カルマの旋律1-3
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ハルカと佐久間が付き合い始めたのは、皮肉にも神崎がハルカと再会した同窓会がきっかけだったらしい。立食式の会場で、ひとりでワインを飲んでいる時に話し掛けられたのだとか。神崎同様、ハルカと佐久間も高校時代は一切関わりがなかった。それなのに佐久間はハルカにこう声を掛けたという。
『久しぶりだな、栄田。今でもピアノを弾いてるのか?』
「すごく驚いた。だって一度も同じクラスになったことも話したこともないのに、僕の顔と名前を覚えていて、しかも僕がピアノを弾くことも知ってたんだ。正直、驚きを通り越して感動した」
神崎は、自分もハルカがピアノを弾くことを知っていたと言いたかったが、今はまだ我慢すべきだと奥歯を噛みしめた。ハルカは佐久間との馴れ初めを話すうちに気を許したらしく、佐久間のことを「秀一」と呼んだ。
「僕は高校の時も秀一のことは知ってたんだ。ほら、彼は運動神経が良かったから体育でよく活躍してただろ? 性格もハキハキしてるから人気者だったし。そんな人が僕に声を掛けてくれるなんて思ってもなくて」
ハルカの頬を赤らめる様子に、神崎は上辺だけの笑顔を作りながら内心では嫉妬した。
「栄田はどうして佐久間に惚れたの? こう言うのもなんだけど、異色の組み合わせに思える」
「僕が、その……男性を好きだって自覚したのは中学生の時だったんだけど、高三の時、思い切って仲の良かった友人にカムアウトしたんだ。そしたら気味悪がられて、それから他の友人もどんどん離れていって……」
神崎の記憶ではハルカは友人が多かったように思うが、今、ネットワークが狭いのはそういう理由かと納得した。
「同窓会も本当はどうしようか悩んだ。でも、高校で友人に避けられたのがトラウマになってて、これまで人間関係で上手くいったことがない。同窓会に行ってそのトラウマを克服できたら、僕自身が変われるかもしれないと思ったんだ。そんな時に秀一が話し掛けてくれて……。秀一も高校時代の噂で僕の性的指向のことは知ってた。でもそれを含めて自信を持っていいって。再会して付き合うまでにそんなにかからなかったけど、僕は僕のすべてを好きだと言ってくれた秀一をたまらなく好きになってた」
ハルカの話に耳を傾けているうちに佐久間の職場の前に着いた。神崎は医療従事者なので民間企業の評判に疎いが、そんな彼でもよく耳にする証券会社だった。佐久間はなかなか優秀なのかもしれない。ハルカ曰く「仕事が終わる時間が定かでないので、迎えに来られても相手にできないから会社には来るな」と釘を刺されている、とのことだ。
一般的には終業時刻を迎えている時間だ。腕時計は午後五時半を回っていたが、夏なのでまだ陽は高く、遠目で見てもよほど視力が悪くなければ人物の特定はできる。神崎とハルカは大通りを挟んでビルの向かいにあるフランチャイズカフェで佐久間が出てくるのを待った。
「尾行してるみたいで良い気分ではないね」
「仕方ないだろう。ずっと連絡がつかないんだろ?」
「まだ仕事中かもしれないし、いつ終わるか分からない」
「終わるまで待てばいい」
そわそわと貧乏ゆすりをしていたハルカは「やっぱり出よう」と席を立った。
「こんな下らないことに神崎くんを付き合わせられないし、秀一を疑いたくない」
「でも、どうしても連絡を取りたいんだろう」
「たった一週間や二週間連絡が取れないくらいで、ウジウジする僕が女々しいんだよ。神崎くん、ごめんね。親身になってくれてありがとう」
足早に出ようとするハルカを神崎は慌てて追いかけた。肩を掴もうとした時、ハルカが突然立ち止まる。
「栄田?」
硬直しているハルカの視線を追うと、大通りの向こう側で会社から出てきた佐久間の姿を見た。連れているのはスーツ姿の女性。仕事仲間と営業へ、ということも考えられなくはないが、それなら腕を組んで歩く必要はない。行き交う車のあいだから一瞬だけ見えたのは、佐久間とその女の堂々としたキスだった。ハルカに目をやると、大きな目を見開き、下唇を震わせていた。そのまま佐久間たちとは逆方向へ逃げ去ろうとするので、手首を掴んで引き止める。
「……もしかしたらとは思ったけど、実際目の当たりにするのはキツイ」
「どうせなら、後をつけて証拠のひとつやふたつ、残しておいたほうがいい」
「だけど、僕が抗議したところで、もう僕のところには戻って来ないだろうし、秀一が女性を選ぶのは当然のことだから」
「だから文句のひとつも言わないっていうのか? 栄田が男だろうが傷付いたのは事実なんだ」
渋るハルカの手を引っ張って、佐久間の後を追った。こんな街中のオフィス街で、まだ勤め先も近くにあるというのに、佐久間と女性は人目を気にせずベタベタと体を触り合っている。ハルカと佐久間がこのまま別れればいいと思っているのは確かだが、恋人がいながら他の女にちょっかいを出すような堕落な男はいけ好かない。神崎が手に入れたくても入らなかったハルカを簡単に射止めておいて、純粋な彼を容易に傷つける佐久間を単純に許せなかった。横目でハルカを見ると、佐久間が女といるところを見たくないのか、俯いて口を閉ざしていた。
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ハルカと佐久間が付き合い始めたのは、皮肉にも神崎がハルカと再会した同窓会がきっかけだったらしい。立食式の会場で、ひとりでワインを飲んでいる時に話し掛けられたのだとか。神崎同様、ハルカと佐久間も高校時代は一切関わりがなかった。それなのに佐久間はハルカにこう声を掛けたという。
『久しぶりだな、栄田。今でもピアノを弾いてるのか?』
「すごく驚いた。だって一度も同じクラスになったことも話したこともないのに、僕の顔と名前を覚えていて、しかも僕がピアノを弾くことも知ってたんだ。正直、驚きを通り越して感動した」
神崎は、自分もハルカがピアノを弾くことを知っていたと言いたかったが、今はまだ我慢すべきだと奥歯を噛みしめた。ハルカは佐久間との馴れ初めを話すうちに気を許したらしく、佐久間のことを「秀一」と呼んだ。
「僕は高校の時も秀一のことは知ってたんだ。ほら、彼は運動神経が良かったから体育でよく活躍してただろ? 性格もハキハキしてるから人気者だったし。そんな人が僕に声を掛けてくれるなんて思ってもなくて」
ハルカの頬を赤らめる様子に、神崎は上辺だけの笑顔を作りながら内心では嫉妬した。
「栄田はどうして佐久間に惚れたの? こう言うのもなんだけど、異色の組み合わせに思える」
「僕が、その……男性を好きだって自覚したのは中学生の時だったんだけど、高三の時、思い切って仲の良かった友人にカムアウトしたんだ。そしたら気味悪がられて、それから他の友人もどんどん離れていって……」
神崎の記憶ではハルカは友人が多かったように思うが、今、ネットワークが狭いのはそういう理由かと納得した。
「同窓会も本当はどうしようか悩んだ。でも、高校で友人に避けられたのがトラウマになってて、これまで人間関係で上手くいったことがない。同窓会に行ってそのトラウマを克服できたら、僕自身が変われるかもしれないと思ったんだ。そんな時に秀一が話し掛けてくれて……。秀一も高校時代の噂で僕の性的指向のことは知ってた。でもそれを含めて自信を持っていいって。再会して付き合うまでにそんなにかからなかったけど、僕は僕のすべてを好きだと言ってくれた秀一をたまらなく好きになってた」
ハルカの話に耳を傾けているうちに佐久間の職場の前に着いた。神崎は医療従事者なので民間企業の評判に疎いが、そんな彼でもよく耳にする証券会社だった。佐久間はなかなか優秀なのかもしれない。ハルカ曰く「仕事が終わる時間が定かでないので、迎えに来られても相手にできないから会社には来るな」と釘を刺されている、とのことだ。
一般的には終業時刻を迎えている時間だ。腕時計は午後五時半を回っていたが、夏なのでまだ陽は高く、遠目で見てもよほど視力が悪くなければ人物の特定はできる。神崎とハルカは大通りを挟んでビルの向かいにあるフランチャイズカフェで佐久間が出てくるのを待った。
「尾行してるみたいで良い気分ではないね」
「仕方ないだろう。ずっと連絡がつかないんだろ?」
「まだ仕事中かもしれないし、いつ終わるか分からない」
「終わるまで待てばいい」
そわそわと貧乏ゆすりをしていたハルカは「やっぱり出よう」と席を立った。
「こんな下らないことに神崎くんを付き合わせられないし、秀一を疑いたくない」
「でも、どうしても連絡を取りたいんだろう」
「たった一週間や二週間連絡が取れないくらいで、ウジウジする僕が女々しいんだよ。神崎くん、ごめんね。親身になってくれてありがとう」
足早に出ようとするハルカを神崎は慌てて追いかけた。肩を掴もうとした時、ハルカが突然立ち止まる。
「栄田?」
硬直しているハルカの視線を追うと、大通りの向こう側で会社から出てきた佐久間の姿を見た。連れているのはスーツ姿の女性。仕事仲間と営業へ、ということも考えられなくはないが、それなら腕を組んで歩く必要はない。行き交う車のあいだから一瞬だけ見えたのは、佐久間とその女の堂々としたキスだった。ハルカに目をやると、大きな目を見開き、下唇を震わせていた。そのまま佐久間たちとは逆方向へ逃げ去ろうとするので、手首を掴んで引き止める。
「……もしかしたらとは思ったけど、実際目の当たりにするのはキツイ」
「どうせなら、後をつけて証拠のひとつやふたつ、残しておいたほうがいい」
「だけど、僕が抗議したところで、もう僕のところには戻って来ないだろうし、秀一が女性を選ぶのは当然のことだから」
「だから文句のひとつも言わないっていうのか? 栄田が男だろうが傷付いたのは事実なんだ」
渋るハルカの手を引っ張って、佐久間の後を追った。こんな街中のオフィス街で、まだ勤め先も近くにあるというのに、佐久間と女性は人目を気にせずベタベタと体を触り合っている。ハルカと佐久間がこのまま別れればいいと思っているのは確かだが、恋人がいながら他の女にちょっかいを出すような堕落な男はいけ好かない。神崎が手に入れたくても入らなかったハルカを簡単に射止めておいて、純粋な彼を容易に傷つける佐久間を単純に許せなかった。横目でハルカを見ると、佐久間が女といるところを見たくないのか、俯いて口を閉ざしていた。
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