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Ⅱ-6

 翌日は寝不足の登校となった。目をこすりながら教室に向かっているところ、その日初めて彼に声を掛けたのが美央だった。

「司、おはよう!」

「……はよ」

「昨日、ごめんね。司が戻って来るまで電車、待ってようと思ってたんだけど、人ごみに流されて乗っちゃって」

「ああ……。いや、いいよ。俺こそごめん」

 昨日の松岡とのキスを美央に見られているのではないかと案じて、会話がどうにもぎこちない。司の心配をよそに、美央はいつも通りに話しかけてくる。

「司はなんの授業? わたし、イタリア語」

「俺はゼミだから……」

「そっか。わたし今日は放課後、部活もあるからこれでバイバイだね」

「美央、お前……昨日、さ……」

「ん?」

「昨日、何か見たか?」

「何を?」

「……いや、なんでもない。夜にまた電話するよ」

「うん、じゃあね」

 昨日のことについて松岡から何か言われるかと思ったが、それから暫く音沙汰なく、それにも司は困惑した。自分から聞くにも聞けず、もやもやとした日々を過ごすうちにに困惑は怒りに変わった。よくよく考えてみると、こんなに悩んでいるのは自分だけかもしれない。もうなかったことにして忘れようと決めた時、見計らっていたかのように松岡から連絡があった。あれから二週間が経っていた。

 日曜日の午後、松岡に呼び出されて指定された喫茶店へ行った。断ってもよかったが、自分の怒りをどうしてもぶつけたくて誘いに応じた。喫茶店に着き、ガラス越しに松岡がコーヒーを飲んでいる姿を見つけた。

「どうも」

 怒気を帯びた口調で言ったが、松岡は笑顔で返す。司は席につくと、メニューを見ずにアイスティーを注文した。

「今日は肌寒いのに、冷えるぞ」

「ほっといてください」

「就活は進んでるか? 今年は難しいみたいだな」

「……」

「いい天気だけど、行きたいところあったら連れて行けるよ。今日は車なんだ」

「先輩、俺、怒ってるんですけど」

「だろうな」

「分かってるのに、よく普通に出来ますね」

「これでも、どうやって機嫌を直そうか必死なんだ」

 そう言いながらも、余裕のある笑みは変わらない。彼がどういうつもりなのか分からない。司はますます怪訝に思った。

「……悪かったよ。そう怒るな」

「この間のアレは……」

 話を切り出すと、松岡は持っていたマグを置き、沈黙した。伏し目で、物寂しげな松岡を見ると、声を掛けられなかった。そのうち松岡が顔を上げ、言った。

「出ようか」

「え?」

 伝票を握り、司が戸惑っているのをよそにさっさと会計を済ませる。司は残り少ないアイスティーを一気に口に含み、早々と店を出る松岡のあとに付いて行った。松岡の車の前まで追い付くと助手席に無理矢理、座らされる。

「ちょ、先輩……」

 松岡は何も言わずに車を出す。司は諦めてすべてのタイミングを松岡に任せることにした。
 彼らのあいだに会話はなかったが、車内に流れる僅かなFMの音が沈黙を救った。車を走らせるうちに曇っていた天気が回復し、まばらに青空を覗かせながら隙間から洩れる太陽の光が車内を照らした。FMは賑やかなトーク番組からボサノバへ変わり、日々の慌ただしさを忘れるほど穏やかだった。その空間を共有するうちに、松岡への怒りはいつの間にかなくなった。 

 松岡は港の近くに行き、前方に海が見える形で車を停めた。エンジンを切ると急にキン、と耳鳴りがする。車から降りる気配はなく、司は松岡から何かアクションを起こすのを待った。松岡はペットボトルの水を一口飲むと、ようやく口を開いた。

「このあいだのこと、笠原が怒るのは当然だと思うんだけど、はっきり言うよ」

「……」

「好きなんだ」

 司は目を見開いて、松岡の顔を見る。

「それは……どういう」

「そのままの意味だよ。はっきり気付いたのは、高校の頃、笠原と連絡がつかなくなってから」

 とすれば、司が松岡に告白して振られた直後だ。

「笠原から告白された時、俺はお前を弟みたいな存在だからと言ったし、俺自身もずっとそう思ってた。だけど、連絡がつかなくなってから急に心に穴が空いたように、寂しくなった。何度も家にまで行こうかとも思ったけど、拒絶されてるのに会いに行って嫌われるのも怖かった。その時はじめて、俺は笠原が好きなんだと気付いた」

「ちょっ……ちょ、待ってください。なんでそれだけで好きだなんて思うんですか。振った直後のことですよ。先輩が寂しいと思ったとしたら、それはそれまで一緒にいた時間が多くて、それが急になくなって時間が出来たからそう思うだけで、好きだとかいう気持ちはきっと先輩の勘違いです」

「聞けよ。……もう会えないんだと思うと、あの時お前を振ったことをすごく後悔したし、時間が戻るなら抱き締めたいとも思ったよ。確かに俺も時間が経てば勘違いだと気付くかもしれないと思った。だけど、時間が経つにつれて余計に恋しくなった。だけど会えない。本当に諦めようと思って、それから何人かの女の子と付き合ったりもした。だけど共通してるのは、雰囲気が笠原に似てるってことだ。結局、どうしてもお前に対する気持ちは消えないんだと悟ると、誰とも付き合おうと思わなくなった。誰かに連絡先を聞くことも出来たけど、拒まれるのが怖かった。大学に行ってからも、社会人になってからも、暇が出来れば地元に帰ったよ。どこかで笠原に会えるかもしれないと思って」

 夏休み、中学で会った時も、駅で待ち合わせた時もそういう理由なのかと、この時気付いた。

「中学で偶然会った時、これを逃したら二度と会えないと思ったんだ。案の定、お前は分かりやすいくらいに避けてたけどな」

「それは……すみません」

「だけど、それでお前も俺とのことは忘れてないんだなと逆に少し安心もしたよ」

 思いがけない告白をされ、動揺を隠しきれない。何を言うべきかも分からなかった。戸惑いの中に、嬉しさもあった。体が揺れるほど鼓動が早くなる。しかし美央の顔が頭に浮かぶと、ふいに冷静になった。司が口を開こうとした時、意外な言葉で遮られた。

「断わってくれていいよ」

「……え……」

「笠原にしてみれば、勝手な話だよな。振ったくせに好きだとか言って、困らせて。おまけにお前には彼女もいるし」

「……」

「今度は俺が振られる番だ。覚悟してる」

 そう言われると返って何も言えなくなった。また沈黙が続いた。司が何も言えないでいると、松岡は司の手を被せるようにして握った。

「少しだけ、こうさせてくれ」

 返事はしなかったが、抵抗もしなかった。松岡の手に握られていると安心した。
 けっこうな時間が過ぎて、松岡は手を放すとエンジンをかけた。FMの賑やかな音が流れる。何も言うことも言われることもないまま、帰路に着いた。松岡はさっきまでのことを忘れたかのように、何気ない会話を司に投げかける。司はそれにただ答えるだけだ。あまりに普通に接するので、夢でも見たのだろうかという気にさえなる。
 松岡は司を家の前まで送り、一切、告白について触れることのないまま別れた。
 司は彼にまだ何も言えていない。


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