ゆめうつつ 10
昨夜、松岡が司をベッドに運んだあと、五十嵐は少しばかりの礼のつもりで茶を出したらしい。一度は断られたが「それでは俺も笠原も気が済まない」と強引に誘うと、気まずそうにテーブルについたという。
五十嵐が遠慮がないのは司に対してだけでなく、初対面の人間にもそうだった。五十嵐は一通り自己紹介をしたあと、司とはどんな間柄なのか、仕事が終わってからずっと一緒にいたのかなどを松岡に訊ねた。最初は無難に「中学からの後輩で、最近、偶然再会した」、「会社の前を通ったら、たまたま司が出てきたので暫く話していたら、突然倒れた」と、答えた。勘の鋭い五十嵐は、それだけでピンときたらしかった。
「もしかして、再会したのは司の会社の会議で、ですか」
驚くかと思ったが、松岡は「よく知ってるね」とにこやかに答えたという。
「司が言ってたんですよ。会議で昔、好きだった人に再会したって」
それには僅かに眉を動かしただけだが、それでも松岡は決して動揺はしなかった。
「あいつはきみには、なんでも話してるんだな。さすがルームシェアするだけあるね」
「大学からの付き合いですからねぇ。かれこれ九、十年くらいですかね。でも松岡さんは中学からだから、もっと長いですよね」
「俺が一緒に住もうと言っても、あいつはきっと嫌だと言うよ」
「悔しいですか?」
笑いながら冗談半分でけしかけた。
「もちろん、悔しいよ。嫉妬するね」
そういう返しがくるとは思わず、五十嵐は言葉に詰まった。あくまで冷静でありながら心の奥底には情熱を抱えている。わざとなのかそうでないのか、それが時々見え隠れして、五十嵐はやりにくさを感じた。
「……ま、俺も最初『嫌だ』って断られましたけどね。強引に決めたらなんだかんだで付いてきました。すげぇ流されやすいですよね、あいつ」
「だけど、流されて欲しいところで岩みたいに動かない。こちらが押して押して無理やり流してやることも可能だけど、それじゃいつかまた大きな石にぶつかって動かなくなる。俺は昔、そうやって失敗してるからね」
「やっぱり司が井下と別れる原因になったのは松岡さんでしたか」
松岡は「そんなことも知ってるのか」と噴き出して笑った。
「——そしたら、松岡さんが自分から全部話してくれたよ。亡くなった弟や、お前がその弟に似てたことも、それでお前が傷付いたことも」
松岡は信頼できると認めた人間には包み隠さず打ち明ける。長所でもあり、危なっかしい面でもある。司は呆れて溜息をついた。
「俺は悪いけど、松岡さんの味方だな。いくらきっかけが弟だったとしても、ちゃんとそれを克服してるし、その上で司だけを好きでいたんだ。指輪の本当の意味を知ってるか? お前以外の誰も好きにならないという女避けのためだ。別れてからずっとだよ。それでもお前は松岡さんの気持ちが勘違いだって思うのか」
「……」
「お前も好きなんだろうが。何をそんなに躊躇ってるんだよ」
「五十嵐は同性を好きになったことがないから分からないんだよ。俺と先輩が最初からゲイならまだ乗り越えようがあったかもしれない。でももし、どっちかに結婚を考えられるような人ができたら? 誰だってそっちにいくだろ。残されたほうはどうすればいいんだよ。五十嵐が言うほど簡単な話じゃないよ」
「いもしない第三者の心配してどうすんの」
シンプルでまっとうな意見だった。けれどもそれを想定しておかないと、いざその場面に直面した時にダメージが大きい。かつて松岡を選んで美央に別れを告げた時の、美央の泣き顔を見るのがものすごく辛かった。できれば二度とあんな想いはしたくないし、誰にもさせたくない。
五十嵐が嫌悪を示さず前向きに捉えてくれているのは有難いが、やっぱり「お前は知らないからだ」と素直に聞けない。
「俺さ、男と付き合ったことないけど、案外いけると思うのよ」
「は?」
「身近にいなかったから付き合ったことないだけで、いいなと思う奴がいたら付き合ったと思うよ。飛び込んでみたら意外といいもんだと思う」
「なんの話……」
すると五十嵐は司をいきなり押し倒して、キスをした。力強くて独りよがりなキスだ。
「い……がらし……っ」
顔を背けても顎を掴まれて、無理やりにされる。耳を舐められて思わず声を出してしまったが、決して良かったわけじゃなく、不意打ちに驚いただけだ。ニヤニヤ笑っている五十嵐に腹が立って、思いきり蹴り飛ばしてやった。五十嵐は腹を抱えてベッドから落ちた。
「いい加減にしろよ!」
「へへ、やばい、ちょっと勃っちまった」
と言って、股間を指差してみせた。司は枕を投げつけた。
「馬鹿じゃないの」
「かもね。司ほどじゃないけど。でも嫌じゃなかったよ。女とするのと変わらない普通のキスだったし、お前の反応で欲情しかけたのも事実。な、意外といけるんだよ。こんなもんかって。お前は難しく考えすぎだよ。昔みたいに他の誰かと付き合ってるわけでもない。お互いフリーで、お互い好きなんだから、バーンと飛び込んでどこまでも流されちゃえよ」
いったん部屋を出て行った五十嵐だが、すぐに引き返した。
「まあ、唯一傷付く人間がいるとしたら、俺かな。だってお前と松岡さんが付き合ったら、俺出て行かなきゃいけないだろ」
「うるさいな、付き合わないって言ってるだろ」
「ふん、流されやすい頑固者なんか説得力ねーよ。それと今日は会社休めよ。俺と松岡さんがいなかったらお前、今頃ひとりでのたれ死んでるぜ。感謝しろよ。じゃ、俺は仕事行くよ」
ようやく部屋を出ていったかと思えば、暫くしてまたドアを開けられた。
「今度はなんだよ」
「松岡さんには『司は押しすぎると逃げるから、司から連絡くるまで何もしないで』って言ってあるから、自分からちゃんと電話しろよな」
「また余計なこと」
「うるせー。いつも電話拒否される松岡さんの身にもなれってんだ」
そして五十嵐はやっと部屋を出て行った。鍵を閉められると、静けさに息を吐く。司はスマートフォンを手にとり、会社に電話を掛けた、今日は一日ベッドで過ごそうと思う。
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五十嵐が遠慮がないのは司に対してだけでなく、初対面の人間にもそうだった。五十嵐は一通り自己紹介をしたあと、司とはどんな間柄なのか、仕事が終わってからずっと一緒にいたのかなどを松岡に訊ねた。最初は無難に「中学からの後輩で、最近、偶然再会した」、「会社の前を通ったら、たまたま司が出てきたので暫く話していたら、突然倒れた」と、答えた。勘の鋭い五十嵐は、それだけでピンときたらしかった。
「もしかして、再会したのは司の会社の会議で、ですか」
驚くかと思ったが、松岡は「よく知ってるね」とにこやかに答えたという。
「司が言ってたんですよ。会議で昔、好きだった人に再会したって」
それには僅かに眉を動かしただけだが、それでも松岡は決して動揺はしなかった。
「あいつはきみには、なんでも話してるんだな。さすがルームシェアするだけあるね」
「大学からの付き合いですからねぇ。かれこれ九、十年くらいですかね。でも松岡さんは中学からだから、もっと長いですよね」
「俺が一緒に住もうと言っても、あいつはきっと嫌だと言うよ」
「悔しいですか?」
笑いながら冗談半分でけしかけた。
「もちろん、悔しいよ。嫉妬するね」
そういう返しがくるとは思わず、五十嵐は言葉に詰まった。あくまで冷静でありながら心の奥底には情熱を抱えている。わざとなのかそうでないのか、それが時々見え隠れして、五十嵐はやりにくさを感じた。
「……ま、俺も最初『嫌だ』って断られましたけどね。強引に決めたらなんだかんだで付いてきました。すげぇ流されやすいですよね、あいつ」
「だけど、流されて欲しいところで岩みたいに動かない。こちらが押して押して無理やり流してやることも可能だけど、それじゃいつかまた大きな石にぶつかって動かなくなる。俺は昔、そうやって失敗してるからね」
「やっぱり司が井下と別れる原因になったのは松岡さんでしたか」
松岡は「そんなことも知ってるのか」と噴き出して笑った。
「——そしたら、松岡さんが自分から全部話してくれたよ。亡くなった弟や、お前がその弟に似てたことも、それでお前が傷付いたことも」
松岡は信頼できると認めた人間には包み隠さず打ち明ける。長所でもあり、危なっかしい面でもある。司は呆れて溜息をついた。
「俺は悪いけど、松岡さんの味方だな。いくらきっかけが弟だったとしても、ちゃんとそれを克服してるし、その上で司だけを好きでいたんだ。指輪の本当の意味を知ってるか? お前以外の誰も好きにならないという女避けのためだ。別れてからずっとだよ。それでもお前は松岡さんの気持ちが勘違いだって思うのか」
「……」
「お前も好きなんだろうが。何をそんなに躊躇ってるんだよ」
「五十嵐は同性を好きになったことがないから分からないんだよ。俺と先輩が最初からゲイならまだ乗り越えようがあったかもしれない。でももし、どっちかに結婚を考えられるような人ができたら? 誰だってそっちにいくだろ。残されたほうはどうすればいいんだよ。五十嵐が言うほど簡単な話じゃないよ」
「いもしない第三者の心配してどうすんの」
シンプルでまっとうな意見だった。けれどもそれを想定しておかないと、いざその場面に直面した時にダメージが大きい。かつて松岡を選んで美央に別れを告げた時の、美央の泣き顔を見るのがものすごく辛かった。できれば二度とあんな想いはしたくないし、誰にもさせたくない。
五十嵐が嫌悪を示さず前向きに捉えてくれているのは有難いが、やっぱり「お前は知らないからだ」と素直に聞けない。
「俺さ、男と付き合ったことないけど、案外いけると思うのよ」
「は?」
「身近にいなかったから付き合ったことないだけで、いいなと思う奴がいたら付き合ったと思うよ。飛び込んでみたら意外といいもんだと思う」
「なんの話……」
すると五十嵐は司をいきなり押し倒して、キスをした。力強くて独りよがりなキスだ。
「い……がらし……っ」
顔を背けても顎を掴まれて、無理やりにされる。耳を舐められて思わず声を出してしまったが、決して良かったわけじゃなく、不意打ちに驚いただけだ。ニヤニヤ笑っている五十嵐に腹が立って、思いきり蹴り飛ばしてやった。五十嵐は腹を抱えてベッドから落ちた。
「いい加減にしろよ!」
「へへ、やばい、ちょっと勃っちまった」
と言って、股間を指差してみせた。司は枕を投げつけた。
「馬鹿じゃないの」
「かもね。司ほどじゃないけど。でも嫌じゃなかったよ。女とするのと変わらない普通のキスだったし、お前の反応で欲情しかけたのも事実。な、意外といけるんだよ。こんなもんかって。お前は難しく考えすぎだよ。昔みたいに他の誰かと付き合ってるわけでもない。お互いフリーで、お互い好きなんだから、バーンと飛び込んでどこまでも流されちゃえよ」
いったん部屋を出て行った五十嵐だが、すぐに引き返した。
「まあ、唯一傷付く人間がいるとしたら、俺かな。だってお前と松岡さんが付き合ったら、俺出て行かなきゃいけないだろ」
「うるさいな、付き合わないって言ってるだろ」
「ふん、流されやすい頑固者なんか説得力ねーよ。それと今日は会社休めよ。俺と松岡さんがいなかったらお前、今頃ひとりでのたれ死んでるぜ。感謝しろよ。じゃ、俺は仕事行くよ」
ようやく部屋を出ていったかと思えば、暫くしてまたドアを開けられた。
「今度はなんだよ」
「松岡さんには『司は押しすぎると逃げるから、司から連絡くるまで何もしないで』って言ってあるから、自分からちゃんと電話しろよな」
「また余計なこと」
「うるせー。いつも電話拒否される松岡さんの身にもなれってんだ」
そして五十嵐はやっと部屋を出て行った。鍵を閉められると、静けさに息を吐く。司はスマートフォンを手にとり、会社に電話を掛けた、今日は一日ベッドで過ごそうと思う。
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