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Ⅵ—5

 後日、松岡から会いたいと連絡が来た時には、彼は既に司のアパートの前で待ち伏せていた。司が車に乗り込むなり、キスをする。いつもの行為なのに慣れない。そのまま受け身でいると止まらなそうだったので、司から諭した。
 後部座席の足元に、バスケットボールがあるのに気付いた。

「ボール、買ったんですか?」

「え? ああ、昔から持ってたよ。トランクを整理してたら奥から出てきてね。なんでトランクにそんなもの入れてたのかは覚えてないけど。ほとんど使ってないから、新品みたいだろう」

「そういえば、このあいだ大丸で小野田に会いましたよ」

「小野田? 中学の時の?」

「そう。大阪の大学に通ってて、彼女と神戸に遊びに来てたみたいです。久しぶりに会ったけど、変わってなかった」

「そうか。前に笠原の連絡先を聞いただけで、ほとんど連絡取ってないな。懐かしいな」

「バスケしたくなる時、ありませんか?」

「時々ね。……するか、今から」

 本格的に体を動かすつもりではないので、運動公園や体育館といったオーバーな場所でなく、司の家からさほど離れていない小さな公園を選んだ。車通りの多い道路沿いにあり、気軽に立ち寄るにはやや物騒であるため、公園内にひと気がない。遊具のひとつも置かれていないが、バスケットゴールはあった。錆びたフレームがかろうじて付いているだけで、ネットがない。だが、二人にとっては十分な環境だった。

 松岡は軽く腕を回したあと、ボールの感触を確かめた。控え目なドリブルをして司にバウンドパスをする。ボールのざらざらした手触りと匂いが懐かしい。これだけで中学時代を懐かしく思った。再びボールを松岡に投げると、松岡は腰を低くしてボールを突きながら構えた。

「先にシュートした方の勝ち」

 言うなり松岡は走り出し、司は慌てて追い掛けた。大学に入って、バスケどころか運動すらまともにしていない。関節の鈍さは感じるが、体は覚えているもので、それほどフォームは崩れていなかった。ボールを取ったり取られたり、互いに苦し紛れのシュートを繰り返して、予想以上に長引いた。呼吸が乱れ始めて手足に重みを感じた時、司はボールを払われた。松岡はそのままランニングシュートを打ったが、惜しくもボールはフレームから外れ、ゴールに至らなかった。松岡はシュートの失敗に思わず苦笑いだ。ボールはトン、と地面をついて、何度かバウンドしたあとフェンスまで転がっていった。まだ勝負がついていないのに、二人はボールを目で追うだけで動かない。

「……なんで追わないんだよ」

 松岡が肩で息をしながら言った。

「なんか、足が重くて。疲れました」

「俺より若いんだから、先に疲れたとか言うな」

「二つしか変わらないじゃないですか」

 松岡がボールを取りに行ったところ、近所の団地に住んでいると思われる小学生数人が入ってきた。うちの一人が古びたバスケットボールを抱えている。

「使いな」

 松岡は自分のボールを投げ渡し、子どもたちは持っていたボールをその辺へ置き捨て、松岡のボールを受け取った。地べたに座り込んだ司の前を通り過ぎ、公園の奥で遊び始める。松岡は子どもたちに温かい視線を送りながら司の隣へ並んだ。静かだった公園は賑やかな声に包まれた。

「余計なお世話だったかな。せっかくボール持って来てたのに」

「でも、喜んでる」

「こんなところ、遊びに来るんだな。あまりにさびれてるから」

「子ども、好きなんですね」

「別に好きとか嫌いとか考えたことはない。見ると可愛いとは思うよ」

 松岡の携帯のバイブが鳴った。ポケットから取り出して相手を確認した松岡は、応えずにポケットにしまった。こういうことは誰にでもよくあることだと司は考えているので気に留めなかったが、一度鳴り止んだ携帯が暫くしてまた鳴った。松岡は相手が誰か察しているようで、取り出そうともしない。気にしていない素振りを見せるが、眉間を寄せた億劫な表情をしていることに気付いた。電話はまだ鳴っている。司は意地の悪い気になり、言った。

「出ないんですか」

「どうせ出てもすぐ終わる話だよ」

 いつものように笑みを浮かべる松岡を益々追求したくなった。

「それなら、尚更出たらどうですか? 俺は待ってますから」

「もう鳴り止んだ」

「……誰だったんです」

「父親だよ。たぶん、たいした用事じゃない」

「たいした用事だったらどうするんですか」

「やけに突っ込んでくるな」

 父親からの電話と聞いて、松岡の部屋で見た手紙を思い出した。よく読んだわけではないが、墓参りに行けという内容が頭にこびり付いている。

「……実家に帰ってないんですか?」

「帰るほどの用事はないからな。前は頻繁に帰ってたけど、あれは笠原に会うのが目的だったから」

「弟さんのお墓参りは行かなかったんですか」

 司の問いに、松岡が顔色を変える。それでもあくまで平静を装った言い方をする。

「もういいじゃないか。その話は」

「よくないです。……やっぱりよくない」

「また言うのか。自分の中で覚悟を決めたんじゃないのか」

 こんな流れになるつもりではなかった。だが、司の中に残る嫌な感情が次々と湧き出てはやり場がなく、止まらなかった。いずれ再び向き合う問題だ。それが今だと思うしかなかった。

「どうにもならない関係でも続けていたかった。でも、もっと根本的な問題から目を逸らすのは俺には無理です」

「根本的な問題って」

「先輩はやっぱり、弟さんと俺を重ねてるだけです」

「まだそんなこと言ってるのか」

「そうとしか思えない。一緒にいて、どれだけ近付いても、先輩の眼には俺は弟さんにしか見えてない。時々間違えてるんだと思う」

「間違えてない」

「俺、ビワにアレルギーは持ってないんです。それどころか、俺がどんなものが好きでどんなものが苦手かも碌に知らないはずだ。どうして先輩は俺がアレルギーだと言ったんですか?」

「……」

「墓参りに行かないのは、弟さんの死を受け入れたくないからじゃないですか」

「馬鹿馬鹿しい。弟が死んで何年も経ってるのに、受け入れてないわけがない。お前と弟が一緒だとしたら、俺は近親相姦したことになるな。男同士で。そこまでイカれてるつもりはない」

「感情すら間違えてるんですよ。懺悔の気持ちを俺に向けることで、俺が好きだと錯覚してる。正気じゃないんですよ。……俺も先輩も」

 傍で遊んでいた子どもの「あ!」という叫び声に、二人はハッとした。松岡のボールが地面を強く弾きながら転がっていく。慌てて追いかける少年が司の前を横切った。ボールを取ることしか頭にない少年は道路へ飛び出そうとしている。車が向かって来ていることに気付いた司は、すぐに走り出して少年の腕を引いた。が、勢いがつきすぎて止まれず、自分が道路に飛び出してしまう形になった。

「笠原!」

 けたたましいクラクションとブレーキ音を浴び、逃げなければという意識と反対に体は動かず、車が目の前まで来たところで押しのけられた。何かがドン、とぶつかる鈍い音を聞いたが、自分もまた押された際に電柱で強く頭を打ち、そのまま倒れ込んで朦朧とした。かすんでいく視界の中で、額から血を流して倒れている松岡を見た。背筋が凍った。松岡は倒れたまま司を見ていた。そして僅かに松岡の唇が、動いた。


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