ゆめうつつ 13
夏季休暇を取ったのは四日間。初日は祐太との約束、二日目は高校の同窓会、三日目は祖父母への挨拶と墓参り、四日目に神戸に戻る予定だった。今日は夕方から同窓会だが、祐太にも伝えた通り欠席することにする。祐太に会いたくないからじゃない。仕事で成功をしたり家庭を持った同級生たちの姿を目の当たりにしたら、祐太の家で感じたことを再び思い知らされて落ち込むだろうと予想できたからだ。器の小さい人間であることは分かっている。けれどもこんな気分で到底笑顔で再会を喜べるはずがなかった。
予定を一日ずつ早めて、墓参りを今日済ませておくことにする。祖父母はあいにく不在らしく、「都合のいい時間に適当に行ってきてくれ」と言われたので、午前中に神戸行きのバスチケットを買いに行き、夕方から墓参りに行くことにした。
昼前に家を出て、駅のバスチケットセンターへ向かった。インターネットでもチケット予約ができるこのご時世にわざわざ駅まで足を運ぶのは、少しでも外に出て気晴らしをしたいからだ。
「八月十五日の一時半発、神戸まで片道で」
事務員の軽快なタイピングを見ながら発券を待っていると、
「司……?」
様子を伺うような声で話し掛けられた。振り返ると懐かしい人がいた。
「……美央」
学生時代より少し豊かな体型になったかもしれない。けれども身長があるのでロング丈のワイドパンツがよく似合うし、焦げ茶色のミディアムヘアも落ち着いて見える。年月は感じても相変わらず綺麗だった。
「久しぶりだね」
と、先に笑い掛けると、美央は安心したように笑い返した。
少し話がしたいと言われて待合所のベンチに揃って腰を下ろした。別れた日から一度も連絡を取らなかった。大学が同じだったので見かけることはあったが、言葉は交わさなかった。だから今更向き合うのが気恥ずかしい。互いに暫くそわそわとして、ふと顔を見合わせたのがきっかけで、改めて言われた。
「久しぶりね。元気にしてるの?」
「うん、元気だよ」
「昔、入りたいって言ってた会社でずっと働いてるの?」
「……うん」
「すごいなぁ。あたしなんて結局、事務したけど一年も続かなかったわ」
「今、東京に住んでるんだっけ? 結婚してるんだよな、おめでとう」
美央は気まずそうに「ありがとう」と呟いた。
「今はこっちに住んでるの。旦那の転勤でたまたまこっちに異動したのよ」
「子どもは?」
「三人いるよ。上が女の子、真ん中と一番下が男の子。もーほんっと手のかかる子で、毎日てんやわんや」
「昨日、祐太の家に行ったんだ。祐太も似たようなこと言ってたよ」
少しだけ沈黙が流れる。美央が下唇ときゅっと噛んだので、何か言いたいことがあるのだなと思った。彼女の癖はいまだに忘れていなかった。
「実はね、昨日、江藤くんにラインもらったの。司が同窓会欠席するって」
祐太と美央のあいだで話題が共有されていたようだ。司は黙って続きを待った。
「わたし、ちょっとショックだったんだよねぇ。あー会えないんだって。だから今日、偶然会えて嬉しい。会うって分かってたら、もうちょっとお洒落したんだけどな! こんな育児疲れのボロボロの格好見られて、恥ずかしい」
「旦那が聞いたら怒らない?」
「あー、勘違いしないでよね! 司のためじゃないんだから。綺麗にして『こいつのこと振った俺って馬鹿だな』って後悔させてやろうと思ってただけ!」
少し慣れてきたのか、美央はかつてのようにカラカラと明るく饒舌になった。司は美央のこういうところが好きだった。気分が落ち込んでいる時に美央の取り留めのない話を聞いてクスッと笑うのが、一番元気が出た。久しぶりに会っても、今は恋人でなくてもそれは変わらない。司は美央の笑った顔を見て、とても心が和んだ。
「綺麗になったよ。惜しいことしたなって思ってる」
美央は頬を赤くして、今度は俯いた。
「ずるいよね。わたし、これでも緊張してるんだけど、司は平気なんだね」
「俺だって緊張してるさ」
「惜しいことしたなって思ってるけど、後悔はしてないのね」
そう言われて反応に遅れた。一瞬、どう答えるのが正解なのか分からなかったが、正直に言った。
「してないよ。後悔するくらいなら最初から別れたりしない」
「よかった。後悔してるって言ったら、ひっぱたこうと思ってたの!」
「やめてくれよ、こんなところで」
美央のスマートフォンが鳴った。相手は子どもなのか、受話した美央は一気に「女」から「母親」の顔になった。それを見た司は、ほんの一瞬でも昔に戻って彼女に甘えそうになった自分を責めた。美央が電話を切るのと同時に司は立ち上がった。
「子ども、待ってるんだろ? もう帰るよ」
「えっ」
「会えて良かった。元気でね」
待合所を出たが、美央は司を追い掛けて来る。
「司!」
振り返ると、美央は遠慮がちに訊ねた。
「……司は……今、どうしてるの? その、……」
「……五十嵐とルームシェアしてるよ」
「五十嵐くんと!? ……松岡さんは……?」
松岡のことは話さなかった。美央と祐太が連絡を取り合って情報を共有するほどの付き合いがあるなら、いつか祐太から耳に入るだろうと思ったからだ。
「俺もさ、美央と別れてから別の子と付き合ったよ。でも、美央以上の子ってなかなかいないなって思った」
「またそういうこと言って」
「本当だよ。俺の中で美央は一番好きになった女の子だよ。だから美央と別れて傷付けた時は罪悪感でいっぱいだった。だから今、幸せそうにしてる姿を見れて本当によかった」
「……もし旦那や子どもが車に轢かれそうになったら、迷わず助けにいけるよ」
「それを聞いて安心した」
「だから司も……」
美央はそこで詰まらせた。続ける言葉が見つからないのだろう。美央は「女の子」の中では一番だったが、司にはもっと別の次元で好きな人がいることを彼女は知っている。安易に「幸せになってね」と言える相手じゃないということも。
「声、掛けてくれてありがとう。元気でね」
「……司も……」
背を向けて歩き出し、暫くして振り返ったら美央の姿はもうなかった。待合所の前で、司に手を振っている学生時代の彼女の姿が、浮かんでは消えた。
⇒
予定を一日ずつ早めて、墓参りを今日済ませておくことにする。祖父母はあいにく不在らしく、「都合のいい時間に適当に行ってきてくれ」と言われたので、午前中に神戸行きのバスチケットを買いに行き、夕方から墓参りに行くことにした。
昼前に家を出て、駅のバスチケットセンターへ向かった。インターネットでもチケット予約ができるこのご時世にわざわざ駅まで足を運ぶのは、少しでも外に出て気晴らしをしたいからだ。
「八月十五日の一時半発、神戸まで片道で」
事務員の軽快なタイピングを見ながら発券を待っていると、
「司……?」
様子を伺うような声で話し掛けられた。振り返ると懐かしい人がいた。
「……美央」
学生時代より少し豊かな体型になったかもしれない。けれども身長があるのでロング丈のワイドパンツがよく似合うし、焦げ茶色のミディアムヘアも落ち着いて見える。年月は感じても相変わらず綺麗だった。
「久しぶりだね」
と、先に笑い掛けると、美央は安心したように笑い返した。
少し話がしたいと言われて待合所のベンチに揃って腰を下ろした。別れた日から一度も連絡を取らなかった。大学が同じだったので見かけることはあったが、言葉は交わさなかった。だから今更向き合うのが気恥ずかしい。互いに暫くそわそわとして、ふと顔を見合わせたのがきっかけで、改めて言われた。
「久しぶりね。元気にしてるの?」
「うん、元気だよ」
「昔、入りたいって言ってた会社でずっと働いてるの?」
「……うん」
「すごいなぁ。あたしなんて結局、事務したけど一年も続かなかったわ」
「今、東京に住んでるんだっけ? 結婚してるんだよな、おめでとう」
美央は気まずそうに「ありがとう」と呟いた。
「今はこっちに住んでるの。旦那の転勤でたまたまこっちに異動したのよ」
「子どもは?」
「三人いるよ。上が女の子、真ん中と一番下が男の子。もーほんっと手のかかる子で、毎日てんやわんや」
「昨日、祐太の家に行ったんだ。祐太も似たようなこと言ってたよ」
少しだけ沈黙が流れる。美央が下唇ときゅっと噛んだので、何か言いたいことがあるのだなと思った。彼女の癖はいまだに忘れていなかった。
「実はね、昨日、江藤くんにラインもらったの。司が同窓会欠席するって」
祐太と美央のあいだで話題が共有されていたようだ。司は黙って続きを待った。
「わたし、ちょっとショックだったんだよねぇ。あー会えないんだって。だから今日、偶然会えて嬉しい。会うって分かってたら、もうちょっとお洒落したんだけどな! こんな育児疲れのボロボロの格好見られて、恥ずかしい」
「旦那が聞いたら怒らない?」
「あー、勘違いしないでよね! 司のためじゃないんだから。綺麗にして『こいつのこと振った俺って馬鹿だな』って後悔させてやろうと思ってただけ!」
少し慣れてきたのか、美央はかつてのようにカラカラと明るく饒舌になった。司は美央のこういうところが好きだった。気分が落ち込んでいる時に美央の取り留めのない話を聞いてクスッと笑うのが、一番元気が出た。久しぶりに会っても、今は恋人でなくてもそれは変わらない。司は美央の笑った顔を見て、とても心が和んだ。
「綺麗になったよ。惜しいことしたなって思ってる」
美央は頬を赤くして、今度は俯いた。
「ずるいよね。わたし、これでも緊張してるんだけど、司は平気なんだね」
「俺だって緊張してるさ」
「惜しいことしたなって思ってるけど、後悔はしてないのね」
そう言われて反応に遅れた。一瞬、どう答えるのが正解なのか分からなかったが、正直に言った。
「してないよ。後悔するくらいなら最初から別れたりしない」
「よかった。後悔してるって言ったら、ひっぱたこうと思ってたの!」
「やめてくれよ、こんなところで」
美央のスマートフォンが鳴った。相手は子どもなのか、受話した美央は一気に「女」から「母親」の顔になった。それを見た司は、ほんの一瞬でも昔に戻って彼女に甘えそうになった自分を責めた。美央が電話を切るのと同時に司は立ち上がった。
「子ども、待ってるんだろ? もう帰るよ」
「えっ」
「会えて良かった。元気でね」
待合所を出たが、美央は司を追い掛けて来る。
「司!」
振り返ると、美央は遠慮がちに訊ねた。
「……司は……今、どうしてるの? その、……」
「……五十嵐とルームシェアしてるよ」
「五十嵐くんと!? ……松岡さんは……?」
松岡のことは話さなかった。美央と祐太が連絡を取り合って情報を共有するほどの付き合いがあるなら、いつか祐太から耳に入るだろうと思ったからだ。
「俺もさ、美央と別れてから別の子と付き合ったよ。でも、美央以上の子ってなかなかいないなって思った」
「またそういうこと言って」
「本当だよ。俺の中で美央は一番好きになった女の子だよ。だから美央と別れて傷付けた時は罪悪感でいっぱいだった。だから今、幸せそうにしてる姿を見れて本当によかった」
「……もし旦那や子どもが車に轢かれそうになったら、迷わず助けにいけるよ」
「それを聞いて安心した」
「だから司も……」
美央はそこで詰まらせた。続ける言葉が見つからないのだろう。美央は「女の子」の中では一番だったが、司にはもっと別の次元で好きな人がいることを彼女は知っている。安易に「幸せになってね」と言える相手じゃないということも。
「声、掛けてくれてありがとう。元気でね」
「……司も……」
背を向けて歩き出し、暫くして振り返ったら美央の姿はもうなかった。待合所の前で、司に手を振っている学生時代の彼女の姿が、浮かんでは消えた。
⇒
スポンサーサイト