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Ⅶ-2

 昼過ぎに約束の公園へ着いた。前回と同じベンチに座って美央を待つことにする。ここ暫く雨が続いていたせいか、湿気を含んだ生温かい風が頬に当たる。木が揺れて葉が擦れる音に耳を傾けた。そのうちに風に混じって、湿った土の上を歩く足音が聞こえた。足音は司の横で止まり、同じくベンチに腰掛けた。つま先が泥で少し汚れた、茶色のブーツが視界に入った。美央だ。暫く二人は無言のまま前を見ていた。

「怪我、もういいの?」

「ちょっとした打撲だけだから。ありがとう、あの時来てくれて」

「……わたし、後悔してるの。司を縛りたくなくて、理解あるフリして我慢してたこともあったけど、もっと我儘言えばよかったかなって」

 笑いながら「十分、我儘だったと思うけど」と付け足した。

「司と親しそうにしてる女の子とか見ると嫌な気持ちになったし、司が考え事してわたしの話を聞いてないことがあった時は、何考えてたのって不安にもなった。だからもっとヤキモチ妬いて、もう少し縛ってたら、もしかしたらこんなことにならなかったのかなって」
「ごめん、嫌な気持ちになってたのに気が付かなくて」

「いいのよ。どっちにしろ、こうなったかもしれないし。だって松岡さんとはわたしより前に出会ってたんだもんね。松岡さんとのほうが絆が強かったってだけで」

「でも、俺は本当に美央のこと好きだから付き合ったし、結果的に傷付けちゃったけど、美央以外の人は考えられないと思ったよ。今だって……」

「事故があってから考えたのよ。もし事故の現場に松岡さんじゃなくて、わたしがいたら? 松岡さんに司を好きな気持ちは負けないって言ったけど、司が車に轢かれそうになった時、助けに行けたかなって。変わりに自分が死ぬことになっても、好きな人を庇うってすごいよね。わたしなら怖くて動けないと思うの。だから松岡さんて、本当に司が好きで大事なんだなって思い知らされたわ。ああ、負けたなって、やっと思った」

 美央は両手で顔を覆った。

「しつこくてごめんね。でも、もう諦めるよ。だから安心して。もう司を見ても声は掛けない。電話もメールもしない。でも偶然会った時は、笑顔で話すようにするから、それだけは許してね。本当はまだ司のこと好きだけど、いつか他に違う人を好きになるとしたら、車に轢かれそうになった時に迷わず助けられるような人、見つけるからね」

 背中を丸めて小さくなっている彼女を慰めてやれないのが辛かった。司と美央のあいだに出来た一人ぶんの空間が、二度と戻れない関係であることを物語っている。

「……俺も今だって、好きだよ。ごめんね」

 いっそ罵ってくれたほうが楽だった。こんなに胸が痛むのは、後にも先にもないだろう。

 それから美央の言葉通り、彼女から連絡が来ることはなかったし大学で会うこともぱったりなくなった。以前はラウンジや中庭で待ち合わせることもあったが、偶然出くわすことも多かった。今は授業があまりないということもあるだろうが、思えばこの広い大学でしょっちゅう出くわすほうがおかしな話だ。もしかしたら、偶然だと思っているのは司だけで、実際は彼女がわざわざ探していたのかもしれない。そう思うとまた胸が苦しくなった。

 松岡とは事故以来、音沙汰ない。いくら態度や言葉で好きだと言っても、少々のことでいつもこうだ。所詮、その程度なのだ。このまま自然消滅することはおおいに有り得るが、それでは司の気が済まない。司は自ら連絡を取った。事故から二ヶ月が経っていた。


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