朝倉 雄大2
***
季節的にインフルエンザやロタなどウイルス感染した患児が多い。
翌日の診療で訪れた患児の半分は、インフルかRSだった。
この日も診察をするのは飯島先生で、俺はあやしたり指示されたことをする。
時々、「朝倉先生も診てみて」と言われるが、所見は大体同じだ。
「三日前から熱と咳が出てまして。あと膝が痛いって……」
発熱、咳、……関節の痛み、
「溶連菌感染症の検査をしましょうか」
――ま、そうだろう。
―——
「朝倉先生、落ち着いてますね」
昼休憩の時に、飯島先生にそう言われた。
「飯島先生ほどじゃないですけどね」
「いやぁ、僕が研修中の頃はもっとあたふたしてましたよ」
ふふ、と笑いながら言うが、どうもその余裕そうな態度が気に食わない。
「先生はどうして小児科を選んだんですか?」
「父が小児科の開業医で」
後継ぎは安気でいいもんだ。
「小児科はそんなに面白くないですか?」
単刀直入に聞かれて思わずムッ、とした。
「面白くないですね。ガキはうるさいし、同じような症状ばっかりの患児が来ますし、まあ、田舎の総合病院でそんなやりがいを求めても仕方ないんでしょうけど」
「……先週、診察した中学生の女の子なんだけど、コミュニケーション障害、睡眠障害、苛々、疲労感……などの症状を訴えてきたんだけど」
「自律神経失調症とか……」
「バセドウ病」
「……」
「あと王道なところで言えば、喘息。気管支喘息とか、アレルギー性喘息とかあるけど、心因性喘息もあるよね。心理的なストレスが原因で咳嗽が止まらない」
「それくらい、素人でも知ってますよ」
「そうだね。僕が言いたいのは、子どもは原因が精神的なものなのか身体的なものなのかを見極めるのが、大人より難しいってこと。特に幼児は症状を上手く伝えられないからね。それに、ただの風邪だと思っても、実は重病の場合がけっこうある。同じような症状ばっかりってなめてると殺しかねないよ」
***
なんだってあんな若造医師に説教されなきゃならないんだ。
俺だって子どもは見極めが難しいとか、容体が急変しやすいとか、それくらい知ってる。
今更改まって言うことじゃねーんだよ! と、苛々しながら医学書をバンッと机に叩きつけた。
それを見ていたベテラン看護婦さんが薄ら笑いを浮かべながら「どうしたの~?」と聞いてくる。
「朝倉センセ、楽しい?」
「楽しそうに見えますか?」
「全然!」
あっはっは、と笑うのがまた苛々させられる。
「……飯島先生って、いつもあんな感じなんですか?」
「あんな感じって?」
「冷静沈着で、ストレスフリーな顔して、遠回しに説教くさいのが嫌味ですよね。仕事でミスしてうろたえたりしたこととかあるんすかね」
すると看護婦さんは「ん~」と、目線を斜めにした。
「一度だけ、あったわね」
そりゃ面白い! と、俺は食い付いた。
「今年の夏よ。四歳の男の子が風邪で受診したんだけど、あきらかに虐待の疑いがあったから入院させたのよ。それで児相とも相談して、定期的に家庭訪問と通院で様子を見ましょうってなったの。その時の担当医が飯島先生でね。虐待を疑った時も入院させた時も落ち着いてて、親子も順調そうに見えたんだけど、」
看護婦さんの表情がそこで少し曇った。
「ある日、その男の子が救急搬送されたの。硬膜下血腫と眼底出血と血胸。よく虐待で起こる怪我よね。飯島先生は必死で処置したんだけど、結局亡くなっちゃって。長いこと蘇生しようと頑張ってたのよ。でも無理だった」
「……」
「男の子に怪我を負わせたのは母親。実は亡くなる前に予防接種に来たことがあったんだけど、その時に気付いてあげられなかったのね。飯島先生、相当ショック受けてすごく自分のこと責めてたわ。あの時は見てられなかったわねぇ」
聞くんじゃなかった。ちょっと笑える失敗談なら小馬鹿にしてやろうと思ってたのに、そんな重たい話じゃ笑えない。
「飯島先生、ひとりひとりの診察に丁寧でしょう」
「あー、まあ」
「あんなに熱心で真面目な先生はなかなか珍しいと思うわよ」
早めに仕事が終わって、今日は家でビールでも飲みながらゆっくりしようかと思ったのに、なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまった気がしてビールどころか食欲もなかった。飯島先生を気の毒と思っているわけではないが、いつか自分もそういう場面に出くわす時がくるんだろうなと考えると憂うつだ。
「早く研修終わんないかなぁ」
夕方のひと気のないテラスを横切った時、薄暗い中で人影を見た。
飯島先生と女性看護師が話していた。咄嗟に仕事の話ではないなと思った。ふたりの空気があきらかに変だからだ。
こんなところで堂々とイチャイチャしやがって、と口の中で舌打ちする。仕事もできて信頼も厚くて女にもモテるってか。ケッ!
何を話しているのか聞いてやれ、と悪戯心が働いて、俺は物陰に隠れて耳をすませた。
「……っぱり、駄目ですか」
と、残念そうに言うのは看護師のほうだ。
「うん、前も言ったけど、今は仕事のことしか考えられないから。気持ちは嬉しいです。ありがとう」
さしずめ看護師が以前から飯島先生に言い寄っていて、それを飯島先生は断り続けているってところか。今回は最後の告白と見た。あんな美人の告白を断るとか硬派気取りかよ。「戻りましょうか」と飯島先生がスパっと諦めさせて、看護師は足早にテラスを去った。
まずい、先生がこっちに来る。……と焦ったところで、
「あ、朝倉先生……!」
「ど、どうもお疲れ様です……」
「もしかして今の見た?」
遠慮がちに指先で「ちょっと」とサインをしたら、飯島先生は盛大に溜息を放った。
「大丈夫っす。誰にも言いません」
「そうしてくれると有難い……」
じゃあ、とそそくさ去ろうとしたら、呼び止められた。そして思いがけず誘われてしまった。
「朝倉先生、時間あるなら、よかったら飲みに行きません?」
「へっ? 俺と?」
⇒
季節的にインフルエンザやロタなどウイルス感染した患児が多い。
翌日の診療で訪れた患児の半分は、インフルかRSだった。
この日も診察をするのは飯島先生で、俺はあやしたり指示されたことをする。
時々、「朝倉先生も診てみて」と言われるが、所見は大体同じだ。
「三日前から熱と咳が出てまして。あと膝が痛いって……」
発熱、咳、……関節の痛み、
「溶連菌感染症の検査をしましょうか」
――ま、そうだろう。
―——
「朝倉先生、落ち着いてますね」
昼休憩の時に、飯島先生にそう言われた。
「飯島先生ほどじゃないですけどね」
「いやぁ、僕が研修中の頃はもっとあたふたしてましたよ」
ふふ、と笑いながら言うが、どうもその余裕そうな態度が気に食わない。
「先生はどうして小児科を選んだんですか?」
「父が小児科の開業医で」
後継ぎは安気でいいもんだ。
「小児科はそんなに面白くないですか?」
単刀直入に聞かれて思わずムッ、とした。
「面白くないですね。ガキはうるさいし、同じような症状ばっかりの患児が来ますし、まあ、田舎の総合病院でそんなやりがいを求めても仕方ないんでしょうけど」
「……先週、診察した中学生の女の子なんだけど、コミュニケーション障害、睡眠障害、苛々、疲労感……などの症状を訴えてきたんだけど」
「自律神経失調症とか……」
「バセドウ病」
「……」
「あと王道なところで言えば、喘息。気管支喘息とか、アレルギー性喘息とかあるけど、心因性喘息もあるよね。心理的なストレスが原因で咳嗽が止まらない」
「それくらい、素人でも知ってますよ」
「そうだね。僕が言いたいのは、子どもは原因が精神的なものなのか身体的なものなのかを見極めるのが、大人より難しいってこと。特に幼児は症状を上手く伝えられないからね。それに、ただの風邪だと思っても、実は重病の場合がけっこうある。同じような症状ばっかりってなめてると殺しかねないよ」
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なんだってあんな若造医師に説教されなきゃならないんだ。
俺だって子どもは見極めが難しいとか、容体が急変しやすいとか、それくらい知ってる。
今更改まって言うことじゃねーんだよ! と、苛々しながら医学書をバンッと机に叩きつけた。
それを見ていたベテラン看護婦さんが薄ら笑いを浮かべながら「どうしたの~?」と聞いてくる。
「朝倉センセ、楽しい?」
「楽しそうに見えますか?」
「全然!」
あっはっは、と笑うのがまた苛々させられる。
「……飯島先生って、いつもあんな感じなんですか?」
「あんな感じって?」
「冷静沈着で、ストレスフリーな顔して、遠回しに説教くさいのが嫌味ですよね。仕事でミスしてうろたえたりしたこととかあるんすかね」
すると看護婦さんは「ん~」と、目線を斜めにした。
「一度だけ、あったわね」
そりゃ面白い! と、俺は食い付いた。
「今年の夏よ。四歳の男の子が風邪で受診したんだけど、あきらかに虐待の疑いがあったから入院させたのよ。それで児相とも相談して、定期的に家庭訪問と通院で様子を見ましょうってなったの。その時の担当医が飯島先生でね。虐待を疑った時も入院させた時も落ち着いてて、親子も順調そうに見えたんだけど、」
看護婦さんの表情がそこで少し曇った。
「ある日、その男の子が救急搬送されたの。硬膜下血腫と眼底出血と血胸。よく虐待で起こる怪我よね。飯島先生は必死で処置したんだけど、結局亡くなっちゃって。長いこと蘇生しようと頑張ってたのよ。でも無理だった」
「……」
「男の子に怪我を負わせたのは母親。実は亡くなる前に予防接種に来たことがあったんだけど、その時に気付いてあげられなかったのね。飯島先生、相当ショック受けてすごく自分のこと責めてたわ。あの時は見てられなかったわねぇ」
聞くんじゃなかった。ちょっと笑える失敗談なら小馬鹿にしてやろうと思ってたのに、そんな重たい話じゃ笑えない。
「飯島先生、ひとりひとりの診察に丁寧でしょう」
「あー、まあ」
「あんなに熱心で真面目な先生はなかなか珍しいと思うわよ」
早めに仕事が終わって、今日は家でビールでも飲みながらゆっくりしようかと思ったのに、なんだか聞いてはいけないことを聞いてしまった気がしてビールどころか食欲もなかった。飯島先生を気の毒と思っているわけではないが、いつか自分もそういう場面に出くわす時がくるんだろうなと考えると憂うつだ。
「早く研修終わんないかなぁ」
夕方のひと気のないテラスを横切った時、薄暗い中で人影を見た。
飯島先生と女性看護師が話していた。咄嗟に仕事の話ではないなと思った。ふたりの空気があきらかに変だからだ。
こんなところで堂々とイチャイチャしやがって、と口の中で舌打ちする。仕事もできて信頼も厚くて女にもモテるってか。ケッ!
何を話しているのか聞いてやれ、と悪戯心が働いて、俺は物陰に隠れて耳をすませた。
「……っぱり、駄目ですか」
と、残念そうに言うのは看護師のほうだ。
「うん、前も言ったけど、今は仕事のことしか考えられないから。気持ちは嬉しいです。ありがとう」
さしずめ看護師が以前から飯島先生に言い寄っていて、それを飯島先生は断り続けているってところか。今回は最後の告白と見た。あんな美人の告白を断るとか硬派気取りかよ。「戻りましょうか」と飯島先生がスパっと諦めさせて、看護師は足早にテラスを去った。
まずい、先生がこっちに来る。……と焦ったところで、
「あ、朝倉先生……!」
「ど、どうもお疲れ様です……」
「もしかして今の見た?」
遠慮がちに指先で「ちょっと」とサインをしたら、飯島先生は盛大に溜息を放った。
「大丈夫っす。誰にも言いません」
「そうしてくれると有難い……」
じゃあ、とそそくさ去ろうとしたら、呼び止められた。そして思いがけず誘われてしまった。
「朝倉先生、時間あるなら、よかったら飲みに行きません?」
「へっ? 俺と?」
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