fc2ブログ

ARTICLE PAGE

ゆめうつつ 16

 ***

「やっとくっついたわけね」

 寝癖がついた頭をポリポリとかきながら、五十嵐がやれやれといった風に言った。
 悪ふざけのすぎる五十嵐だが、彼が背中を押してくれたのもあったから松岡の告白を受け入れられたと言っても過言ではない。五十嵐への礼に地ビールを買って神戸へ戻った司は、寝起きらしい五十嵐に土産とともに松岡のことを報告した。「世話が焼ける」だの「めんどくさい奴」だの悪態をつかれたが、地ビールは気に入ったらしい。

「松岡さんと一緒に帰ってきたのか?」

「いや、同じ日に神戸に戻ってるけど、便が違うから」

「便くらい変更して一緒に帰って来いよ。んで、その姿を俺に見せるとかしろ」

 と、言って、栓抜きを持ってきた。昼間からビールを飲むつもりらしい。

「五十嵐、休みいつまで?」

「俺は昨日から明日まで取ってる。司は明日から仕事だろ? 明日の洗濯とメシは俺がやるから、今日は司やってよ」

「分かった」

「ってことで、司と松岡さんにカンパーイ」

 五十嵐はビール瓶のまま、しかも自分ひとりだけで祝杯をあげた。そして、

「あーあ。司もついにパートナーができちゃったか」

 と、少しだけ寂しそうに言うのである。

 翌朝、五十嵐がまだ寝ている時間に出勤した。会社に行ったらさっそく仕事が山積みだが、とりあえずはひとつひとつ片付けながら、やっぱり転職活動をしようと決めた。念願の会社だったということもあって今までなかなか踏ん切りがつかなかったが、立ち止まっていつまでも悩んでいるだけでは進歩がない。五十嵐と松岡を見習おうと思う。

 今日の食事は五十嵐が用意しておくと言っていたのに、ふとスマートフォンを見たら「やっぱり出来合い買ってきて。金は払う」とメッセージが入っていた。呆れはするが今更苛立ちはしない。短く「了解」とだけ打って、定時に会社を出た。近くの美味しいと評判の弁当屋で二人分の幕の内を買って帰宅する。けれども、玄関の戸を開けてすぐ、そこで待ち構えていた人物に目を見開いた。司を待っていたのは五十嵐じゃなく、松岡だった。

「え?」

「おかえり」

「え、た、ただいま……。五十嵐は?」

「彼、今日俺に連絡をくれてさ。まず、おめでとうございますと言われた。それから、『俺と司が一緒に住むのは気が気でないんじゃないですか』と聞かれて、きみのことは信用してるから平気だと言ったら、『無理やり司にキスしたって言ってもですか』と言われてね」

 松岡は笑顔だが目が笑っていないのが怖かった。

「まあ、キスの件はあとで聞くよ。……で、来月からタイに行くんだって? 彼。『どうせ家に帰れないし、ちょっと思い立って司と住んでみたけど、俺はやっぱり一人暮らしのほうが気楽だから、よかったら松岡さん、司と住んでみたら?』って、こうなんだよ」

 五十嵐が自分勝手な人間であることは昔から分かっていたが、ここまで気ままとは思わなかった。松岡に言う前に相談しろよ、とも思ったが、五十嵐はそれを司に言ったら司が反対することを見越していたのだろう。それに「一人暮らしの方が気楽」というのは方便だと司は分かっている。五十嵐なりの激励なのだ。

「すぐには決められないと言ったら、『まずは一晩、一緒に過ごして二人で決めたら?』 だって。ついでに『寝る時は司のベッドで一緒に寝ろよ。言われなくてもそうするだろうけどさ』だとさ。話がよく分かる子で助かるよ」

 と、松岡はどこか楽しげに言った。

「だからって本当に来る先輩も先輩ですよ……」

「なんで? 俺は五十嵐くんの厚意は有難く受けようと思ってるけどね。お前はどうする?」

 そんないきなりは決められない。同居人が五十嵐から松岡に代わるというだけで心の準備も必要だし、何より五十嵐に済まない気持ちがある。ただ、ここで司が五十嵐に気を遣ったところで五十嵐は喜ばないだろう。「人の厚意を無駄にするな、めんどくせーな」と言われるのが落ちだ。それに松岡といつも一緒にいられるのか、と考えるとそれもいいかもしれない。

「……あとで五十嵐に電話しておきます。……ありがとうって」

「ところで、キスされたのは本当?」

「あれは、からかわれただけです。五十嵐も本気なわけないじゃないですか」

「それでもやっぱり気に食わないな」

 ネクタイを引っ張られて、強引に唇を捕らえられた。簡単に舌の侵入を許してしまう。このまま流されてしまいそうなところで、持っていた弁当を落とした。ビニールのガサッという音で、二人とも我に返る。

「食べようか」

「はい」

 ダイニングテーブルに弁当を置き、すぐ傍の窓を開け放した。夏の夜風が舞い込み、カーテンがひらひらとはためいた。少し空気が湿っている。そういえば明日は雨だと天気予報で聞いた。

 窓の外で男女の二人組が手を繋いで歩いていた。どこにでもいる組み合わせ。自分があの位置に戻ることはもうないだろう。
昔も同じことで苦しみはしたが、あの頃は若さもあって「まだ取り返しがつく」という余裕はあったと思う。だが、この歳になってこの関係にもう一度足を踏み入れたら、今度こそ取り返しはつかないだろう。正直、後ろめたさはまだある。嫌悪や興味本位だけの関心を持たれるかもしれないことに不安もある。それでも後悔はしなかった。あの時、松岡を拒んでいたら、それこそ後悔したはずだ。無難な人生を歩もうとしても、きっとできないままだっただろう。

 残暑の夜風に当たりながら、背後から腕を回された。軽い抱擁から首に唇を当てられる。触れるだけで体が熱くなって心臓が忙しなくなる。いつまで経っても覚えたての恋のような新鮮な感覚を味わわせてくれるのは彼だけだ。司は窓が開いているにも関わらず、ゆっくり松岡に向き合うと胸に抱き付いた。ここが自分の居場所なのだと実感しながら。


(了)
スポンサーサイト



0 Comments

Leave a comment