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番外編3

 ***

 インターネットで「秋山渉 サッカークラブ」と検索をかけたら、トップで引っ掛かった。

『あきやまジュニアサッカー教室』という名前で開いているらしい。アクセスを見ると、今の圭介の自宅からさほど離れていない場所にあった。練習日を確認して、圭介は思い切って秋山のサッカー教室を訪ねることにした。

 練習はクラブの近くにある公園の多目的広場でおこなっているらしく、練習時間帯を見計らって直接公園へ向かった。休日の公園は親子連れが多く、近付くにつれて子どもたちの甲高い声が聞こえてくる。それに交じってサッカー教室のジュニアたちの掛け声が届いた。フェンス越しにその練習風景を眺める。年長くらいの子どもから小学校高学年までの子どもがそれぞれにドリブル練習をしていた。彼らの脇で腕組みをして立っているひとりの男。遠巻きにそれが秋山だと分かった。秋山もすぐに圭介の存在に気付いたようで、目が合うなり驚いた顔を見せ、「圭介」と唇を動かした。遠慮がちに手を挙げると、走り寄って来る。

「圭介、圭介だろ!? 久しぶり!」

「おー」

「なんか、……ちょっと痩せた?」

「運動してねぇからな」

 そう言う秋山は相変わらず柔らかそうな髪の毛を持っているが、二年前より日焼けをしていて、手足も引き締まったように見える。何より顔色が良く、生き生きと輝いているように見えた。

「まさか来てくれると思わなかった」

「お前な、連絡くれっつーなら、住所くらい書いとけ。ネットでわざわざ探したんだからな」

「電話してくると思ってた」

「……番号、消したんだよ」

 サッカーを辞めて、チームメイトや監督は勿論、秋山の連絡先もすべて消去していた。苦しいプロ時代を思い出すようなものは目に入れたくなかったのだ。気を悪くするかと案じたが、秋山は分かっていたかのように「そっか」と笑った。

 秋山の背後で見覚えのある少年を見つけた。以前、圭介の勤めるスポーツ用品店にシューズを買いにきた少年である。数ヵ月ぶりに見る彼は、随分逞しくなったように思う。

「あいつ」

「え?」

「あのオレンジの服の奴。あいつ知ってる」

 圭介は入口へ回り、広場内へ入った。そして拙い足つきでリフティングをしている少年の傍へ寄る。

「よぉ」

 顔を上げた少年は圭介を見るなり満面の笑顔を見せ、大声ではしゃいだ。

「白石だ! ほんとに!? 来てくれたの!?」

 秋山は少年に注意しようとしたが、圭介が止めた。

「お前、ここの教室に通ってたのか? 小学校の運動場でするって言ってなかったか?」

「最初は別のところにいたよ。でも、ここの先生が元カンタマーレの選手だって聞いて、もしかしたら白石かもと思ってこっちに変えたんだよ」

「下調べもしないでか」

「でも、こっちの教室のが楽しい。それに白石に会えたし」

 月謝も安いしね、と付け足した台詞には思わず噴き出した。圭介は少年にリフティングをやってみろと指示する。少年はぎこちなく足首でボールを蹴り上げるが、二、三回蹴っただけでボールを落としてしまった。

「いきなり上手くやろうたって無理だよ。基本のインステップをまず完璧にできるようにしろ」

「ボールが高くなりすぎちゃう。足の甲で蹴るんだよね。でも、上手く当たらない」

「闇雲に足の甲ってだけじゃ分かんねーだろ。お前のその靴紐の部分。そこに当てるのを意識してみろ。で、一度ワンバウンドさせてから蹴るんだ。連続でしなくていい」

 圭介は説明しながらやって見せた。腹の辺りからボールを落としてバウンドさせ、

「跳ねたボールに、靴紐を意識して足を当てて、」

 トン、と蹴ったあとに両手で受け止めた。

「手で取る。これを何回も続けろ。つま先は上げろよ。連続でやるのはそれからだ。何十回、何百回とやって上手くなったら、インサイド、アウトサイドってレベル上げてくんだよ」

「早くあのお兄ちゃんたちみたいに上手くなりたいなー」

 ちら、と横目で軽快にリフティングやドリブルをしている高学年を見た。

「焦るのが一番駄目だ。怪我するぜ」

「白石は、足はもう治ったの?」

「ああ、チームは辞めたけどな」

 ボールを蹴って少年に返した。

「あと、リフティングは蹴るんじゃない、当てるんだ。サッカーの基本だからな」

「うん! ありがとう!」

「それ、なに?」と圭介が持っているビニール袋を指された。母から送られてきたレモンだ。ひとりで処理しきれないので、秋山に分けるつもりで持って来ていたのだ。

「レモン。好きか?」

「酸っぱいじゃん」

「レモンはビタミン豊富で疲労回復やストレス軽減にも、」

「難しいから、いいよ」

 と、そっぽを向いて去ってしまった。傍にいた秋山が苦笑いで話し掛ける。

「ごめん、圭介。あとでちゃんと言っとく」

「別にいいよ」

 離れたところで再びリフティングを始めた少年は、圭介の教えた通りにしている。いくら態度が生意気でも、言われたことを素直に実行するだけ可愛いものだ。提げているレモンは秋山に押し付けるように渡した。

「はちみつ漬けにでもして食わせてやれ」

「はちみつレモンってやつ?」

 ニタニタと笑っているので「なんだよ」と睨んだら、

「圭介がはちみつレモンってのが、なんか可笑しくて」

「意味わかんねぇし」

「もう練習終わるから、待っててくれないか。話したい」

 広場を出ようとしたら、コートの内にあるテントで居ていいと言われたので、見学を兼ねてそこで待つことにする。圭介は子どもを相手にするのも、誰かを指導することも苦手だが、こうして慣れない動きで練習に励む生徒たちの姿を見るとつい口を出しそうになる。そして「ああすればいいのに」と思ったことは、秋山が代弁する。同じチームで過ごしてきただけに、やはり彼とはやり方が似るらしい。生徒を褒めても叱っても、楽しそうな秋山の姿に圭介はたまらなく羨ましくなるのである。

 片付けを含めておよそ一時間後に練習を終え、辺りが薄暗くなった頃に揃って多目的広場を出た。昼間に賑わっていた公園にはほとんど人が残っておらず、夕方六時を知らせる鐘の音がやたら響いて、それが寂しかった。秋山は圭介の隣には並ばず、数歩遅れてあとを追った。背後から訊ねられる。

「圭介は今、何やってるんだ?」

「ちっこいスポーツ用品店で働いてる。退屈だよ」

「そっか。でもサラリーマンとかよりは、似合う」

 目の前を横切った一組の親子は、サッカー教室に来ていた親子だ。母親のほうが秋山と圭介に頭を下げると、背後から「さようなら」と秋山が言った。

「サマになってんじゃん、センセー」

「からかうなよ。でも楽しいよ。……プロ時代より全然いい。俺でも人の役に立てるんだって自信になったよ」

「……」

「圭介も、……一緒にやらないか……」

 強引に誘わないのは、秋山のほうに遠慮があるからだろうか。自分で言い出しておいて、いざその時になると消極的になって最終判断を圭介に委ねる。二年前に感じたことを再び思って、こういうところは変わらないなと考えた。

「無理にとは言わないんだけど、さっき圭介が井下くんにリフティング教えてるところを見て、圭介もこういう仕事のほうが向いてるんじゃないかなって思ってさ」

 そしておそらくこっちが本題であろう質問をされた。

「……彼とは上手くいってるのか?」

「まあな」

 秋山を訪ねたのは純粋に教室に興味があったからだが、今、達也と別れたことを言うのは卑怯な気がして、嘘をついた。

「本当は手紙とか送らないほうがいいかなって思ったんだ。俺の教室を手伝うなんて、……普通は嫌だろ、彼にとっては。でも、教室を開こうって決めた時、まっさきに圭介に手伝ってもらいたいと思ったし、純粋に、友人としてもう一度会いたいと思った。……迷惑だったかな」

「いや」

「それで……一緒にやってくれるか?」

 公衆トイレの近くに設置されている吸い殻入れの前まで来た時、圭介は立ち止まって胸ポケットから煙草を出した。火を点け、フーッと宙へ煙を放つ。

「お前、いつプロ辞めたんだよ」

「え? 圭介が辞めて一ヵ月後、かな」

「なんで辞めた?」

「見切りをつけたっていうか。手紙にも書いたけど、俺は選手向きじゃない」

「せっかく上手かったのにな」

 秋山は驚いたようで、目を大きくした。

「足速かったから、お前がボール取ると中々抜けない」

「そ、そうかな」

「体力さえつけば、いい選手になったと思うよ」

「……圭介にそんな風に言われると思わなかった。できればプロ時代に聞きたかったな」

「あの頃は俺も尖ってたからな。みんな敵だと思ってた」

「今は丸くなったな。……足はすっかり良いみたいだけど」

「一時期さ、上手く歩けなくて杖ついてたんだぜ」

「えっ」

「まあ、色々助けられながら、ちょっとずつ良くなって、今ではなんともないんだけど」

 重たげなバッグを肩にかけている秋山に、荷物を下ろせばと勧めた。吸い殻入れの隣にあるベンチにバッグを置く。

「助けられてって、付き合ってる彼に?」

「まあな」

「そうか。上手くいってて良かった。本当はずっと心配してたから」

「いや、……ごめん、嘘ついた。本当はとっくに別れた」

 秋山は顔を青くして戸惑った。自分のせいと考えているらしい彼に、圭介は鼻で笑う。まだ火を点けて間もない煙草を灰皿に押し付ける。

「付き合いは長かったけど、お互いに知らねーことだらけだったというか、遠慮し合ってたっつーか。たぶん、そういうのにだんだん疲れてきたんだと思う。俺はずっと態度悪かったし、あいつも他に好きな奴ができた」

「……いつ?」

「去年の夏かな」

 続けて「いや秋かな、冬かな」と、くだけてみせた。重苦しい空気になるのは避けたいのだ。

「遅かれ早かれ、あいつとはどのみち終わってたよ。だからさ、」

「……」

「お前のせいじゃないからな」

 秋山は無言で俯いたまま動かない。空気が冷えて風が出てきた。もう初夏だというのに肌寒い。そういえば明日は雨だと天気予報で言っていたのを思い出した。

「おい、寒ぃし、帰るぜ」

 するとようやく、秋山が口を開く。

「よかった……ごめん、よくないけど……よかった」

 夜になりつつある公園では暗くて表情が見えないが、泣いているようだった。

「本当はあの日から、ずっと後悔してて……、俺が我儘さえ言わなければ、圭介は彼と諍いになることも事故に遭うこともなかったかもしれないのにって。俺のせいで二人が別れたり、仲違いしてないだろうかって、罪悪感が……あったから……」

「いや、だからさ」

「お前のせいじゃないって言ってくれて、今、ほっとした……ありがとう」

 正直なところ、秋山さえいなければ、ややこしいことにならなかったのにと思ったこともあった。好きだと言われて嫌ではなかったが、鬱陶しかった。しかし、秋山は秋山でこの二年間、苦しんだのだろう。圭介が秋山を受け入れた日、彼が今後罪悪感に苛まれることくらい容易く想像できたのに、あの時に「お前のせいじゃない」と言ってやれなかったことを済まなく思った。

 ひと気がないとはいえ、指導者ともあろう男が嗚咽を洩らしている姿が哀れで仕方がない。圭介は秋山の頭を片腕で抱え込んだ。久々に感じる他人の体温だった。

「情けないから泣くな」

「圭介がこういうの嫌いだろうなってのは分かるんだけど、」

「うざいけど、嫌いではないぜ。……どうも俺は泣き虫に縁があるらしい」

 どこからともなく聞こえてくる声はクビキリギリスだろうか。少し湿った風に乗って楠が香る。初夏の訪れを実感して、ようやくすべての重荷から解放された気がした。
 秋山には教室を手伝う意思があることを、まだ伝えずにおく。今度は嬉し泣きでもされたら鬱陶しいからだった。


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