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一線2【R】

 木曜日の午後六時、いつもなら開始十分前にはコーチングルームに現れるはずの達也が十五分過ぎても来なかった。先日のことを考えると避けられて当然だが、「次は行きます」という言葉を信じたかった。落ち着かない気分でひとり部屋の中をウロウロして、六時半を指した頃、ドアが開いた。

「小野寺さん、よかった、来てくれて」

 俯いていた達也が顔を上げ、青白い顔で微笑する。

「あの、このあいだはすみませんでした」

 それだけ言うと達也は表情を曇らせた。話に出すのも拒まれているようだ。達也に会えたことは純粋に嬉しいが、こんな暗い顔を見たいわけじゃない。

「ど、どうかしましたか」

「来て早々なんですが……、僕、クラブ辞めます、ね」

 第一声が拒絶の言葉だった。雅久は動揺をあきらかにする。理由はやはりあの夜のことしか考えられない。恋人がいながらクラブのトレーナーと生徒という関係でしかない男に襲われたのだ。自分が達也だったら同じ行動に出るだろう。それでもすぐには受け入れ難かった。

「い、いつ」

「今日限りで……」

「俺の指導は、やっぱり……不満でしたか?」

 達也は慌てて否定する。

「それはないです。堤先生に色々教えていただいて、体は軽くなったし運動することが楽しいんだってことが分かりました。だけど、その……やっぱり、圭介が」

「……白石さんが……?」

「僕がいないと不安みたいで……」

 達也のこめかみに痣があるのを見た。薄くはなっているが、これはどう見てもキスマークではない。

「……白石さんに何か言われたんですか」

「何も……」

「これ、白石さんにやられたんですか?」

 痣を指すと達也は手で隠した。首を振って違うと言っているが、逆にそれが怪しい。

「殴られたんでしょう。なんでそんなに庇うんですか」

「これは僕が階段から落ちて勝手に怪我しただけです」

「小野寺さん、言ってましたよね。白石さんが何も話してくれなくて疲れてるって。それ、正直に話したんですか。白石さんは話してくれたんですか。どうしてリハビリを嫌がるのか、小野寺さんのことをどう思っているのか、ちゃんと聞きましたか?」

「……」

「俺は小野寺さんがクラブを辞めるのは認めません。それは小野寺さんの意志じゃない」

「そんな」

「時間がないから早く始めましょう」

 それでも達也は頑なに動こうとしない。圭介のためなら自分を犠牲にすることが当たり前とすら考えているかもしれない達也に、雅久はだんだん腹が立ってきた。そもそも雅久は圭介に対して良い印象はない。リハビリの担当変えを断られた時、目の前でわざとキスを見せつけられた時、雅久が出くわす彼はいつも挑発的だ。その上長年の恋人である達也を苦しめている。達也が誰よりも圭介を想っていることを知っているだけに、彼を粗末に扱う圭介が許せなかった。そんな圭介を庇い続ける達也も理解できない。雅久はふたりのあいだに割り込みたくなった。

「白石さんのために小野寺さんが我慢する必要はないじゃないですか」

「……我慢なんか、してない」

「どうしてそこまで白石さんに気を遣うんですか? 何年も一緒にいて、なんでそんなに遠慮するんですか。言いたいことがあるなら言えばいいし、聞けばいいでしょう」

「……堤先生には関係ない……」

「不本意なくせに!」

「堤先生がっ! あんなこと言うから!!」

 堰を切ったように叫び、達也はその場にうずくまった。

「先生が僕が先回りしすぎだって……僕から行動するのをやめろって……言うから、一度距離を置いてみたら圭介のことが分からなくなって、圭介もますます話さなくなって、今までどうやって接していたのかも思い出せなくなったんです!」

 小さくなって嗚咽を漏らしている達也は哀れだが、雅久は手を差し伸べなかった。

「俺のせいなんですね」

 達也の肩の震えが止まった。

「……分かりました。小野寺さんがそこまで言うなら、俺から受付に伝えておきます。今日もこれで終わりにしましょう」

 雅久は最後に、もう言うつもりはなかった言葉を付け足した。

「このあいだのこと、すみませんでした。小野寺さんと遊んだのが楽しくて、はしゃいでたんだと思います。それだけはごめんなさい」

「……」

「なんでかな、小野寺さん見てるとちょっと……切なく、なります」

 あと十五分もすれば終了時刻になる。「さようなら」と残して達也を通り過ぎて部屋を出ようとした時、達也が腕にしがみ付いてきた。

「ち、がう……ごめんなさい、先生は悪くない……。僕が悪いんです……」

 うるうると光る眼で見上げてくる。あくまで圭介のせいにはしないのがもどかしい。

「圭介には僕しかいないって分かってるのに、僕にも圭介しかいないのに、堤先生と一緒にいたら先生にどこまでも甘えてしまいそうで、それが嫌なんです。……このあいだのことがどうしても頭から離れなくて、思い出したら何も手につかなくなるんです。……先生は、こういうの迷惑、でしょう。……先生は僕と違って真っ当な人だから、僕みたいな人間とは一緒にいないほうがいいと……思って」

 心拍数が上がる。雅久は平静を装って立っているのが精一杯だった。「どういう意味ですか」と訊ねた声が裏返る。

「せ、先生のことばっかり考えて……しまう、んです」

 雅久はギュッと目を閉じて拳を握り締めた。唇を噛んで痛みを感じることで冷静を保とうとした。ここでまた判断を誤ると今度こそ後戻りできなくなる。出来心や欲求不満などと言って曖昧にしてきたものの正体を認めざるを得なくなるだろう。このまま達也を突き放せば正常な感覚を取り戻すのにそう時間はかからないはずだ。 

 ――ああ、でもやっぱり、この人を放っておきたくない!

 一瞬でもそう思ったが最後、雅久は達也を力いっぱい抱き締めた。コーチングルームの隣にあるシャワールームへと手を引き、一緒に個室に閉じ籠もるなり、降り注ぐ湯の中でしがみつくように抱き合った。達也を壁に押し付けて細い首を貪る。濡れたTシャツが透けて体のラインを明確にした。一度起きてしまった興奮を抑えることはできず、雅久はもうどうなっても構わないというつもりで、達也の体を隅々まで確かめた。Tシャツをめくり、胸の先に吸い付く。

「あんんっ、堤……せんせ」

 達也は他人に気付かれることを懸念して、慌てて口を塞いだ。それでも胸を吸われながら腰や太腿を愛撫されては覆った手の隙間から息が漏れる。ウェア越しに下半身を包まれた。ゆっくりした手つきで袋から先にかけて揉まれるとガクガク膝が震えだす。

「は……はぁ、あ……、だ、だめ……」

「可愛い……」

「う、うそだ……」

 雅久はこれまで至って普通の恋愛をしてきたはずだ。女を好きになって女と付き合い、結婚目前まで進んだこともある。そんな平凡な男が、男の体を触って楽しいわけがない。達也は与えられる心地よさに従順になりながらも、心の中では本気にしてはいけないと言い聞かせた。下着ごと膝まで下ろされる。欲望に忠実になった下半身を見られて雅久が引いているんじゃないだろうかと不安になった。そのくせ触れられるだけでいちいち敏感になってしまう。雅久は達也のものを見つめながら、親指で鈴口を撫でた。愛撫というより、触れることで形や機能を確認しているような、そんな弄り方だった。

「……そんなに見ないで……」

「あんまり綺麗な色なもんで……」

 今度は裏筋を強めに擦られた。指で輪を作って上下にスライドさせたかと思いきや、手の平で包み込む。拙くも丁寧で、優しい。

「ふ……ぅう、離して……」

「なんで?」

「出ちゃ……うっ、あ……あ、――……っ」

 たいして強く扱かれたわけでもないのに、あっという間に精を吐き出してしまった。雅久の手の平に溜まった白濁液が恥ずかしい。

「ごめんなさいっ」

「なんで謝るんですか? 気持ちよかったんでしょ? 嬉しいです」

「まずいな」と呟いて、雅久も自分のものを出した。前回はあまり見えなかったが、こうして向き合って見ると同じ雄とは思えないほど立派で、少し血管の浮いた猛々しさに生唾を飲んだ。雅久に抱き寄せられるとその硬くて熱いものが腹に当たった。シャワーの音に紛れて耳元で囁かれる。

「どこですか」

「……え……」

「小野寺さんが触って欲しいとこ」

「でも、でも……」

 躊躇っているあいだに雅久の手が達也の背中を這い、下に降りる。

「あぁ……だめ……です」

「教えて」

 ぞく、と鳥肌が立ち、熱さと暑さでクラクラする。口では駄目だと言いながらも体は早く欲しくて疼いている。達也は雅久の背中に両腕を回した。

「……後ろ……」

 雅久の指が双壁のあいだに侵入し、後孔を軽くさする。

「ここ?」

「……はぃ……」

 暫く入口を撫で、数ミリの出し入れを繰り返しながらじょじょに奥へ指が進んだ。

「あっ……はあっ、んん……」

 体内で雅久の指が蠢く度に脱力していく。達也は必死で雅久の体にしがみついた。

「どこが……いいですか」

「んん……もっと……奥、あっ、も、……いれ……てくださ、い」

 丁寧にしようと思っていたが、達也のほうからせがまれて、雅久は達也の片足を担ぐと待ち切れずに限界の近いそれで貫いた。同性の体を抱くなんてこれまで考えたこともなかったのに、きついくらいに締め付けてくるのが想像以上に気持ち良くて、すぐに持って行かれそうになった。焦らす余裕もなく、いきなり激しく突き上げる。どうしても洩れてしまう声を堪えようとする達也が愛しくてたまらない。頭はぼんやりしているのに体だけが本能に従っている。理性を失うとはこういうことを言うのもかもしれなかった。

「あっ……あん、せんせ……っ、もっと、ぁ……っ、だめ」

 欲しいと願ったり駄目だと拒んだり、達也も思考が定まっていないのだろう。一気に頂を目指し、最後に強く押し込んだ時、ほぼ同時に達した。雅久は達也の額に張り付いた黒髪を搔き上げ、顔を近付けた。唇を重ねそうになり、

 ――それだけは駄目です。――

 フラッシュバックに我を取り戻し、直前で止めた。代わりに耳や首筋にキスをする。
 越えてしまった一線、それでも越えてはいけない壁がある。


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