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すれ違い1

 雅久に付添われて念のため病院で診察を受けたが、擦り傷と軽い打撲で済んだらしく、数時間寝かされたあとに帰宅を認められた。
 達也は自宅へ帰ると言い張ったが、雅久はそれを許さなかった。圭介は故意に達也を突き落として怪我をさせ、圭介のほうから達也との関係に見切りをつけたのだ。あんな乱暴で一方的な男のもとに帰すわけにはいかないと思った。ほぼ無理やりな形で雅久のアパートへ招き、暫くそこで療養するよう勧めた。

 アパートへ着くなりベッドに寝かせ、雅久は気分が悪くないか、痛むところはないかと甲斐甲斐しく介抱する。天井を見つめたままの達也は、力なく「はい」と返事をするだけで、ぼんやりしている。やがて左目から涙をひと粒こぼすと、一気に泣きじゃくった。両腕で顔を隠し、歯を噛みしめて唇を震わせている。雅久は下手に慰めることもできずに恐る恐る髪を撫でた。

「……せんせい……圭介はなんで僕を……、僕は何か間違っていたんでしょうか……。僕は圭介の傍にいたいだけだったのに。小さい頃からずっと一緒にいたのに、僕の気持ちは彼には届いていなかったんでしょうか……。圭介は、僕をどう思ってたんでしょうか。ただの鬱陶しい幼馴染という認識でしかなかったのかもしれない」

「小野寺さんは間違ってない」

「じゃあ、なんで圭介は僕を突き放したんですか。僕は愛されていると勘違いしてたんでしょうか。僕は、彼の……なんだったんでしょうか……」

「……」

「教えて下さい……」

 それから達也は熱を出したこともあり、療養を込めて一週間ほど会社を休んだ。図々しく居座るわけにいかないと思いながらも、どんな顔で圭介に会えばいいのか分からなかったので都合は良かった。心苦しいのは達也が雅久の部屋にいることで雅久にまで仕事を休ませてしまったことだ。高熱に浮かされて意識がはっきりしない中で、雅久がクラブに電話をしているところを聞いてしまった。はっきりとは聞き取れなかったが、有給を使わせてくれと言っていたように思う。朦朧としながら、達也は雅久に「ごめんなさい」と何度も繰り返したが、雅久はそれを圭介へのうわ言と勘違いしたらしく、「小野寺さんは悪くない」と言いながら手を握ってくれた。散々振り回して迷惑をかけた挙句に寝床まで奪って、本来なら雅久にも顔向けできないはずなのに、雅久のそんな勘違いが嬉しかった。
 手を握られながら夢を見た。いじめられて泣いた小学生の頃、圭介にホットレモネードを出された寒い冬の日の夢だった。

 ***

「だいぶ休まりましたか?」

 達也の前に卵入りの粥を出す。達也は丁寧に両手を合わせて、少しずつ口に運んだ。頭の傷はすぐに良くなったが、熱だけが長引いた達也は食欲が湧かず、せっかく用意してくれたものを食べられずにいた。今食べている粥がようやくまともに食べられた食事だ。すっかり弱った胃腸には優しい味と食感だった。

「すみません、何から何まで……美味しいです、ありがとうございます」

「昨日、熱が下がったばかりなんだから、無理しないでまだ寝てて下さい」

「先生は甘やかしすぎだ。僕は優しくしてもらう資格のない人間なのに」

「人に優しくするのにも、されるのにも、資格なんていらないでしょ」 

 達也の食事風景を、雅久は頬杖をついて眺めていた。達也は見つめられることにも落ち着かないが、それより雅久の何かを待っているような視線が気になった。

「……聞かないんですか」

「何を?」

「僕と圭介のこととか……」

「俺から根掘り葉掘り聞くより、小野寺さんから話してくれるのを待ちます」

 含み笑いをして雅久を睨むと、雅久は決まりの悪そうに笑った。

「狡いですかね」

「僕のタイミングで話せってことですよね」

 暫く流れた沈黙のあいだに食べ終えて、薬を飲むと雅久はまだ寝ていろと達也をベッドに追いやった。

「でも、もう大丈夫です。食器くらい洗わせてください」

「駄目です」

 強引に寝かされて首までシーツを掛けられる。つくづく雅久の面倒見のよさには頭が下がる。そういえば何年か前に圭介が熱を出したことがあって、その時の達也も今の雅久のように看病した記憶がある。初めは素直に達也に従っていた圭介も、しまいには「ガキじゃないんだから、あっちに行ってろ」と鬱陶しがった。思い返せばいつもそうだった。最初は何も言わずに受け入れていても、最後には疎ましそうにする。あれもそれも、本当は全部煩わしかったのではないか。もしその時に気付いていれば、本音を聞いていれば、何か変わっていたかもしれない。達也は寝室を出ようとする雅久の背中を思わず呼び止めた。

「堤先生」

「はい」

「……と、隣にいてもらえませんか」

 雅久はすぐには動かず、意地悪げに言った。

「子守歌でも歌いましょうか?」

「やっぱり狡いですね……。そんな用事で呼ぶと思うんですか」

「期待して違ってたら恥ずかしいんで」

「……よくよく考えれば僕も先生に同じことしたんですよね。先生の話を聞かないで、一方的に突き放した」

 雅久は寝ている達也の隣に座り込んだ。

「でも、今こうやって俺を頼ってくれてるんで、それでいいです」

「……僕はずっと尽くし方を間違えていたのかもしれない。圭介に迷惑をかけることだけが嫌だったから、圭介に悩み事がありそうだなと思っても、そっとしておいたほうがいいだろうと何も聞かずにいたんです。僕も自分の悩み事とか相談したことない。表面上は上手くいっていたかもしれないけど、それが間違ってたんじゃないかなって。圭介から話してくれるまで待とう、圭介から聞いてくるまで待とう。全部人任せにしてきた」

「さっきの俺みたいですね」

「僕も狡いんです」

 同時にふ、と噴き出して、達也は続けた。

「だからあの日も、ちゃんと圭介の話を聞いていれば圭介は足を怪我せずに済んだかもしれない」

「あの日?」

 達也は、自分と圭介のことをひとつひとつ、全部話した。
 小学生の頃、マンションに越して初めて圭介を見た時の印象、同じ学年でありながら中々打ち解けられなかったこと、クラスメイトに水を掛けられた冬の日、圭介が助けてくれたこと。達也がレモネードを好んで飲むのは圭介が作ったレモネードが好きだったからだ。サッカーをしている圭介を遠目から眺めるのが楽しみだったこと。圭介が自暴自棄になった中学二年の冬に初めて関係を持った。

「僕はそれまで誰も好きになったことがなかったし、自分はれっきとした男なのに男である圭介に好意を抱くなんておかしいとも思いました。でも圭介はそれをもろともせず、あっさり僕を受け入れてくれた。大っぴらにできない関係ではあったけど、圭介とならずっと一緒にいられると思ってました。だけど、去年の秋……」

 なんの前触れもなかったように思う。事故に遭う一週間前に会った時は特に余所余所しい態度もなかった。なんの心構えもなく圭介の部屋を訪ねたところに衝撃的な光景を目にしたのだ。秋山のことも、のちに圭介からただのチームメイトだと教えられただけだ。

「随分昔の約束だけど、圭介は僕が傍にいてくれるなら誰ともしないと言った。確かに圭介はそれまで誰かと付き合ったことはないです。僕が知らないだけかもしれないけど。だから僕は圭介もその約束を覚えていてくれてるんだと思ってた。だけど圭介と秋山が裸でいる姿を見た時、圭介は心変わりしたんだと思ってショックだった。約束したのに、僕は変わらず好きなのに、裏切られたような気分でした。今になってセックスをしたからと言って心変わりしたとは限らないのに」

 信じていた恋人が他の人間とセックスをしたと知れば、誰だって腹を立てるし裏切られたと思うのは当然のことだ。雅久も翠が浮気したと聞いた時は翠の心はもう自分にはないのだと考えたものだ。雅久は達也の感情は正しいと挟みたかったが、達也が最後まで話しきるまで待つことにした。

「僕はその時に初めて圭介に怒りました。一体これはどういうことなんだって。秋山はただうろたえるだけだったし、圭介は少し焦ったようではあったけど、取り繕ったりしませんでした。頭にきていた僕はそのまま家を飛び出したんです。圭介が追いかけて来るのに気付いていたけど、僕は待たなかった。そして横断歩道に出た時、車にぶつかったんです」

「小野寺さんは大丈夫だったんですか?」

「はい。車は僕に向かってきていたんですけど、圭介が走ってきて庇ってくれたんです。……あの時は圭介が死んだかもしれないとすごく怖かった。今でも思い出すとぞっとする」

「でも白石さんが運動神経が良かったおかげで骨折で済んだし、小野寺さんが無事だった」

 達也は無言で頷いた。

「……けど、僕が圭介の呼びかけに止まっていれば圭介は事故に遭わなかったかもしれない。怪我せずに済んだかもしれない。……サッカーを辞めずに済んだかもしれない。そう思うと申し訳なくて」

 雅久が以前、達也が圭介に対して遠慮があると感じたのは、こういう理由だったのかと納得した。それでも雅久には達也のせいであるとは思わなかった。

「たぶん圭介は、秋山とのことを説明しようとしたんだと思います。もしかしたら、あれが圭介の本心を聞くチャンスだったのかもしれない。だけど僕はそれに気付かずに拒んだ。……後悔してます」

 達也はシーツを頭まで被った。顔を見られないようにしているが、体が震えている。小さく鼻をすすっていた。雅久はシーツの上から達也の頭を撫でる。

「小野寺さんは何も間違ってないし、悪くない。小野寺さんが白石さんの事故に罪悪感を持つ必要はない。おそらくですけど、白石さんは事故に遭わなくてもいずれサッカーを辞めていたと思います」

 シーツから目を赤くした達也が顔を半分だけ出した。

「……なんでそう思うんですか?」

「こういうのって第三者から見たほうが分かるんですよ。俺は小野寺さんや宮崎先生から白石さんの話を聞いて、わりと最初から白石さんは復帰する意志がないんだと思ってました。本当にサッカーをやりたいなら死ぬ気でリハビリするはずだし。だけど小野寺さんは白石さんに復帰して欲しそうだったから、白石さんもやりたくないとは言えなかったのかもしれない」

 達也は圭介がそこまでサッカーをやりたいわけじゃないと言っていたのを思い出した。復帰できる力があったとしても戻るつもりはないとはっきり言った。達也はあの時にそれを聞かされるまで、まったく考えもしなかった。けれども雅久はそれに早々に気付いていた。それほど自分は盲目になっていたのだろう。

「だから足が良くなっても、小野寺さんには言えなかった」

 達也はそれを聞いて眉をひそめた。

「なんでそれ、堤先生が知ってるんですか?」

「あー……、すみません。実は先日、白石さんを偶然河川敷で見かけたんです。少年サッカーを見てました。飛んできたボールを、支えなく左足を軸にして蹴ったのを見たんです。その時、知りました。……でも、本当はずっと前からそうじゃないかとは思ってました」

「え?」

「宮崎先生が言ってました。本当は普通に歩けるんじゃないかって。僕らは日々何人もの体を触ってますから、分かるんです。特に宮崎先生はベテランだし」

――別にいいんだ。最初からやる気ない人だったし、俺も正直、真剣にしようと思わなかった。でも俺、思うんだけど、あの人、本当は杖なんかなくても歩けるんじゃないかな。

「……僕だけが気付かなかったんだ……」

「それだけ白石さんのこと想ってたってことですよね」

 本当は圭介がサッカーをやりたくないのだとは思いたくなかった。小学生の頃に見ていたサッカーをしている時の圭介の姿を、今でもはっきり思い出せる。圭介はあのままでサッカーを好きなのだと信じていたかった。けれども雅久の意見を聞いて、圭介がサッカーをする姿を見ることはもうないのだと諦めざるを得なくなった。自分の中で溜め込んで大きく膨れあがっていた風船が割れたようだった。安心や寂しさや悲しみがどっと溢れる。

「圭介は少年サッカーを見ていたんですか」

「はい」

「少なくとも嫌いではないってことですよね」

「……そう思います」

「……僕、やっぱり圭介に会わなくちゃ。今度こそちゃんと話がしたい」

「会って、話をしたら……白石さんと話をしたあと、小野寺さんはどうするんですか?」

「どうって……」

「俺は、」

 雅久のスマートフォンが鳴っているのが聞こえた。雅久は無視しようとしたが、電話はなかなか鳴り止まない。達也に急かされて仕方なしに寝室を出た。


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