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日溜まり【R】

 日当たりの良い寝室で、洗剤の香りを残したシーツの上で、岬は夢を見ていた。瞬の家で『子守歌』の練習をしている夢である。拙い手つきで弾いている岬の隣で、瞬は穏やかな笑みを浮かべて座っている。

 ――上手くなったかな。もう少し弱く弾いたほうがいいのかな。――

 岬の問いかけに、瞬はただ微笑を返すだけで何も言わない。その代わりに大きな手で頬に触れてくる。夢とは思えないほど温かい。瞬の顔が岬の耳元に近付き、囁く。
 
「ただいま」

 昔の瞬にしてはぶっきら棒な言い方で、しかも想像していた台詞と違った。
 耳にかかる妙にリアルな息遣い。全身が、温かい。

「いつまで寝てる気だよ」

 靄が晴れたように意識が戻り、岬は目を開けた。背後から両腕を回されて、抱き締められている。ゆっくり振り向くと、目の前に瞬の顔があった。

「瞬……!」

 飛び起きて、続いてゆっくり体を起こした瞬に抱き付こうとしたら止められた。

「悪い、こっちに暫く負荷をかけられないんだ」

 左胸を指した。

「あっ、ごめ……、どうかしたの」

「ペースメーカーを入れてる。導線とかの具合でね。少しの間だけだから」

 けれども瞬に触れたくてたまらなかった。どうすればいい、と聞くと瞬は微笑み、

「こうする」

 両腕の中に岬を招き入れて、抱擁した。岬は瞬の腰に腕を回して、体重が掛からないようにしがみついた。

「良かった、……二度と会えなかったらどうしようって思ってた」

「父親に勧められて手術したんだ。体調が戻るまでに時間が掛かって……。遅くなって悪かった」

「元気で帰って来られたんだから、それでいいよ。ペースメーカーって、心臓再同期療法ってやつ?」

「そう、心臓のポンプ機能を正常に戻してくれたり、心不全を起こしたときにショックを与えてくれたりするんだけど……よく知ってるな」

「勉強したんだ。色々助けられるように。……母親からさ、塩分控えめの料理とか教えてもらったりしたよ」

「嫁入り修行かよ」

 瞬は声を上げて笑った。

「受験はどうだったんだ。K大だろ?」

「大学には行かないんだ。製紙会社に就職決まったから」

「……なんで」

「前からそうしようと思ってた。当てもなく進学するくらいなら就職して瞬の助けになりたい」

 瞬は眉をひそめて納得いかない表情をしている。

「俺が本当にそうしたいと思ったんだ。だから、瞬が気にすることは何もないよ」

 瞬は再び岬を強く抱き締めてキスをし、ゆっくりベッドに倒した。シャツの上から岬の体を撫で、左胸の上で手を止めた。鼓動を感じているのだろう。シャツ越しに瞬の体温を感じると自然に脈が早くなり、拍動は瞬の手に伝わる。

「俺の心臓を見たんだろう」

「……見た」

「気持ち悪かっただろ」

 岬は首を横に振る。

「……というより、怖かった。存在感が。だけど、俺も相当イカれてるんだと思う。瞬の心臓を見た時、驚いたけど愛しいなって思ったんだ」

「……」

「瞬の心臓を見た人間なんて、医者以外に俺しかいないんだろうと思うと、どうしようもなく好きだと思った。もし交換できるなら、してもいいって思ったよ」

「かなり……キテるな」

「自覚はある」

 岬の頬に、立て続けに二粒の雫が落ちた。

「瞬が泣くなんて珍しいね」

「……嬉しいんだよ」

 いつも岬が泣くとからかわれるので、瞬の返事次第ではやり返そうと思ったが、おそらく本心であろう素直な意見を聞いてそんな気がなくなった。

「絶対、引かれると思ってた。わざわざ……面倒臭い奴と好んで一緒にいる奴なんか、絶対いないって、思ってた」

「……見くびられたもんだね」

「岬に嫌われたら、病気じゃなくても生きていけない……。離れていかれるくらいなら……」

 ――いっそ、奪いたかった。

 初めて瞬の泣き顔を見て、これが瞬の素顔なんだろうと岬は思った。岬は両腕を伸ばして瞬の頬を包み、親指で涙を拭う。

「好きだよ。憎まれ口を叩いても、自惚れてても、ピアノを弾いてる時も、たとえピアノが弾けなくなっても、瞬は素敵だよ」

 瞬は岬の手を取ると、唇を被せた。いつも遠慮気味に入る彼が、喰らうように岬の唇と舌を奪う。ひとしきり口内を侵食したあとは耳に舌を這わせた。脳に直接訴える瞬の吐息が熱くて、官能的で、緩んだ岬の口から甘い声が洩れた。早くも理性を失くしそうになり、瞬の手が岬のジッパーに掛けられた時、

「……やめといたほうが……いいんじゃないの……」

「大丈夫、今日は俺はしない。……岬だけ」

 ゆっくり下着ごとずらされる。寒さと解放感、羞恥と期待で体が疼く。熱を持ち始める岬自身を優しく包み、瞬は先端を舌で可愛がった。

 瞬はここ、と決めたら徹底する。
 ピアノを弾くのと同じように、難所であればあるほど腕を鳴らせて、鍵盤が、岬が、根を上げるまで神経を一ヵ所に集中させる。
 まだほんの一部分しか手を出されていないのに、透明の蜜が泉のように溢れた。岬の欲を感じ取って、瞬はそのまま一気に根本まで口に含んだ。唾液でいっぱいにされたかと思いきや、唇をきつく窄ませて唾液ごと吸われる。 温かい感触に包まれながら細部まで丁寧に愛されて、一瞬にして骨抜きにされた。瞬はいったん口を離すと「どう、」と聞いてくる。

「ん……っ、気絶しそう……」

 岬の上半身を起こすと自分は背後に回り、後ろから抱きかかえる形になった。

「態勢が楽だから」

 後ろから伸びた瞬の手が、岬のシャツのボタンを解いていく。顔は見えないのに手つきだけが見えるというのが欲情を掻き立てられる。薄桃色の胸を撫でられると、肩が跳ねた。瞬は強めに押したり、柔らかく縁取ったりを繰り返し、岬のどんな反応も見逃さなかった。特に弱い部分に当たると岬は大袈裟に呼吸を乱した。胸を弄りながら、もう片方の手で再び岬の濡れ光るそこに手を添える。

「――あっ……! う……」

 卑猥な音を立てながら包んだ手を動かすと、甘美な吐息が震えだした。

「はぁっ……あっ、あ……っ、や、ぁ、出る……っ」

「まだ、辛抱して。……足、もっと広げて。こっちに体、倒していいよ」

「で、でも」

「右側なら大丈夫」

 遠慮がちに倒れてくる岬の背中を右胸で受け止めた。恥じらいながらも自分の言う通りにする岬は、滑稽なほど可愛い。物欲しそうにしている後ろに指を進めると、岬は喉を反らせた。

「あぁ……っ、そ、そこ……、だっ、」

「駄目、じゃなくて?」

「……い……い……」

 岬は胸に当てられている瞬の手を必死に握り、全身を紅潮させて目を潤ませた。体は素直なのに、言葉には中々しない。瞬はいつもそれがじれったくて、わざと聞くのだ。

 気持ち良い?
 ……いい、
 どこがいい? 
 は、ずかしいよ……
 教えてくれないと分からないだろ
 そこ……もっと……
 もっと、して欲しい?
 して、もっと……気持ち良い……

 岬のものは今にもはち切れそうに熟れている。自ら腰をよじって快楽を求める姿が悪戯心を刺激した。中を、胸を、震えながら主張する岬自身を、撫でて、包んで、ゆっくり高みに昇らせ、できる限りの愛情を注いだ。
 もう岬の心臓が欲しいとは思わなかった。ただ、許される限りの時間を彼と過ごしたい。自分が岬に与えてやれるものはすべて捧げたいだけだ。

「あ、んんっ……、瞬……しゅ……ん……、もう、」

「あとは? どうして欲しい? ……なんでもする」

「……キスしてほしい……。キスして、いきたい……」

 瞬は岬を振り向かせ、深く唇を重ねながら岬を限界まで促した。だいぶ近かったのか、数回擦っただけで岬は肩を震わせた。

「ふっ……ぁっ……ん、んん――……」

 瞬の手の平に岬の熱が溢れる。まだ震えているそこと同じように、岬の口からも小刻みに熱い息が洩れた。
 瞬はまだ惜しくて、離れようとする岬の肩を抱き寄せてキスを続けた。唇を軽く噛み、最後に短く口付けて、余韻を残しながら離す。岬の顔を覗き込むと、頬を赤く染めて涙を滲ませていた。瞬の右肩に頭をすり寄せる。

「可愛すぎないか、それ」

「……瞬、好き……」

「俺も、好きだよ。後にも先にもお前だけだ」

「瞬は……何かして欲しいこと、ない?」

「……手を、握ってくれないか。ずっと岬に手を握ってもらいたかった」

 岬は瞬の手を取り、両手で包んだ。改めて間近で見る瞬の手は、まっすぐ伸びた長い指に恵まれていて本当に綺麗だった。これを独り占めできるのだと優越感に浸った。

 向かい合って横になったまま、岬はずっと瞬の手を握っている。たいした会話はないけれど、瞬の指を一本、一本、親指の腹で撫でているだけで充分すぎるくらい幸せだった。

「……コンチェルト……すごく良かった」

 呟いたのは瞬である。

「瞬のカデンツァ、すごかったよ。みんな瞬に釘付けだった。……昔から、どうやったらそんな音が出せるんだろうって思ってた。天才って瞬みたいな人のことを言うんだって」

「……天才ってのは、才能と環境のどっちも揃ってる奴のことを言うんだよ」

「環境?」

「才能があっても、それを発揮できる環境が整ってないと意味がない。環境が整ってても生かせる才能がないと意味がない。だから、ひと握りの人間しか選ばれない」

「……やっぱり、プロになりたい?」

 暫く沈黙したのちに、瞬は首を横に振った。

「病院でずっと考えてた。もし、プロになれたらって。……ピアノはずっと弾いてきたから、これからも弾き続けるつもりだ。だけど……もういいんだ。投げやりな気持ちで言ってるんじゃない。本当に満足したんだ。……岬と弾けたから、あれ以上の演奏はできない。お前とじゃないと、あの音は出せなかったと思う」

「瞬にそういう風に言ってもらえるなんて、光栄だね」

「岬と一緒に、二人だけで弾けたら、それでいい……」

 岬はつくづく、自分は独占欲に支配された歪んだ人間だと思った。

 瞬の隣にいるのはいつも自分でありたい。
 瞬の一番の理解者は自分でありたい。
 瞬の「全部」を自分のものにしておきたい。
 瞬と同じ夢を持っていたい。

 岬は瞬の頭を抱えて、自分の胸に引き寄せた。

「じゃあ、そのためにも元気でいないとね」

「……うん。たぶん、いっぱい迷惑とか心配とか掛けると思うけど、俺もやっぱり長生きしたいから、……足掻いてもいいかな」

「当たり前だろ。ずっと一緒にいる。だから安心して」

 瞬は岬の胸に耳を当てて、体温と心音を感じた。

「……いい音だな」
 
 ピアノの音が聞こえる。

 広くて温かい部屋と、そこに置かれているグランドピアノ。
 漆黒の髪の少年と栗色の髪の少年が、仲睦まじい音を奏でる。
 まだ残る日溜まりの中で、互いの存在を確かめ合いながら、彼らは同じ夢を見る。


 (了)

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