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朝倉 雄大4

***

「あったま痛ぇ……」

 調子に乗って飲み過ぎて、結局明け方まで酒が抜けなかった。顔の赤みが引いて足取りがしっかりしてきたのは、つい二時間ほど前からだ。でもまだ頭痛が残っている。

「おはようございます、朝倉先生。昨日はありがとう」

 後ろからポン、と背中を叩かれた。いつもの爽やか笑顔の飯島先生だ。スイッチはバッチリ、オンに切り替わっている。飯島先生もけっこう飲んでいたような気がするけど、少しも酒が残っている気配はない。もしかして俺より強いんじゃないだろうか。

 挨拶するタイミングを逃してしまった。俺は焼き鳥屋で話した内容を先生は覚えているのだろうかと考えながら、颯爽と歩く飯島先生のあとを追った。

 まあ、あれだ。意外な一面を見て親近感は確かに湧いたけど、まだ飯島先生を認めたわけじゃない。し、俺も認められているとは思わない。
 研修が終わるまでに先生の口から色々と話を聞きだしてやる。特にロリコン説はいいネタになりそうだ。

「飯島先生、山本ゆうきくん、昨日も不眠だったようです」

「ちょっと見てくるよ。朝倉先生」

「あ、はい」

「今から外来、お願いします」

「え? ひとりで……?」

「すぐ戻るから。朝倉先生なら大丈夫。お願いしますね」

 そして飯島先生はいとも簡単に俺に丸投げして、すたこらと病棟に行ってしまった。
 
 とはいえ、なんとかなるだろう。今日の外来は少なそうだし、症状的にいつも似たようなのが多いし、所見はいつも飯島先生と同じだ。落ち着いてやれば俺だってできる。
 診療時間になって、さっそく患児が入ってきた。大体はどの子も同じだ。ウイルス性の感染症か、ただの上気道炎、乳児だと湿疹や便秘。病名さえ分かれば楽勝だ。
 二時間ほど経った頃だ。ひと組の親子が診察に現れた。母親のほうはひどく心配そうな顔つきだ。

「息子の熱が下がらないんです。咳もひどいし、すごく苦しそうで……」

もうすぐ四歳になるというその男の子は、確かに咳がひどくて顔色もすこぶる悪い。

「熱はいつから?」

「数日前です。咳はもう少し前だったと思います。別の小児科で抗生物質と咳止めをもらったんですが、効かないんです」

 初めの診断では気管支炎と言われたらしいが、効果はなし。喘息……と思ったけど、聴診ではこれといって異常もない。喉は腫れてないし。
 念のため血液検査をしてみると白血球の数値が高く、なにかしら炎症が起きていることは確かだが、その他の異常が見当たらない。

「あっ、そうだ」

 何度も申し訳ないと謝って、今度はレントゲンを撮ってきてもらった。暫くして写真が届き、俺は自信満々にレントゲン写真を広げる。……が、

「あれ!?」

 写真には何も写っていない。気管支炎ではあるけど、それだけだ。俺の予想では絶対に異物があると思っていたので、異物でもないとなるともう分からない。
 母親はずっと不安そうな顔つきだし、子どもも相変わらず辛そうだし、どうにかここで原因を突き止めたいところなのに。俺はレントゲンを眺めたまま硬直して、頭の中で必死に考えていた。手の平には汗がびっしょりだし、心臓はドキドキしてるし、こっちが倒れたい。その時だ。

「惜しい」

 いつの間に戻っていたのか、すぐ後ろで、飯島先生の声がした。俺に変わって先生が母親に訊ねる。

「咳が出る前に、何か食べましたか?」

「え……」

「ご飯の時や、おやつの時、テーブルの上にお菓子を置いたままにしていたとか」

「…………あっ、ピーナッツ!」

「それです。たぶん、気管の奥にピーナッツが詰まったままになってるんでしょう。ピーナッツの溶けた油分でただれて炎症が起きてるんです。ピーナッツは全身麻酔してカテーテルで取らないといけないので、行ったり来たりで申し訳ないけど、外科に行って下さい」

 診断を確実にするためにCTを撮ったら、今度はちゃんと写っていた。さらにファイバースコープで直接口の中を確認したら、ふにゃふにゃになったピーナッツが詰まっている。外科に転科した患児は、その後無事にピーナッツを摘出されたらしい。

 俺はがっくりと肩を落として、医局のデスクに突っ伏した。

「あ~~忘れてた。ピーナッツはレントゲンに写りにくいんだった……」

 飯島先生が笑いながら言う。

「あと一息だったね。でもこれで今度またピーナッツ詰まらせた子が来たらすぐ対処できるでしょう」

「そうなんですけどね」

「やっぱり朝倉先生、落ち着いてますよ。まあ、今回は問診が足りなかったね」

 ちょうど昼休憩に入ったので、飯島先生は売店で買って来たというパンを持って医局を出て行った。俺はなんとなく追い掛けて、何を思ってか「一緒に食べていいか」と聞いてみた。驚いた目をしていたが、すぐに笑って「いいよ」と返してくれる。
 寒くて風が強かったけど、天気がいいからと屋上へ行った。上着を着ているとはいえ、なんで冬に外で食べなきゃいけないんだ。やっぱり引き止めなければよかった。

「あー、気持ちいい。仕事中は暑いからさ」

「暑いですか?」

「暑いですよ」

 それだけ一生懸命仕事している、ということなのかもしれないが。
 俺たちはベンチに腰掛けて、一緒にパンを頬張った。なんだかものすごく異様な光景に思える。噛り付いたアンパンが美味しくて、パンはパンでもアンパンとカレーパンはやっぱり違うよな、なんて考えた。

「……さっき、病棟行ったでしょ、僕」

「え? はい」

 飯島先生がおもむろに話し始めた。

「ゆうきくんっていう中学二年生の男の子なんだけどね。起立性調節障害で二週間前から入院してるんだ。最近は不眠みたいで。僕が研修医だった頃さ、同じ起立性調節障害で入院してた高校生がいたんだけど、その子は鬱病になって、精神科に転科したあと自殺したんだよね。思えばあれが俺が医者になって初めて受けたショックだったかなぁ」

「……」

「でも、それがあったから今ではすっかり得意分野になりつつあるんだけど」

 チラッと横目で見られて、俺はすぐさま「小児科医にはなりませんよ」と答えた。
 飯島先生は「やっぱり駄目かァ」と笑っている。そして俺は自ら聞いてしまった。

「虐待で亡くなった子のことは……?」

 先生の表情が少しだけ曇る。やはり先生にとっては辛かったことなのだろう。それでも聞いてしまった以上、あとに引けなかった。

「上田さんに聞いたんです。虐待されていた子のこと。結局、亡くなってしまったそうですけど……。先生が触診も問診も丁寧なのは、その子のことがあってからですか?」

「あれはね……どっちかというと、その子が亡くなったことがショックだったというより、自分がいかに驕っていたかを思い知って、それがショックだったんだよ」

「驕ってたんですか?」

 そして飯島先生は、ぽつりぽつりと、その時のことを話してくれた。

 虐待の疑いがある子は今までにもいたが、大体は児相に任せるばかりだったらしい。例の男の子も、定期的な児相の訪問と飯島先生の診察もあったから、正直頭のどこかで大丈夫だろうと油断していた部分があったのだとか。
 だけど、結局、自分が子どもの「助けて欲しい」というサインを見逃してしまったこと、診察のキャンセルの理由を深く考えなかったこと、……命を救えなかったという最悪の形になって初めて、自分の意識が甘かったのだと痛感したんだ、って。

「俺が丁寧な診察を心掛けてるのは、患児のため……っていうのもあるけど、そうすることで、その時のことを忘れないようにしてるだけなんだよね」

「でも、それでも……立派だと……思います」

「立派じゃないよ、だってもうひとりいるんだもん。守り切れなかった子」

「え?」

「両親が離婚して、アル中の父親に引き取られた高校生の男の子だった」

「アル中の? 母親は?」

「……小さい頃から両親の愛情をあまり受けたことがないんだ、その子は。母親は娘のほうは可愛がってたけど、息子のことには無関心だったから、父親がアル中だろうがなんだろうが気にならなかったんだろう。息子……梓っていうんだけど、梓はアル中の父親から暴力を受けて、体にいっぱい傷を作って、その日その日をなんとか生きていた。母親と妹とは離れてからも定期的に会っていたらしいけど、母親は梓と会うことを喜んでなかった。だから彼の唯一の心の拠り所は年の離れた、たった三歳の妹だけ。父親からも母親からも疎ましがられて、孤独な中で妹だけが梓に懐いていたんだ」

 その「梓」という高校生の子のことを話す飯島先生は、寂しそうというか悲しそうというか、それでいてとても優しい顔をしていた。

「初めて彼を見た時、ぎょっとしたんだ。ものすごく綺麗な子だなっていうのと同時に、
『あ、目が死んでる』って。体に傷があったのを見つけた時は『絶対そうだ』って確信して、それからどうにも気になっちゃってね。まあ、うざがられながらもお節介したもんだ。おかげで少しずつ心を開いてくれるようにはなったけど、その分、辛いことも見えてきた」

 「梓」が受けたのは父親からの暴力だけではなかった。母親からの心無い言葉、学校や他の場所での性的虐待。親しくなればなるほど、想像もつかなかった事実を知った飯島先生は、

「俺が助けてあげたいなぁって思ったんだよね。……医師としてじゃなくて、ひとりの人間として」

 ここまで聞いて俺は分かってしまった。焼き鳥屋で先生が言っていた「すっごい可愛いけど、生意気で口が悪くてよく泣く高校生」は「梓」のことなんだな、と。

そして飯島先生の「大事な人」。

 色々と突っ込みたいところはあるけれど、気付けば俺は飯島先生の話を真剣に聞いていた。

「梓と出会った頃は、ちょうど虐待されていた子を診ていた頃と被ってたから、二人を重ねて見てたところもあるんだよね。だから男の子が亡くなった時は、いつか梓もこうなるんじゃないか、とか、もっと気付かなきゃいけないサインがあるんじゃないかとか、……絶対同じ道に行かせたくないなって思った。それでも俺は分かってなかったんだよ」

 彼らが本当に欲しいのは、なによりも「親」からの愛情。心底嫌うことはできない。

「梓の口から『あんなのでも親だから』って聞いた時は、なんかもう切なくって。いくら親でもそれだけひどいことされたら嫌うだろうって思い込んでたから、俺は理解してるつもりで理解できてないんだろうなってね。今度こそ俺が守ってやろう、この子の逃げ場になってやろうって決めた時だよ。『いつまでも守ってもらうのは嫌だ』って言って、横浜に行っちゃった」

 飯島先生は「はー」と溜息をついて、がっくりと項垂れた。まるでフラれた男が未練がましく思い続けている、みたいな。

 実際、そうなんだろうが。

「自分が情けないよ。だからせめて、あいつが言った『俺みたいな奴を救ってやれ』って言葉には応えようかなと。それが今の俺にできることだから、純粋に患児のためってわけじゃない」

 すると今度はこちらに振り返って、「どう?」と明るく聞いてくる。

「な、なにがですか?」

「朝倉くんの知りたいことは大体話せたかな。冷静沈着でストレスフリーで遠回しに説教くさい俺のそんな情けない一面を知った感想は?」

 聞かれていたのか! と、一気に血の気が引いた。俺が飯島先生を認めていなかったことも、不満タラタラだったのも、飯島先生の過去をネタにしようとした俺の思惑も、全部見抜かれていたのだ。けれど飯島先生は決してそれを責めているわけじゃない。ちょっと生意気な研修医に灸をすえるためにわざと掛かってやったというところか。

「色々と不躾で……ほんとすみませんでした……」

「いいんだよ。そういう時期も大事だからね」

「あの……でも、これだけ言わせてください。その、梓……くんは、飯島先生に助けられて守られていたことをちゃんと感じていたと思います。『いつまでも守られたくない』って、そういうことでしょ? ひとりで生きて行こうって思えるくらい、充分な愛情を先生から受けたから、別れる決心をしたんだと思います。飯島先生は、梓くんを守り切ったと思うし……先生じゃなければ、彼を守れなかったと……俺は思います。だから……その……なんていうか、」

 「元気出して下さい」でもない、「頑張って下さい」でもない、「尊敬しています」でもない。もっと相応しい言葉はないだろうか。

「好きです!」

「ん?」

「あああ好きですって、そういう意味じゃなくて、なんていうか、親近感、じゃなくて、共感っていうか、うーん! とにかく、今のちょっと情けない飯島先生は人間らしくて好きです!」

 沈黙ができてしまった。思いっきり失敗した……死にたい。逃げ出そうかと思った時、飯島先生は声を出して笑った。あんまり楽しそうに笑うのでつられて笑ってしまう。

「ああ、久しぶりに笑った。俺も朝倉くん好きだよ。聞いてくれてありがとう」

 どういうわけか、かあっと顔が熱くなる。社交辞令だろうが、後輩としてだろうが、好きだと言われて嬉しくない人間はいない。この時点で俺の中での飯島先生のイメージは完全に変わっていた。
 飯島先生は仕事熱心だけど、不器用でしたたかで純粋。なんだかとても愛おしい人だ。

 先生は「梓」のことを、もっと別の次元で愛しているんだろう。そりゃあ、色々とまだ聞いてみたいことはあるけど、それはもうやめておく。先生の聖域だから。

「戻ろうか」と立ち上がった時にはスイッチはオンになっていて、「朝倉先生」「僕」という呼び方に変わっていた。最後にひとつだけ聞いてみた。

「俺なんかに簡単に話してよかったんですか?」

「きみのことは信用してるからね、最初から」

「なんでですか?」

「僕の後輩だから」

 なんて、「根拠のない理由にもひそかに嬉しくなる自分がいるのだった。


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