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ゆめうつつ 14

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 笠原家の墓がある墓地は隣町にある。いつもは父の車に同乗させてもらうのだが、今日はひとりで行くので電車を使った。
 寂れた無人駅に着き、そこからは汗を拭いながら徒歩で行く。出掛ける直前に母に持たされた仏花が暑さのせいで傷みそうだ。山へ続くひと気のない坂道をひたすら上り、時々木陰で立ち止まって持参したお茶で口を潤した。

 墓地に着き、井戸で水を汲んでから墓を探す。足場の悪い迷路のような墓と墓のあいだをかいくぐりながら、ようやく墓前に立った。水を撒いて花を供えて、線香をつける。当たり前のようにやっているが、司は別に先祖に何か思い入れがあるわけじゃない。いくら血筋だからといっても今の自分とは関係がないのだから、わざわざ司が出向かなくても両親に任せておけばいいだけだ。それなのに義務のように感じてここまで来たのは、感謝というより懺悔したいからなのかもしれなかった。

 きょうだいもおらず、結婚をする気もない、自分のあとに続く者を生み出せないだろうという懺悔。
 短く手を合わせ、引き返そうとしたところに墓地の中で佇んでいる人を見た。太陽の光が反射していつもより明るい茶髪。拝むでも墓の手入れをするでもなく、ただ墓前で立っていた。気付かない振りをして帰ればいいものを、司は見入って動けなかった。声を掛けようかどうしようかと悩み、心のどこかでこちらに振り返って声を掛けてくれないかと期待してしまった。司の僅かに抱いた願望が叶った。

「笠原」

 考えていたことが伝わったかのように、ほかに目もくれず、パッとこちらを振り返ったのだ。

「ま、松岡先輩」

「ひとりで来たのか?」

「はい……。先輩も?」

「うん、明日の朝、戻るからさ」

「一緒です」

 そうか、と笑った松岡に胸が苦しくなる。心臓が痛くなって今にも飛び出すんじゃないかと思うくらいの早鐘を打つ。美央といた時のような穏やかな心地よさじゃない。一緒にいるだけで疲れる。それなのに離れるのが惜しい。

「……弟さんの……?」

「まあ……弟もここに入ってる。そっちに行ってもいい?」

 駄目だとは言えなかった。返事をせずとも松岡は砂利を踏みながら近付いてくる。隣に立たれた時には足がもう動かなかった。松岡はしゃがんで笠原家の墓に手を合わせた。随分長くそうしていて、他人の墓に何を言うことがあるのかと気になった。

「なんで拝むんですか?」

「ごめんなさいって謝ったんだよ」

「……」

「自分の家の墓にも謝った。松岡の家にはもう俺しかいないのに、俺は結婚できそうにないからね。こういう時に弟が生きていればなぁって思っちゃったよ。自分本位で申し訳ないけどさ」

「でも……弟さんが生きていたら、俺は先輩に見向きもされなかったと思う」

 松岡が司を気に掛けてくれたのは、司が亡くなった松岡の弟に似ていたからだ。喧嘩したまま別れた弟への懺悔の気持ちを、弟に似ている司に向けることで松岡は救われ、恋愛と錯覚した。弟が生きていたら、司のことはそれほど気になる存在にはならなかっただろう。けれども、松岡はそれをきっぱり否定した。

「それでもやっぱり、俺はお前を好きになったと思うよ。初めて声を掛けた時のこと覚えてる? 中学の自転車置き場で、笠原が落としたタオルを俺が拾った」

「覚えてます」

「振り向いた笠原を見て、ドキッとしたのを覚えてるよ。お前は目がすごく印象的だから。じゃないと、初対面の後輩に遊びに行こうなんて誘わなかった。そのうちに『弟に似てるな』って思ったんだよ」

 しゃがんでいる松岡の後頭部を見ながら、明るい茶色の髪に無性に触りたくなった。無意識に伸ばしたかけた手を、松岡が立ち上がるのと同時に引っ込めた。
 あれだけ松岡を拒否したくせに、顔を見たら引きずられそうになる。やっぱり会うべきじゃないのだ。早く別れなくちゃ、と僅かに足を動かしたら、手首を掴まれた。手はじょじょに移動して、手の平に重なり、指を絡められる。肌が直接触れて背中がぞくぞくした。

「頼むから逃げるなよ。五十嵐くんから笠原から連絡が来るまで何もするなって言われたけど、もう待てないよ」

 背後から子どもの声がした。家族連れが来たらしく、わいわいと賑やかさが増してくる。司は手を離そうとしたが、かえってきつく握られた。「腹を括れ」と言われている気がした。

「あの時は二度と会わないって言ったけど、本当は別れたくなかったし、傷付けても一緒にいたいと思ったよ。でもあのまま付き合うのはお互いに罪悪感で駄目になるだろうから離れる決意をした。そのかわり今度会うことがあったら、もう一度やり直したいと思った。俺だって何も考えずに『もとに戻ろう』って言ってるわけじゃない。お前には色々大変な思いさせるだろうなって思うし、自分も大変だと思う。でも今更、まっとうな恋路を歩めると思うか? 俺は無理だよ。周りを気にして孤独に過ごすくらいなら、自分勝手と言われても足掻きたいよ」

 握られた手が熱い。少しだけ震えているのは松岡のほうだ。

「……でも、お前が逃げたい気持ちも分かるから、これで最後にする。今度こそ断られたら、もう諦めるよ」

 司は手に松岡の熱を感じながら、時折傍らで聞こえる子どもの声に冷静を取り戻しつつ、理性と感情のあいだで揺れた。その先を聞きたいけれど、聞きたくなかった。ぎゅっと目を瞑る。

「俺には笠原しかいないんだ。――お前が好きだ」

 ついさっきまで鳴り響いていた蝉の鳴き声が、一瞬で止まった。


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