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・雨の中の訪問者3【R】


「下ろしてください!」

 浴室を出てまっさきに現れたのは先ほどの少年だ。こんな子どもに男に抱えられた姿を見られて死にたくなった。少年は驚きも戸惑いもせず、顔色ひとつ変えずにバスタオルを篤郎と男に被せた。脱衣所を出て、すぐ隣の部屋が寝室になっているらしい。少年が扉を開けると篤郎はまたぎょっと目を見開いた。目の前の壁は一面水槽になっていて、様々な種類の熱帯魚が悠々と泳いでいる。エイまでいた。一瞬で水族館に来たのかと思った。水槽の前にベッドが置かれてあるが、部屋が広いのと水槽の存在が強烈すぎて、キングサイズのベッドが小さく見える。男の足元でうろうろしていた猫たちは寝室には入らず、どこかへ散らばってしまった。男はベッドに篤郎を寝かすと、濡れたシルクのシャツを勢いよく脱ぎ捨てた。恥ずかし気もなく裸体をさらす。篤郎は思わず生唾を飲んだ。細身なのに堅い筋肉に覆われていて、腹はうっすら割れている。濡れているせいか水滴に灯りが当たって、艶めかしく光った。ベッドに寝かされた篤郎はもう抵抗する力がなく、それどころか目の前の美しく男らしい体に触れたいとすら思った。男の腕が伸びて、篤郎の肩から腰にかけてをなぞる。既に立ち上がっている胸の先端を指で押し撫でられ、篤郎はまた反応してしまった。ザラついた舌が片方の胸をすべる。

「あ……あ……ん」

「あまり胸は触ったことはないのか」

「……んなの、ないですよ……」

「意外にいいだろう? 中心を刺激すると、うずうずしないか?」

「あぁっ!」

「なんて可愛いんだろうね」

 男は篤郎の腰を抱いて、体中を舐め回した。首筋に吸い付いて、そこが目立つ場所であろうとなかろうと、至るところに跡をつけた。「なんて綺麗なんだ」と何度も口にしながら愛撫され、篤郎はもう自分が男なのか女なのか分からなくなってきた。性別なんかどっちでもいいかとも思う。男の白い前髪が腹をくすぐり、それすらも心地良い。やがて男の指が篤郎の裏の部分を弄った。

「ぇあっ!? なんですか!?」

「なんですかって、ココを使うんだよ。常識だろう」

「知りませんよ!」

「ああ、済まない。潤すものがいるね」

 一体どこに潜んでいたのか、やたら太いブチ猫がボトルを咥えてやってきた。男はそれを受け取ると手の平に液体を出して篤郎の後ろに塗り始めた。もはや恐怖しかない。男が指を一本ねじ込むだけで体を曲げて唸った。

「力を抜いてごらん」

「むり、ですよ……」

「大丈夫、痛くしないから。ね」

「んっ、ん……ぁ、くるし……」

「やっぱりきついね。初めてかい?」

「当たり前っ、でしょう……!」

「嬉しいな。君の初めてを戴けるのか」

 男は指をゆっくり体内に進ませ、篤郎が眉を寄せると引き抜き、そしてまたゆっくり進入する。何度も出し入れされるうちに痛みは和らいだが、違和感だけは拭えない。

「おねが……も、やめて……」

「力を抜いてごらん。さっきよりももっと気持ちのいいところがあるんだよ」

「なに……それ」

 男は、今度は掻き回しながら体内を探った。液体の絡む音が大きくなる。篤郎はやや冷めかけていて、半分意識を失っていた。けれども、ある個所を刺激されて我に返った。
 体を反り返らせたのを見た男は不敵に笑い、篤郎が過敏に反応した場所をしつこく撫でた。

「ぁ……、ああぁあっ……なに、なにこれっ…や、だめ、だめ」

「すごくイイだろう?」

「あぁっ! んっ、まっ、て……! やぁあ」

「乱れる姿も美しいね。こんなに心を鷲掴みにされる人間は初めてだよ」

「に、んげ……、あなた……は」

「わたしは猫だよ」

「ね、こ……なん、の……――あぁっ!」

「ターキッシュアンゴラ。自分で言うのもなんだが、まあそうそう手に入るもんじゃない。……そろそろいいか」

「んっ、……ぁ、いいって……?」

 男は篤郎をうつ伏せにさせて腰を浮かせると、脈打つ自身を篤郎に食い込ませた。痛みとさっきよりも強い異物感に胸がつかえそうになる。

「んくっ……い、いた、やめてっ」

「少しずつ入れるから大丈夫だよ」

 想像以上に堅くて大きなものが自分の中で存在感を増す。気を紛らわせようとしているのか、背後から胸を弄られて足が震えた。

「ほら、入った」

「こわい……」

「怖くない、気持ちが良いだろう」

 男は腰を蠢かせて篤郎の弱みを突いた。

「あっ」

「ああ、本当に君は美しいね。……一生ここにいて、わたしの可愛い子にならないか」

「だっ……て、僕は、仕事が……」

「嫌々続けている職場に無理に戻ることはない。君を待ってる人がいるのかい」

 ――誰もいない。恋人も友人も。

「……あたまが……ぼーっとする……」

「いい香りがするだろう。白檀だよ。官能的な気分になるだろう?」

 動きが性急になる男と、だんだん気息が合わさった。痛みも違和感も消え、体と脳で感じているのは溺れそうな快感だ。
 水槽の水が淡く青く揺れている。目をぎょろぎょろさせながら行ったり来たりする魚たちと何度も目が合った。羞恥なんてとっくにどこかへ去った。水槽のガラスに映った、篤郎に被さっている男の目がキラリと反射した。鳥居の向こうで見たあの光と同じだった。

 ――猫……ああ、この人は猫なのか。

   そういえば、昔どこかで聞いたことがあるな。
   歳を取って魔力を得た猫が、美男に化けて人間の精気を吸う……とか……。
   なんていうんだっけ……。
   確か仙狸……だったかな……。


 ***

「本当に帰るのか」

 結局、あのあと一度では終わらず、夜通し男に抱かれた。満足して解放されたのは、つい三時間ほど前のことだ。透き通る宝石のブルーの目が別れを惜しんだ。アンティークのシングルチェアに腰掛けている男の背後にはあの少年がいて、丁寧な手つきで男の白く長い髪を梳かしている。

「仕事がありますから……。それに、ここにいたら、なんだかおかしくなりそうで」

「いつでも帰って来ていいんだよ」

「僕の家はここじゃありません。もう来ません」

 髪を梳かしている少年の手から離れて、男は勢いよく立ち上がると篤郎の腕を引き寄せた。唇をなぞり、舌を貪られる。すっかり抵抗感のない篤郎はされるがままに受け入れ、また応えた。もう限界まで吐精して心底疲れ切っているのに、男の熱い舌はそんな疲労を忘れさせる。体が素直になりかけたところで逃れた。

「さよなら」

 駆け足で館を飛び出した。外に出ると眩しすぎる朝陽に目が眩んだ。一瞬だけ足がふらついたが、なんとか持ち堪えて、館には振り返らずにそのまま全速力で走って林を抜けた。

 ―――

「古田、ボーッとしてるな」

 主任に指摘されて、篤郎は「すみません」と頭を下げた。もう昼も過ぎているというのに、朝から同じ資料を繰り返し読んでも頭に入らない。

 あれから一週間経ったが、篤郎はいまだ男に抱かれた感触と怠さが体から抜けなかった。心に大きな穴が空いたようで、それをどう塞げばいいのかをずっと考えている。
 仕事中に大きな失敗というのはなかったが、回転の悪い頭では首尾よく動けず、書類の誤字であったり、電話の取次ぎ間違いなどのつまらないミスをいくつか犯した。

 見かねた上司に「体調が優れないなら有給を取って休め」と言われた。暗に役立たずはいらないと言われているのだろう。
 篤郎はこれまで特別仕事ができるほうじゃなくても、それなりの働きを見せる男だった。仕事に真摯に取り組む姿勢が上司の気に入るところだった。けれども、終始身に入らずに上の空でいるようでは見切りをつけられて当然だ。篤郎自身、こうなってまで職場にしがみつきたいとは思わない。数日後に有給の申請ではなく退職届を提出したら、簡単に体調を気遣われてあっさり受理された。

 一体、世の中のどれだけの人間が、時間と重圧に追われているのだろう。
 天に高く伸びる高層ビルが立ち並ぶ都会の喧騒の中、行き交う人々はみな機械のように無表情で忙しなく歩いている。まばらに響く足音も無機質で人間味がない。篤郎はそんな慌ただしい雑踏の中でただ一人、足を引きずるようにゆっくり、ゆっくり歩いた。
 あの混沌とした館にひと晩居ただけなのに、戻ってみればこの世のすべてがシンプルで窮屈なものに思えて仕方がない。
 横断歩道で信号を待っていると、強い風が吹いた。篤郎の黒い前髪がはためいて視界が広くなる。その瞬間、見るもの全てが白黒の世界に変わり、あの館で焚かれていた白檀の香りが鼻を突いた。目の前を次々に横切るモノクロの自動車。一瞬だけスローモーションになって、横断歩道の向こう側にいる一匹の猫が篤郎の目に飛び込んできた。白黒の景色の中で猫だけが鮮やかな色を持っている。茶色の毛と琥珀色の目をした猫だった。

「……お前……」

 声を掛けても猫には届かない。猫は暫く篤郎を見つめたあと、踵を返して雑踏の中へ紛れた。

 ――待って、行かないで。
    僕も連れて行ってくれ。
 
 ますます強くなる白檀の香りに頭と体が震えた。男の姿形と感触をまざまざと思い出して、篤郎は両腕を抱き締めて地面に膝をついた。猫が完全に姿を消すと、再び辺りは色を取り戻した。香りも、もうない。

 ――あそこに、戻りたい。

 ***

 シングルチェアに腰を掛けて景色を眺めていた男は、こちらに向かってくるトラ猫に気付くと窓を開けた。猫はひらりとサッシに飛び乗り、男の足元へ下りた。

「おかえり、ご苦労だったね」

「気になるなら、ご自分で確かめればいいのに」

「そう言ってくれるな。見てごらん。雨が降りそうだ。彼が戻る前にわたしが雨に打たれて死んだら意味がない」

「僕は濡れてもいいんですか」

「お前はせいぜい八十と四歳(とせ)だろう」

 男はテーブルの上にあった急須からホットミルクをマグに注ぎ、少年に差し出した。

「あなたも鬼ですね。あんなにフラフラになるまで気を吸わなくてもいいでしょうに」

「吸っただけでは死んでしまうよ。わたしの気を混ぜておいた。そうすれば決してわたしを忘れない。彼は永遠にわたしのものになるんだよ」

 空には藍鼠の雲が垂れ込めた。風が強いのか雲の流れが早い。窓に雫が一滴付くと、そこからパラパラと立て続けに落ちだして、まもなく驟雨になった。家の周りを囲む木々や茂みから放たれる水しぶきが霧のように舞い、花粉や砂埃で汚れた空気を洗い落としていく。館の中を暗い影が覆った。怪しく光る無数の猫たちの目。とめどない雨音に交じって、水をはじく足音が館に近付いてくる。鈍く、不気味な唸りを響かせながら扉が開き、シングルチェアに座ったシルクの男は満足げに微笑んだ。

「待っていたよ。さあ、おいで。わたしの可愛い仔猫ちゃん」


(了)

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