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Ⅲ—5

 数日後の日曜日、司は松岡に電話を掛けた。久しぶりに気温の高い、快晴の昼前だ。応答はすぐにあった。

『笠原か』

「先輩、今日……」

『ちょうど良かった。今日、付き合って欲しいところがあるんだけど、いいか?』

 言うより先に、誘われてしまった。自分で掛けておいて、迷いながらもいつも通りに大丈夫だと答えた。松岡は車で、家まで迎えに来た。

「ありがとうございます」

 助手席のドアを開けるなり、言った。松岡は口元に笑みを浮かべて返した。司はその笑顔に弱い。どうにかしなければと思えば思うほど揺さぶられる。

「……どこに行くんですか?」

「とりあえず先に、昼食でも取ろう」

 松岡は司の家の近くにある洋食屋に迷いなく入った。店の存在は知っていたが、来たことがない店だ。松岡は「なかなか美味いよ」と言いながら、店に入る。思えば、彼がどういうものが好きで、何が嫌いなのかよく知らない。ただ、一緒に食事に行く時は洋食が多いので、洋食は好きなのだろう。

「先輩、いつも出してもらってるから、今日は俺が出します」

「いいよ。学生に奢ってもらうほど困ってない」

「でも」

「金曜日、給料日だったんだ。払わせてくれよ」

「……」

 今日はなぜか機嫌がいいように見えた。そのわりに松岡の服装が、ダークグレーのパンツに黒のジャケットという暗めの色で揃えているのが妙に気になった。むろん、理由を聞くわけでもないが。
 昼食を済ませて、再び車を走らせるが、行き先は告げられず、聞いてもはぐらかされた。着けば分かると諦め、聞くのをやめた。しかし、高速道路の入り口を通過するとさすがに慌てた。

「どこに行くんですか!?」

 ようやく松岡は答えた。

「淡路」

「淡路!?」

 ただのドライブで行くわけはないと司は分かっていた。何か理由があるはずだ。おそらく、そのうち松岡から言うだろうと思ったので、司は何も聞かずに黙って車に乗っていた。
 道中はほとんど松岡が一人でしゃべっていた。司があまり口を挟む間がない。まるで美央といる時のようだった。話を聞きながら、時折窓の外を見る。雲ひとつない。やがて海が見えた。空の青と太陽の光が上手い具合に調和して、見渡す限りが紺碧だった。松岡は話が尽きたのか、口数が減った。それでもミラー越しに見る彼の顔は穏やかだった。

「寝ててもいいよ」

 そう言われたが、だからと言って素直に寝られるほど図々しくはない。司は自分からも話を振ってみたけれど、元々話下手なので会話も長くは続かない。そのうちにあまりの気候の良さに気持ち良くなり、眠気に襲われた。寝たらなんだか悪いと思い、必死で堪えていたが、結局睡魔に負けて、淡路に着く数十分前に少し、目を閉じた。
 松岡に起こされ、目を覚ますと海岸だった。

「気持ちいいぞ、出よう」

 風は少しあって冷えるが、耐えられないほどではない。松岡は、あらかじめ車に積んでおいたマフラーを司の首にかけた。肌触りのいいマフラーだ。松岡の匂いがした。
 波打ち際を、松岡の後ろに着いていく形で歩いた。ジャケットのポケットに手を入れ、海を見ながら歩く後ろ姿が大人びて見えた。風になびく茶色の髪すら切ない。松岡は立ち止まり、司に振り返る。

「今日は暖かいな」

「そうですね。いい天気だし」

「急に連れて来て、悪かった」

「いえ」

「今日、弟の命日なんだ」

「……」

「事故の数日前、家族でここに来てね。弟は海が好きで、はしゃいでいたのを覚えてる。当時の俺は素直じゃなかったし、弟を疎ましいと思ってたから、なんでそんなに嬉しいのか分からなくて、馬鹿馬鹿しいと思ってたよ。ここに来るのは、あれ以来」

 松岡は足元の貝殻を手に取り、海に投げ入れた。

「本当は墓参りに行かなきゃいけないんだろうけど、さすがに遠いしな。笠原にとっても迷惑だろうし」

「俺は別にいいですけど」

「俺が嫌なんだ。いざ、墓の前に立ったら自分を責めて暗い気持ちになるだろうから」

 機嫌が良かったのは、単に空元気だったのかもしれない。本当は墓参りに行って、花を挿したいだろう。亡くなったのは松岡の所為じゃないのに、自分の所為だとすら思っているかもしれない。大らかで強い彼が、弟の死に関しては不安定になる。それを思うと司は自分が辛くなった。

「一人は心細かった。笠原がいてくれて良かったよ」

 司は微笑を返したが、上手く笑えなかった。

「弟さん、俺に似てたんですよね」

「ああ、顔も中身も似てるよ。時々錯覚するんだ」

「……そんなに?」

「さっき、車の中で眠ったろ。千明に似てた」

 弟の名前は千明というらしい。松岡は司の前に立って並び、暫く見つめたあと、司の頬を撫でるように触れた。まるで壊れやすいものを触るかのようだった。司は松岡の一挙一動にうろたえているのに、松岡の目は司を見ているようで、違う何かを見ているようだった。司はそれに不安を感じた。

「司」

 ふいに名前を呼ばれてドキッとした。

「……って言うんだよな」

「びっくりした」

「俺の名前は知ってるか?」

「……千歳(ちとせ)……」

「そう。長生きして欲しいって、親がその名前をつけたらしい。……皮肉な名前だよ」

 松岡は「行こうか」と、再び司より先に歩いていく。
 松岡のことをずっと知っていて、今も一番に近くにいる存在であっても、彼のことを一番知らないのはもしかしたら自分なのかもしれなかった。


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