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二人だけのコンチェルト1

 本番までの一週間で、瞬と合わせたのはたったの二回だ。それも、最後までは通せておらず、曲の後半はピアノがメインになるので終結部は瞬に任せることにして、それまでのオーケストラとピアノが一緒に弾くところだけを集中的にしただけだ。最初から最後まで通して弾くのは、本番が初めてということになる。

 不安と課題を残しつつ店頭コンサートを迎えた当日の朝、瞬から「マンションに来い」と連絡があった。いつものジーンズとセーターという面白味のない格好で現れた岬を見て、瞬は「やっぱり」と溜息をついた。一方で、岬は瞬の変わりように驚いた。
 狐色の髪が真っ黒に染められていて、目や耳にかかるほどの長さだったのがすっきりと切り落とされている。スタイリング剤でその短くなった黒髪を軽く搔き上げていて、綺麗な額が露わになっていた。

「どうしたの、その頭」

「切った」

「思い切ったね」

「前から切ろうと思ってたんだよ。丁度良かった。それよりお前はなんだよ、そのやる気のない格好」

 寝室に促され、瞬はクローゼットから一着のスーツを出した。

「俺が中一の時、コンクールで着たスーツなんだけど、着てみる?」

「スーツとかいいよ、恥ずかしいじゃないか。たかが店頭コンサートで」

「馬鹿、格好は大事だぜ。せめて黒パンツと白シャツくらい着ろ」

 早く履けよと急かされて、岬は不平を口にしながら試着する。悔しいことにサイズがピッタリだった。

「え、ほんとに中一の時に着たの?」

「俺が中一の時は岬くらいあったぜ。シャツも丁度いいな。蝶ネクタイする?」

「しない。面白がってるだろ」

 瞬は黒のスラックスと黒シャツにワインレッドのネクタイを合わせている。黒の統一感がまたスタイルの良さを引き立たせていて、更にそのルックスでピアノを弾いたらそれだけで話題になりそうだ、と、つい目を奪われる。その隙にキスをされた。

「なに見惚れてんだよ」

「見惚れてない……」

 再び押し付けられて舌で遊ばれる。からかわれているだけのキスなのに体は正直だ。引っ込みがつかなくなる前に、瞬が離れた。

「続きは帰ってから」

 ほっとしたような残念なような複雑な心境のまま家を出る時間になり、タクシーでヤマイに向かう。

「瞬、体調は?」

「万全だけど」

 両手の指をバラバラと回してみせる。顔色と、ついでに機嫌も良さそうなので岬は何も変化が起こらないことを祈るのみだ。
 ヤマイ本店に着くと店頭では既にコンサートが始まっていた。店は全面ガラス張りになっており、入口のすぐ横にイベント用に確保されたスペースがある。そこにグランドピアノとエレクトーンが常に置かれていて、店頭コンサート時は通行人がより演奏を聴きやすいように、そのスペースだけガラスが解放されるのだ。つまり自分の演奏を、真横で見ず知らずの他人に冷やかされるということだ。岬は想像しただけで心臓がばくばくと音を立てた。

「おい、大丈夫かよ」

「瞬は平気なの?」

「緊張はするけど、今はそれより楽しみでしょうがないかな」

「頼もしい限りだよ……」

 店内は演奏者の家族や関係者で混雑しているが、店外は通行人が時折立ち止まるか少し目をやるだけで、普段のアーケードと変わりない。店の奥からいつもより化粧が濃いめの今田が現れた。

「岬くん、瞬くん! 遅かったじゃないの。あら、二人とも素敵ね」

 そして今田は「どこのイケメンかと思ったわ」と、瞬の腕をベタベタと触っている。岬の予想通りの反応だった。

「司会者の人にね、一組デュエットを入れさせてくださいって頼んだらオーケーしてくれたの」

「乗っ取りじゃないのか」

 ちっ、と舌打ちをする瞬に、岬は「そんな馬鹿な」と突っ込んだ。

「ゲリラライブしてみたかったな」

「クラシックでゲリラライブって盛り上がらなそう」

「それを盛り上げるんだよ」

 出番がいよいよ直前に迫った時である。瞬は岬の少し崩れた襟元を直し、左手の甲で胸をトンと叩いた。

「失敗してもいいから、楽しもうぜ。せっかく二人だけのコンチェルトなんだから」

 そして背筋を伸ばして堂々と人前に向かう瞬の背中を追って、大勢の注目の中で着席した。

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