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『Je Te Veux』2

 外に出ると冷たい風が体を叩きつける。コートもマフラーもない、乱れた服の隙間から地肌に風がすり抜けても、まったく寒さを感じなかった。無我夢中で走って、目指したところは瞬のマンションだった。
 ロビー前のインターホンを鳴らしまくる。ただ事でない呼び出しに相手が岬であると察知したのか、瞬はぶっきら棒に答えた。

『なんだよ』

「――……グス……瞬……」

『……また泣いてんのか』

「しゅ、……おねが……開けて……」

 数秒後に自動ドアが開き、崩れ落ちるようにエレベーターに乗り込む。部屋の前に着くと先にドアが開かれた。瞬の顔を見た途端に、いっそう涙が溢れて岬はたまらず抱き付いた。瞬はよろけて壁に背をつき、ドアが閉まると躊躇いながら、岬の頭を抱え込んだ。

「なんで、また泣いてんだよ」

「……瞬が好き」

「……」

「瞬しか好きになれない……瞬じゃないと、嫌だ……」

 駄々をこねたところで瞬には迷惑でしかないと思いながら、それを繰り返すしかできなかった。

「頼むよ……、帰れなんて、言わないで」

 瞬はきつく岬を抱き返し、髪に指をくぐらせて唇を合わせた。自ら口を開く岬に応じて、深く、柔らかく、舌を絡める。互いからの吐息が理性も何もかもを奪おうとしている。瞬が唇を離そうとすると、岬のほうから押し付けた。頭の角度を変えながら、噛み付くように被せ合う。

 手を引かれて寝室に入ると、ベッドに倒れた。再び熱いキスをしながら、シャツのボタンをすべて解かれる。まっすぐ伸びた長い指、少しひんやりとした大きな手が、岬の素肌を滑った。腰から脇にかけてを辿り、胸の先に近付いたと思えば、あえてそこには触れずに周辺をなぞった。もどかしさと心地よさに背中がぞくぞくと震える。糸を引きながら唇を離すと、今度は胸の突起を舐め上げられ、片方は指で優しく弾かれた。

「んっ、」

 体の奥が疼いて、それだけの行為で下半身は窮屈なまでに反応している。

 ――早く、してほしい、もっと別のところも。

 岬の欲求を知ってか知らずか、瞬はまだ胸の尖りを吸ったり舌で円を描いたりと愛撫を続けている。

「瞬っ……お願い……そこ、もう……」

「こっちがいい?」

「あっ……」

 恥ずかしく盛り上がりを見せるそこを、服の上から撫でられる。すぐにでも衣服を取っ払いたいが、焦らしながら下着をずらされ、少しずつ岬の欲望に忠実になった部分が露わになった。飲み込まれる勢いで根本まで咥えられ、そのまま一気に吸い上げられる。

「んんっ―――あッ……」

 リップ音を立てて解放されると、瞬は岬の耳元に顔を近付け、「気持ち良いか?」と優しく問う。すぐ傍で感じる瞬の体温と耳にかかる吐息にますます扇情された。
 斎藤と瞬とは全然違う。さっきはただただ、恐怖しかなかったのに、今は全身の力を抜き取られるように身を委ねている。この行為が気持ち良いのではない。瞬にされるから、気持ち良いのだ。

 長年のピアノで培われた指先の絶妙な力動が、岬の弱いところを確実に突いてくる。まるで自分が楽器にでもなった気分だ。瞬がひとつ指を動かすだけで忙しなく喘いだ。重荷と思われようが馬鹿と言われようが、今はとにかく瞬を感じていたかった。
 熱くなった瞬自身が、岬の中にゆっくり侵入する。進んでくるごとに背中をのけ反らせた。

「あっ、……うぅ」

「痛い?」

「へい、き……。もっと……」

「無理するなよ」

「無理じゃ、ない……もっときてよ……」

 ふいに岬は動きを止めた。

「……岬、」

「……俺が動くよ」

 上半身を起こそうとすると、瞬は肩を捕まえてベッドに押し付けた。

「いいって。こんな時に気を遣われるほど落ちぶれてない」

「でも」

「機能を回復させるには、絶好の運動だよ」

 それが本当に良いのか悪いのかは分からないが、ここで止められるほど冷静ではなかった。自分の中に瞬がいると思うと常識や道徳を超える幸福に酔いしれた。目が熱くなる。また呆れられるだろう。顔を見られないように瞬の首に腕を回してしがみついた。瞬は岬の耳を甘噛みしたあと、舌で縁取った。そして切なげな声で言う。

「好きだ」

 その言葉をどれほど待ち望んだことかと、岬はそれだけで気を失いそうだった。

「ほ、ほんとに?」

 首に回していた腕をほどかれ、瞬は岬の頬を撫でながら微笑みかけた。瞬はその微笑みを崩さずに続ける。

「好きだよ。忘れたことなんかない。……好きだから、面倒かけたくないんだ」

「面倒じゃない。好きなら一緒にいればいい。そんなの俺たちが離れる理由にならない」

「そんなの、か」

「そんなのだよ。……頼りないだろうけど、俺はもっと瞬に頼って欲しいよ」

「後悔しても知らないからな」

 腰を浮かされて、更に奥まで押し込まれた。脳天まで響く刺激に喉を反らせて絶句する。体を突かれながら弱みを擦られると、脱力して下腹部がくすぐったいような、けれど痛いほどに膨れ上がったものは今か今かとその時を待ち侘びている。

「っ……あっ、あっ……瞬っ……、そこっ……」

 ねだると瞬はわざと岬の弱点を刺激した。

「んぁあっ、も、だめっ……あぁっ」

「もうちょっと……我慢して」

「ほんと、もう、だめ」

 涙も涎も流してみっともないと頭のどこかでは思っているが、それよりも今まで感じたことのない気持ち良さに、早く果てたいのと勿体なさとで混乱した。瞬自身も限界に近付いているのか、動きが性急になる。張り詰めた表情と荒い息に大丈夫なのかと心配にもなるが、自分で快感を得てくれているのだと思うと嬉しかった。
 もう耐えられない、と叫びそうにところで、限界間近のものを握られた。

「はぁっ……あっ、でるっ……ぅ、」

 岬が欲求を果たすのと同時に、岬の中にも放たれた。暫く互いにしっかり抱き合ったまま余韻に浸る。瞬に前髪を搔き上げられ、額と頬に落とされる唇を感じながら、まもなく意識は遠のいていった。

 目が覚めると瞬の姿はなく、慌ててシャツを羽織ってリビングに入ると、すっかり着替えを済ませた瞬がソファに座っていた。気付いた瞬が「起きたのか」と涼しい顔で訊ねる。

「瞬、大丈夫?」

「いや、こっちの台詞だから、それ」

 言われてみれば腰と局所に違和感はあるが、わざわざそれを報告することもない。

「いつから起きてたの」

「最初から俺は寝てなかったけど」

 岬は乱れた髪を搔きながら、瞬の隣に腰を下ろした。シャツのボタンを留めるのもだるく、深い溜息を放った。

「何かあったのか?」

「……なんか、最近、駄目なんだ。成績は下がるし、勉強に身は入らないし、それに……」

 斎藤とのことを思い出して口をつぐんだ。あの時の斎藤は本当に怖かった。思い出してもぞっとして唇を噛みしめる。ただ、悪いのは間違いなく岬であり、被害者はどちらかと言えば斎藤なのだ。部屋を出る直前に見た、斎藤のうずくまった姿はとても小さくて哀れだった。ひどく傷つけてしまったに違いない。なのに自分は、瞬に泣きついた。投げやりに斎藤と付き合って、いざという時に拒んで、結局本命にすがって慰められるという図式は我ながらひどい話だ。それでも岬の中の答えはひとつしかなかった。

 気配なく、瞬がはだけたシャツのあいだから手を入れてくる。岬の左胸に当てた。岬は何事かと目を丸くしたが、瞬はそのまま目を閉じて岬の鼓動を感じている。

「……いいな、岬の」

「何が」

「……昔からこうやって岬の脈を感じては、羨ましいと思ってた。俺は、本当は薬漬けの自分なんか知られたくなかった。いつでもお前より前にいて、待ち構えるくらいでいたかった。だけど、どうしても逆の立場になる。俺の方が岬に厄介かけると思うとたまらなく嫌だ。今は一緒にいられても、そのうちお前は俺の面倒見るのに嫌気がさすだろうし、俺は俺でお前に嫉妬し続けるんだと思う」

「嫉妬って何に」

「お前の、心臓に」

「……」

「どんなに動いても、何を飲んでも食べても、どんな場所にも耐えられるお前の心臓が羨ましい。好きでこんな体になったんじゃないのに。もし俺が、健康な体だったらそんな負い目も持たずにいつも守れる存在でいられるのに。恨めしくて仕方がない。お前の心臓が欲しい」

「―—……」

 背筋が凍った。以前、自ら心臓を使えと言った。あの言葉は嘘じゃなかったが、言うのと言われるのでは違う。自分から言い出せても「欲しい」と言われてすぐに「どうぞ」とは言えなかった。自分がいかに軽はずみな言動をしたのかと、今気付いた。

「気味悪いだろう」

 岬はゆっくり首を横に振った。

「こんな何を考えてるか分からない男の面倒を見切れるのかよ。お前を全部、俺のものにしたくて滅茶苦茶にするかもしれないぜ。それでもいいのか」

 それは岬には、精一杯の告白に聞こえた。愛を囁いたり抱き合うだけなら、誰にでもできるかもしれない。けれど、内臓を取り込みたいと思うほど執着できる相手はそうそう現れない。瞬が心臓の病を抱えているとしてもだ。自分がその相手に選ばれるならこれ以上の喜びはない、と岬は考えた。

「嬉しいよ」

 瞬は眉を顰めた。

「瞬になら、どんなに手ひどく扱われても平気だよ。心臓はあげられないかもしれないけど、心はあげられる」

「……」

「それに、そんな歪んだ考えの瞬の面倒を見れる奴、俺以外にいる?」

 瞬は岬を抱き入れて、唇を重ねた。瞬はいつも遠慮気味なキスから入る。少しだけ触れて、ちょっとずつ押し付けて、舌先で岬の唇をつついて誘い、断ることを知らずに許した途端に、するりと侵入して舌で戯れる。本能に素直になる前に離れた。

「……あいつは、どうすんだよ」

 斎藤のことを言っている。まさかこのタイミングでその話をされると思わなかった。昼間のことを正直に話すか悩んだが、余計な心配はかけまいと事実は伏せることにした。

 斎藤を想うと気が重たくなる。けれど、そのままにもできない。本当に自分は馬鹿なことをしたと思う。

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