朝倉 雄大 5
***
「―——それでは、本当にお世話になりました」
二ヵ月の研修が終わり、とうとう小児科を去る時が来た。あれだけ待ち侘びたのに、いざ終わるとなると寂しくなる。
病院の人たちは優しい人ばかりで、最後は小児科の医師も看護師もみんなが見送ってくれた。
「せっかく慣れてきたところだったのに、残念だわぁ。次の科でも頑張ってね」
「はい」
「いつでも戻って来いよ」
「それは分かりませんけどね」
そして最後は飯島先生が俺の前に立った。
「で、何科にするの?」
「外科です」
そこはやっぱり譲れない。理由が適当なものでも、外科医は俺の夢だったからだ。飯島先生は「ブレないね」と笑った。
「でも、先生からたくさん教わりました。子どもも苦手だったけど、たまに可愛いなって思うようになったし。飯島先生がオーベンでよかったです。俺、先生のこと忘れません……!」
なんて、ガラにもなく涙ぐみそうになったところ、
「あ、でもまたすぐ会えると思うよ」
と、言われて拍子抜け。
「へ?」
「僕、来月から大学病院に戻るんだ」
「ええ!? なんでですか!?」
「勉強不足だなって思ったから。会えたらまたよろしくね。小児科で」
「だから、小児科はないですって」
そして最後にしっかり握手をして、俺は病院を去ったのだった。
結局、飯島先生とはそれから一度も会っていない。小児科での研修を終えたあと、また別の科で研修をするために転々とし、そして研修が終わったあとは関東で就職が決まった。横浜にある医療センターだ。専門も違うし、住んでいるところも違うので今、どこで何をしているのかも知らない。だけどお互いが医師である限り、いつか会える日が来るだろうと思っている。
―——
「えーと、右肺の気胸か。部活中に突然痛くなったんだね。場所によっては手術になるけど、きみの場合はホースを入れられそうだから、暫く入院してそれで様子を診ましょう」
「入院っすか! 来月、大会があるのに!」
右胸に激痛と息苦しさを感じると言って、練習着のまま診察に来た高校生の男の子。付き添いの子は同じ部活の友人なのか、同じような練習着を着ていた。
「お母さんはいつ来るの?」
「もうすぐ来ると思います……。あ~あ、今日に限って顧問もいないし、最悪だよ……」
「何部?」
「バドミントンです」
付き添いの子が静かに言った。
「しょうがないよ。槙田は今は部活のことは忘れて、まず治すこと考えろよ」
「そうなんだけどさ……、平野とダブルスで出るの、初めてだったのに」
「春の新人戦で出ればいいじゃん」
青春だなぁ、なんて微笑ましくなる。
「それじゃ、お母さん来たら看護師さんから入院の手続きのこととか説明してもらってね」
「ありがとうございました」
ふたりが診察室の扉を開けた直後、母親がちょうど到着したらしかった。
「慎二! あんたって子はすぐトラブル起こすんだから!」
「トラブルじゃなくて病気! あいたたたたた!」
「お母さん、今、息子さんは肺が潰れてる状態ですから、呼吸するのも痛いはずですよ」
「まあ、そうなんですか……」
付き添いの子は「じゃあ、俺は帰るよ」と残して先に診察室を出ようとする。そして、
「梓くん、いつもありがとうね! 気を付けて帰るのよ」
―—「梓」?
「きみ!」
俺は勢いよく立ち上がって、無意識に彼を呼び止めてしまった。全員が目を丸くしている。
同じくきょとんとしている「梓」は、まっすぐ俺を見据えた。大きな目と白い肌の、とても綺麗な男の子だ。
―—綺麗な男なんか珍しくないし、「梓」って名前だって珍しくないし……。たまたま、かもしれないし。
「あの……き、きみは……きみも、……気を付けてね……。細いし……気胸は細身の男の子に多いから……ね」
「は、はぁ。気を付けます。……では」
「梓」はゆっくり扉を閉め、そして去った。
「先生、息子はどんな状態なんですか?」
「ああ、肺気胸って言って、肺の一部が破れて空気が漏れちゃう病気なんですけど、若い男の子によくあるもので――……」
―—まあ、いいか。
友達が入院しているあいだは、見舞いに来ることがあるだろう。もしまた偶然会えたら、ちょっとだけ聞いてみようか。
「飯島って小児科医、知ってる?」って。
もし「知っている」と答えたら、お世話になった先生なんだって教えてあげよう。
そしていつか飯島先生に会うことがあったら、伝えるんだ。
「梓くん、とても元気そうでしたよ」って。
END
「―——それでは、本当にお世話になりました」
二ヵ月の研修が終わり、とうとう小児科を去る時が来た。あれだけ待ち侘びたのに、いざ終わるとなると寂しくなる。
病院の人たちは優しい人ばかりで、最後は小児科の医師も看護師もみんなが見送ってくれた。
「せっかく慣れてきたところだったのに、残念だわぁ。次の科でも頑張ってね」
「はい」
「いつでも戻って来いよ」
「それは分かりませんけどね」
そして最後は飯島先生が俺の前に立った。
「で、何科にするの?」
「外科です」
そこはやっぱり譲れない。理由が適当なものでも、外科医は俺の夢だったからだ。飯島先生は「ブレないね」と笑った。
「でも、先生からたくさん教わりました。子どもも苦手だったけど、たまに可愛いなって思うようになったし。飯島先生がオーベンでよかったです。俺、先生のこと忘れません……!」
なんて、ガラにもなく涙ぐみそうになったところ、
「あ、でもまたすぐ会えると思うよ」
と、言われて拍子抜け。
「へ?」
「僕、来月から大学病院に戻るんだ」
「ええ!? なんでですか!?」
「勉強不足だなって思ったから。会えたらまたよろしくね。小児科で」
「だから、小児科はないですって」
そして最後にしっかり握手をして、俺は病院を去ったのだった。
結局、飯島先生とはそれから一度も会っていない。小児科での研修を終えたあと、また別の科で研修をするために転々とし、そして研修が終わったあとは関東で就職が決まった。横浜にある医療センターだ。専門も違うし、住んでいるところも違うので今、どこで何をしているのかも知らない。だけどお互いが医師である限り、いつか会える日が来るだろうと思っている。
―——
「えーと、右肺の気胸か。部活中に突然痛くなったんだね。場所によっては手術になるけど、きみの場合はホースを入れられそうだから、暫く入院してそれで様子を診ましょう」
「入院っすか! 来月、大会があるのに!」
右胸に激痛と息苦しさを感じると言って、練習着のまま診察に来た高校生の男の子。付き添いの子は同じ部活の友人なのか、同じような練習着を着ていた。
「お母さんはいつ来るの?」
「もうすぐ来ると思います……。あ~あ、今日に限って顧問もいないし、最悪だよ……」
「何部?」
「バドミントンです」
付き添いの子が静かに言った。
「しょうがないよ。槙田は今は部活のことは忘れて、まず治すこと考えろよ」
「そうなんだけどさ……、平野とダブルスで出るの、初めてだったのに」
「春の新人戦で出ればいいじゃん」
青春だなぁ、なんて微笑ましくなる。
「それじゃ、お母さん来たら看護師さんから入院の手続きのこととか説明してもらってね」
「ありがとうございました」
ふたりが診察室の扉を開けた直後、母親がちょうど到着したらしかった。
「慎二! あんたって子はすぐトラブル起こすんだから!」
「トラブルじゃなくて病気! あいたたたたた!」
「お母さん、今、息子さんは肺が潰れてる状態ですから、呼吸するのも痛いはずですよ」
「まあ、そうなんですか……」
付き添いの子は「じゃあ、俺は帰るよ」と残して先に診察室を出ようとする。そして、
「梓くん、いつもありがとうね! 気を付けて帰るのよ」
―—「梓」?
「きみ!」
俺は勢いよく立ち上がって、無意識に彼を呼び止めてしまった。全員が目を丸くしている。
同じくきょとんとしている「梓」は、まっすぐ俺を見据えた。大きな目と白い肌の、とても綺麗な男の子だ。
―—綺麗な男なんか珍しくないし、「梓」って名前だって珍しくないし……。たまたま、かもしれないし。
「あの……き、きみは……きみも、……気を付けてね……。細いし……気胸は細身の男の子に多いから……ね」
「は、はぁ。気を付けます。……では」
「梓」はゆっくり扉を閉め、そして去った。
「先生、息子はどんな状態なんですか?」
「ああ、肺気胸って言って、肺の一部が破れて空気が漏れちゃう病気なんですけど、若い男の子によくあるもので――……」
―—まあ、いいか。
友達が入院しているあいだは、見舞いに来ることがあるだろう。もしまた偶然会えたら、ちょっとだけ聞いてみようか。
「飯島って小児科医、知ってる?」って。
もし「知っている」と答えたら、お世話になった先生なんだって教えてあげよう。
そしていつか飯島先生に会うことがあったら、伝えるんだ。
「梓くん、とても元気そうでしたよ」って。
END
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