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違和感4

達也が向かったほうへ急ぐ。数十メートル先に達也の背中を見つけ、肩を掴んで振り向かせた。

「よかった、追いついた」

「堤先生、どうして」

「店で……あ、マロニエで……飲んでたら、……あーアイスレモネード飲んだんですけど、あんま美味しくなかったですね」

「はあ……」

「じゃなくて、店の中から小野寺さんが歩いてるの見かけたんで、追い掛けてきたんです」

「何か用事でも?」

 きょとんと冷静に聞かれては答えづらい。雅久が達也を追い掛けたのは衝動だった。必死で言い訳を探す。

「あっ、小野寺さんにタンブラーを返さないと、と思って」

「タンブラー? ……ああ、あれは差し上げたんです。どうぞ使って下さい」

「いや、それも悪いし」

「もしかして、持って来てるんですか?」

「ない、ですけど」

 噴き出して楽しそうに笑う達也を見ていると心が和む。

「急ぎますか? 俺のアパートが近いんです。タンブラー返したいし」

「いいですって。それに僕、あまり寄り道できないので」

 雅久は引き止めた以上、簡単に下がるのも格好がつかない気がして、何かないかと話題を探した。

「ちょっと聞きたいこともあるし。小野寺さんち、どっちですか?」

「そこの駅で電車に乗ります」

 駅までついて行くと言うと、不思議そうにされたが、駄目だとは言われなかった。

「堤先生、今、お仕事終わったんですか? お疲れ様です」

「小野寺さんも。いつもこの時間に終わるんですか?」

「定時は五時なんですけど、今日はちょっと長引いて。聞きたいことってなんですか?」

「えーと、白石さん、クラブ辞めたんですか?」

 達也は立ち止まって目を見開いた。どうやら初耳のようだ。

「今日、宮崎から辞めたって聞きました」

「あ、え、うそ、僕、知らない……」

 目を泳がせてうろたえているので、雅久は自分の口から聞かすべきではなかったかもしれないと後悔した。

「すみません、知らなかったんですか……」

「何も……」

 達也は俯いて考え込んだ。確かに圭介はここ最近クラブを休みがちだった。先週、休むと言って達也が代わりに電話をした時は、受付けの対応は変わらなかったので、辞めたとしたらここ数日のあいだの話だ。

 圭介はクラブが気に入らなかったのだろうか。宮崎と相性が悪かっただけなのか。どうして一言も相談してくれなかったのだろう。
雅久に「大丈夫ですか」と覗き込まれた。

「すみません、大丈夫……。いつですか? 辞めたの」

「詳しくは知らないです。俺は白石さんのことは知らないけど、小野寺さんが白石さんのことを心配されてたの知ってるんで、他人事とは思えなくてですね。出しゃばってすみません」

「……ありがとうございます」

「白石さんって、どんな方なんですか?」

「どんな……圭介は、……圭介は……僕も、分かりません」

「……」

 小さい頃から不愛想で、人付き合いが下手で、サッカーをしている時だけが楽しそうだった。とりわけ仲の良い人間はおらず、自分の欲求を発散するためだけの人間を何人か傍に置いていたくらいだ。サッカーのチームメイトとも衝突することが多く、独りよがりのプレーをしては監督に注意を受けていたのをよく見た。あまり愚痴や弱音を吐かなかったので、達也がその度に察して、あからさまな慰めはなくとも少し豪華な食事を用意したり、気分転換に旅行に誘ったりしたものだ。圭介はそれをどう思っていたのかは知らない。これといった言葉をもらったことがないので、特に有難くも嫌でもなかったのだろう。

「小野寺さんと白石さんって、いつからの付き合いなんですか?」

「初めて会ったのは小学生の頃で、付き合いだしたのは中学二年だったかな……。付き合うと言っても、学校では会話をしたことはないし、同じマンションに住んでたからお互いの部屋に行き来するくらいでした。休日に遊びに行ったこともほとんどない。そういう関係が高校卒業まで続きました」

「すごいな」

「大学も別に示し合わせたわけでなく、なんとなく同じ大学に入って、下宿先も近くで決めました。大学でも学部は違ったので学内では別行動だったし、圭介はサッカーを続けていたので中高生時代とそんなに変わりはなかった。……と、いうより、付き合っている、んでしょうか。それも怪しいです」

「え? だって一緒に住んでるんでしょ? それに、」

 キスしていたじゃないか、と危うく口にするところだった。達也は先を続けた。

「よくよく考えたら、好きだとか、付き合おうとか、そういう言葉ってなかったんですよね。僕も特に必要とは思ってませんでした。……でも、圭介は多くを語らなすぎる。僕が先に動いてあれはどうか、これはどうかと提案をして答えをもらうんです。リハビリだって僕がクラブを探して申し込んだ。圭介が自らこうしたいって言ったことはほとんどない。だから何を考えてるのか分からなくて。クラブを辞めたのも、なんで何も言ってくれないんだろう」

 駅に着いたが達也は構内に入る気配はなく、うなだれたまま佇んだ。背後からスピードを出した自転車が向かってきたので腕を引く。危ないからとベンチに促すと、達也は座り込むと同時に頭を抱えた。十年以上一緒にいて心の内を明かされないのは確かに寂しいことだ。達也も誰かに相談しようにも、圭介との関係を周囲に知られることを思えば簡単に打ち明けられなかったはずだ。雅久は元来、人の恋愛に口を出したいタチではないが、差し出がましい真似をした以上、放ってはおけず、自分なりに感じたことをそのまま伝えた。

「もしかしたら、小野寺さんが先回りしすぎているのかも」

少し目を赤くした達也が顔を上げた。

「白石さんがこうしたいと思っていることがあっても、小野寺さんが先々決めてしまって、自分の意見を言えずに流されているだけかもしれない」

「でも、僕が何もしなかったら、圭介も何もしないかもしれない」

「だから、小野寺さんから行動するのを少し控えたらどうでしょう。白石さんだって子どもじゃないんだから自分でなんとかできますよ。足の具合も心配かもしれませんが、いつまでも手を貸していたら甘えちゃうでしょ?」

 達也はそれに対して何も言わなかったが、表情を見ると思い当たる節がありそうだった。

「言われてみればお節介すぎたかもしれないです」

「信じてあげましょうよ。なんで辞めたかも話してくれると思いますよ」

「そうだといいんですけど」

 憔悴して丸くなっている達也の背中を、両肩を掴んで無理やり伸ばしてやった。「姿勢!」と声を大きくして背中をパン、と叩く。

「大丈夫!」

 達也は目を丸くして唖然としている。周囲の目も気にせず声を張ったことに多少おさまりの悪さはあるが、達也も気持ちの切り替えができたようで柔らかく微笑した。

「堤先生、優しいですね」

「騙されやすそうって言われます」

 達也の隣に腰を下ろして足組みをする。いつの間にか灯された外灯が夜の街と道行く人を照らす。仕事終わりのサラリーマン、塾帰りの学生。花時計の前で誰かを待っている女性。

「堤先生の恋人は幸せでしょうね」

「……恋人はいません。というか、先日フラれました」

 スーツの男が花時計の前で立っている女性に駆け寄った。

「小野寺さんと白石さんほどじゃないけど、けっこう長く付き合ってました。結婚するだろうと思ってたけど、プロポーズしてからフラれました」

 待ち合わせに遅れたことを責められたのか、スーツの男は彼女にペコペコと頭を下げている。

「理由は色々あるんですけどね。彼女は俺とは合わなかったらしい」

 ひとしきり頭を下げたあと、男女は腕を組んで楽しそうに連れ立って去った。どこか既視感を覚える光景だった。

「さっき騙されやすそうって言われるって言ったでしょ。それ彼女に言われたんです」

 笑い話のつもりで声色を明るくして言った。

「『いつかフリーのパーソナルトレーナーとして開業したいから、付いてきてくれないか』ってプロポーズしたんです。初めは受けてくれました。ああ、結婚するんだ、家庭を持つんだって嬉しかったですよ。でも後日、やっぱり結婚できないって。『優しすぎて騙されそうだから開業するのはやめたほうがいい』って。ひどい話でしょ。どんだけ信用ないんだよって思いましたね」

 ははは、と笑ったが、達也は僅かに口角を上げただけだった。

「でも俺はフリーで活躍して自分のやりたいことをできるところまでやりたい。現実的に場所を決めてたり、いつからって決まってないけど、三十までには独立したいですね」

 達也はそれにはただ黙って話を聞いていた。雅久は、他人の夢や恋人にフラれた経緯など聞いても面白くないだろうと分かっていたので無理に意見を求めたりしない。重苦しくならないように、あくまで明るく努めた。話に区切りがついたところで雅久の腹が鳴った。

「食べてないんですか?」

「はい。もう八時半ですね。小野寺さんもお腹減ったでしょう。引き止めてごめんなさい」

「いえ、堤先生から圭介のこと教えてもらえてよかったです」

 達也は「ちょっと待ってて下さい」と言い残し、駅のほうへ走って行った。およそ十五分後、片手に茶色の紙袋を提げて戻って来た。

「これ、どうぞ」

 軽い息切れとともに紙袋を渡される。アイスコーヒーとサンドイッチが二つ入っている。

「少しだけど、食べて下さい。そのサンドイッチ、僕もよく食べるんです。会社の昼休みとか帰り道で。夕食には足りないと思うので、ちゃんとした食事はあとで摂って下さいね」

「だって呼び止めたのは俺なのに」

「僕、堤先生が担当でよかったです。堤先生は確かに優しいけど、騙される人間ではないと思います。トレーナーとしての指導力の高さは勿論、周りに気を遣えて自分の意志がちゃんとしっかりある人だと思う」

「……」

「開業するのは大変かもしれないけど、いつか開業したら通いますよ。その辺のことは疎いんでそのくらいしか言えませんけど」

 達也は胸ポケットからペンと名刺を取り出し、電話番号を走り書きして雅久に渡した。

「もし、開業の時にいい場所が見つからなかったら、何か協力できるかもしれない。僕は経理課なんで直接物件を探したりはできないけど、グループ会社に不動産センターがあって、そこに同期がいるんで、役に立てるかも。何かあったらいつでも連絡下さい」

「……小野寺さんって、」

「あ、すみません、堤先生にまでえらそうにお節介を」

「いや、嬉しくてちょっと感動してます……」

「大袈裟ですよ」

 達也のスマートフォンが鳴り、応答した達也は幾分くだけた様子で「今から帰る」と言って電話を切った。相手は圭介らしい。何気ないやりとりを見て、本当に一緒に住んでいるのだなと少しだけ複雑になる。

「それじゃ、またクラブで」

 背を向けた達也の腕を思わず掴んだ。

「どうかしましたか」

 咄嗟の行動だったので、そう聞かれても雅久自身答えられない。ただ、達也が圭介の待つ家に帰るのだと思うと嫌だった。雅久は自分でもよく分からないまま、公衆の面前であるにも関わらず達也を胸に抱き入れた。唯一「失礼します」と言ったのが精一杯の配慮だ。

「つ、堤先生!?」

 驚いて離れようとする達也の肩をきつく抱く。耳元に頬を摺り寄せるとレモンの香りがする。それに交じって微かに汗の匂いがした。体を離すと雅久は「ありがとうございました」とだけ残して背を向けた。
 思いきり走って鼓動や呼吸を誤魔化したい。脳内で何度も蘇るあのシーンを打ち消したい。勝手に広がる妄想を止めたい。
 自宅まで走り切った雅久は息切れをしながらソファに倒れ込んだ。

「くそ、なんで……」

 男に欲情するなんて考えられないし、認めたくない。ただ羨ましいだけなのだ。長年連れ添った恋人と一緒にいる幸せが。食卓を囲んで、肩を並べて座って、ベッドで身を寄せ合う温かさが恋しいだけだ。

  翠が俺を振るから……、
  あの二人があんなところでキスしたりするから……、
  俺だけひとりじゃないか。
  俺だって誰か傍にいて欲しい!

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