朝倉 雄大3
―――
まさか飯島先生と二人きりでメシを食うことになるなんて、考えたこともなかった。
せっかく今日はひとりでのんびりしようと思ってたのに、ツイてない。
ただ、飯島先生のチョイスだから勝手に小洒落たイタリアンとかフレンチとかバーとかかと思いきや、煙草臭いボロい焼き鳥屋だったので胸を撫で下ろした。少し意外だが。
座敷の席に向かい合って腰を下ろすと、先生は「なんでも頼んでいいよ」と、勤務中より明るめの声で言った。オンからオフにスイッチが一瞬で切り替わった瞬間を見た。
「じゃ、じゃあ、生」
「生ふたつお願いします」
店員の「っざーす!」という野太い声がまた飯島先生には不釣り合いに思える。
「飯島先生、こういう店よく来るんですか? なんか意外ですね。高級レストランのイメージがあるので」
「いやいや、そんなの堅苦しくて苦手だよ。ここの焼き鳥、好きなんだ。ほらほら頼んでいいよ。今夜は無礼講だよ」
「ぶ、無礼講って」
やはりオフの時は雰囲気がまるで違うので調子が狂う。ダン、ダン! と置かれた生ビールにビクッとした。そして飯島先生は陽気な笑顔で「かんぱーい」とグラスを合わせて、ひとりで飲み始める。
「く、口止め料ですか」
と、つい失礼なことを口走った。「違うよ」とでも言うのかと思いきや、サラリと肯定した。
「それもあるね」
「も、ですか」
「朝倉先生とは、一度ちゃんと話してみたいと思ってたからね」
「……俺、なんかしましたか」
「いや。仕事は真面目にしてくれてるし、ミスも少なくて判断力もある。肝が据わってる。その歳でその落ち着きはすごいなって思ってるよ。ただね、めんどくさいって態度が隠せてないんだ」
心当たりがあるので反論できない。なるべく出さないようにしたつもりだが、やっぱり気付かないうちに出ていたのだろう。口にはしなくても、表情とか。
「大人でも、いくら腕のいい先生でも気持ちが通じない先生に看てもらうの嫌じゃない? 子どもは敏感だからね。大人以上に。めんどくさいだろうけど、そこはもうちょっと気を付けてみてよ」
「……はあ、スミマセンでした」
心から言えなかった。分かってはいても、やっぱり面倒だし、こんなところでまで説教されたくない。
「ま、あとは困ったことがあったら、なんでも聞いてね。僕じゃなくても、他の先生でも。それだけ」
「はあ」
そのあとは先生が適当に選んだものを勧められるがままに食べた。もっと会話に困るんじゃないかと思っていたが、そんな心配は皆無のようで、飯島先生は自分のこれまでの失敗談や体験談を面白おかしく喋っていた。俺はそれに「へー」とか「なるほど」とか当たり障りなく反応するだけだったが、退屈はしなかった。
そのうち看護師から聞いた虐待で亡くなった子のことも話してくれるかと待っていたが、その話だけはいつまで経っても出てこなかった。
オフの飯島先生は本当に別人のようで、適度に冗談も言うし、愚痴とまではいかなくても共感を覚える程度の弱音も吐いたりする。
冷静沈着でクールで高飛車という俺の中の勝手なイメージは崩れつつあった。
ふたりともだいぶ酔いが回ってきたころ、俺は「無礼講」という言葉に甘えて聞いてみた。
「飯島先生って、もしかして彼女いるんですか? 中村さん、めっちゃ美人なのにサクッと断ってたから」
「いないよ。でもいるんだ」
なにを言っているんだ、この人は。
「彼女はいない。付き合ってる人も……たぶん、いない。でも大事な人はいる……」
先生の目がとろんと座っているので、かなり酔っているらしい。酒には強い俺は泥酔した振りして色々聞いてやろうと試みた。
「大事な人って好きな人? もしかして職場じゃないっすよねぇ」
「高校生」
思いっきりビールを噴き出したのは言うまでもない。
酔っているとはいえ衝撃の事実だ。
「こ、高校生!???」
飯島先生は机にコテンと頭を預けた。眠いのだろうか。
「すっごい可愛いんだ……」
「は、はあ」
「可愛いんだけど、すっごい生意気だし口は悪いし、素直じゃないし、よく泣くんだ」
「……ツンデレってやつですかね」
「デレなんてほとんどないよ、ツンだよツン」
いきなり怒り出すのも酔っている証拠だ。俺は見ていてなんだか面白くなった。
「見てみたいなぁ~、どこの高校なんすか」
「さあ、どこだろう」
まさかバーチャルじゃないだろうな。
「いきなりサヨウナラされて、今はどこの高校にいるのか知らない。たぶん横浜。……心配なんだ、ひとりぼっちで知らない土地でちゃんと友達作ってやっていけてるのかなって。誰かあいつの味方になってくれる人がちゃんといてくれたらいいなってね」
「……」
「……風邪引いたら、すぐ扁桃腺やられる奴だから、……ひとりで病院いけるかな」
「心配しすぎでしょ」
「あの子のトラウマ治してやるのは、俺でありたかったな……」
飯島先生はそこで眠ってしまった。叩き起こして話を根掘り葉掘り聞いてみたいところだが、無防備な寝息に親近感が湧いて、暫く居眠りに付き合うことにした。プライベートでは「俺」って言うんだな、なんてそんな些細なところも斬新に思えた。
寝ている人間の横で飲むビールも悪くない。
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まさか飯島先生と二人きりでメシを食うことになるなんて、考えたこともなかった。
せっかく今日はひとりでのんびりしようと思ってたのに、ツイてない。
ただ、飯島先生のチョイスだから勝手に小洒落たイタリアンとかフレンチとかバーとかかと思いきや、煙草臭いボロい焼き鳥屋だったので胸を撫で下ろした。少し意外だが。
座敷の席に向かい合って腰を下ろすと、先生は「なんでも頼んでいいよ」と、勤務中より明るめの声で言った。オンからオフにスイッチが一瞬で切り替わった瞬間を見た。
「じゃ、じゃあ、生」
「生ふたつお願いします」
店員の「っざーす!」という野太い声がまた飯島先生には不釣り合いに思える。
「飯島先生、こういう店よく来るんですか? なんか意外ですね。高級レストランのイメージがあるので」
「いやいや、そんなの堅苦しくて苦手だよ。ここの焼き鳥、好きなんだ。ほらほら頼んでいいよ。今夜は無礼講だよ」
「ぶ、無礼講って」
やはりオフの時は雰囲気がまるで違うので調子が狂う。ダン、ダン! と置かれた生ビールにビクッとした。そして飯島先生は陽気な笑顔で「かんぱーい」とグラスを合わせて、ひとりで飲み始める。
「く、口止め料ですか」
と、つい失礼なことを口走った。「違うよ」とでも言うのかと思いきや、サラリと肯定した。
「それもあるね」
「も、ですか」
「朝倉先生とは、一度ちゃんと話してみたいと思ってたからね」
「……俺、なんかしましたか」
「いや。仕事は真面目にしてくれてるし、ミスも少なくて判断力もある。肝が据わってる。その歳でその落ち着きはすごいなって思ってるよ。ただね、めんどくさいって態度が隠せてないんだ」
心当たりがあるので反論できない。なるべく出さないようにしたつもりだが、やっぱり気付かないうちに出ていたのだろう。口にはしなくても、表情とか。
「大人でも、いくら腕のいい先生でも気持ちが通じない先生に看てもらうの嫌じゃない? 子どもは敏感だからね。大人以上に。めんどくさいだろうけど、そこはもうちょっと気を付けてみてよ」
「……はあ、スミマセンでした」
心から言えなかった。分かってはいても、やっぱり面倒だし、こんなところでまで説教されたくない。
「ま、あとは困ったことがあったら、なんでも聞いてね。僕じゃなくても、他の先生でも。それだけ」
「はあ」
そのあとは先生が適当に選んだものを勧められるがままに食べた。もっと会話に困るんじゃないかと思っていたが、そんな心配は皆無のようで、飯島先生は自分のこれまでの失敗談や体験談を面白おかしく喋っていた。俺はそれに「へー」とか「なるほど」とか当たり障りなく反応するだけだったが、退屈はしなかった。
そのうち看護師から聞いた虐待で亡くなった子のことも話してくれるかと待っていたが、その話だけはいつまで経っても出てこなかった。
オフの飯島先生は本当に別人のようで、適度に冗談も言うし、愚痴とまではいかなくても共感を覚える程度の弱音も吐いたりする。
冷静沈着でクールで高飛車という俺の中の勝手なイメージは崩れつつあった。
ふたりともだいぶ酔いが回ってきたころ、俺は「無礼講」という言葉に甘えて聞いてみた。
「飯島先生って、もしかして彼女いるんですか? 中村さん、めっちゃ美人なのにサクッと断ってたから」
「いないよ。でもいるんだ」
なにを言っているんだ、この人は。
「彼女はいない。付き合ってる人も……たぶん、いない。でも大事な人はいる……」
先生の目がとろんと座っているので、かなり酔っているらしい。酒には強い俺は泥酔した振りして色々聞いてやろうと試みた。
「大事な人って好きな人? もしかして職場じゃないっすよねぇ」
「高校生」
思いっきりビールを噴き出したのは言うまでもない。
酔っているとはいえ衝撃の事実だ。
「こ、高校生!???」
飯島先生は机にコテンと頭を預けた。眠いのだろうか。
「すっごい可愛いんだ……」
「は、はあ」
「可愛いんだけど、すっごい生意気だし口は悪いし、素直じゃないし、よく泣くんだ」
「……ツンデレってやつですかね」
「デレなんてほとんどないよ、ツンだよツン」
いきなり怒り出すのも酔っている証拠だ。俺は見ていてなんだか面白くなった。
「見てみたいなぁ~、どこの高校なんすか」
「さあ、どこだろう」
まさかバーチャルじゃないだろうな。
「いきなりサヨウナラされて、今はどこの高校にいるのか知らない。たぶん横浜。……心配なんだ、ひとりぼっちで知らない土地でちゃんと友達作ってやっていけてるのかなって。誰かあいつの味方になってくれる人がちゃんといてくれたらいいなってね」
「……」
「……風邪引いたら、すぐ扁桃腺やられる奴だから、……ひとりで病院いけるかな」
「心配しすぎでしょ」
「あの子のトラウマ治してやるのは、俺でありたかったな……」
飯島先生はそこで眠ってしまった。叩き起こして話を根掘り葉掘り聞いてみたいところだが、無防備な寝息に親近感が湧いて、暫く居眠りに付き合うことにした。プライベートでは「俺」って言うんだな、なんてそんな些細なところも斬新に思えた。
寝ている人間の横で飲むビールも悪くない。
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