Ⅳ-4
浅慮にも翌日の美央との待ち合わせ場所には、松岡の家から直行することになった。気も体も重く、足には鉛が付いているようだった。裏腹に雲ひとつない青空と、太陽が眩しすぎて目を開けられなかった。
約束をしている駅前のドーナツ店へ入ると、美央が隅の席から手を振った。笑顔が引きつった。
「……早かったんだな」
「そうでもないわよ。着いたのは十分前。それより、顔色が悪いけど、どうしたの?」
「そうかな」
「体調悪い? 大丈夫なの?」
美央は司の顔を覗き込んだ。心配されると益々具合が悪い。視線を変えた。美央の隣には手作りらしい弁当の包みがあった。司の視線を追った美央は、「ああ」と、はにかんで笑った。
「味はどうか分からないけど、作ったの。早起きして頑張ったんだからね。美味しくなくても全部食べてもらうわよ」
「……」
「司、卵焼き好きだったよね。ちょっと焦げたけど、今回は上手に巻けたわ。いつも巻くのに失敗しちゃうんだけど」
「……美央」
「唐揚げも入れたよ。ああ、先に言っちゃ駄目よね。驚かせようと思ったのに」
「美央」
「何?」
無機な笑顔で彼女にとって酷な言葉を、ほぼ無意識に口にした。
「……距離を置かないか」
美央は笑顔を凍らせ、除々に眉間に皺を寄せた。
「ど、どういう……こと?」
「少し、会うのをよそう」
「別れるってこと……?」
「……まだ、そうとは決まってない……けど」
美央の表情がみるみる変わる。混乱して青ざめている。司はそれを見るのが辛くて思わず俯いた。
「何それ……意味分かんないよ。なんで……わたし、何かしたの?」
「違うんだ。美央に悪いところなんか何もない。むしろ、完璧すぎて、俺には勿体ないくらいだ」
「じゃあ、どうしてよ!」
「俺は美央に釣り合わない」
「そんなの理由にならないわ。ねぇ、本当はわたしに何か悪いところがあるんでしょ? 教えてよ」
司は首を横に振った。
「……好きな人が出来た……?」
今度は何も反応が出来なかった。首を縦にも横にも振れない。美央は肯定したと判断した。途端に、大きな瞳が潤み、左目から一筋の涙が零れた。
「嘘、だって、今まで他の人に余所見したことなんかないって言ったじゃない」
「それは本当だよ。美央しか見てなかったし、今も美央のことが好きだ。……ただ、少し放って置けない人がいて……どういう感情なのか自分でも分からないんだ。どっちにしろ、こんな状態のままで美央と付き合えない」
「でも、ずっとその人の傍にいるわけじゃないんでしょ。わたしは大丈夫。待ってればいいんでしょ」
「ごめん」
「結婚したいっていうのは? あれは嘘?」
「本心だよ。でも今は少し考えたい。……だから」
「嫌よ」
「美央」
「聞きたくない」
美央は耳を塞いで俯いた。ポロポロと涙が零れる。心臓がナイフで切り裂かれるように痛かった。傍に寄って肩を抱いてやれたらと思った。なのに、そう出来ない自分がもどかしくて腹立たしい。
美央はいきなり立ち上がり、真っ赤な顔を隠しながら荷物を持った。
「……わたし、別れないから」
涙声で言い残して、店を出た。司は追いかけるどころか、微動だに出来なかった。窓から美央が泣きながら足早に去っていくのを見送った。
店内にいた他の客が軽蔑の目を寄越してくる。司は暫くしてから席を立ち、周りの視線に動揺することなく店を後にした。
こんなに罪悪感があるのに、足は自宅に向かっていなかった。うつろな目で電車に乗り、何も考えずに着いた先は松岡のところだった。出迎えた松岡は、部屋に迎え入れるなり抱擁する。そして同じ過ちを繰り返すのだ。侮蔑されて少しでも許されるとしたら、いくらでも嘲って罵倒して欲しかった。松岡に慰められながら、いっそ誰か殺してくれと思った。
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約束をしている駅前のドーナツ店へ入ると、美央が隅の席から手を振った。笑顔が引きつった。
「……早かったんだな」
「そうでもないわよ。着いたのは十分前。それより、顔色が悪いけど、どうしたの?」
「そうかな」
「体調悪い? 大丈夫なの?」
美央は司の顔を覗き込んだ。心配されると益々具合が悪い。視線を変えた。美央の隣には手作りらしい弁当の包みがあった。司の視線を追った美央は、「ああ」と、はにかんで笑った。
「味はどうか分からないけど、作ったの。早起きして頑張ったんだからね。美味しくなくても全部食べてもらうわよ」
「……」
「司、卵焼き好きだったよね。ちょっと焦げたけど、今回は上手に巻けたわ。いつも巻くのに失敗しちゃうんだけど」
「……美央」
「唐揚げも入れたよ。ああ、先に言っちゃ駄目よね。驚かせようと思ったのに」
「美央」
「何?」
無機な笑顔で彼女にとって酷な言葉を、ほぼ無意識に口にした。
「……距離を置かないか」
美央は笑顔を凍らせ、除々に眉間に皺を寄せた。
「ど、どういう……こと?」
「少し、会うのをよそう」
「別れるってこと……?」
「……まだ、そうとは決まってない……けど」
美央の表情がみるみる変わる。混乱して青ざめている。司はそれを見るのが辛くて思わず俯いた。
「何それ……意味分かんないよ。なんで……わたし、何かしたの?」
「違うんだ。美央に悪いところなんか何もない。むしろ、完璧すぎて、俺には勿体ないくらいだ」
「じゃあ、どうしてよ!」
「俺は美央に釣り合わない」
「そんなの理由にならないわ。ねぇ、本当はわたしに何か悪いところがあるんでしょ? 教えてよ」
司は首を横に振った。
「……好きな人が出来た……?」
今度は何も反応が出来なかった。首を縦にも横にも振れない。美央は肯定したと判断した。途端に、大きな瞳が潤み、左目から一筋の涙が零れた。
「嘘、だって、今まで他の人に余所見したことなんかないって言ったじゃない」
「それは本当だよ。美央しか見てなかったし、今も美央のことが好きだ。……ただ、少し放って置けない人がいて……どういう感情なのか自分でも分からないんだ。どっちにしろ、こんな状態のままで美央と付き合えない」
「でも、ずっとその人の傍にいるわけじゃないんでしょ。わたしは大丈夫。待ってればいいんでしょ」
「ごめん」
「結婚したいっていうのは? あれは嘘?」
「本心だよ。でも今は少し考えたい。……だから」
「嫌よ」
「美央」
「聞きたくない」
美央は耳を塞いで俯いた。ポロポロと涙が零れる。心臓がナイフで切り裂かれるように痛かった。傍に寄って肩を抱いてやれたらと思った。なのに、そう出来ない自分がもどかしくて腹立たしい。
美央はいきなり立ち上がり、真っ赤な顔を隠しながら荷物を持った。
「……わたし、別れないから」
涙声で言い残して、店を出た。司は追いかけるどころか、微動だに出来なかった。窓から美央が泣きながら足早に去っていくのを見送った。
店内にいた他の客が軽蔑の目を寄越してくる。司は暫くしてから席を立ち、周りの視線に動揺することなく店を後にした。
こんなに罪悪感があるのに、足は自宅に向かっていなかった。うつろな目で電車に乗り、何も考えずに着いた先は松岡のところだった。出迎えた松岡は、部屋に迎え入れるなり抱擁する。そして同じ過ちを繰り返すのだ。侮蔑されて少しでも許されるとしたら、いくらでも嘲って罵倒して欲しかった。松岡に慰められながら、いっそ誰か殺してくれと思った。
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