番外編2
それから秋山はこれまでと態度を変えることなく圭介に接した。練習での相談や他愛のない世間話、監督やチームメイトと諍いがあった時は相変わらず秋山が助舟を出す。あまり関わらないほうがいいだろうと思ってはいたが、秋山の人間性は嫌いじゃないし、無碍にもできない。宣言通り、秋山は圭介が男と付き合っていることを言いふらしたり、つき纏ってくることもなかったので、圭介も必要以上に突き放したりはしなかった。
秋山から再度告白をされたのは、一度目の告白から半年経った秋の日だった。
圭介が練習中にチームメイトからタックルを喰らった時のことだ。チームメイトは事故だと言い張ったが、故意だというのは分かっていた。頭に血が昇った圭介が先に手を出してしまい、殴り合いの喧嘩に発展してしまったのだ。監督から頭を冷やせと、その日の練習には参加させてもらえず、更衣室で苛々しながら引きこもっている圭介に、怪我はないかと秋山が声を掛けてきた。
「唇、切れてるじゃないか」
「こんなもん、ほっときゃ治る」
「気にするなよ、あれはわざとだって、誰が見ても分かる」
「別に気にしてない。よくあることだっつの。お前も、いちいち心配すんな」
「うん、まあ、言っちゃえばこれが俺の仕事みたいなもんだから」
試合で役に立てないから、と笑いながら言った。圭介は苛立っていたこともあって、秋山にきつく当たった。
「ヘラヘラすんな。自信もやる気もねぇなら、なんでプロになったんだよ。見てると腹が立つんだよ」
「……」
「ことあるごとに話しかけんな」
「ごめん、でも」
「向上心の無い奴は嫌いだ」
そこで秋山がカッと耳を赤くして俯いたので、さすがに言い過ぎたと気付いた。だが、謝る気にもなれない。「もういい」と残して出口に向かった時、
「ごめん……! まだ、好きなんだ」
握り締めている拳には血管が浮いている。この半年間、秋山は圭介に特に気のある素振りを見せなかったので、あの告白はなかったことになったのだと思っていた。未だに想われていると知って圭介は僅かに動揺した。
「好きだから……どうしてもほっとけない」
「前にも言ったけど、俺はお前とは付き合えない」
「……分かってる。チームメイトでいいから……せめて好きでいることは許してくれないか」
「俺にどうして欲しいんだよ」
秋山は顔を下に落としたまま、声を振り絞った。
「一度だけでいい、から……、その……」
言葉を詰まらせて最後まではっきり言わないが、何を望んでいるかすぐに察した。
確かに秋山はチームメイトから気に入られる存在だが、その理由の大半は秋山に野心がないからだ。おそらくそれは本人も気付いている。そしてそれを承知の上で明るく努めているのだ。人間、誰でも見下されて悔しくない者はいない。向上心のない者などいない。努力は必ずしも成果になるとは限らない。それは圭介が一番よく知っていることだ。秋山の場合は内面を表に出さずに笑うことで我慢しているのだろう。その上、好きな相手には振り向いてもらえない。圭介は、決して綺麗ではない床に膝をついて俯いている秋山を不憫に思ってしまった。そして、
「……分かった」
秋山が拍子抜けした表情で顔を上げた。
「一度だけだ。一度だけ、抱いてやる」
「圭介……」
「その代わり、誰にも言うなよ」
「勿論だよ」
―――
秋山が部屋に来たのはその週末だった。さっさとことを終えたくて朝早くに秋山を呼んだ。
「言っとくけど、俺は今、付き合ってる奴と別れる気はないからな」
「うん」
「今日で俺のことは諦めろよ。俺のことを好きでいても無駄だからな」
「……わかってる。ありがとう」
圭介はベッドに秋山を乱暴に突き倒し、投げやりなキスをした。自分から言い出しておいて消極的な秋山に、経験がないのかと訊ねたら、男とは初めてだと恥じらいながら言った。
自分は達也を裏切りたくないし、別れたくない。目の前で他の男の体を見ても達也としている時のような昂りはない。けれども大袈裟に呼吸を乱して切なげに圭介を見上げる秋山の眼は訴えられるものがあり、少しだけ、揺れた。
「あぅ……圭介っ……」
「痛かったら言え」
「い、た……でも、平気……圭介、すき……だ」
「……」
「ごめん、好き……今だけ……」
秋山の中に自身を食い込ませた時、秋山が首にしがみついてきた。全身で秋山の体温と息遣いを感じて、いつも抱いている達也の感触も声も表情も思い出せずに罪悪感はあったが、その時だけは秋山を拒まなかった。
「――なにこれ」
すべてを終えて余韻に浸る間もなく達也に見られてしまい、さすがにふたりは顔を青くした。いつも柔らかく笑うばかりの達也が、冷淡で無機質な表情で圭介を見る。圭介はそこで自分がひどい間違いをしたと気付いたのだ。
「圭介、どういうこと」
「……あ、あの、俺が」
うろたえながら口を開いた秋山を、圭介が止めた。けれども咄嗟な言い訳が思いつかない。どんなに上手い嘘を言っても、この光景がすべてなのだ。何も言わない圭介に達也は怒りを露わにした。
「どういうことなんだよ! 説明してよ! ……信じてたのに……!」
涙目で踵を返して、足早に出て行った達也を圭介は慌てて追いかけた。
「達也、待て! 話を聞け」
「もういい、聞きたくない」
「お前が怒るのは当然だ、でも」
達也が横断歩道に出た時だ。信号が点滅していることにも気付いていないようだった。せっかちな車は早くもジリジリと進みだしている。そしてスピードを落とさずに交差点から曲がってきた車が横断歩道へ突進してきたのだ。轢かれる、と判断した圭介は全力で走り出して達也の背中を押した。自分も避けなければと思ったが、あと一歩が間に合わずに左足がぶつかった。ぶつかったのは体の一部でも、視界がひっくり返るような衝撃だった。二、三転して倒れ込んだ圭介に、達也はようやく振り返って青ざめた顔で走り寄った。
「圭介!! うそ、なんで……しっかり!」
朦朧とする意識の中で圭介はかろうじて右手を挙げた。
「すぐ救急車を呼ぶから! ごめん……ごめん! 僕が話を聞かなかったから……意地を張ったから……!」
「……自業……自得だよ」
達也にしても秋山にしても、圭介はいつも謝られてばかりだ。悪いのは自分なのに。
まもなく意識を失って、目が覚めた時は病院のベッドに寝かされていた。左足は仰々しいギプスを巻かれている。首を回すと達也ではなく、秋山がいた。秋山はぐすぐすと子どものように泣いている。
「お前、……なんでここに」
「圭介っ、ごめん、本当にごめん、俺のせいだよな、俺のせいで」
「ちが……達也は……?」
秋山は右腕で顔を擦り、大きく息を吐いた。
「……救急車の音で気付いたんだ。嫌な予感がして外に出たら、道路で倒れてる圭介と圭介に寄り添ってる彼を見た。……追いかけて来たんだ……。病室の前まで来た時、彼が入ってもいいって言ってくれた。今は席を外してくれてる……」
圭介と秋山の事後を見た直後で達也にとって秋山も憎い相手だろうに、譲ったのは大目に見てくれたのか、それとも呆れて身を引こうとしているのか。そう考えると圭介は自分の軽率さを恥じた。
「本当に済まなかった。俺の我儘でこんな……ことに、なって」
「決めたのは俺だ。どいつもこいつも謝り過ぎなんだよ」
「だけど、足……!」
秋山は再び声を上げて泣き出し、寝ている圭介の腹に覆い被さった。圭介は秋山の短い猫っ毛をくしゃりと握り、軽く撫でてやる。
「なんでだろうな、足にギプスを巻かれてるのを見ても、たいしてショックじゃねんだ。むしろ、あーやっと休めるって、ちょっと安心してる」
「安心……?」
きょとんとして秋山は顔を上げた。頬についている涙を親指で拭ってやった。
「俺、サッカーするのしんどい」
「……」
「いい加減、疲れたんだ。ずっと休みたかった。だから怪我して、今、ちょっと嬉しい」
「嬉しいとか、言うなよ……」
「秋山を抱くって言い出したのは俺だ。お前を抱いたことに後悔はない。でも、やっぱり俺はあいつと別れるのは考えられない」
「……ん」
「じきにサッカーをやめる。お前とはこれきりだ。もう見舞いにも来るな」
「……うん……」
圭介は顔を背けて「帰れ」と素っ気なく言った。秋山は鼻をすすりながら立ち上がり、病室を出る直前で「ありがとう」と残して立ち去った。
秋山と顔を合わせたのはそれが最後だった。彼がその後、チームでどう過ごしたのか、いつサッカーを辞めたのかもまったく知らない。圭介の記憶の中にいる彼は、チームメイトを励ましているあどけない笑顔のままで止まっている。
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秋山から再度告白をされたのは、一度目の告白から半年経った秋の日だった。
圭介が練習中にチームメイトからタックルを喰らった時のことだ。チームメイトは事故だと言い張ったが、故意だというのは分かっていた。頭に血が昇った圭介が先に手を出してしまい、殴り合いの喧嘩に発展してしまったのだ。監督から頭を冷やせと、その日の練習には参加させてもらえず、更衣室で苛々しながら引きこもっている圭介に、怪我はないかと秋山が声を掛けてきた。
「唇、切れてるじゃないか」
「こんなもん、ほっときゃ治る」
「気にするなよ、あれはわざとだって、誰が見ても分かる」
「別に気にしてない。よくあることだっつの。お前も、いちいち心配すんな」
「うん、まあ、言っちゃえばこれが俺の仕事みたいなもんだから」
試合で役に立てないから、と笑いながら言った。圭介は苛立っていたこともあって、秋山にきつく当たった。
「ヘラヘラすんな。自信もやる気もねぇなら、なんでプロになったんだよ。見てると腹が立つんだよ」
「……」
「ことあるごとに話しかけんな」
「ごめん、でも」
「向上心の無い奴は嫌いだ」
そこで秋山がカッと耳を赤くして俯いたので、さすがに言い過ぎたと気付いた。だが、謝る気にもなれない。「もういい」と残して出口に向かった時、
「ごめん……! まだ、好きなんだ」
握り締めている拳には血管が浮いている。この半年間、秋山は圭介に特に気のある素振りを見せなかったので、あの告白はなかったことになったのだと思っていた。未だに想われていると知って圭介は僅かに動揺した。
「好きだから……どうしてもほっとけない」
「前にも言ったけど、俺はお前とは付き合えない」
「……分かってる。チームメイトでいいから……せめて好きでいることは許してくれないか」
「俺にどうして欲しいんだよ」
秋山は顔を下に落としたまま、声を振り絞った。
「一度だけでいい、から……、その……」
言葉を詰まらせて最後まではっきり言わないが、何を望んでいるかすぐに察した。
確かに秋山はチームメイトから気に入られる存在だが、その理由の大半は秋山に野心がないからだ。おそらくそれは本人も気付いている。そしてそれを承知の上で明るく努めているのだ。人間、誰でも見下されて悔しくない者はいない。向上心のない者などいない。努力は必ずしも成果になるとは限らない。それは圭介が一番よく知っていることだ。秋山の場合は内面を表に出さずに笑うことで我慢しているのだろう。その上、好きな相手には振り向いてもらえない。圭介は、決して綺麗ではない床に膝をついて俯いている秋山を不憫に思ってしまった。そして、
「……分かった」
秋山が拍子抜けした表情で顔を上げた。
「一度だけだ。一度だけ、抱いてやる」
「圭介……」
「その代わり、誰にも言うなよ」
「勿論だよ」
―――
秋山が部屋に来たのはその週末だった。さっさとことを終えたくて朝早くに秋山を呼んだ。
「言っとくけど、俺は今、付き合ってる奴と別れる気はないからな」
「うん」
「今日で俺のことは諦めろよ。俺のことを好きでいても無駄だからな」
「……わかってる。ありがとう」
圭介はベッドに秋山を乱暴に突き倒し、投げやりなキスをした。自分から言い出しておいて消極的な秋山に、経験がないのかと訊ねたら、男とは初めてだと恥じらいながら言った。
自分は達也を裏切りたくないし、別れたくない。目の前で他の男の体を見ても達也としている時のような昂りはない。けれども大袈裟に呼吸を乱して切なげに圭介を見上げる秋山の眼は訴えられるものがあり、少しだけ、揺れた。
「あぅ……圭介っ……」
「痛かったら言え」
「い、た……でも、平気……圭介、すき……だ」
「……」
「ごめん、好き……今だけ……」
秋山の中に自身を食い込ませた時、秋山が首にしがみついてきた。全身で秋山の体温と息遣いを感じて、いつも抱いている達也の感触も声も表情も思い出せずに罪悪感はあったが、その時だけは秋山を拒まなかった。
「――なにこれ」
すべてを終えて余韻に浸る間もなく達也に見られてしまい、さすがにふたりは顔を青くした。いつも柔らかく笑うばかりの達也が、冷淡で無機質な表情で圭介を見る。圭介はそこで自分がひどい間違いをしたと気付いたのだ。
「圭介、どういうこと」
「……あ、あの、俺が」
うろたえながら口を開いた秋山を、圭介が止めた。けれども咄嗟な言い訳が思いつかない。どんなに上手い嘘を言っても、この光景がすべてなのだ。何も言わない圭介に達也は怒りを露わにした。
「どういうことなんだよ! 説明してよ! ……信じてたのに……!」
涙目で踵を返して、足早に出て行った達也を圭介は慌てて追いかけた。
「達也、待て! 話を聞け」
「もういい、聞きたくない」
「お前が怒るのは当然だ、でも」
達也が横断歩道に出た時だ。信号が点滅していることにも気付いていないようだった。せっかちな車は早くもジリジリと進みだしている。そしてスピードを落とさずに交差点から曲がってきた車が横断歩道へ突進してきたのだ。轢かれる、と判断した圭介は全力で走り出して達也の背中を押した。自分も避けなければと思ったが、あと一歩が間に合わずに左足がぶつかった。ぶつかったのは体の一部でも、視界がひっくり返るような衝撃だった。二、三転して倒れ込んだ圭介に、達也はようやく振り返って青ざめた顔で走り寄った。
「圭介!! うそ、なんで……しっかり!」
朦朧とする意識の中で圭介はかろうじて右手を挙げた。
「すぐ救急車を呼ぶから! ごめん……ごめん! 僕が話を聞かなかったから……意地を張ったから……!」
「……自業……自得だよ」
達也にしても秋山にしても、圭介はいつも謝られてばかりだ。悪いのは自分なのに。
まもなく意識を失って、目が覚めた時は病院のベッドに寝かされていた。左足は仰々しいギプスを巻かれている。首を回すと達也ではなく、秋山がいた。秋山はぐすぐすと子どものように泣いている。
「お前、……なんでここに」
「圭介っ、ごめん、本当にごめん、俺のせいだよな、俺のせいで」
「ちが……達也は……?」
秋山は右腕で顔を擦り、大きく息を吐いた。
「……救急車の音で気付いたんだ。嫌な予感がして外に出たら、道路で倒れてる圭介と圭介に寄り添ってる彼を見た。……追いかけて来たんだ……。病室の前まで来た時、彼が入ってもいいって言ってくれた。今は席を外してくれてる……」
圭介と秋山の事後を見た直後で達也にとって秋山も憎い相手だろうに、譲ったのは大目に見てくれたのか、それとも呆れて身を引こうとしているのか。そう考えると圭介は自分の軽率さを恥じた。
「本当に済まなかった。俺の我儘でこんな……ことに、なって」
「決めたのは俺だ。どいつもこいつも謝り過ぎなんだよ」
「だけど、足……!」
秋山は再び声を上げて泣き出し、寝ている圭介の腹に覆い被さった。圭介は秋山の短い猫っ毛をくしゃりと握り、軽く撫でてやる。
「なんでだろうな、足にギプスを巻かれてるのを見ても、たいしてショックじゃねんだ。むしろ、あーやっと休めるって、ちょっと安心してる」
「安心……?」
きょとんとして秋山は顔を上げた。頬についている涙を親指で拭ってやった。
「俺、サッカーするのしんどい」
「……」
「いい加減、疲れたんだ。ずっと休みたかった。だから怪我して、今、ちょっと嬉しい」
「嬉しいとか、言うなよ……」
「秋山を抱くって言い出したのは俺だ。お前を抱いたことに後悔はない。でも、やっぱり俺はあいつと別れるのは考えられない」
「……ん」
「じきにサッカーをやめる。お前とはこれきりだ。もう見舞いにも来るな」
「……うん……」
圭介は顔を背けて「帰れ」と素っ気なく言った。秋山は鼻をすすりながら立ち上がり、病室を出る直前で「ありがとう」と残して立ち去った。
秋山と顔を合わせたのはそれが最後だった。彼がその後、チームでどう過ごしたのか、いつサッカーを辞めたのかもまったく知らない。圭介の記憶の中にいる彼は、チームメイトを励ましているあどけない笑顔のままで止まっている。
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