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ゆめうつつ 3

 土曜日、五十嵐にほぼ無理やりに連れ出されて物件を探しに出かけた。正直、バーでは酒も入っていたこともあって冗談で終わるかと思っていたが、時間がある時に済ませたいからと珍しく積極的に動く五十嵐を見て、本気なのだなと腹を決めた。

「実は、大体めぼしいのは見つけてあるんだよ。はい、これとこれとこれ」

 ネットから印刷したものを渡される。どれもなかなか好条件のものだった。

「司は譲れない条件とかある?」

「駅近がいいかな。あとはなんでもいい」

「それなら、ここかな。よし、今からホットハウジング行こう」

 昨夜は定時に帰れたが、夜遅くまで眠れずにビールを飲んでいたので結局寝不足だ。真夏日の日差しが眩しすぎる。まだ酒が抜けきっていないのもあって、時々吐き気を感じた。
 地元を離れて神戸の大学に進み、そのまま神戸で就職した司は、もうこの土地のことはほとんど知っている。地元より住み慣れた土地だ。都会はめまぐるしく成長する。この数年のあいだで、一体どれほどの店が閉まり、どれほどの店が開いたか。この洋服屋は数年前まで純喫茶だったのにと懐かしむこともある。

 京町筋に来て、司はつい立ち止まった。松岡と最後に会った道である。ここで別れて、消えていく彼の背中を見送った。今まで思い出してもこんなに辛くならなかったのに、どうして今になって哀しくなるのだろう。

「司、どうした」

 立ち止まった司を五十嵐が訝しむ。浮かない表情と顔色が冴えないことから、体調が悪いのだと考えたらしい。物件探しをやめて、すぐ傍のカフェへ連れられた。かろうじて空いていた席につき、司が項垂れているあいだに五十嵐がオレンジジュースを注文してくれた。

「ごめん、ありがとう」

「大丈夫かよ。どっか体の調子悪いのか」

「違う……たぶん、二日酔い」

「なんだ」

 けれども五十嵐は責めたりしなかった。司が理由もなく二日酔いするほど酒を浴びる人間じゃないと分かっている。

「なんかあったのか」

「……ないよ」

「ないわけないだろ。あからさまに暗い顔しやがって。悩み事でもあるんなら言ってみ? ちったぁ楽になるぜ」

 たかが恋愛でこんなに憔悴しているなんて知られたら馬鹿にされるに決まっている。でも五十嵐になら笑われてもいいかもしれない。むしろ「下らない」と嘲ってくれたほうが、楽になるかもしれない。

「……このあいだ、会社の会議で、……昔、好きだった人に会った」

「会議で?」

「取引先の人だったんだ。その人がそこで働いてることは前から知ってたけど、まさか再会するとは思わなかったから、ビックリして。……動揺して会議でしどろもどろだよ」

「昔、好きだった人ねぇ……。もしかして、それって井下と別れる原因になった人?」

 ぎょっとして顔を上げた。五十嵐は「やっぱり」と歯を見せた。

「お前はさ、大学ん時からいつも淡々としてたよな。仕事の愚痴を言っても、彼女ができても別れても、たいして浮き沈みがないっていうか。お前があからさまに不安定だったのは大学三年の時だよ。井下と別れるか別れないかっていう頃。あの時はイライラしてるのも、何かに悩んでるのも手に取るように分かって、こいつ大丈夫かなって思ってた。いつも安全なものを選ぶお前が長年付き合った井下を振って、こいつをそんなにするほどの好きな人ってどんなんだろうってさ」

 そういえば美央と松岡との板挟みで悩んでいる時、五十嵐に少し話を聞いてもらったことがある。確かあの時も五十嵐の明るさに救われた。

「今のお前、あの頃のお前とまったく一緒。だからすぐ分かった」

 成長していない、と遠回しに言われたような気がした。

「で? 会議でその人と会ってからおかしくなったの? まさか、まだ好きなの?」

「そういうんじゃない、と思う。五十嵐の言う通り、あの頃が一番しんどかったかな。だから再会したことで余計生々しく思い出しちゃって、それでまいってるだけ、だと思う」

「何か話した?」

「何も。仕事中だからそんな雰囲気じゃないし。それに結婚してるっぽいしね。指輪してた」

「……ま、ありがちだよな。で、どんな人?」

「嫌だ、話したくない」

「お前の『嫌だ』ってけっこうダメージ食らうんだけど。嫌だじゃねーよ、話聞いてやったんだから話せよ」

「別に誰だっていいだろ。もう過去の人なんだから」

「それなら尚更喋ったって問題ないだろ」

「……嫌だ」

 まさか相手が男だとは五十嵐も思わないだろう。五十嵐の性格なら全部打ち明けたとしても軽く受け止めてくれるだろうが、やっぱり簡単に語れる相手じゃなかった。


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