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Ⅰ-3

二度目に会ったのは間もなくだった。翌日、いつも通りに部活に出たあとのことだ。部室でトランプをしている部員たちの誘いを断ってひとり先に帰路に着いた。校門を出て自転車に跨った時、

「笠原」

 今しがた到着したと思われる松岡に声を掛けられた。

「松岡先輩、どうしたんですか」

「昨日、勉強見てやるって言っただろう」

 それを思い出すのに少々時間がかかった。

「……アレ本気なんですか」

「俺は言ったことは守るんだ」

 松岡の真面目な性格がこんなところで窺えた。

「一時に市の図書館に来いよ。どうせ今、何も持ってないんだろ」

「え、あ、はい……。まさか、それを言うためだけに来たんですか?」

「連絡先知らないのに、伝えようがないじゃないか」

「分かりました、一時ですね」

「お願いします、だろ」

「……お願いします」

 面倒だと言うのが正直なところだった。勉強を見てくれるというのはただの社交辞令で、本気で受け止めていたわけじゃなかったのに。思いがけず松岡の律儀さに呆れて断るに断れなかった。

 期待せずに約束通り一時に図書館へ向かった。どうせ勉強と言いながら他事に気を取られて時間を無駄にするのが落ちだと思っていたからだ。司はもともと、人に勉強を見てもらうのはあまり好きではない。教え方が上手ければ問題ないが、説明の下手な人間の説明を聞くのは苦痛だ。だんだん煩わしくなって、しまいには「ほっといてくれ」と思うからだ。けれども松岡の教え方は上手かったし、最初から最後まできちんと面倒を見てくれる。煩わしいどころか色々教えて欲しいくらいだった。

 時折、間近にある松岡の横顔やシャーペンを持つ手を見る。髪と同じで睫毛も焦げ茶色で、窓から差し込む陽の光でより薄く見えた。筋が通った高い鼻に、薄い唇。改めてよく見ると、松岡は整った顔立ちだ。骨ばった手の甲は理想的だった。いちいち自分と比べては嫉妬して、けれども無性に甘えたくもなる。それが普段、あまり人と深く関わらないからなのか、相手が松岡だからなのかは分からなかった。

 それから司は度々、松岡に会うことが増えた。練習がある休日は松岡が山内と揃って部に顔を出したり、予定のない日は松岡に呼び出されて遊びに連れて行かれた。平日ですら、松岡は高校の制服のまま中学の校舎に現れることもある。見つかると叱られるのではと心配したが、教師にしてみれば教え子が卒業しても訪ねてくれるのは嬉しいらしく、とりわけ松岡は教師から好かれていたので職員室に行っても歓迎された。定期テストや実力テストが近づくと、必ずと言っていいほど勉強を見てくれる。

 よほど面倒見がいいのだと思っていた。人によってはお節介と捉えかねないが、司は松岡のお節介が心地よかった。誰にでもこういう風にするのだろうと思って、「他に誰にこういうことしてるんですか」と聞いたことがある。

「笠原にしかしてない。本当は誰かのために何かしたり、面倒を見るって好きじゃないんだ」

 と返ってきた。なぜ自分には良くしてくれるのか疑問に思ったが、それ以上に松岡の返事が嬉しかった。一人っ子で育ち、「兄」の存在に憧れていたから松岡といるのが心地良いのだと思った。しかし、それが単なる憧れではないと気付いたのはその年の冬のことだった。

 雪が降るほどでもないが、体の芯から冷える日だった。部活を終えて、真っ白な息を纏いながら夜道を自転車で走っていた。公園の前を通りかかり、気分を変えて公園の中を走った。物騒なほど静かな中、ふとブランコに誰かが腰を掛けているのが目に入った。二度見して、それが松岡だと気付くと司は自転車をブランコの前で停めた。

「先輩、何してるんですか」

 司に気付いた松岡は、咥えていた煙草を隠した。

「今更ですけど。……煙草吸うんですか」

「意外そうな言い方だな」

「意外です。そういうの嫌いそうだから。見つかったらまずいですよ」

「そうだな」

 そう言いながら、松岡は煙草を消す様子がなかった。

「部活だったのか? 遅い帰りだな」

「はい。もうすぐ試合だから、みんな居残り練習してたんです」

「練習が終わったらさっさと帰ったほうがいい。怪我でもしたら馬鹿らしいだろ。笠原は試合に出るのか?」

「はい」

「お前は俺より上手いから、バスケだけは教えてやらなくても大丈夫だな」

「……松岡先輩、なんで俺にいつも色々してくれるんですか? 本当は誰かの面倒見るのは好きじゃないんでしょう」

 松岡は煙草の煙を吐いて、俯いた。暫く沈黙があったあと、松岡が言った。

「弟がいたんだ」

「……」

「笠原と同じ歳だ。そんなに仲良くなかった。どっちかというと喧嘩ばかりしてた気がする。……むしろ、嫌いなほうだったかな。弟が小学六年の時、クラスメイトにそそのかされてコンビニで万引きしたんだ。俺の両親、特に母親は弟にすごく甘かったから、たいした叱責はしなかった。だけど俺はものすごく腹が立って、弟を殴ったんだ。大喧嘩になったりはしなかったけど、険悪なまま弟は塾に行く時間になって家を出た。ほんの数分後、弟がトラックに轢かれて死んだと連絡があった。まさかあれが最後になると思わないだろ? 予想外すぎて涙も出なかったよ」

「その弟……さんに、似てる?」

「そう。お前には迷惑な話だと思う。背格好も、俺と違って大きな目でちょっと悪そうな顔つきも、すかした態度も似てる。今思えば、もっと可愛がってやればよかったと思うよ。……だからかな」

 松岡は寂しげな笑顔を司に向けた。自分は兄のように思っていて、松岡は弟のように思ってくれている。そういうことなのだが、司にはそれがなぜか辛かった。がっかりしたというのが合っているかもしれない。この時、司はもっと違う答えを求めいていたことに気付いた。同時に司の松岡を慕う気持ちが尊敬でなく、恋なのだと悟った。まだ完全に自我が出来ていない司は、この事実に困惑した。

「吸ってみるか」

 さっきまで松岡が咥えていた煙草を差し出された。司は無言でそれを手に取り、咥えた。少し吸っただけでむせた。松岡は笑いながら煙草を取り、携帯用の灰皿に押しつける。口の中は煙草の嫌な味が残り、唇にはなぜか痺れがあった。
そのあと、どうやって松岡と別れたのかは覚えていない。ただ、家に帰って松岡のことが好きだともう一度認めると、開き直りと馬鹿らしさに笑いが出た。



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