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Ⅵ—4

 翌朝、先に目が覚めた司はテーブルにそのままにしてある鍋や食器を片付けた。松岡は熟睡しているのか、多少音を立てたくらいでは起きない。寝顔を覗き込んだら、あまりに気持ちよさそうに寝息を立てているので、そっと離れた。ベッドの傍にある勉強机に目をやった。普段は綺麗に整頓されているのに、珍しく散らかっている。資格の教材を興味本位で手に取ったら、一枚の紙が足元に落ちた。手紙だった。読むつもりはなかったが、魔が差して目を通してしまった。そこで松岡が起きた。

「……笠原」

「おはようございます」

「片付けてくれたのか、起こしてくれたらよかったのに」

「気持ちよさそうに寝てたから」

 松岡の視線が司の手元にいった。

「あ……すみません。落ちたから拾ったんです。悪気はないんです」

「別にいいよ。たいした内容じゃないから。親父が送ってきた荷物の中に入ってたんだ。そのままにしてたの忘れてた」

 松岡は両目の目頭を押さえたあと、首を回した。まだ疲れが残っているようだ。

「寝てください。俺、もう帰りますから」

「せっかく休日なのに」

「だからこそ休んでください。疲れてるんでしょう」

 松岡の前を通り過ぎる時に腕を掴まれ、そのまま引き寄せられた。負けてしまいそうになる前に逃れた。

「また来ます」

 自分で言っておきながら、もっと強引にでも引き止めて欲しかったと少しだけ気抜けしながら部屋を後にした。
 まっすぐ帰宅する気にもなれず、再び訪れる虚無感をまぎらわせようと街に出た。休日の昼間ともなると、行く先々で人の波に押される。病気のひとつでも感染されそうなほど空気が汚れていると思う。地元の田舎から出てきた頃は都会の喧騒に慣れず、頭痛がすることもあったが、三年以上も住んでいると気にならなくなった。むしろ、静かな場所で一人考え込むよりも、人ごみに紛れていたほうが自分の存在の小ささを実感出来て、自分の悩みなど取るに足らないことだと思える。窮屈だった都会は、いつしか自分を取り戻すための場所になった。
 わざわざ街に出なくても手に入る日用品を買い、暫くアーケードを歩いたあと、用足しに大丸に入った。トイレに寄って、すぐに出るつもりだった。手を洗っているところに、慌てて掛け込んできた男と肩がぶつかった。

「すんません!」

「いえ」

 俯いたまま軽く頭を下げた。通り過ぎようとしたら、予期せず名前を呼ばれた。

「司……?」

 振り返って男を見据える。見覚えのある、だがそこまで親しい存在でもなかった男だ。

「……小野田?」

「そう! 久しぶりだな!」

 どうしてここにいるのかと訊ねる前に、先に用を足してくるから待っててくれと言われた。暫くして戻ってきた小野田は、まるで数日ぶりに会ったかのような気軽さで肩を組んでくる。

「まさかこんなところで再会するなんてな。高校一年の時に会ったけど、それっきりだったもんな。お前、変わらないな」

「小野田こそ。神戸に住んでるの?」

「いや、大阪。買い物で来たんだ。神戸来るのは二回目。よく会ったもんだよ。司は? 神戸?」

「うん。一人? 誰か待ってるんじゃないの」

「ああ、でも、今は別行動中。今頃大量の服でも試着してるんじゃないかな」

 はっきりとは言わないが、相手は彼女だと匂わせる言い方だった。

「元気だった? 神戸に住んでるなら、もっと早く連絡取ればよかったな。大阪から近いからいつでも会えるのに。バスケ部の連中、今でも会ってる奴いる?」

「いないよ。連絡もしてないし」

「そうなの? あ、松岡先輩は? けっこう前に松岡先輩から連絡があって、司の連絡先教えてくれって言われたんだけど。何か聞いてない?」

「あ、ああ……。来たよ。あの人も今、こっちで仕事してるから」

「そうなの!? なんだ、連絡取ってる人いるんじゃん。松岡先輩、元気? って言っても、俺はほとんど会ったことも喋ったこともないんだけど。お前、いつ連絡し合うような仲になったんだよ」

 小野田は司が中学の頃から松岡と親しいことを知らない。別に隠すほどのことでもないが、事情を説明するのが面倒なので、適当にかわした。

「夏休みには地元に帰省するから、司も帰省するなら向こうで落ち着いて会おうぜ」

「また連絡する」

「頼むぜ。七月の終わりは法事があるから八月な。こないだも墓参りで帰ったばっかりだけどさ」

「じゃあ」と言って去ろうとする小野田に、司は訊ねた。

「墓参りって……行くよな? 普通」

「え? 行くけど?」

「親しい人が死んだのに、墓参りに行かないってどう思う?」

「うーん……、よっぽどその人が嫌いか、その人の死を受け入れられないか、そんな感じ?」

 後者が腑に落ちた。
 小野田の携帯電話が鳴ったの区切りにして別れた。小野田は一目散に出口を目指していく。合流した女の子と腕を組んで、ありふれた恋人同士のワンシーンを残して姿を消した。


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