほど綺麗な音だ。けれど、「男のわりに綺麗な顔でピアノが上手い」ということ以外で、特別な感情はなかった。
同窓会は言ってしまえば女を見繕うために行ったようなものだった。ちょうど特定の相手がおらずに体を持て余していたので、手ごろな同級生がいれば誘うつもりだった。けれども期待通りにはいかず、秀一の好みに合う女はいなかった。高校時代に付き合っていた元彼女たちは既に所帯持ちで復縁も叶わない。一次会でさっさと帰ろうと諦めた時に、ひとりでワインを飲んでいるハルカを見つけた。正直言って驚いた。高校時代と少しも変わらない美しさだったからだ。妙な色気も伴っていたので興味が湧き、秀一は女を探す予定だったのを変更して、ハルカに近付いたのだ。
ハルカはちょっと優しくしてやるだけで簡単に靡いた。同窓会から三日後に食事に誘い、自分の話はほどほどあえて聞き役に回ることで信頼を得る。その翌週は他愛ない会話を中心に好意があることをほのめかした。
ハルカの性的指向のことは知っている。
友人たちから後ろ指を指されていたことも。
それでも自分はジェンダーに偏見はない。
「だから、俺と付き合ってみない?」
「でも、きみは男が好きなわけではないでしょ?」
「お前は充分、魅力的だと思うよ」
これまで誰とも付き合ったことがないという初心な彼を自分色に染めるのは容易だった。ハルカは基本的に口答えをしないので、秀一が黒と言えば黒、白と言えば白と言う。仕事が忙しい夜はハルカの自宅へ押しかけて夕飯を作らせ、夜中に酒が飲みたくなればコンビニまで走らせた。しかも嫌がらないので秀一も遠慮はしない。セックスをしたのは一度だけ。男の体を触ることに抵抗はなかったが、そこまでの興奮は得られなかった。最終的にはハルカに自分のものを含ませて指示通りに処理させることで満足した。
最初のうちは新鮮だった。けれども、なんでも言うことを聞くだけのイエスマンでは張り合いがなく、愛情もなかったのですぐに飽きたのだ。どうやって切り出そうかと考えているうちに電話に出ることもメッセージの返信をするのも面倒になり、気付いていながら放置している。またポケットの中でスマートフォンが震えた。
『仕事が終わったら、少しでいいから声を聞きたい。』
当然、見なかったことにする。
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「佐久間さーん、これチェックお願いします」
「はいよ」
明るい猫なで声に姿勢を正す。ふわりと香る女性ものの香水、長い髪を耳に掛ける仕草がいい。
――やっぱり女だよなァ。
秀一は女に目配せして、給湯室で落ち合った。
「ねえ、今日、何時に仕事終わる?」
「わたしの部署は暇だからチャイムと同時に帰れるわよ」
「じゃあさ、」
給湯室では二人きりだが、万が一誰かに聞かれることを気にして耳元で囁いた。
「今日、メシ作ってくれない?」
「えー? もっとちゃんと綺麗に片付けてる時にしてよォ」
「散らかってたって俺、気にしないし。ね?」
「ご飯食べたらすぐ帰る?」
「うん、帰る」
「本当に?」
「ウソ。朝までいる」
小声でそんなやり取りを経て、なんとか約束を取り付けた。つい三日前の飲み会でたまたま一緒になったこの女に、秀一ははまっている。同期や学生時代の友人がここ数ヵ月で次々に結婚した。秀一はもともと交際相手をひとりに絞りたくないタイプだが、幸せそうな姿を見るとやはり羨ましくなるもので、どうせ付き合うなら結婚を考えて選びたいと思うようになった。そうなればやはり相手は異性であることが前提だ。男であるハルカとはさっさと縁を切るしかなかった。付き合い始めてからまだ二ヵ月しか経っていない。
ハルカとは高校時代は話をしたこともなかったが、彼は女子をも凌ぐ綺麗な顔立ちだったので学年ではちょっとした有名人だった。ハルカが音楽室でピアノを弾いていたことも知っている。確かに彼のピアノは上手い。クラシックに殊更興味がなくとも、思わず感嘆の吐息が出るほど綺麗な音だ。けれど、「男のわりに綺麗な顔でピアノが上手い」ということ以外で、特別な感情はなかった。
同窓会は言ってしまえば女を見繕うために行ったようなものだった。ちょうど特定の相手がおらずに体を持て余していたので、手ごろな同級生がいれば誘うつもりだった。けれども期待通りにはいかず、秀一の好みに合う女はいなかった。高校時代に付き合っていた元彼女たちは既に所帯持ちで復縁も叶わない。一次会でさっさと帰ろうと諦めた時に、ひとりでワインを飲んでいるハルカを見つけた。正直言って驚いた。高校時代と少しも変わらない美しさだったからだ。妙な色気も伴っていたので興味が湧き、秀一は女を探す予定だったのを変更して、ハルカに近付いたのだ。
ハルカはちょっと優しくしてやるだけで簡単に靡いた。同窓会から三日後に食事に誘い、自分の話はほどほどあえて聞き役に回ることで信頼を得る。その翌週は他愛ない会話を中心に好意があることをほのめかした。
ハルカの性的指向のことは知っている。
友人たちから後ろ指を指されていたことも。
それでも自分はジェンダーに偏見はない。
「だから、俺と付き合ってみない?」
「でも、きみは男が好きなわけではないでしょ?」
「お前は充分、魅力的だと思うよ」
これまで誰とも付き合ったことがないという初心な彼を自分色に染めるのは容易だった。ハルカは基本的に口答えをしないので、秀一が黒と言えば黒、白と言えば白と言う。仕事が忙しい夜はハルカの自宅へ押しかけて夕飯を作らせ、夜中に酒が飲みたくなればコンビニまで走らせた。しかも嫌がらないので秀一も遠慮はしない。セックスをしたのは一度だけ。男の体を触ることに抵抗はなかったが、そこまでの興奮は得られなかった。最終的にはハルカに自分のものを含ませて指示通りに処理させることで満足した。
最初のうちは新鮮だった。けれども、なんでも言うことを聞くだけのイエスマンでは張り合いがなく、愛情もなかったのですぐに飽きたのだ。どうやって切り出そうかと考えているうちに電話に出ることもメッセージの返信をするのも面倒になり、気付いていながら放置している。またポケットの中でスマートフォンが震えた。
『仕事が終わったら、少しでいいから声を聞きたい。』
当然、見なかったことにする。
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