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圭介の葛藤1

『圭介へ

 元気にしてるか。交通事故に遭ってから足の調子が良くないと聞いたけど、具合はどうだ。もうサッカーをする気はないのか。足が本調子じゃないのなら、以前のようなプレーはできないかもしれないけど、それでも完全に離れなくてもいいんじゃないかと俺は思う。お前がサッカーを辞めてから、俺もサッカーを辞めた。お前のせいじゃないよ。前から俺は自分が選手向きじゃないと思ってた。実はジュニア向けのサッカー教室を開きたいと思ってる。でもひとりでは何かと大変で。単刀直入に言うとお前に手伝って欲しいんだ。返事はいつでも構わない。気が向いたら電話をしてくれ。……恋人とは上手くいってるのか。あの時は本当に悪かった。できれば昔のように良い友人でいたい。』


 差出人の名前は封筒にも手紙にも記されていないけれど、圭介には誰なのかは分かる。達也に読まれたくなくて一度は丸めてしまった皺だらけの手紙を、圭介は一日に一度は目を通している。差出人に未練があるからではない。今のなんの取柄もない、どうしようもない自分を変えるきっかけになるのではないかと、そんな少しの希望を持てるからだった。

 圭介がサッカーを始めたのは年長の頃。何か習い事をさせたいと考えていた両親がなんの下調べもなくサッカー教室に放り込んだのがきっかけだ。体を動かすことは好きだったし、習ってみると楽しいもので、圭介はすぐにサッカーに魅了された。

 ただ楽しいだけで続けてきたサッカー。けれどもジュニアからジュニアユースに上がるとそれだけでは駄目だと気付く。まだ十二、三の子どもでもはっきりとプロを目指す者はいて、志のある人間は成長も早かった。圭介は正直言って、その頃はプロになるつもりはなかった。なんとなく雰囲気に流されて自分もやらなければという気になっていただけだ。気ばかりが焦って体が追いつかずに膝を痛めた時、自分には才能はないのだと悟った。それについてはそれほどショックはなかったけれど、長年続けてきたサッカーを自分から取り上げると何もなくなる。辞めるべきか続けるべきかで悩んでいた中二の冬に、達也と関係を持ったのだった。

 ――サッカー、やめない? 約束だよ。――

 達也はサッカーをしている圭介に憧れているとしきりに言った。運動が苦手でこれと言って特技のない彼にとって、圭介のように夢中になれることがあるのが羨ましいのだとか。練習場にも現れては遠目から見学している姿を度々見かけた。自分を慕って尊敬してくれる達也に格好悪いところは見せたくない。圭介はどんなに練習が辛くてやめたいと思っても、達也にはそれを決して言わなかった。サッカーから離れる素振りをすると悲しそうな顔をする達也を見たくないからだった。

 高校生になってもサッカーは続けたが、クラブは辞めた。単純にジュニアユースからユースへの昇格が認められなかったのだ。それでも辞めるのは勿体ないという達也の励ましで、高校のサッカー部、大学のサッカー部と地道に続けた。

 自分にはサッカーしかない。自分を支えてくれるのは達也しかいない。サッカーを辞めたら達也はいなくなる。だからサッカーをするしかなかった。

 死に物狂いで練習をして試合ではそれなりに成績を残し、J2リーグのチームにスカウトされたのは本当に幸運だったと思う。サッカーチームに入ると知らせた時の達也は自分のことのように喜んだ。

 ――すごいよ、圭介。ずっと頑張ってきた甲斐があったよね。僕も嬉しい、本当に嬉しいよ。――

 ―――

「あのー、すみません」

 レジの前で頬杖をついてぼんやりしている圭介に一組の親子が声を掛けた。

「サッカーのスパイクを買いたいんですけど、どれがいいのか分からなくて」

 小学一年になるかならないかの子どもは目を輝かせて圭介を見ていた。圭介は頭をかきながらスパイクのある場所へ無言で案内した。

「どこでサッカーをするかで変わるんですよね。これから教室に通われるんですか?」

「はい。来月から小学校の運動場でするんです」

「ねー、この靴は? かっこよくない?」

 そう言って子どもが手に取った靴を見て、圭介は淡々と言った。

「それは体育館とかアスファルトで使うものなんだよ。スパイクはこれなんだけど、……お前、何歳?」

「六歳」

「それなら初心者だし、スパイクじゃなくてトレーニングシューズのほうがいい。運動場は地面が固いし急なストップやダッシュをすると足腰に負担が掛かる。トレシューなら足裏全面で体を支えられるから、負担も少ない」

「うーん、よく分からないけど……」

「イボイボがついてない、こっちのスマートな靴にしろってことだよ」

「じゃあ、これにする!」

 子どもはあっさりと圭介の勧めに乗った。母親のほうはぽかんとした表情で頷くだけだ。

「サッカーって、みんなスパイクしか履かないのだと思ってました」

「土の上でプレーするのと芝の上でプレーするのとは違うんです。このトレーニングシューズは土の上でも芝の上でも使えるし、小学校高学年の子でもほとんどがスパイクとトレシューを使い分けています。今はとりあえずトレシューだけでいいと思いますよ」

「そうなんですね。ありがとうございます」

 会計を済ませて、紙袋に真新しいシューズを入れて子どもに手渡した。子どもはさっきから圭介の顔を不思議そうに見ている。

「俺の顔になんか付いてるか?」

「おじさん、プロのサッカー選手じゃないの?」

 その質問に誰より驚いたのは圭介自身だ。目を大きくして固まってしまった。

「僕、カンタマーレの試合、何度か見たことあるよ。お父さんと一緒に。おじさんも出てたよね? 白石でしょ?」

「呼び捨てにするんじゃありません!」

 焦りながら頭を下げる母親を止めた。まさか自分のことを見ていてくれた人間がいるとは思わなかったので、圭介はつい笑みをこぼした。子どもは苦手だが、レジを出て少年の前にしゃがむ。

「知っててくれたのか、ありがとうよ」

「試合に出ないの?」

「俺はもうサッカー選手を辞めたんだ」

「どうして?」

「足を怪我したんだ。それで試合ができなくなった。お前も怪我には気を付けろよ」

「うん。……治ったら、またする?」

「俺はもうやらない。そのかわり、お前が強くなったら見に行ってやるよ」

 圭介は買ったばかりのトレーニングシューズを嬉しそうに振り回しながら帰って行く親子を、姿が見えなくなるまで見送った。

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