レモネード1
自惚れているわけではなく、雅久が達也に何を言おうとしているのか察しはついていた。絶対待っていろと言われたのに、礼も言わずに黙って家を出たことに罪悪感はあるが、圭介と話がつかないままで雅久の話を聞くわけにいかなかった。何より自分が気持ちを抑えられる自信がない。雅久の真摯で誠実な物言いには動かされるものがある。雅久の本心を聞いたらまた流されてしまうだろう。圭介に見放されたとしても、自分の気持ちはまだ圭介にあるのだという意思を持たなければならなかった。
まだ職場にいるだろうと圭介の勤めるスポーツ用品店に向かった。店内に圭介の姿はなく、レジにいる中年の店員に行方を聞いた。
「白石さん? 今日は休み取ってるんですよ。わざわざ来て下さったのに申し訳ないね」
急ぎ足で出口へ向かうと、ひとりの少年とぶつかった。少年は勢いで尻餅をつき、持っていたシューズを落とした。
「ごめんね、大丈夫?」
「大丈夫!」
達也は少年が落としたシューズを拾って手渡した。随分と使い古したサッカー用のトレーニングシューズだった。
「ありがと!」
「サッカーしてるの?」
「うん、このあいだクラブに入ったんだ。まだ下手だけど」
「そうなんだ。シューズがだいぶ傷んでるみたいだから、もう長いのかと思ったよ」
「練習は人一倍してる」
「あんまり無理すると怪我しちゃいけないから、ほどほどにね」
「それ、前に店の人にも言われた」
レジにいた店員が「俺?」と割り込んだのを、少年は「違うよ」とあっさり言い捨てた。
「カンタマーレの選手だった人」
「け……白石と話したの!?」
「うん。スパイク買いに来た時、初心者のうちはトレーニングシューズにしろって。んで、白石は怪我してサッカーできなくなっちゃったから、お前も怪我には気を付けろよって」
「そう……」
「お兄ちゃん、よく白石のことだって分かったね。もしかしてファンなの?」
「大ファンだよ」
「へー、じゃあ、今日は白石に会いに来たの? 今日いる?」
「悪いな、坊主。白石は休みなんだ。なんか用だったのか?」
「新しいシューズを買おうと思って。白石にすぐボロボロになったの見てもらいたかっただけ」
「おじちゃんが新しいの探してやるよ」
店員と店へ向かう少年を見送る。呼び掛けると少年はきょとんとして振り返った。
「もし今度白石に会ったら、何か話したいことある?」
「別に話はないけど、いつか俺のサッカー見て欲しい」
「そう。頑張ってね」
微笑んだ少年の顔は、どことなく幼い頃の圭介に似ていた。
熱が下がったばかりで歩き回ったのが悪かったのか、怠さがぶり返した。残暑といえども皮膚に纏わりつくような蒸し暑さは重い体にこたえる。ようやくマンションに辿り着いた時にはとっくに陽が落ちていた。インターホンを鳴らすと数秒後に圭介がけだるそうに応答した。
「圭介、僕だよ。開けて」
『なんだよ、荷物でも取りに来たのか。あとで送っといてやるから帰れ』
一方的に切れたので、持っていた自分の鍵で勝手に開けた。恐る恐るリビングに入ると、圭介は達也を一瞥する。
「鍵、持ってたのか。さっさと荷物まとめて出てけよ」
「圭介」
「堤とヨロシクやってんだろ? お前の顔見るとあいつのこと思い出すから、引っ越しは一回で終わらせろ」
「……さっき圭介の職場に行ってきた。休みだったんだね。体調崩したりしてないの」
「ただの代休だよ」
「男の子に会ったよ。圭介にトレーニングシューズを選んでもらったっていう子」
圭介は覚えがあるらしく、黙り込んだ。
「すごくサッカーの練習頑張ってるみたいで、ボロボロになったトレーニングシューズを圭介に見せたかったみたい。……いつか圭介にサッカーを見て欲しいって言ってたよ」
「だから」
「圭介は嫌がるかもしれないけど、圭介はやっぱりサッカーに携わる仕事が向いてるって……思った……」
立ち眩みがして壁に寄りかかると、圭介が仕方なしといった様子で達也に近付いた。手の平を首に宛てる。
「お前が体調崩してんじゃねぇか。馬鹿か」
「圭介と話がしたい……」
「俺は話すことなんかないよ。寝て、熱が下がったら出てってくれ」
「圭介が出て行けって言うなら出て行く。迷惑なら顔も見せない。だけどせめて本心を聞かせて欲しい」
「言う必要もない。お前があと腐れなく堤と付き合いたいだけだろ」
「堤先生とは付き合ってない」
「せっかく文字通り、俺が背中を押してやったのにか」
「……けいすけ……なんで僕を……僕は圭介と一緒にいるって約束したのに……」
泣いても圭介には鬱陶しいだけなのに、ひとりでに涙が出て止まらない。泣き虫呼ばわりされたら熱のせいにするつもりだった。案の定、圭介は盛大な溜息をついた。
「……分かったから、座れ」
⇒
まだ職場にいるだろうと圭介の勤めるスポーツ用品店に向かった。店内に圭介の姿はなく、レジにいる中年の店員に行方を聞いた。
「白石さん? 今日は休み取ってるんですよ。わざわざ来て下さったのに申し訳ないね」
急ぎ足で出口へ向かうと、ひとりの少年とぶつかった。少年は勢いで尻餅をつき、持っていたシューズを落とした。
「ごめんね、大丈夫?」
「大丈夫!」
達也は少年が落としたシューズを拾って手渡した。随分と使い古したサッカー用のトレーニングシューズだった。
「ありがと!」
「サッカーしてるの?」
「うん、このあいだクラブに入ったんだ。まだ下手だけど」
「そうなんだ。シューズがだいぶ傷んでるみたいだから、もう長いのかと思ったよ」
「練習は人一倍してる」
「あんまり無理すると怪我しちゃいけないから、ほどほどにね」
「それ、前に店の人にも言われた」
レジにいた店員が「俺?」と割り込んだのを、少年は「違うよ」とあっさり言い捨てた。
「カンタマーレの選手だった人」
「け……白石と話したの!?」
「うん。スパイク買いに来た時、初心者のうちはトレーニングシューズにしろって。んで、白石は怪我してサッカーできなくなっちゃったから、お前も怪我には気を付けろよって」
「そう……」
「お兄ちゃん、よく白石のことだって分かったね。もしかしてファンなの?」
「大ファンだよ」
「へー、じゃあ、今日は白石に会いに来たの? 今日いる?」
「悪いな、坊主。白石は休みなんだ。なんか用だったのか?」
「新しいシューズを買おうと思って。白石にすぐボロボロになったの見てもらいたかっただけ」
「おじちゃんが新しいの探してやるよ」
店員と店へ向かう少年を見送る。呼び掛けると少年はきょとんとして振り返った。
「もし今度白石に会ったら、何か話したいことある?」
「別に話はないけど、いつか俺のサッカー見て欲しい」
「そう。頑張ってね」
微笑んだ少年の顔は、どことなく幼い頃の圭介に似ていた。
熱が下がったばかりで歩き回ったのが悪かったのか、怠さがぶり返した。残暑といえども皮膚に纏わりつくような蒸し暑さは重い体にこたえる。ようやくマンションに辿り着いた時にはとっくに陽が落ちていた。インターホンを鳴らすと数秒後に圭介がけだるそうに応答した。
「圭介、僕だよ。開けて」
『なんだよ、荷物でも取りに来たのか。あとで送っといてやるから帰れ』
一方的に切れたので、持っていた自分の鍵で勝手に開けた。恐る恐るリビングに入ると、圭介は達也を一瞥する。
「鍵、持ってたのか。さっさと荷物まとめて出てけよ」
「圭介」
「堤とヨロシクやってんだろ? お前の顔見るとあいつのこと思い出すから、引っ越しは一回で終わらせろ」
「……さっき圭介の職場に行ってきた。休みだったんだね。体調崩したりしてないの」
「ただの代休だよ」
「男の子に会ったよ。圭介にトレーニングシューズを選んでもらったっていう子」
圭介は覚えがあるらしく、黙り込んだ。
「すごくサッカーの練習頑張ってるみたいで、ボロボロになったトレーニングシューズを圭介に見せたかったみたい。……いつか圭介にサッカーを見て欲しいって言ってたよ」
「だから」
「圭介は嫌がるかもしれないけど、圭介はやっぱりサッカーに携わる仕事が向いてるって……思った……」
立ち眩みがして壁に寄りかかると、圭介が仕方なしといった様子で達也に近付いた。手の平を首に宛てる。
「お前が体調崩してんじゃねぇか。馬鹿か」
「圭介と話がしたい……」
「俺は話すことなんかないよ。寝て、熱が下がったら出てってくれ」
「圭介が出て行けって言うなら出て行く。迷惑なら顔も見せない。だけどせめて本心を聞かせて欲しい」
「言う必要もない。お前があと腐れなく堤と付き合いたいだけだろ」
「堤先生とは付き合ってない」
「せっかく文字通り、俺が背中を押してやったのにか」
「……けいすけ……なんで僕を……僕は圭介と一緒にいるって約束したのに……」
泣いても圭介には鬱陶しいだけなのに、ひとりでに涙が出て止まらない。泣き虫呼ばわりされたら熱のせいにするつもりだった。案の定、圭介は盛大な溜息をついた。
「……分かったから、座れ」
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