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Ⅰ-2

 ***

 中学一年の秋という遅れた時期にバスケ部に入った司は、入部当初、松岡の存在を知らなかった。二学年上の松岡は高校受験を控えており、その頃には引退していたからだ。
 松岡を知ったのは中学二年の夏休みだ。再会した日と同じ蝉しぐれの猛暑日だった。
 いつも夏休みは前半のうちに宿題を終わらせておくのが自分ルールだったが、バスケ部員として過ごす初めての夏は練習ばかりで机に向かう余裕がなく、部活の疲れに夏バテも加わって家では寝てばかりだった。空白だらけのノートに危機感を覚えながら、休みも残り一週間になったある日のことである。練習中、体育館のすみで友人と談笑していたら、入口から聞き慣れない低い声が響いた。私服の男二人組がいる。司は傍にいた友人に訊ねた。

「あれ、誰?」

「あ、山内先輩と松岡先輩だ。お前は去年いなかったから知らないだろうけど、俺らの二つ上の先輩だよ」

「ふーん……」

 山内と松岡のことを改めて紹介されたのは、練習が終わってすぐのことだ。
 口ぶりから身ぶりまでどこかいい加減な山内と、受け答えがしっかりした、立ち姿から服装まで清潔感のある松岡とはまったく正反対な印象を受けた。どちらかというと部員たちは、陽気でリーダー的存在である山内を慕っているようだったが、司はもしこの二人と一緒に練習をしていたら、間違いなく自分は松岡を慕うだろうなと思った。

 松岡と言葉を交わしたのはその日の帰りだ。自転車置き場で松岡から声を掛けられた。

「これ、君のじゃないのか」

 振り向くと、司のタオルを持った松岡が立っていた。

「ああ、はい。ありがとうございます」

 タオルを受け取って鞄の中にぞんざいに突っ込むと、司は自転車を出して松岡を通り過ぎた。松岡との会話はもう終わったものだと思っていたのに、松岡は自転車を押して歩く司に付いてくる。

「みんな寄り道するみたいだけど、君は行かないのか? えーと……」

「笠原です」

「そう、笠原」

「俺は今日、夜から用事があるんで」

「まだ昼前だぞ。時間があるじゃないか」

「大抵、部活終わりの寄り道はみんな夜まで遊ぶんです。途中で帰ってもいいけど、中途半端に遊ぶと帰りたくなくなるので」

「へぇ」

「松岡先輩は行かないんですか? 山内先輩は行くみたいですけど」

「俺はもともと、大勢で遊びに行くのが苦手でね」

「団体行動が苦手なのに、よくバスケ部入りましたね」

 言ってから「しまった」と思った。上下関係がやたら厳しい中学で、先輩に向かって皮肉のひとつでも言おうものなら必ず返り討ちに合うからだ。けれども松岡はまったく気にもせず、「そうだな」と笑った。

「じゃあ、俺達もちょっとだけ寄り道するか」

 司は松岡に振り返り、見据えてから言った。

「だから、用事があるんですよ」

「夕方に戻ればいいんだろ? 行きたくないならいいけど」

「……行きます」

「行くのか」

「俺も、団体行動が苦手なんです」

 二人は学校から少し離れた商店街まで自転車を走らせ、ゲームセンターやセレクトショップが並ぶアーケードに入った。どこか行きたいところはあるかと聞かれて「どこでもいい」と答えたら、松岡が好んでいるというコーヒーショップに連れられた。どこでもいい、と言っておきながらコーヒーは苦手だと言うと、松岡は「そうだろうね」と笑いながらフレッシュジュースを当然のように奢ってくれる。

「連れて来ておいてなんだけど、その格好は目立つから」

 と言って、体操着のままの司に自身のシャツを羽織らせたり、松岡は気が回る男だった。
 フレッシュジュースを飲む司の傍らで顔色ひとつ変えずにブラックコーヒーを飲むところも、足を組んで少しけだるそうにするところも、高校生とは思えないほど大人びて見えた。正直、体の線が細いために松岡の第一印象は貧弱だったが、袖から伸びた腕は筋が目立ち、ほどよく筋肉に恵まれ、少なくとも司よりはよっぽど出来上がった体つきだ。松岡を見ていると自分の未熟さを感じて落ち込む。半面、自分もこんな風に大人びていくのだろうかと考えた。

「松岡先輩、今でもバスケしてるんですか?」

「うん、でも、俺の高校のバスケ部は弱小だから、もう遊びみたいな感覚でやってるよ。中学の頃のほうが、よっぽど練習がキツかった。笠原は高校でもバスケ部入るの?」

「考えてません。その時決めます」

「どこの高校行きたいの」

「それもまだ……。先輩はどこですか?」

「T高」

「すごい頭いいじゃないですか」

「たまたま倍率低かっただけだよ」

「俺、英語が苦手で。定期テストですらまともな点数取れないんです」

「俺は英語が一番得意だけど。なんなら教えようか」

「そうしてくれると助かります。でもその前に宿題終わらせないと」

「まだ終わってないのか。見てやろうか?」

「いっそ全部やって欲しいくらいです」

 にこにこと人当たりの良い笑顔で、相手が不愉快にならない程度の馴れ馴れしさがあり、それでいてこちらから土足で踏み込むことは許さない、ほどよい距離感。もともとべったりした人間関係を築くのが苦手な司にとって、松岡と会話をするのは心地が良かった。

 二時間ほど話したあと、二人は店の前で解散した。特に会う約束もなく「それでは、お元気で」の意味で松岡に礼を言った。松岡は「また」と返してきたが、おそらく会うことはないだろうと思った。


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