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「今週末もちょっと九州に帰るから」

 ベッドに入ったところで、かなえが化粧水を塗りながら言った。三面鏡越しに目が合ったが、すぐに逸らされた。

「何かあるのか?」

「ちょっとね。……父の脚の具合が悪いみたいで」

「正月に会った時は元気そうだったじゃないか」

「あなたには気丈に振る舞ってるだけよ」

 ヘアクリップを解いたかなえは「さてと」と、隣のシングルベッドに入る。話はそれで終わったようだ。僕はこの勢いでさくらの話を切り出そうかと思ったが、「電気消してね」と背を向けられたので、タイミングを逃した。一応、同じ寝室では寝ているけれど、それぞれのシングルベッドで寝ている。一緒にいるようでいないようだ。サイドテーブル分の距離がやけに遠い。

 ―――

 いつでも話を聞きます、と言ってくれたものの、こう何度も相談しては迷惑だろう。
……と、言い聞かせながらも川原くんに助けを求める自分がいる。川原くんがこの一週間、画廊で大学の仲間とグループ展をしていることをSNSで知った。今週末が最終日らしいので、よかったら時間が空いたら相談に乗ってくれないかと図々しくもお願いしたのだ。返事には面倒臭がったり、嫌そうにする素振りなど微塵もなく、快く引き受けてくれた。メールなんて取り繕おうと思えばいくらでも作れるけれど、本心かそうでないかくらいは文面で分かる。やはり彼は優しい子なのだ。

 まるで図ったかのように、かなえとさくらは土曜日の朝から九州へ向かい、僕はまたしても自由の時間を得た。さっそく余所行きの服を選んで、グループ展をしているという街中の画廊へ急いだ。賑やかなアーケードから一本路地に入ったところにある、古くて小さな画廊だ。学生の開く小さな展覧会のわりには客が多いように思える。受付の女の子から絵葉書を受け取り、こっそり見て回ろうと人の波に紛れていた。よく知らない人の作品はそこそこに見て、川原くんの絵を探していると、

「福島さん」

 以前よりも気軽に声を掛けられた。相変わらず眩しい川原くんである。

「こんにちは、今日はごめんね。大丈夫だったかな」

「僕はいいんですけど、お待たせすることになるかも」

「ああ、それはいいんだ。ゆっくり見たいから。川原くんの絵はどこなの?」

 こっちです、と案内してくれたのは、港を描いた油絵だ。僕の上半身分はあるだろう大きなキャンバスに、港の夕暮れがいっぱいに描かれている。船の汽笛が聞こえてきそうな臨場感。やや淡めの色使いがずっと眺めていたいくらい優しい。

「素敵だね」

「いや……そんなことない、です……」

 耳を赤くして俯くのが初々しい。照れると頬を掻くのは癖なのだろうか。

「僕、正直言って芸術ってよく分からないんだけど、川原くんの絵だけは好きなんだ。見てると心が安らぐよね。人柄が出てると思う」

「……やめてください、ほんと慣れてないんで」

「褒められるでしょ?」

「全然……だから恥ずかしいです」

 全然褒められないことはないだろうが、慣れてないのは本当のようなので、ほどほどにやめておいた。耳だけじゃなく、頬も赤いのが微笑ましい。

「留衣―」

 友人の呼び声で、緩んだ顔を引き締める。

「DM足らなくなっちゃった」

「俺、余分に持ってるよ」

 あ、友人の前では「俺」って言うのか。
 同級生とのくだけたやりとりを見ていると、急に別人を見た気分になった。

 そうだよな、彼は絵描きである前に、いち学生なのだ。友人とふざけたり、冗談を言うこともあるだろう。「このあと、みんなで食べに行くの?」という問いに「用があるから」と断っているのを聞いてしまい、大変申し訳ないことをしたと済まなくなった。気を使ってくれたのか、友人と離れて僕のところへ戻ってきた川原くんに、今日の予定はなかったことにしてくれと伝えた。

「え? なんでですか?」

「きみも忙しいのに、頼った僕が悪いんだ。僕のことは本当に気にしなくていいから、友達と一緒にいなよ。ね。ごめんね、相手にしてくれてありがとう」

「福島さん」

「頑張ってね」

 そして僕はそそくさと画廊を去った。
 あんなにわくわくしていた気持ちが一瞬でしぼんでしまった。この寂寥感はなんなのか。川原くんが頑張っている姿を見るのが好きだ。彼の絵を見るのが好きだ。だけど、彼の知らない面を知ると切なさを抱くのは何故だろう。


「まー! 福島さん! お久しぶり!」

 家に帰る気分にもなれず、余った時間を潰そうと、『ふるーら』を訪ねた。以前、僕が仕事で担当していた洋菓子店だ。辞令が出て、支店を変わる前に挨拶だけでもしたかったのが叶わず、今頃の訪問になってしまった。エプロンをした奥さんが明るく迎えてくれた。

「スーツじゃないから、一瞬分からなかったわ。髪型も違うの?」

「仕事中は前髪上げてるんですけど、休日は下ろしてます」

「いいじゃない。素敵よ」

 お世辞でも褒められると嬉しいものだ。

「急に担当が変わって申し訳なかったです。栗田はちゃんとやってますか?」

「ええ、栗田くんも明るくて頑張ってくれてるわ。でもやっぱり福島さんがいないと寂しいわね。会えて嬉しいわ」

「ありがとうございます。えーっと、この焼き菓子詰め合わせ下さい」

 一五〇〇円のギフトボックスをお願いした。悪いわね、と呟いた奥さんは、僕が「付き合い」で買っていると思ったようだ。

「先日いただいたお菓子がすごく美味しかったんです。特にカカオのフィナンシェが。……妻と娘も美味しいって」

「まあ、それは良かった。もうね、お洒落で美味しい洋菓子屋なんて今時たくさんあるでしょ? 若い子に美味しいって言ってもらえると安心するわ」

 この店の経営状況は悪くはないが、ほとんど常連で持っているようなものだ。看板商品の「ころころパイ」がなければ厳しいだろう。オーナーも奥さんも若くはないし、娘二人は県外に嫁いでいるので後継ぎもいない。店を閉めるのも時間の問題かもしれない。銀行員としてではなく、個人として、いつまでも景気良く続いて欲しいと願った。

「すみません、ころころパイも三つください」


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