カルマの旋律1-2
「どうぞ、入って」
「……お邪魔します」
休診日の医院に上がることに気兼ねがあるのか、ハルカは肩をすくめて遠慮がちに靴を脱ぐ。入ってすぐの待合室から診察室へ進み、カウンセリング室、手術室を通り過ぎて、一番奥のスタッフルームへ通した。決して広くはない医院だが、すっきりと整頓されて片付いている。
「いいのかな。スタッフだけの部屋でしょ?」
「休診日だから誰もいない。そこのテーブル席に座って」
「綺麗な病院だね」
「まだ開業して二年だからな」
「でも神崎くんの噂、よく聞くよ。腕が良くて人気のクリニックだって。ネットの口コミも高評価なんだね」
ハルカがネット検索までしてくれたのかと期待したが、「知り合いが言っていた」と続けられて少しばかりガッカリする。神崎はドリップコーヒーをハルカに差し出し、向かいの席へ腰を下ろした。
ハルカが訪ねてきてくれたことは純粋に嬉しいが、ただの世間話をするためにわざわざ来るはずがないというのは分かっている。本題を聞きたいような聞きたくないような、だが、さっきからやたら目を泳がせたり、ちまちまとコーヒーを飲む様子が落ち着かなくて、早々に話を振った。
「今日はなんの用で?」
「あ、えっと、実は……相談、で」
「相談? どこか体の具合でも?」
「ううん、違うんだ。その……佐久間くんのことで……」
神崎はその名前を聞いてあきらかな嫌悪を示した。と、同時に「やはりか」とも思った。
佐久間秀一。あの日、ホテルに現れて不敬な態度で彼の隣に立った。思い返しても腹が立つ。神崎は溜息を放ち、コーヒーをすすりながら訊ねた。
「……佐久間がどうかした?」
「うん、それが数日前から連絡が取れないんだ。電話しても出ないし、留守電にメッセージを残してもラインを送っても反応がなくて」
「佐久間ってなんの仕事してたっけ? 忙しいんじゃないかな」
「普通のサラリーマン。でもこのあいだはだいぶ暇になったって言ってた」
「仕事をしていれば、いつどんな仕事が飛び込むか分からないからね。今はたまたまタイミングが悪いんだろう」
「そっか。僕は会社勤めをしたことがないから、よく分からないや」
「俺も企業で働いたことはないけど」
そうだったね、と決まりの悪そうに笑う。
「神崎くんと佐久間くん、高三の時同じクラスだったから、もしかして何か連絡取ったりしてないかなって思って」
「悪いが、俺は佐久間とはクラスメイトだったという覚えがあるだけで、あいつの連絡先は勿論、あいつがどんな人間で何をしているのかもまったく知らないし、興味がない」
冷淡な物言いから神崎の苛立ちを感じ取ったのか、ハルカは顔を青くして「ごめん」と呟いた。神崎に探りを入れるのは諦めたようで、残り僅かになったコーヒーをゆっくり飲み干した。
少なくとも神崎に高校時代の佐久間の記憶はない。なんとなく騒がしい奴だったというだけで、あまり良い印象もない。ハルカとも一方的に想いを寄せていただけで接点はなかった。それは彼らにとっても同じで、二人のあいだで神崎の話題が上がることはないはずだ。神崎と佐久間が親しい間柄でないことくらい、すぐに考えられることだ。それでも「同じクラスだった」という僅かな希望を託してここへ来た。ハルカのネットワークの狭さと佐久間と連絡がつかないことへの焦りが見える。気の毒だとは思うが、佐久間との関係に手を貸してやる気など更々なかった。が、これはチャンスかもしれない。おそらく佐久間はハルカと距離を置きたがっている。どんなに会えない理由があったとしても、本当に愛しているなら、どうにかしてでも連絡するものだ。このまま放って置いても彼らは駄目になるだろうが、ここで少しでも手助けしておけば、のちにつけ込みやすくなるだろう。腕組み足組みをして気怠そうにしていた神崎だったが、一変して人当たりのいい笑顔を作ってみせた。
「もし佐久間が体調を崩していたり、事故にでも遭っていたらと考えると心配だよね」
俯いていたハルカがぱっと顔を上げる。
「俺は佐久間のことよく知らないけど、俺でよければ協力するよ」
「本当に……?」
「困っている栄田を放ってもおけないし、佐久間の安否も気になるからね」
「……うん。それに、不安でもあるんだ。佐久間くんはモテるから、その、」
「浮気とか? きみみたいな恋人を差し置いて、それはないだろう。どうする? 職場には行ってみた? 家は?」
「いや、彼はそういうのを嫌うから」
「なら、行こう。これだけ心配させるのが悪いんだ。俺が一緒に行ってあげるよ」
「そこまでしなくても」
「俺も心配だからな」
ハルカは少し考えて「じゃあ、お願いします」と頭を下げた。
「ありがとう。神崎くん、優しいね。高校の時にもっと仲良くなれてたら良かったのに」
神崎は席を立ってハルカの後ろに回った。形のいい後頭部、細くて長い首、艶のある茶髪。神崎はハルカの両肩を慰めるように撫でた。これがすべて自分のものになるなら、いくらでも優しくできる。
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「……お邪魔します」
休診日の医院に上がることに気兼ねがあるのか、ハルカは肩をすくめて遠慮がちに靴を脱ぐ。入ってすぐの待合室から診察室へ進み、カウンセリング室、手術室を通り過ぎて、一番奥のスタッフルームへ通した。決して広くはない医院だが、すっきりと整頓されて片付いている。
「いいのかな。スタッフだけの部屋でしょ?」
「休診日だから誰もいない。そこのテーブル席に座って」
「綺麗な病院だね」
「まだ開業して二年だからな」
「でも神崎くんの噂、よく聞くよ。腕が良くて人気のクリニックだって。ネットの口コミも高評価なんだね」
ハルカがネット検索までしてくれたのかと期待したが、「知り合いが言っていた」と続けられて少しばかりガッカリする。神崎はドリップコーヒーをハルカに差し出し、向かいの席へ腰を下ろした。
ハルカが訪ねてきてくれたことは純粋に嬉しいが、ただの世間話をするためにわざわざ来るはずがないというのは分かっている。本題を聞きたいような聞きたくないような、だが、さっきからやたら目を泳がせたり、ちまちまとコーヒーを飲む様子が落ち着かなくて、早々に話を振った。
「今日はなんの用で?」
「あ、えっと、実は……相談、で」
「相談? どこか体の具合でも?」
「ううん、違うんだ。その……佐久間くんのことで……」
神崎はその名前を聞いてあきらかな嫌悪を示した。と、同時に「やはりか」とも思った。
佐久間秀一。あの日、ホテルに現れて不敬な態度で彼の隣に立った。思い返しても腹が立つ。神崎は溜息を放ち、コーヒーをすすりながら訊ねた。
「……佐久間がどうかした?」
「うん、それが数日前から連絡が取れないんだ。電話しても出ないし、留守電にメッセージを残してもラインを送っても反応がなくて」
「佐久間ってなんの仕事してたっけ? 忙しいんじゃないかな」
「普通のサラリーマン。でもこのあいだはだいぶ暇になったって言ってた」
「仕事をしていれば、いつどんな仕事が飛び込むか分からないからね。今はたまたまタイミングが悪いんだろう」
「そっか。僕は会社勤めをしたことがないから、よく分からないや」
「俺も企業で働いたことはないけど」
そうだったね、と決まりの悪そうに笑う。
「神崎くんと佐久間くん、高三の時同じクラスだったから、もしかして何か連絡取ったりしてないかなって思って」
「悪いが、俺は佐久間とはクラスメイトだったという覚えがあるだけで、あいつの連絡先は勿論、あいつがどんな人間で何をしているのかもまったく知らないし、興味がない」
冷淡な物言いから神崎の苛立ちを感じ取ったのか、ハルカは顔を青くして「ごめん」と呟いた。神崎に探りを入れるのは諦めたようで、残り僅かになったコーヒーをゆっくり飲み干した。
少なくとも神崎に高校時代の佐久間の記憶はない。なんとなく騒がしい奴だったというだけで、あまり良い印象もない。ハルカとも一方的に想いを寄せていただけで接点はなかった。それは彼らにとっても同じで、二人のあいだで神崎の話題が上がることはないはずだ。神崎と佐久間が親しい間柄でないことくらい、すぐに考えられることだ。それでも「同じクラスだった」という僅かな希望を託してここへ来た。ハルカのネットワークの狭さと佐久間と連絡がつかないことへの焦りが見える。気の毒だとは思うが、佐久間との関係に手を貸してやる気など更々なかった。が、これはチャンスかもしれない。おそらく佐久間はハルカと距離を置きたがっている。どんなに会えない理由があったとしても、本当に愛しているなら、どうにかしてでも連絡するものだ。このまま放って置いても彼らは駄目になるだろうが、ここで少しでも手助けしておけば、のちにつけ込みやすくなるだろう。腕組み足組みをして気怠そうにしていた神崎だったが、一変して人当たりのいい笑顔を作ってみせた。
「もし佐久間が体調を崩していたり、事故にでも遭っていたらと考えると心配だよね」
俯いていたハルカがぱっと顔を上げる。
「俺は佐久間のことよく知らないけど、俺でよければ協力するよ」
「本当に……?」
「困っている栄田を放ってもおけないし、佐久間の安否も気になるからね」
「……うん。それに、不安でもあるんだ。佐久間くんはモテるから、その、」
「浮気とか? きみみたいな恋人を差し置いて、それはないだろう。どうする? 職場には行ってみた? 家は?」
「いや、彼はそういうのを嫌うから」
「なら、行こう。これだけ心配させるのが悪いんだ。俺が一緒に行ってあげるよ」
「そこまでしなくても」
「俺も心配だからな」
ハルカは少し考えて「じゃあ、お願いします」と頭を下げた。
「ありがとう。神崎くん、優しいね。高校の時にもっと仲良くなれてたら良かったのに」
神崎は席を立ってハルカの後ろに回った。形のいい後頭部、細くて長い首、艶のある茶髪。神崎はハルカの両肩を慰めるように撫でた。これがすべて自分のものになるなら、いくらでも優しくできる。
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