ゆめうつつ 12
祐太が近くまで見送ると言うので、バス停まで一緒に歩いた。夏の夜道に虫の鳴き声が響く。暑くはないがじめじめと肌がベタついた。家を出てから暫くは昔話や由香里の前では話せなかった近況報告など他愛ない会話をしていたが、バス停が見えてきたところで祐太が深刻げに聞いてきた。
「結婚願望がないって、さっき言ってたよな。それって友達のことじゃなくて、司もってこと?」
「ああ……うん」
「理由は聞いてもいいのかな。確か、去年は彼女いたよな。その時になんかあったとか?」
「ううん。何もないよ。あんまり続かなかったしね。逆に何もなさすぎて、ああ俺って恋愛に向かないのかもって思って。彼女も俺に退屈してたと思う」
「向かないってことはないだろ」
「……松岡先輩に、会ったんだ」
まどろっこしいのはやめた。それだけ言えば祐太はすべて察するだろう。祐太は司と松岡との関係を知っている。松岡との付き合いを諭してくれたのも彼だし、松岡と別れたあと、親身になってくれたのも彼だ。祐太はどちらかと言えば司と松岡の付き合いには快く思っていなかった。同性愛に対する嫌悪ではなく、司の将来を案じてのことだ。別れた時も、辛かったな、などといったお決まりの言葉ではなく、
「これでよかったんだと思うよ。苦しい恋愛なんて不毛だよ。暫くは寂しいかもしれないけど、絶対良い子が現れるから」
と、励ましてくれたのだ。そんな彼に松岡のことを話したらある意味裏切りになるのではとも考えたが、親身になってくれたからこそ話さなければならない気もする。
祐太の顔を見られなかった。祐太の反応が一番怖い。
「……それは、連絡を取って会ったのか?」
「偶然、会社の取引先で、会議で会ったんだ。最初はお互い他人を装ってた。でもそんなの限界があるだろ。昔話をしてるうちに懐かしくなったんだと思う。……もう一度もとに戻れないかって言われた」
「先輩と後輩として? それとも、付き合うってこと?」
「後者……」
「司は、どうするの?」
バス停に着いたが、まだ当分バスは来そうにない。ふう、と息を吐きながら空を見上げた。
「断ったよ。昔はまだ学生だったから多少向こう見ずなところあったけど、今はもう冒険するような年じゃないだろ。先の保証のない関係に飛びつく大人がどこにいるんだよ」
そうやって口にすることで自分を納得させようとした。けれども心と言葉がバラバラなのが分かる。祐太も気付いていた。ベンチに腰をおろした祐太は、静かに告白した。
「俺ね、実は後悔してたんだよ。お前に松岡先輩とのことに口を出したの。誰がどう言おうと好きなもんは好きなのに、人にとやかく言われたくないだろうなって。お前が先輩と別れた時、安心したけど、申し訳なかった。もしかして俺が余計なこと言ったからじゃないかってさ」
「それはないよ。祐太には正直に言ってもらって感謝してるんだ」
「でな、それからの司を見る度にずっと心に引っ掛かってたんだ。去年、彼女ができたって教えてくれた時、こう言うのもなんだけど、幸せそうじゃなかった。それで、やっぱりまだ松岡先輩のこと忘れられないのかなって思ってたんだ。結婚願望がないのは、松岡先輩以上に好きな人が現れないと思ったからだろ」
「……」
「司、俺が昔止めたこと、気にしてない?」
それを聞かれて、はっきり「気にしてない」と言えなかった。祐太の反応は有難くもあり、恐怖でもあったのだ。祐太の言ったことは家族や友人や世間の声だ。松岡との付き合いを続けるということは、そういう声を聞き続けなければならないのだ。松岡と別れたのはあくまで本人同士の意志だが、祐太に言われたことが頭にあったことも否めない。そして今、松岡に告白されても頭の中にまっさきにあるのはそれだ。
「……現実問題、厳しいだろ」
「お前は、本当はどうしたいんだよ。周りの目を気にして松岡先輩を拒否して、誰とも結婚しないで、それがいいのか?」
「祐太は昔、逆のことを言った。将来がなくて公にもできない関係でいいのかって。……俺はどっちを取っても責められる」
「ごめん、本当にごめん」
祐太は悪くない。すべて優柔不断な自分が悪いのだ。それなのに祐太のせいにして心の重荷を軽くしたかった。最低な人間だ。
バスのヘッドライトが遠くに見えた。こんな空気の悪いまま別れるのは残念だ。
「昔はえらそうなこと言っちゃったけど、今は誰が誰を好きになったっていいんだよ。俺は司が自分に満足するように生きて欲しいって思うよ。俺が昔言ったこと気にしてるんなら、忘れて欲しい」
バスが到着して、扉が開く。
「俺、絶対お前の味方だし!」
司は困った微笑だけを祐太に返して、バスに乗った。
「ちょっとくらい自分勝手にしても許されるんだぜ!」
バタン、とドアが閉められ、司は祐太に礼すら言えなかった。祐太への返事は、実家に着いてから改めてメッセージを入れることにする。
『今日はありがとう。奥さんの手料理おいしかったよ。よろしく伝えてね。俺はともかく、お前は奥さんとこうたくんと幸せに。また連絡する。それから、明日の同窓会はやっぱり欠席するよ。誘ってくれてありがとう』
返信はくまが泣いているスタンプひとつだけだった。
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「結婚願望がないって、さっき言ってたよな。それって友達のことじゃなくて、司もってこと?」
「ああ……うん」
「理由は聞いてもいいのかな。確か、去年は彼女いたよな。その時になんかあったとか?」
「ううん。何もないよ。あんまり続かなかったしね。逆に何もなさすぎて、ああ俺って恋愛に向かないのかもって思って。彼女も俺に退屈してたと思う」
「向かないってことはないだろ」
「……松岡先輩に、会ったんだ」
まどろっこしいのはやめた。それだけ言えば祐太はすべて察するだろう。祐太は司と松岡との関係を知っている。松岡との付き合いを諭してくれたのも彼だし、松岡と別れたあと、親身になってくれたのも彼だ。祐太はどちらかと言えば司と松岡の付き合いには快く思っていなかった。同性愛に対する嫌悪ではなく、司の将来を案じてのことだ。別れた時も、辛かったな、などといったお決まりの言葉ではなく、
「これでよかったんだと思うよ。苦しい恋愛なんて不毛だよ。暫くは寂しいかもしれないけど、絶対良い子が現れるから」
と、励ましてくれたのだ。そんな彼に松岡のことを話したらある意味裏切りになるのではとも考えたが、親身になってくれたからこそ話さなければならない気もする。
祐太の顔を見られなかった。祐太の反応が一番怖い。
「……それは、連絡を取って会ったのか?」
「偶然、会社の取引先で、会議で会ったんだ。最初はお互い他人を装ってた。でもそんなの限界があるだろ。昔話をしてるうちに懐かしくなったんだと思う。……もう一度もとに戻れないかって言われた」
「先輩と後輩として? それとも、付き合うってこと?」
「後者……」
「司は、どうするの?」
バス停に着いたが、まだ当分バスは来そうにない。ふう、と息を吐きながら空を見上げた。
「断ったよ。昔はまだ学生だったから多少向こう見ずなところあったけど、今はもう冒険するような年じゃないだろ。先の保証のない関係に飛びつく大人がどこにいるんだよ」
そうやって口にすることで自分を納得させようとした。けれども心と言葉がバラバラなのが分かる。祐太も気付いていた。ベンチに腰をおろした祐太は、静かに告白した。
「俺ね、実は後悔してたんだよ。お前に松岡先輩とのことに口を出したの。誰がどう言おうと好きなもんは好きなのに、人にとやかく言われたくないだろうなって。お前が先輩と別れた時、安心したけど、申し訳なかった。もしかして俺が余計なこと言ったからじゃないかってさ」
「それはないよ。祐太には正直に言ってもらって感謝してるんだ」
「でな、それからの司を見る度にずっと心に引っ掛かってたんだ。去年、彼女ができたって教えてくれた時、こう言うのもなんだけど、幸せそうじゃなかった。それで、やっぱりまだ松岡先輩のこと忘れられないのかなって思ってたんだ。結婚願望がないのは、松岡先輩以上に好きな人が現れないと思ったからだろ」
「……」
「司、俺が昔止めたこと、気にしてない?」
それを聞かれて、はっきり「気にしてない」と言えなかった。祐太の反応は有難くもあり、恐怖でもあったのだ。祐太の言ったことは家族や友人や世間の声だ。松岡との付き合いを続けるということは、そういう声を聞き続けなければならないのだ。松岡と別れたのはあくまで本人同士の意志だが、祐太に言われたことが頭にあったことも否めない。そして今、松岡に告白されても頭の中にまっさきにあるのはそれだ。
「……現実問題、厳しいだろ」
「お前は、本当はどうしたいんだよ。周りの目を気にして松岡先輩を拒否して、誰とも結婚しないで、それがいいのか?」
「祐太は昔、逆のことを言った。将来がなくて公にもできない関係でいいのかって。……俺はどっちを取っても責められる」
「ごめん、本当にごめん」
祐太は悪くない。すべて優柔不断な自分が悪いのだ。それなのに祐太のせいにして心の重荷を軽くしたかった。最低な人間だ。
バスのヘッドライトが遠くに見えた。こんな空気の悪いまま別れるのは残念だ。
「昔はえらそうなこと言っちゃったけど、今は誰が誰を好きになったっていいんだよ。俺は司が自分に満足するように生きて欲しいって思うよ。俺が昔言ったこと気にしてるんなら、忘れて欲しい」
バスが到着して、扉が開く。
「俺、絶対お前の味方だし!」
司は困った微笑だけを祐太に返して、バスに乗った。
「ちょっとくらい自分勝手にしても許されるんだぜ!」
バタン、とドアが閉められ、司は祐太に礼すら言えなかった。祐太への返事は、実家に着いてから改めてメッセージを入れることにする。
『今日はありがとう。奥さんの手料理おいしかったよ。よろしく伝えてね。俺はともかく、お前は奥さんとこうたくんと幸せに。また連絡する。それから、明日の同窓会はやっぱり欠席するよ。誘ってくれてありがとう』
返信はくまが泣いているスタンプひとつだけだった。
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