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さくらに虚を突かれて、自分の浅ましさと進歩のなさに気付いてしまった。
僕だって会えるものなら会いたい。今、こうして自分を磨いていてるのも、いつか会えた時に恥ずかしくないようにするためだ。だけど、向こうには家庭があるかもしれないし、自分から突き放して、連絡も絶っておいて、今更ムシが良過ぎるんじゃないだろうか。そう考えると、このまま思い続けているだけでもいいか、という諦めもあった。
――じゃあ、なんのためにブログを立ちあげた?
生きた証とか、伝わらなくても書き留めておきたいとか取り繕って、本当はあわよくばネットを利用して川原くんが僕を見つけてくれないだろうかと願っているからじゃないのか。僕がSNSを通じて川原くんと仲良くなったように、今回もブログで自分を発信することでその可能性を期待しているからじゃないのか。
パソコンの電源を入れて、更新が止まったままのブログを振り返る。もともとそんなに閲覧されていなかったので、一ヵ月も放置すると訪問者数はほぼ0だ。不特定多数に見て欲しいとは思わないけど、こんなもので見つけてもらおうというのが馬鹿げた話だ……。
結局、自分から動くのが怖いから、川原くんの将来のために身を引いたなんて綺麗ごとで、僕は自分の身勝手を正当化しようとしたのだ。
「……下らない」
引っ越しが済んだら、ブログを消そう。それでもやっぱり吹っ切れなかったら、その時は探偵を使うなり伝手を辿るなりして、自分で探そう。
そう決めた矢先に届いた一件の通知。それはあまりに愚かな僕に与えられた人生で最後のチャンスかもしれなかった。
『name:R title:はじめまして。
ブログを拝見しました。ここに書かれている出来事は、すべてあなたの体験談でしょうか。記事に出てくる『彼』というのが、僕が体験したことと似ていて、どうも他人事に思えないのです。もしよろしければ詳しくお話を聞かせていただけませんか。
2019/04/24(wed)21:32』
***
眩しい初夏の日差しに、今年の夏も酷暑かもしれないと予感しながら目を細める。六月中旬のある日曜日、僕は財布とスマートフォンだけを持って、ある島を目指していた。市バスで港まで行き、便数が少ない海上タクシーに乗り込む。僕が以前住んでいた街も田舎の部類に入るが、この辺りはもっと田舎のようで、船内に貼られてあるポスターはゆうに三十年は過ぎているだろう日焼け具合だった。水着姿で缶ビールを片手に持ったアイドルのポスター。髪型と化粧に時代を感じる。
引っ越しを済ませて生活がやっと落ち着いた頃、ブログを削除しようとしたところに一件のコメントがあった。コメント主の過去と僕の過去が似ていることと、名前の「R」からして咄嗟に川原くんだと思った。食い入るように何度も読み返し、クリックする指が震え、全身が心臓になったようにバクバクした。単なる嫌がらせの可能性もあったので、返信は慎重にした。名前は出さず、エピソードの年月日と大体の地域、そして本当の川原くんなら分かるだろうと、「一緒に食べた洋菓子を覚えていますか?」と返したら、
『ころころパイだったと思います。やっぱり福島さんでしたか』
と、返ってきた。まさか本当に川原くんが僕を見つけてくれると思わず、何億分の一という奇跡に、喜びのあまり泣いた。
川原くんは十年前に実家がある島へ帰ったあと、お母さんの代わりに魚を加工する仕事を始めたらしい。お父さんは亡くなってしまったが、時間に余裕ができて美術の専門学校に通い直し、今は水産の仕事の傍らでイラストレーターをしているのだとか。何度かやり取りはしたが、やはり顔が見えないと実感も湧かない。思い切って住所を聞こうかという時に、川原くんから「会いたい」と言ってくれた。しかも、これを運命と言っていいのか分からないけど、僕の引っ越した先と川原くんの住む島がたまたま同県だったので、僕が会いに行くと申し出たのだった。
海上タクシーが港に近付くと、突堤を埋め尽くして羽を休めている大勢の海猫が一斉に飛び立った。潮の香りに包まれ、船の並んだ小さな港に降りる。同じ海上タクシーに乗っていた数人の乗客たちはパラパラと散らばってしまい、僕は港にひとりポツンと残された。波の音と鳥のさえずりしか聞こえない。
川原くんからは、今は漁の時期で仕事が忙しく、迎えに行けないかもしれないから島に着いたら連絡をしてくれと言われている。が、はりきり過ぎて昼前には着いてしまったので、連絡を入れる前にしばらくその辺を散策することにする。
事前にアプリで島の地図は確認したが、半日で一周できるほどの小さな島だ。僕はとりあえず人がいそうな集落を目指して、目の前に続いている坂道を上った。スクーター一台通るのがやっとの狭い坂道には、まるでタイムスリップしたかのような古い日本家屋が並んでいる。コンビニやスーパーといったものは一切なく、ポツポツと酒屋や青果店を見かけた。個人商店だけで成り立っている、良く言えば伝統的、悪く言えば閉鎖的な空間だ。休日の昼間だというのに、人っ子ひとり見かけない。聞こえるのはひたすら砂利を踏む自分の足音だけ。けれどもまったく寂しくないのは、そこら中を野良猫がウロウロしているからだ。後ろから見張っているように付いてくるブチ猫や、茂みからいきなり飛び出す白猫や、日なたで気持ち良さそうに寝ている黒猫。ふと見かけた電柱に「ようこそ猫の島へ」と書かれたポスターが貼られていた。そのポスターの下に、最近貼られたであろう新しいポスターがある。秋に行われる芸術祭の宣伝ポスターらしく、島と海、そしてその周りを可愛らしいコミカルなテイストで魚のイラストが描かれていた。なんだかとても懐かしい気持ちになった。
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僕だって会えるものなら会いたい。今、こうして自分を磨いていてるのも、いつか会えた時に恥ずかしくないようにするためだ。だけど、向こうには家庭があるかもしれないし、自分から突き放して、連絡も絶っておいて、今更ムシが良過ぎるんじゃないだろうか。そう考えると、このまま思い続けているだけでもいいか、という諦めもあった。
――じゃあ、なんのためにブログを立ちあげた?
生きた証とか、伝わらなくても書き留めておきたいとか取り繕って、本当はあわよくばネットを利用して川原くんが僕を見つけてくれないだろうかと願っているからじゃないのか。僕がSNSを通じて川原くんと仲良くなったように、今回もブログで自分を発信することでその可能性を期待しているからじゃないのか。
パソコンの電源を入れて、更新が止まったままのブログを振り返る。もともとそんなに閲覧されていなかったので、一ヵ月も放置すると訪問者数はほぼ0だ。不特定多数に見て欲しいとは思わないけど、こんなもので見つけてもらおうというのが馬鹿げた話だ……。
結局、自分から動くのが怖いから、川原くんの将来のために身を引いたなんて綺麗ごとで、僕は自分の身勝手を正当化しようとしたのだ。
「……下らない」
引っ越しが済んだら、ブログを消そう。それでもやっぱり吹っ切れなかったら、その時は探偵を使うなり伝手を辿るなりして、自分で探そう。
そう決めた矢先に届いた一件の通知。それはあまりに愚かな僕に与えられた人生で最後のチャンスかもしれなかった。
『name:R title:はじめまして。
ブログを拝見しました。ここに書かれている出来事は、すべてあなたの体験談でしょうか。記事に出てくる『彼』というのが、僕が体験したことと似ていて、どうも他人事に思えないのです。もしよろしければ詳しくお話を聞かせていただけませんか。
2019/04/24(wed)21:32』
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眩しい初夏の日差しに、今年の夏も酷暑かもしれないと予感しながら目を細める。六月中旬のある日曜日、僕は財布とスマートフォンだけを持って、ある島を目指していた。市バスで港まで行き、便数が少ない海上タクシーに乗り込む。僕が以前住んでいた街も田舎の部類に入るが、この辺りはもっと田舎のようで、船内に貼られてあるポスターはゆうに三十年は過ぎているだろう日焼け具合だった。水着姿で缶ビールを片手に持ったアイドルのポスター。髪型と化粧に時代を感じる。
引っ越しを済ませて生活がやっと落ち着いた頃、ブログを削除しようとしたところに一件のコメントがあった。コメント主の過去と僕の過去が似ていることと、名前の「R」からして咄嗟に川原くんだと思った。食い入るように何度も読み返し、クリックする指が震え、全身が心臓になったようにバクバクした。単なる嫌がらせの可能性もあったので、返信は慎重にした。名前は出さず、エピソードの年月日と大体の地域、そして本当の川原くんなら分かるだろうと、「一緒に食べた洋菓子を覚えていますか?」と返したら、
『ころころパイだったと思います。やっぱり福島さんでしたか』
と、返ってきた。まさか本当に川原くんが僕を見つけてくれると思わず、何億分の一という奇跡に、喜びのあまり泣いた。
川原くんは十年前に実家がある島へ帰ったあと、お母さんの代わりに魚を加工する仕事を始めたらしい。お父さんは亡くなってしまったが、時間に余裕ができて美術の専門学校に通い直し、今は水産の仕事の傍らでイラストレーターをしているのだとか。何度かやり取りはしたが、やはり顔が見えないと実感も湧かない。思い切って住所を聞こうかという時に、川原くんから「会いたい」と言ってくれた。しかも、これを運命と言っていいのか分からないけど、僕の引っ越した先と川原くんの住む島がたまたま同県だったので、僕が会いに行くと申し出たのだった。
海上タクシーが港に近付くと、突堤を埋め尽くして羽を休めている大勢の海猫が一斉に飛び立った。潮の香りに包まれ、船の並んだ小さな港に降りる。同じ海上タクシーに乗っていた数人の乗客たちはパラパラと散らばってしまい、僕は港にひとりポツンと残された。波の音と鳥のさえずりしか聞こえない。
川原くんからは、今は漁の時期で仕事が忙しく、迎えに行けないかもしれないから島に着いたら連絡をしてくれと言われている。が、はりきり過ぎて昼前には着いてしまったので、連絡を入れる前にしばらくその辺を散策することにする。
事前にアプリで島の地図は確認したが、半日で一周できるほどの小さな島だ。僕はとりあえず人がいそうな集落を目指して、目の前に続いている坂道を上った。スクーター一台通るのがやっとの狭い坂道には、まるでタイムスリップしたかのような古い日本家屋が並んでいる。コンビニやスーパーといったものは一切なく、ポツポツと酒屋や青果店を見かけた。個人商店だけで成り立っている、良く言えば伝統的、悪く言えば閉鎖的な空間だ。休日の昼間だというのに、人っ子ひとり見かけない。聞こえるのはひたすら砂利を踏む自分の足音だけ。けれどもまったく寂しくないのは、そこら中を野良猫がウロウロしているからだ。後ろから見張っているように付いてくるブチ猫や、茂みからいきなり飛び出す白猫や、日なたで気持ち良さそうに寝ている黒猫。ふと見かけた電柱に「ようこそ猫の島へ」と書かれたポスターが貼られていた。そのポスターの下に、最近貼られたであろう新しいポスターがある。秋に行われる芸術祭の宣伝ポスターらしく、島と海、そしてその周りを可愛らしいコミカルなテイストで魚のイラストが描かれていた。なんだかとても懐かしい気持ちになった。
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- Posted in: ★ひとりぼっちにさよなら
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