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 まさか人を呼ぶなんて今朝は考えもしなかったので、当然部屋は汚いままだ。洗い物は溜まっているし、服も脱ぎ散らかし放題。勝手に堺は綺麗好きだという印象を持っていたので「居心地悪いだろうけど」と詫びたら、

「うちよりマシ」

 と、意外な答えが返ってきた。

「高校卒業してすぐに一人暮らしか。気ままでいいね」

「好きで家を出たわけじゃない。堺は実家暮らし?」

「一応。でも、掃除はおろか食事を作る人もいない。父親はどっかの女と浮気中。母親は鬱になってずっと寝てる。陰気な家だよ」

「それが帰りたくない理由?」

 まあね、と、境はベッドに腰掛けた。帰りに調達した飲み物はほとんどジュースだ。堺は酒が飲みたいと言っていたが、未成年なので買うこともできない。

「神崎は酒は飲んだことないの?」

「飲んだことはあるけど…」

 酒は年末の忘年会から飲んでいない。飲んだら思い出して後悔と罪悪感に駆られるからだ。また酒を飲んだら馬鹿なことをするんじゃないだろうか、何か嫌なことが起きるんじゃないだろうか。そう思うと怖くて飲めない。

「何があったの?」

 心配そうに聞かれて、俺はなぜ酒を飲まないのか、なぜひとり暮らしをしているのかを、堺に打ち明けた。
 堺は何も知らなかったようで、眉間に皺を寄せて真剣に話を聞いてくれた。自意識過剰というやつか、俺の一連の事件は学校中に知られている気がしたけど、そうでもなかったらしい。まともに会話をして間もない奴にこんな話をして、内心笑われているんじゃないだろうか。けれども堺は俺が喋っているあいだ、決して笑いも茶々を入れたりもしなかった。

「それは……本当に残念だったね」

「今になってみればさ、本当に医者になりたいのか分かんないんだよね。なんとなく流されてた。だからこうやって改めて将来を考え直すのも、いい機会かなって。矢野とも俺がこんなんだから振られた。でも俺なんか振られて当然だよな」

「きみは優しいよ」

「優しいとか言われたのも初めてだしな」

 だからは酒は飲みたくない、と缶ジュースを開けて一気に飲んだ。

「知らなかったとはいえ、気ままとか、からかった言い方して悪かったよ」

「俺もさっき不躾な質問したし、おあいこな」

「なんだっけ」

「男が好きなのかって」

「ああ………本当のことだから」

 何本目かの煙草に火を点ける。その仕草がやけに大人びていてサマになっている。純情そうな顔してこんなことが似合うなんて、もうきっと、ずっと前から染み付いた習慣なのだろう。

「なんで男が好きなのか知りたいんだろう」

 やぶから棒に言い当てられて否定できなかった。

「俺もなんでか知らない。でもたぶん、ずっと不仲な両親を見てきたから男女の愛に疑問を感じてるんだ。高一のとき、従兄に色々教えてもらった」

「色々って?」

「男同士のノウハウ」

 想像できずにたじろいだら、堺はいたずらに微笑する。

「おれは女としたことはないけど、男はけっこういいもんだよ。気持ちいいこと分かり合えるからね。気まぐれで妊娠したりしないし」

「気まぐれなのか」

「そのほうが楽だろ。真剣に好きになってうちの両親みたいになったら虚しいだけじゃないか」

 堺はジュースを飲みつつ煙草を吸いつつ、家庭の事情を話してくれた。

 堺の両親は、堺が物心ついた頃から喧嘩ばかりしていたらしい。父親は女癖が悪く、浮気を繰り返し、母親はその腹いせに生活費の半分を遊びに使っていたという。家事は堺がやっていたらしいが、なぜ自分ばかりが我慢しなくちゃいけないのかと、そのうち馬鹿馬鹿しくなってやめたのだとか。幸い従兄の兄貴を含め、好意を寄せてくる男には困らなかったので、いろんな男の家を渡り歩きながら酒と煙草とセックスを覚えたらしい。
 いつも成績もいいし、学校では特別と言っていいほどできた人間だったのに、信じられないと伝えると、堺は「学校で賢く振舞っていれば、私生活にとやかく言われないからね」と嘲笑った。

「母親はあれでも父親を愛してるんだと思う。そうじゃないと浮気のたびに怒り狂ったりしない。どうでもよければ何も言わないだろ? だけど哀れだよね。愛しても愛されないなんて。だから俺はその場しのぎのセックスでいいんだ」

 そう言いながらも、けだるそうに紫煙をくゆらせる横顔がどこか寂しげで、上下に動く長いまつ毛とフェイスラインが妖艶だった。ノーマルの俺が見ても見惚れてしまうのだ。ゲイなら尚更放っておかないだろう。

 帰りたくない、ってことは、居場所がないのかな。
 もしかして俺と同じで寂しかったりするのかな。
 そう思った次の瞬間には、口にしていた。

「いつでも遊びに来ていいよ」

「え?」

「俺はこの通りフリーターだし、バイト以外は暇だからさ。もし今日みたいにコンビニの前で暇つぶしするくらいなら、俺んち来れば話し相手にはなれるぜ。あ、でも堺はどうすんの? 就職とか進学とか」

「いや、俺もなんにも予定はないから………」

「なら、気楽に来いよ。土日はガソリンスタンドでバイトしてるけど、コンビニには大抵いる。余った弁当こっそり持って帰れるし」

「ほんとに? そんな甘やかしたら、入り浸っちゃうかも」

「合鍵はやれないぜ。カノジョじゃないからな」

「カノジョにしてくんないの? その辺の女より満足させられるぜ」

「馬鹿言え」

 もちろん冗談だと分かるから、かわせるのだ。

 それから俺たちは高校時代の穴埋めをするかのように頻繁に会うようになった。
 外で会うのは金がかかるからと、俺がバイトを終える時間帯にふらりとコンビニに現れ、ベンチで煙草を吸いながら待っている。賞味期限切れの弁当をもらって一緒に俺の部屋に帰って、夜が更けるまで語り明かした。
 過去の恋愛経験、高校時代のくだらない噂、家の愚痴。先の話はお互いあえてしない。なんの希望のない未来を語ったところで不安しかないからだ。

「学校では優秀だったのに、これが俺らの成れの果てだよ」

 なんて蔑み合う。

 正直言うと、ゲイの堺の目に俺はどう映っているのかと気になったりもした。酔った勢いで告白されたらどうしよう、なんて変な心配をしたこともある。当然そうなったら俺は応えられないのだけど、まかり間違っても堺ならいけるかな、なんて妄想までした。
 勿論、そんなことは実際にあるはずがなく。

「神崎はほかの男と違って俺のこと変な目で見ないから居心地がいい」

 と、堺も言っていたので、あいつも俺とどうこうなるのは望むところじゃないのだろう。
 それを聞いて安心したような、少し寂しいような、何故か複雑な気分になるのである。

 そんな生活が一ヶ月ほど続いた頃だった。ほぼ毎日と言っていいほどコンビニの前で待ち伏せしていた堺が、なんの前触れもなく来なくなった。初めは用事があるのだろうと軽く考えていたが、三日経っても五日経っても現れない。電話をしようとしたけれど、「もしかして、男といるんじゃないか」と思うと躊躇われた。あいつだって男だし、人間だし、相手がいるならセックスしたいはずだ。それとも知らないあいだにどこかに就職したり、引っ越したりしたかもしれない。いつまでもフラフラしていられるわけがないのだから。

 ――じゃあ、俺は?

 彼女もいない。好きな子もいない。堺が男と寝ているあいだ、せっせとバイトをして、あいつが暇になったら話し相手になるだけ?
 もしあいつが未来に向かって進んでいるとしたら、俺だけ何もないままその日その日を生きていくだけなのか?
 あの夜見た、堺のキスを思い出すと何故だか胸が痛い。

 あいつは今日、誰かとキスしたのだろうか。

 ***

 ある明け方、バイトを終えて眠い目を擦りながら帰宅した時だった。共同階段を上がってすぐ、部屋の前で人影を見た。

「久しぶりね、拓真」

「……母さん」

 築二十年は過ぎている六帖の1Kに、全身高級品で揃えた人間はこうも似合わないのかと考えた。やはりその環境にはその環境に相応しい格好というものがあるらしい。母親はあきらかに富裕層にいなければならない人間だが、反して俺は家を出て質素な生活が身について、みすぼらしい貧乏人だ。親子でもここまで差がつくと、もう別世界としか思えない。母親の訪問を歓迎しているわけじゃないが、一応の接待でペットボトルの緑茶を注いで出した。母親はやはり、手をつけなかった。フローリングに座りもせずに話し始める。

「すっかり貧相になったわね」

「仕方ないだろ。金がないんだから」

「いつまで家出ごっこを続けるの? 拗ねるのもいい加減にしなさい」

「拗ねてもねぇし、ごっこでもねぇ」

「今からでも遅くないから、予備校に通いなさい。二浪は許さないわよ。家に帰れるようお父さんに頭を下げなさい」

「誰も進学するとも浪人するとも言ってないだろ。先に俺を見放したのはそっちじゃないか。俺はもう独りで生きていくって決めたんだから、口出ししないでくれ」

「あなた、そんなに馬鹿な子だった? こんなボロアパートに住んで正社員でもないコンビニでアルバイトをして、どんどんみすぼらしくなって、それで独りで生きていくですって? 恥ずかしくてお姉ちゃんにも相談できないわ」

「その恥ずかしい存在が自ら消えてやろうとしてるんだから、それでいいだろ」

 母親は大きく溜息をついた。

「本当に分かってないのね。お父さんが拓真に冷たくしたのは、あなたに反省してもらうためなのよ。なのにあなたったら親心も知らないで勝手なことして心配かけて。独りで生きているつもりでしょうけどね、このアパート借りるためのお金はどこから出たの? あなたが今まで溜め込んだお小遣いでしょ? そのお小遣いは誰が出したの? お父さんとお母さんでしょ? 偉そうに振る舞うのは一人前になってからにしなさい」

 俺は母親の言い分を、拳を握り締めて歯を食いしばって聞いていた。両親の気持ちは本当は分かっている。父親が俺を突き放したのも、俺が家を出た時に何も言わなかったのも、俺が社会に出るにはまだ早すぎることを分からせてやろうとしたのだと。全部自分でやっていけるなんて思ってない。将来は不安ばかりだ。それでも親心というなら、高圧的な指図ではなく、まず心配の言葉を掛けてやるものじゃないのか。
 せっかく独りでやっていこうと思っていたのに、そんな子どもじみた不満を持ってしまう自分も嫌になる。

「もういいから、出てってくれよ」

「拓真、まだ分からないの? 早くアパートを出て……」

「うるさいな! 俺は帰らない! 出てってくれ!」

 まだ抗議をしている母親の背中を押して、部屋から追い出した。ドアを叩き閉めて施錠する。母親は暫くドアをドンドンと叩いて「拓真!」と叫んでいたが、俺は頑なに返事をしなかった。
 あの時、迂闊なことをして一番後悔しているのは自分なのだ。人生で初めて挫折らしい挫折をして、誰も味方がいなくて悲しかったのは俺だ。

 誰かに分かって欲しい、話を聞いて欲しい。真っ先に頭に浮かんだのは堺だった。

「くそっ、なんで来ないんだよ、あいつ……!」




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