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父の死1

 翌日はいつも通りに学校へ向かう。暫しの休息を得て気分が落ち着いたからか、今なら斎藤と会っても取り乱さずにいられるかもしれない。けれどこの日、斎藤は現れなかった。

「え? 斎藤が休んでる理由、知らないの? お前ら仲良いから、知ってるんだと思った」

 クラスメイトからは岬と斎藤は「親友」とみなされているらしかった。

「ちなみに、昨日も来てないぜ。なんだ、ふたりが休んでるからサボって一緒に遊んでるのかと思ったけど、関係なかったんだな」

 岬は必要以上に否定せず、斎藤と自分が欠席したことについては偶然であることをさりげなく念を押しておいた。
 これまで斎藤が病欠することはほとんどなかった。よく「なんとかは風邪を引かない」と悪態をついては返り討ちに遭ったものだ。今ではそんなふざけ合いも懐かしく思う。休んでいる原因は間違いなく、例の一件だろう。岬は多少の責任を感じて連絡のひとつでもしようかと考えたが、そのうちに現れるのを待つことにする。

 放課後、図書室へ向かう途中で今日が木曜日であることを思い出し、もしかしたら瞬に会えるかもしれないと、引き返して病院へ向かった。
 所々に灰色が混じった白い雲が覆う寒空。日差しがないと風が強く、肌を剥き出しにした木々にかろうじて残る枯葉が、いとも簡単に吹き飛ばされる。枝を離れた枯葉が岬の頬に当たった。乾燥して硬くなっているその葉を落とすと、ちょうど隣を走り過ぎた自転車によって枯葉は粉々に砕け散った。

 病室に入るとカーテンが引かれていた。いつもは岬が入ると父がカーテンを開けるのだが、顔を出さないのでカーテンからそっと覗いた。岬はすぐに異変に気付いた。よほどひどいしゃっくりをしているのかと思うほど、父はカクカクと下顎を揺らしていたのだ。

「父さん!?」

 目は半開きで、かろうじて見える眼球がゆっくり動いて岬を捉える。呼びかけに反応したので意識はあるようだ。

「父さん、待ってて。すぐに母さんを呼ぶから」

 慌ててスマートフォンを出し、母に電話を掛けながらナースコールをしつこく押す。母は「もしもしー?」と悠長に答えた。

「今日、父さんの病室に来た?」 

『今日はまだ行ってないの。これから行こうと……』

「早く来て。父さんが危ないかもしれない」

 病室にやってきた看護師が父を見て、慌てることなく脈を測る。この冷静な対応が「その時期」が来たのだと悟らせた。いつもよりも声を大きくして父に呼び掛ける。

「暑くないですかー? 息子さん来てますからねー」

 看護師は岬に向き直ると、今度は必要以上に小声で言った。

「お父さん、ちゃんと聞こえてるからね。手を握ってあげたり、足をさすってあげたりして、傍にいてあげてね。また様子見に来ますから」

 何も処置がないのか聞きたかったが、延命治療はしないと同意してある。改めて「ない」と言われたくないので、静かに頷くだけだった。

 岬は父の手を取り、なるべく沈黙しないように話し掛けた。学校であった些細なことや、授業の内容、天気、今なら話していいかと成績が下がっていることも打ち明けた。「何をやってるんだ」と叱られることを期待したが、父の反応は悪く、僅かに指を動かしただけだった。

 そうしているうちに母が息を切らせて到着し、父を見るなり「お父さん、しっかり」と取り乱した。岬はいったん母を連れて病室を出た。昨日は嘔吐しただけでうろたえたのに、こういう場面で妙に冷静でいる自分が気味悪い。

「お父さん、昨日は普通だったのよ」

「俺たちがいるあいだは気を張ってたのかもしれない。うっすらだけど呼び掛けたら反応はある」

「そう、そうなの……」

 母はなんとか落ち着こうと深呼吸を続けている。

「そうだわ。お父さんの着替えを洗濯しなくちゃ。少しくらい、何か食べられるかしら。母さん、一度戻ってから……」

「……何、言ってるの」

 岬はこんな時ですら現実から目を逸らそうとする母に苛立ちが湧き、言いたくもないのに酷な言葉をわざと選んで母にぶつけた。

「呼吸もできてないのに、食事なんかできるわけないだろ。洗濯って、明日はいると思ってるの。家に戻る暇があるなら父さんの傍にいてあげなよ」

「明日はって……え……?」

「まさか、まだ父さんが元気になるって思ってるわけじゃないよね」

「な、なると……信じなくちゃ」

「父さんが死んだら、やらなきゃいけないことはいっぱいあるんだよ。いい加減に現実見ようよ」

「息子のあなたがそんなこと言わないで」

「息子だから言うんだよ! 辛いけど受け入れなきゃいけないんだよ! 父さんは死ぬんだよ!」

 パン、という音とともに左頬に衝撃があった。涙目の母が唇を震わせて岬を睨んでいる。

「頭を冷やしてきなさい」

「……それは、こっちの台詞だよ」

 岬はそう言い残して、病室に戻らず外へ走った。
 母が怒った顔を久しぶりに見た。母に言ったことは嘘ではない。父の死を考えないようにしていた母にどこかで腹を立てていたのも事実だ。考えたくないのは自分だって同じだ。なのに、ふたりが一緒に現実逃避するばかりでは前にも進まない。

 ――俺だって不安なんだ。

 家に帰るわけにもいかない、かと言って今、病室に戻っても気まずいだけだ。

 ――どうしよう……。

「岬、」

 今にも倒れ込みそうなのを、誰かが腕を掴んだ。ゆっくり顔を上げるとそこにいたのは瞬だった。

「……瞬、なんで……」

「なんでって……今日は講習があって」

「講習……?」

「俺のことはいいんだよ。それより、顔色が悪いぞ。何があったんだ」

「瞬……父さんが……死んじゃう……」

「……」

 岬はとうとう膝をつき、瞬の両腕を握り締めた。
 瞬に頼るわけにいかないと思いながらも、震える膝には力が入らないし、瞬の腕を掴む手は離れようとしない。そこが病院のロビーであることにも拘らず、岬は瞬にしがみついたまま「どうしよう」と繰り返した。瞬はかがんで岬を抱き締め、背中をさする。背中に瞬の体温を感じると次第に呼吸が落ち着いた。

「……大丈夫か?」

「……うん……ありがとう……ごめん」


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