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Ⅴ—1

「君のような人間は、どこに行っても続かないんだよ!」

 いきなりホットコーヒーをかけられた。かなりの熱湯だったのだが、幸い顔にはかからなかった。それよりも、おろしたてのスーツと白ワイシャツが台無しだ。
 かねてから司が行きたいと思っていた会社の採用試験を受けたところ、内定通知が送られてきたので、すぐにそれに応えた。なので、その前に内定をもらっていた地元の企業に内定取り消しを願い出たところ、会社に来るように言われた。電話での人事部の声は穏やかで、どうしても話がしたいというので、のこのこと足を運んだのだ。別室に案内されてほぼ無理矢理にホットコーヒーを勧められたのだが、それを持ってきたと思えばこのざまだ。コーヒーをかけられに地元に戻ったといっても過言ではない。
 司は会社を出たあと、寄り道をせずに神戸に戻った。三宮の駅でコーヒーの大きなシミを付けて歩くのはバツが悪い。改札を目指していると肩を掴まれた。驚いて振り返ると五十嵐がいた。

「やっぱり、司だ。何やってんの」

「びっくりするじゃないか。たった今、地元から帰ってきたとこだけど」

「就活? ……なに、そのシミ」

「話せば長くなる」

「なに? 何があったんだよ」

 五十嵐は完全に面白がっていた。

「内定もらってた会社に、やっぱり行けないって言ったら、コーヒーかけられたんだよ」

「マジ? 電話で断わればよかったのによ」

「電話したんだけど、どうしても来てくれって言うから、わざわざ行ったんだ。……最悪だよ」

「話のネタになるな」

 笑いながら言われる。いつもなら軽く受け流すのだが、気分が下がっているところなので上手くかわせず、少し苛ついた。 
 五十嵐は一人で街に買い物に来たらしく、小腹が空いたので軽食に行くという。司はそれに誘われた。

「で、どこの会社に決めたんだ?」

「竹富建設」

「おっ! 大企業じゃん!」

「建設に興味あるから」

「内定祝いで茶の一杯くらいおごってやるよ。あ、でも俺も決まったんだよな。だから、やっぱりお互い様ってことでナシな。ちなみに俺、ミツバ商事」

「商社か、お前らしいな」

「完全にコネだけどな」

 二人は駅の近くの古い純喫茶店に入った。一歩踏み入っただけで煙草の匂いが鼻をついた。隅の席に案内され、司はホットストレートティー、五十嵐はホットドッグを注文する。五十嵐がからかって言った。

「コーヒーは頼まないのか?」

「暫くコーヒーは見たくない」

「そういえばさ」

 五十嵐は体の向きを変え、壁に背中をつけて足を組んだ。

「このあいだ、井下を見かけたんだけど。駅のパン屋の前の信号で。なんか泣いてるっぽかったんだけど、何かあったのか?」

 おそらく司が別れ話を切り出した日のことだろう。司は僅かに顔色を変えた。五十嵐はそれを見逃さなかった。

「……ちょっとね」

「もしかして、別れた?」

「……」

「当たったの?」

「距離を置こうっていう話をした」

「なんで? なんで?」

「……もういいじゃないか、その話は」

「井下に気に入らないところがあったのか」

「違う」

「そうか、お前に他に好きな奴でも出来たんだろ」

「……違う」

「その言い方は図星だな。どこの誰?」

「うるさいな、ほっといてくれ」

 五十嵐は司の言葉に全く耳を貸さない。

「お前が移り気するなんてねぇ。意外だけど、なんか安心したよ。で、そいつとはどこまでいった?」

「もう黙れよ」

「キスした?」

「……」

「ヤッたか」

「殴るぞ」

 司はいよいよ本気になったが、五十嵐はその反応すら楽しんでいる。

「『殺すぞ』って言わないところが、司っぽくて尚更怖いね」

 呆れた司は、紅茶分の小銭を机に置くと席を立った。店を出て行く司を、五十嵐は慌てて追いかけた。

「そんなに怒らなくてもいいだろ」

「くどいんだよ」

「いつもなら適当に受け流すじゃねぇか。らしくないな」

 そう言われてようやく冷静になった。五十嵐は「そうだろ?」と言わんばかりの微笑を浮かべた。目の前にあるコンビニに気付いた五十嵐は「待ってろ」と言い、一人コンビニに入った。司はそのあいだに深呼吸をしながら心を落ち着ける。戻ってきた五十嵐に、何かを投げ渡された。絆創膏だった。

「それ、ちゃんと冷やしとけよ」

 右手の甲をトントンと叩いて、五十嵐は去った。会社でホットコーヒーをかけられた時に出来た火傷のことを言っていた。たいした傷でないので手当てせずにいたのだが、時々ヒリヒリと痛むのを五十嵐は気付いていたらしい。
 悪い奴じゃないのだ、と絆創膏を見ながら思った。




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