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Ⅱ-3

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 秋といえども、陽が出ているうちはまだ汗が滲む。
大雨の名残が微塵もない晴天の翌日、大学に着いたばかりの美央は、額の汗を丁寧にハンカチで拭きながら学生課へ向かった。学生課の掲示板には企業の募集案内が定期的に貼られる。司と同じく就職活動をしている美央は、大学に着いたらまず掲示板を見るのがここ最近の日課だ。
 特に気になる募集もなく、授業へ向かおうとした時、同じ部活の友人に声を掛けられた。

「おはよう、美央。朝から熱心だね」

「別に熱心ってほどじゃないけど」

「わたし、就活なんて全然してないわ。みんな焦りすぎよ。まだこれからなのに」

「典子は自信があるから言えるのよ。わたし、内定もらえる自信がないわ」

「安心して。美央は美人だから大丈夫」

「そんなことないけど。……大体、顔は関係ないわ」

「大アリよ。どうせ、面接官のオヤジなんて顔しか見てないから。見てよ、わたしのこの小さい目とだんご鼻。どう、憐れんでくれる?」

 ケラケラと軽快にしゃべる典子に、美央は思わず噴き出した。

「典子、朝から何してんだよ」

 背後から近づいてきた男が気軽に典子の肩を抱く。五十嵐だった。五十嵐は肩を組む流れで、典子の顎の肉を掴んだ。

「なんだよ、この肉。やばいんじゃないの」

「それ、わたしだから許されてるけど、違う女子にしたら訴えられるから」

「当たり前だろ。お前だからしてるんだよ」

 典子と五十嵐は高校からの腐れ縁だ。顔を合わせば些細な小競り合いをするのだが、傍から見れば微笑ましいカップルだ。ただ、彼らのあいだに恋愛感情がないからこそのじゃれ合いなのだ。美央は彼らのやり取りを笑いながら見守った。
 美央の存在に気付いた五十嵐がやぶから棒に言う。

「あ、司の彼女」

「司を知ってるの?」

「美央の彼氏、経済学部だったよね。コイツも経済学部なのよ」

「同じクラスだぜ。あんたは俺のこと初めて見るだろうけど、俺は司とあんたが一緒にいるところよく見るから知ってる。この広い大学で分かるんだ、相当だぜ。仲良いよなーって、見る度思うよ」

 典子が五十嵐を睨みながら口を挟んだ。

「あんたって言い方はないでしょう」

「ああ、失敬。だって名前知らないんだもん」

「井下です」

「井下さんね。ところで、こないだのクソ講演、来なかったの? 司はいたけど」

「何、クソ講演って」

「新入社員が就活のこととか、仕事のことについて話すやつ。すんげーつまんなかった。知らない?」

「知らない。就活のことはお互い何も知らないの。何をしてるとか、どこを受けるとか」

「てっきり一緒にしてるんだと思ってた。司と同じ方面の会社受けるのかなーとか」

「それも知らないの」

「就職でバラバラになっちゃったら、どうすんの」

 五十嵐は軽く聞いたつもりだったが、美央はそれを彼の想像以上に重く受け止めた。一瞬、表情を暗くした美央に気付いた典子が、五十嵐を肘で突いた。

「気を悪くしたら、ごめん。さっき、ラウンジに司がいたぜ。行ってみたら?」

「そうする。ありがとう」

 五十嵐の進言でラウンジに向かった美央は、机に伏せている司の後ろ姿を見つけた。耳にはイヤホンを入れている。寝ている司の脇腹をつついたら、飛び起きた。

「びっ……くりしたぁ。なんだよ」

「何してるの」

「見て分からない? 寝てた」

 机の上には書きかけの履歴書があった。美央は何食わぬ顔で覗こうとしたが、早々に片づけられた。美央が履歴書を気にしていたことに司は気付いていない。

「さっき、五十嵐くんに会ったよ。司がここにいるって教えてくれたの」

「五十嵐と知り合いだったっけ」

「友達の友達。偶然、知り合ったの。……五十嵐くんとクソ講演に行ったんだって?」

「クソ講演? ……ああ、あれね。そんなことまで話したのか」

「わたし、そんなのあるの知らなかったなー。なんで教えてくれなかったの?」

「行かなくて正解だったぜ」

「行くとか行かないとかじゃなくて、知らせて欲しかったな」

「美央はてっきり知ってるもんだと思ってた。就活のやり方とかそれぞれだから、俺も勝手にしてるし」

「……司は、どの方面行きたいの? 関東とか関西とか」

「業種で選んでるから。決まった会社が行けって言うなら関東でも関西でもいいよ。美央は?」

「わたしは関西かなー」

「そうなんだ。関西で決まるといいな」

 司にとっては何気ない会話だったが、美央が不服そうな表情をしていることに気付いた。

「……どうかした?」

「司はもし、わたしと全然違うところに内定決まったらって思わない?」

「そりゃ寂しいな」

 まだ美央の表情は変わらない。ようやく、彼女が言わんとしていることが分かった。美央は司に自分とのことも含めて就職先を選んで欲しいのだと。確かに今までずっと一緒にいたぶん離れたら司も辛い。その上、学生のように自由に行動出来ない身になるのだ。だからと言って、司は活動範囲を狭めたくなかった。仮に離れたとしても美央との付き合いがそれだけで駄目になることはないと思っている。

「美央はもしバラバラになったら不安?」

「当たり前よ」

「なんで」

「なんでって、司が疲れた時や悩んだ時に、わたしが傍にいられないでしょ。会社では新しい出会いもあるだろうし、わたしじゃなくて他の誰かを好きになるかもしれないし。遠くにいる彼女より、近くにいる人のほうが良く見えるって言うじゃない」

「俺、美央が近くにいるから付き合ってるわけじゃないよ。それに近くにいたって心変わりする奴はするし、逆に遠くにいてもずっと続く人だっている。俺は後者だな」

「言い切るのね」

「だって、自信があるから」

「……」

「離れてるってだけで気持ちがなくなることはないよ。他の女見たりしない。今までだってそうだっただろ」

「……そうね」

 口では受け入れながらも、美央の表情はまだ不満を残している。おそらく男と女では理解出来ることと出来ないことが違うのだ。このままどんなに言っても美央が安心することはないと司は分かっていた。美央もまた、どんなに訴えても司が自分のために簡単に考えを変える人間でないことを知っている。それどころか、あまりしつこくすると司が愛想を尽かしかねない。
暫しの沈黙の後、司が先に話を切り替えた。

「今日の夜、飯でも食いに行こう。パスタ好きだろ?」

「うん。パスタなの?」

「美味しい店、見つけたんだ」

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