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2019・04・01(MON)00:00 Category 未分類
自分ではまるで実感のないことですが、僕はこの三月二十日に、五十路になりました。
希望あふれる未来ある世代でもなければ、野心を持って仕事に勤しむ脂の乗った年でもありません。家族がいないこともありませんが、今となっては孤独の身なので残りの人生はなるべくストレスを溜めることなく、穏やかに歳を取りたいと考えています。
しかし、何もなく日々を過ごしていくのもつまらないので、思い立ってブログなるものを立ち上げてみました。
至って普通の男の、普通の人生ですが、そんな僕にも滑稽で、浅ましくて切ない、それでいて夢のように幸せな出来事がありました。誰にも話さずに墓場まで持って行こうと思っていましたが、自分が生きた証として、そして一生消えることのないだろうある想いを、五十年という節目で再確認するために、そのエピソードを綴っていこうと思います。
興味がなければ、そっと閉じて下さい。
―――
SNSの扱いが達者なわけでもないのに僕がブログを立ちあげたのには、三つ理由があった。ひとつは単なるボケ防止、もうひとつは記事にも書いた通り、「自分」が生きていたという証を何かしら残しておきたかったから。そして最後は、このブログを通して「ある人」へ僕の想いを伝えたかったからだ。
ただ、今はどこにいて何をしているのかも分からないし、インターネットという広く深い海で、たったひとつの目立たない島(ブログ)を見つけてもらうことはまず不可能だと思っているので、とりあえず今はブログを継続させようと思う。
そういうわけで、僕は記事を書くために自分の過去を振り返ってみた。
***
父は地方公務員、母は小学校教諭、都会でも田舎でもない小さな街に生まれ、裕福でも貧乏でもない家庭で育った。
両親の堅実で保守的な性格を受け継いでか、僕は小さい頃から目立ちたいほうではなく、勉強もスポーツも極めて平均的。友人とは近所の公園で和気藹々と平和に遊び、これといったトラブルも起こさずやってきた。まったく悪さをしなかったこともないが、大抵は笑って許される程度の悪戯でしかない。
中学校では不良グループにも真面目グループにもどちらにも属さない無害な存在。唯一、友人に誘われるままに入った剣道部では多少センスがあったのか、中学二年の時に全国大会に出た。だが、全国に出てみるとやっぱり良くも悪くもない結果で終わる。
見た目もそうだ。身長は背の順で並ぶと真ん中あたり、剣道のおかげでそこそこの筋肉はあったが、野外スポーツをしている人間には敵わない。硬い黒髪、大きくも小さくもない目、高くも低くもない鼻、眼鏡をかけると更にぼやけた印象になる。
初恋は中学一年、初めて彼女が出来たのは中学三年。極めてプラトニックなお付き合い。
「お前って、悩み事なさそうだよなぁ」
これがよく言われる褒め言葉だった。
実際、たいした悩み事などなかった。勉強で苦労したこともないし、スポーツができなくて馬鹿にされたこともない。かと言って、持て囃されたこともないが。
自分の実力に見合った高校、大学へ進学。すべてにおいて平々凡々に生きてきたため、特に胸を張れるような趣味も特技もない。就職も分相応の企業に入るのだろうと漠然と思っていたら、やはり「地元では一番大きい」銀行に内定が決まった。ノルマに頭を悩ませることもあったが、これもまた「そこそこ」の成績だったので、妥当に昇級していった。
たぶん僕はこのまま普通の男で、普通に生きて、普通に死んでいくのだろうと思っていた。そして別にそれでもいいか、と。
だが、そんな絵に描いたような平凡な人生に壮絶でドラマティックな出来事があったのは、僕が四十歳の時だった。
―—— 十年前
「本当にすみませんでした、福島課長……」
深々と頭を下げる部下の栗田に、僕は内心「まったくだよ」と悪態をつきながら「いいよ、いいよ」と宥めた。栗田のミスで取引先に迷惑をかけたので、電車で二時間かけて一緒に謝りに行ったのだ。七千万の振込み日を間違えたのだから「いいよ、いいよ」で済まされる話ではないのだが、まだ新人の栗田にそんな取引を任せた僕にも責任があるのだから、説教はほどほどにしたい。幸い、先方も許してくれたので、この反省を次回に活かしてもらえたらいい。
「帰ったら支店長にまた説教されるかもしれないけど、それは仕方ないからね」
「はい、以後、気を付けます」
栗田はそう言ってもう一度頭を下げた。生え際が黒くなった、陽が当たると明るくなる茶髪。入行したての時に「地毛なんです」と言っていたのが怪しいとは思っていたが、やはり染髪か。「以後、気を付けます」は、本心なんだか。
午後八時頃に帰宅すると、ちょうど門の前で娘のさくらと一緒になった。バスケ部のさくらは毎日遅くまで部活をしているらしいが、まだ中学生なのに八時は遅すぎじゃないだろうか。
「おかえり、さくら。部活だったのか?」
さくらは仏頂面のままで返事をしない。まるで僕のことが見えていないように、先に門をくぐった。少しドアを支えて待っていてくれてもいいのに、さっさとバタン、と閉められる。
数秒遅れで家の中に入ると、リビングから妻のかなえとさくらの話し声が聞こえた。僕には愛想のないさくらも、かなえとは普通に話すのだ。
「ただいま」
返事がない。いつものことだが、声を掛けても返ってこないのは虚しい。先に手を洗って着替えを済ませてからリビングに入った。かなえとさくらはダイニングテーブルで食事を始めていて、僕のぶんはかなえの隣に寂しげに置かれている。口を動かしながら振り返ったかなえが、ようやく「帰ってたの?」と言う。
「先に着替えてたから」
「ご飯とお味噌汁、自分でよそって」
これもいつものことだけど、たまには妻によそってもらいたい。これみよがしな溜息をついたら機嫌を悪くさせるので、気付かれないように息を吐いた。
微妙に冷めたトンカツを頬張りながら、かなえとさくらの会話に耳を傾ける。友達の話、部活の話、先生の悪口。時々、会話に参加してみようと「授業のほうはどうだ?」と聞いてみるが、完全無視。そしてかなえもそれに注意などしない。家族三人揃っているのに、ひとりぼっちの空間だ。
「あ、お父さん」
ふいにさくらに呼び掛けられて、パッと顔を上げた。うきうきしながら「なに?」と訊ねる。
「ユニフォーム買うから、お金。六千円」
就職したての頃、友人の紹介でかなえと知り合った。かなえはとても綺麗だし、自分の考えをはっきり言える、度胸と芯がある人だ。当時の僕は慣れない仕事に追われて心身ともにボロボロだった。だからこそ、かなえの美しくて明るい、強気な性格に憧れ、惹かれたのだ。取り立てて長所のない僕には勿体ない相手だと思ったが、彼女はそんな僕を気に入ってくれた。そして二十五の時に結婚したのだ。
僕ひとりの稼ぎだけでもやっていけるだけの額はあったので、当時、地元テレビ局でアナウンサーをしていたかなえは退職して専業主婦となり、そして翌年、娘のさくらが産まれた。
幸せだった。どんなに仕事で疲れても家に帰ると妻が出迎えてくれ、妻にそっくりな可愛い娘が笑いかけてくれる。温かいご飯、明るい食卓。
けれども、さくらが小学校に入った頃から変わり始めた。自分の時間が持てるようになったかなえは、家事育児だけの人生はつまらないから仕事に復帰したいと言い出した。だが、現実は厳しいようで、希望のアナウンサーにはなかなか戻れなかった。かつて輝いていた頃の自分と、今の生活感あふれる自分とのギャップ、思い通りにいかない現実がストレスになってか、かなえは怒りっぽくなった。もともと気の強い性格でもあるから、ちょっとした言い方がキツいし、ひとつ文句を言えば三倍返しされるので、こちらも何も言えなくなる。普通の会話をしようにも、面白くなさそうな態度を取られると話す気が失せる。そんな僕らを見て、さくらもかなえの顔色を窺い、そして僕には素っ気ない態度を取るようになった。さくらが中学に上がる頃には、僕は家庭内で完全に孤立していたのだった。
会話のない夫婦。どこか雑な食事。つれない娘。声を掛けられる時はお金を要求する時だけ。気付けば夫婦生活(セックス)もなくなって、四十にしてすっかり枯れてしまった。今更期待もしていないけれど、時折襲い掛かるやるせなさに、すべて投げ出したくなることがある。
――そんなことができるはずもなく。
「あ、あと部費の千円もいるから、全部で七千円ね」
そして僕はさながらATMのように財布から札を抜き取るのである。
***
僕が勤める銀行は地域密着型なので、取引先がどんな小さな会社でも、それまでの実績と信頼があれば、頼まれたことにはなるべく応えるようにしている。今日は昔から取引のある洋菓子店のオーナーの家へ行く。オーナーはもう還暦近く。経理を担っているのはオーナーの奥さん。この洋菓子店からは定期的に入金があるのだが、奥さんがしょっちゅう銀行に行くのは大儀だからと、毎月月末に僕が奥さんのところへ赴いて、僕が入金処理をすることになっている。本当はこういう仕事こそ栗田のような若い者にさせるべきなのだろうが、この洋菓子店は三年前に僕が担当になってからすっかり僕を信頼してくれているので、係長になろうと課長になろうと必ず僕が対応している。
「いつもありがとうねぇ、福島さん。家まで来てくれるの本当に助かるわぁ」
「僕にできることならなんでもしますよ」
「これが今月のぶんね」
現金の入った袋をどさっと渡される。僕はさっそく端末機で入金処理に取り掛かった。僕が作業している傍らで奥さんが話し掛けてくる。
「福島さんも課長さんなのに、申し訳ないわね」
「いえ、優秀な部下がたくさんいるんで、安心して出られるんですよ」
こそっと耳元で「僕が出向くのは奥さんのところだけですし」と加えると、奥さんは「まあ」と満更でもなさそうに笑う。
「最近、なにかキャンペーンやってる? 孫の名義で定期作ろうと思うのだけど」
「ちょうどやってますよ。今なら来月十五日までに五十万以上の定期預金していただくと利率〇・一五%で、オリジナルタンブラープレゼントします」
「〇・一五ねぇ、まあまあいいわね。タンブラーは微妙ね」
「はは、微妙ですか。奥さんなら特別にティーカップに変えておきます」
「なら明後日、さっそくお願いするわね」
口は動かしながらも、入金処理をする手は止めない。仕事自体はごく単純なものだが、こうして顧客とおしゃべりをするのはとてもいい気分転換になる。
「お孫さん、四歳でしたっけ」
「先月、五歳になったの。も~可愛くってね。福島さんの娘さんはもう中学生だったかしら?」
「ええ、中学二年生です。思春期真っ盛りで、相手にしてくれないんです」
暗い空気にだけはしたくないので明るく言った。奥さんも「今だけよ」と笑っている。奥さんはいったん席を外した。そのあいだにすべての処理を終わらせておく。片付け終えたところで、戻って来た奥さんが焼き菓子のプチギフトをくれた。
「ご家族で食べて」
「こんなことされると困りますよ」
「いいの、これは取引じゃないからね。いつもありがとう」
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自分ではまるで実感のないことですが、僕はこの三月二十日に、五十路になりました。
希望あふれる未来ある世代でもなければ、野心を持って仕事に勤しむ脂の乗った年でもありません。家族がいないこともありませんが、今となっては孤独の身なので残りの人生はなるべくストレスを溜めることなく、穏やかに歳を取りたいと考えています。
しかし、何もなく日々を過ごしていくのもつまらないので、思い立ってブログなるものを立ち上げてみました。
至って普通の男の、普通の人生ですが、そんな僕にも滑稽で、浅ましくて切ない、それでいて夢のように幸せな出来事がありました。誰にも話さずに墓場まで持って行こうと思っていましたが、自分が生きた証として、そして一生消えることのないだろうある想いを、五十年という節目で再確認するために、そのエピソードを綴っていこうと思います。
興味がなければ、そっと閉じて下さい。
―――
SNSの扱いが達者なわけでもないのに僕がブログを立ちあげたのには、三つ理由があった。ひとつは単なるボケ防止、もうひとつは記事にも書いた通り、「自分」が生きていたという証を何かしら残しておきたかったから。そして最後は、このブログを通して「ある人」へ僕の想いを伝えたかったからだ。
ただ、今はどこにいて何をしているのかも分からないし、インターネットという広く深い海で、たったひとつの目立たない島(ブログ)を見つけてもらうことはまず不可能だと思っているので、とりあえず今はブログを継続させようと思う。
そういうわけで、僕は記事を書くために自分の過去を振り返ってみた。
***
父は地方公務員、母は小学校教諭、都会でも田舎でもない小さな街に生まれ、裕福でも貧乏でもない家庭で育った。
両親の堅実で保守的な性格を受け継いでか、僕は小さい頃から目立ちたいほうではなく、勉強もスポーツも極めて平均的。友人とは近所の公園で和気藹々と平和に遊び、これといったトラブルも起こさずやってきた。まったく悪さをしなかったこともないが、大抵は笑って許される程度の悪戯でしかない。
中学校では不良グループにも真面目グループにもどちらにも属さない無害な存在。唯一、友人に誘われるままに入った剣道部では多少センスがあったのか、中学二年の時に全国大会に出た。だが、全国に出てみるとやっぱり良くも悪くもない結果で終わる。
見た目もそうだ。身長は背の順で並ぶと真ん中あたり、剣道のおかげでそこそこの筋肉はあったが、野外スポーツをしている人間には敵わない。硬い黒髪、大きくも小さくもない目、高くも低くもない鼻、眼鏡をかけると更にぼやけた印象になる。
初恋は中学一年、初めて彼女が出来たのは中学三年。極めてプラトニックなお付き合い。
「お前って、悩み事なさそうだよなぁ」
これがよく言われる褒め言葉だった。
実際、たいした悩み事などなかった。勉強で苦労したこともないし、スポーツができなくて馬鹿にされたこともない。かと言って、持て囃されたこともないが。
自分の実力に見合った高校、大学へ進学。すべてにおいて平々凡々に生きてきたため、特に胸を張れるような趣味も特技もない。就職も分相応の企業に入るのだろうと漠然と思っていたら、やはり「地元では一番大きい」銀行に内定が決まった。ノルマに頭を悩ませることもあったが、これもまた「そこそこ」の成績だったので、妥当に昇級していった。
たぶん僕はこのまま普通の男で、普通に生きて、普通に死んでいくのだろうと思っていた。そして別にそれでもいいか、と。
だが、そんな絵に描いたような平凡な人生に壮絶でドラマティックな出来事があったのは、僕が四十歳の時だった。
―—— 十年前
「本当にすみませんでした、福島課長……」
深々と頭を下げる部下の栗田に、僕は内心「まったくだよ」と悪態をつきながら「いいよ、いいよ」と宥めた。栗田のミスで取引先に迷惑をかけたので、電車で二時間かけて一緒に謝りに行ったのだ。七千万の振込み日を間違えたのだから「いいよ、いいよ」で済まされる話ではないのだが、まだ新人の栗田にそんな取引を任せた僕にも責任があるのだから、説教はほどほどにしたい。幸い、先方も許してくれたので、この反省を次回に活かしてもらえたらいい。
「帰ったら支店長にまた説教されるかもしれないけど、それは仕方ないからね」
「はい、以後、気を付けます」
栗田はそう言ってもう一度頭を下げた。生え際が黒くなった、陽が当たると明るくなる茶髪。入行したての時に「地毛なんです」と言っていたのが怪しいとは思っていたが、やはり染髪か。「以後、気を付けます」は、本心なんだか。
午後八時頃に帰宅すると、ちょうど門の前で娘のさくらと一緒になった。バスケ部のさくらは毎日遅くまで部活をしているらしいが、まだ中学生なのに八時は遅すぎじゃないだろうか。
「おかえり、さくら。部活だったのか?」
さくらは仏頂面のままで返事をしない。まるで僕のことが見えていないように、先に門をくぐった。少しドアを支えて待っていてくれてもいいのに、さっさとバタン、と閉められる。
数秒遅れで家の中に入ると、リビングから妻のかなえとさくらの話し声が聞こえた。僕には愛想のないさくらも、かなえとは普通に話すのだ。
「ただいま」
返事がない。いつものことだが、声を掛けても返ってこないのは虚しい。先に手を洗って着替えを済ませてからリビングに入った。かなえとさくらはダイニングテーブルで食事を始めていて、僕のぶんはかなえの隣に寂しげに置かれている。口を動かしながら振り返ったかなえが、ようやく「帰ってたの?」と言う。
「先に着替えてたから」
「ご飯とお味噌汁、自分でよそって」
これもいつものことだけど、たまには妻によそってもらいたい。これみよがしな溜息をついたら機嫌を悪くさせるので、気付かれないように息を吐いた。
微妙に冷めたトンカツを頬張りながら、かなえとさくらの会話に耳を傾ける。友達の話、部活の話、先生の悪口。時々、会話に参加してみようと「授業のほうはどうだ?」と聞いてみるが、完全無視。そしてかなえもそれに注意などしない。家族三人揃っているのに、ひとりぼっちの空間だ。
「あ、お父さん」
ふいにさくらに呼び掛けられて、パッと顔を上げた。うきうきしながら「なに?」と訊ねる。
「ユニフォーム買うから、お金。六千円」
就職したての頃、友人の紹介でかなえと知り合った。かなえはとても綺麗だし、自分の考えをはっきり言える、度胸と芯がある人だ。当時の僕は慣れない仕事に追われて心身ともにボロボロだった。だからこそ、かなえの美しくて明るい、強気な性格に憧れ、惹かれたのだ。取り立てて長所のない僕には勿体ない相手だと思ったが、彼女はそんな僕を気に入ってくれた。そして二十五の時に結婚したのだ。
僕ひとりの稼ぎだけでもやっていけるだけの額はあったので、当時、地元テレビ局でアナウンサーをしていたかなえは退職して専業主婦となり、そして翌年、娘のさくらが産まれた。
幸せだった。どんなに仕事で疲れても家に帰ると妻が出迎えてくれ、妻にそっくりな可愛い娘が笑いかけてくれる。温かいご飯、明るい食卓。
けれども、さくらが小学校に入った頃から変わり始めた。自分の時間が持てるようになったかなえは、家事育児だけの人生はつまらないから仕事に復帰したいと言い出した。だが、現実は厳しいようで、希望のアナウンサーにはなかなか戻れなかった。かつて輝いていた頃の自分と、今の生活感あふれる自分とのギャップ、思い通りにいかない現実がストレスになってか、かなえは怒りっぽくなった。もともと気の強い性格でもあるから、ちょっとした言い方がキツいし、ひとつ文句を言えば三倍返しされるので、こちらも何も言えなくなる。普通の会話をしようにも、面白くなさそうな態度を取られると話す気が失せる。そんな僕らを見て、さくらもかなえの顔色を窺い、そして僕には素っ気ない態度を取るようになった。さくらが中学に上がる頃には、僕は家庭内で完全に孤立していたのだった。
会話のない夫婦。どこか雑な食事。つれない娘。声を掛けられる時はお金を要求する時だけ。気付けば夫婦生活(セックス)もなくなって、四十にしてすっかり枯れてしまった。今更期待もしていないけれど、時折襲い掛かるやるせなさに、すべて投げ出したくなることがある。
――そんなことができるはずもなく。
「あ、あと部費の千円もいるから、全部で七千円ね」
そして僕はさながらATMのように財布から札を抜き取るのである。
***
僕が勤める銀行は地域密着型なので、取引先がどんな小さな会社でも、それまでの実績と信頼があれば、頼まれたことにはなるべく応えるようにしている。今日は昔から取引のある洋菓子店のオーナーの家へ行く。オーナーはもう還暦近く。経理を担っているのはオーナーの奥さん。この洋菓子店からは定期的に入金があるのだが、奥さんがしょっちゅう銀行に行くのは大儀だからと、毎月月末に僕が奥さんのところへ赴いて、僕が入金処理をすることになっている。本当はこういう仕事こそ栗田のような若い者にさせるべきなのだろうが、この洋菓子店は三年前に僕が担当になってからすっかり僕を信頼してくれているので、係長になろうと課長になろうと必ず僕が対応している。
「いつもありがとうねぇ、福島さん。家まで来てくれるの本当に助かるわぁ」
「僕にできることならなんでもしますよ」
「これが今月のぶんね」
現金の入った袋をどさっと渡される。僕はさっそく端末機で入金処理に取り掛かった。僕が作業している傍らで奥さんが話し掛けてくる。
「福島さんも課長さんなのに、申し訳ないわね」
「いえ、優秀な部下がたくさんいるんで、安心して出られるんですよ」
こそっと耳元で「僕が出向くのは奥さんのところだけですし」と加えると、奥さんは「まあ」と満更でもなさそうに笑う。
「最近、なにかキャンペーンやってる? 孫の名義で定期作ろうと思うのだけど」
「ちょうどやってますよ。今なら来月十五日までに五十万以上の定期預金していただくと利率〇・一五%で、オリジナルタンブラープレゼントします」
「〇・一五ねぇ、まあまあいいわね。タンブラーは微妙ね」
「はは、微妙ですか。奥さんなら特別にティーカップに変えておきます」
「なら明後日、さっそくお願いするわね」
口は動かしながらも、入金処理をする手は止めない。仕事自体はごく単純なものだが、こうして顧客とおしゃべりをするのはとてもいい気分転換になる。
「お孫さん、四歳でしたっけ」
「先月、五歳になったの。も~可愛くってね。福島さんの娘さんはもう中学生だったかしら?」
「ええ、中学二年生です。思春期真っ盛りで、相手にしてくれないんです」
暗い空気にだけはしたくないので明るく言った。奥さんも「今だけよ」と笑っている。奥さんはいったん席を外した。そのあいだにすべての処理を終わらせておく。片付け終えたところで、戻って来た奥さんが焼き菓子のプチギフトをくれた。
「ご家族で食べて」
「こんなことされると困りますよ」
「いいの、これは取引じゃないからね。いつもありがとう」
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