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Ⅰ-5

***

「ねえ、聞いてる?」

 美央に不満げな表情で覗きこまれて、我に返った。急に店内の雑音が耳に入った。

「あ、ごめん」

「今日、ずっとボーッとしてるよね。何かあった?」

「何もないけど」

 美央はアイスコーヒーのグラスを取り、氷のカランという音とともに、細い指で支えながらストローを咥えた。機嫌を損ねている。

「合宿はどうだったの」

「それ、さっきも聞かれたわ。人の話、聞いてないのね」

 機嫌を直すつもりで話題を慌てて振ったのだが、逆効果だったようだ。

「ごめん、考え事してて。ちゃんと美央の話聞くよ」

「何を考えてたのよ」

「……」

 松岡のことをまた思い出していたのだ。再会してからもう二週間が過ぎた。一日に何度か考えている気がする。

「いいわ、許す。そのかわり、奢ってよね」

「勿論」

 美央はしつこく問いつめない。司は彼女のそういうところが気に入っている。せっかく美央といるのに、過去に囚われて彼女との時間を無駄にしたくないと思った。もう松岡のことは考えないことにした。

 喫茶店を出て、美央は歩きながら司の腕に自分の腕をすべり込ませた。美央は二人で歩く時、手を繋ぐよりも腕を組むほうがいいと言う。寒い冬ならいいのだが、今のように真夏だと密着すると暑い。司は腕を組んで歩くのはいいが、汗をかくので美央はそれが嫌じゃないのか気になった。

 すっかり機嫌を直した美央は、女子ならではの軽快なしゃべりをする。自己完結した、わりとどうでもいい小話をコロコロと変えながら話す。話があっちに行ったり、こっちに行ったりするのも女子特有だ。自分から会話を提供するのが苦手な司にとって、こういうところも有難い。また、美央は十分、人目を惹く顔立ちをしている。軽くパーマをかけた茶色い長い髪をゆるく束ね、ノースリーブのブラウスとタイトなストレートデニムが手足の長さを強調している。本人は気付いていないが、すれ違う男のほとんどは彼女に振り向く。改めて自分は恵まれた男なのだと誇らしかった。

「これからどっか行きたいところ、ある?」

「うーん、ないわ」

「家に来るか?」

「おばさん、いるんじゃないの?」

「今日はいないよ」

 美央は悪戯な笑顔で司を見る。期待を持たせておいて、美央は言った。

「今日は、夕方から家族で食事に行くの。ごめんね」

「何かあるの?」

「おばあちゃんとおじいちゃんの金婚式。おばあちゃんの奢りで、みんなで食事しようって」

「普通、みんながおばあちゃんに奢るんじゃないのか?」

「だって、おばあちゃんがそう言うんだもの」

「そっか。楽しんでこいよ」

 電車に乗る美央を改札前まで送った。美央は改札を過ぎて、電車に乗るまでのあいだ、何度も司に振り返って手を振った。その度に表情を変えて、笑ったり頬を膨らませたり、大きく手を振ったり小さく手を振ったりする。周囲の人間はそんな美央を奇妙な目で見るが、本人は司しか見えていないようだった。最後に大きく手を振り、電車に乗り込んだ。 
   
 付き合って三年になるのに美央は司に一途だ。司もまた彼女以外の女に余所見をしたことはない。彼女との付き合いはよっぽどのことがない限り、終わらないだろうと思った。

 バス停に向かっている時だった。携帯が鳴った。知らない番号だが、大学三年になってから少しずつ就職活動を始めていた司はどこかの企業かと思い込んで、番号をよく見ずに応えた。相手は、少し間を空けたあと言った。

『笠原』

 心臓がズキンと痛む。最近聞いた、でも懐かしい声だった。

「ま、松岡先輩……ですか?」

『こっちにいるんだろ? 久しぶりに会わないか』

 用事があるからと言って断わろうかと思ったが、一瞬のあいだに考えすぎて返事をするタイミングを逃した。松岡は電話口の雑音から司が駅にいると気付き、今からそっちに向かうと言い出した。松岡は一度決めたら簡単に意志を曲げない。司は戸惑いながら了承して、駅前の喫茶店で待つことにした。


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