『Je Te Veux』 1
前回の全国模試からほとんど間を空けずに校内模試があった。模試があったのは、瞬の家に行った翌々日のことだ。予想しなかったショックを受けたせいで、模試ではまったく頭が働かずに思うような結果は出せなかった。父に似て自分もメンタルが弱いことに気付く。センター試験まであまり時間がない。いよいよ浪人の可能性も頭に入れて置かなければと欝々とした。
「相当、駄目だったみたいだな」
斎藤に指摘される。
「ん……、もうやる気もなくなってきた」
「そんなにショック?」
成績が下がったことについてはさほどショックではない。身にならない勉強しかしていないと自覚があるからだ。それよりも瞬に再び拒まれたことのほうがショックだった。こればかりはもう努力しても仕様がないことである。
「なあ、これから俺の家に来いよ」
「え、斎藤の?」
「一緒に勉強しようぜ。俺、図書室の空気苦手なんだよな。俺んちなら気兼ねなく話できるだろ?」
「勉強するのか喋りに行くのか、どっちだよ」
「だから、分からない問題教えてもらうのに、気兼ねしなくていいだろってこと」
あまり気は進まないが、気分転換にはいいかもしれない。どうせ家に帰ってもひとりだと集中できないだろう。岬は了承して、いつもの別れ道である交差点から斎藤の家に連れ立って向かった。
「親はいないんだ。俺の部屋は二階に上がってすぐの部屋だから待ってて。飲み物持っていくから」
斎藤の部屋は六帖の洋室で、部活をしていた名残か部屋の至るところに野球道具が置かれている。まめに整理整頓をするほうではないようだ。
斎藤はキャッチャーで、常にスタメンだった。部そのものは強くはないが、斎藤個人の能力は高かったのだろう。使い古した防具やミット、引退の際に後輩からもらったのか、本棚に飾られている色紙には彼の活躍を称賛した言葉が数多く書かれている。それらを見ていると、斎藤という人間を身近に感じることができた。
「何、見てんの?」
ジュースを盆に載せて斎藤が部屋に入る。
「なんかさ、こういうの見てたら、俺って斎藤とずっと一緒にいながら、斎藤のことあんまり知らなかったんだなって気がして」
「ふーん? 知る気がなかったんじゃなくて?」
意地悪気に言われる。「なんだよ、それ」と言いながらも目を合わせられないのは、図星を突かれたからかもしれない。
「その辺座れよ、それともベッドに一緒に座るか?」
「馬鹿」
部屋の中心にある座卓前に腰を下ろした。
「斎藤はなんの教科が苦手なんだっけ。国語?」
「英語。数学はわりと得意」
「キャッチャーって数学得意って聞いたことある」
「たまたまだろ。……もう始めるの?」
「勉強しに来たんだろ」
「そんなに生真面目にする必要なくない? 俺の前で。それとも俺の前だからか?」
さっきから挑発するようなことを言ってくる。ここで乗せられたらまずいことになるのは分かっていたので、岬は沈黙することで対応を避けた。
「……俺、あとで病院行かなきゃいけないから」
「もっともらしいな」
どこか機嫌が悪いようにも見えるが、まったく理由が分からない。
「……なんか、怒ってる?」
「このあいだ病院で一緒だった奴、誰だよ」
それか、と納得した。岬は焦ることもなく「知り合いだよ」と答えたが、その冷静さがかえって気に障ったらしかった。
「普通の知り合いには見えなかったけど。あの日、学校終わってから病院にすっ飛んで行ったよな。てっきり親父さんの病室に行ったのかと思ったけど、あの男と一緒だった。抱き締められてたよな」
「……あれは、ふざけ合ってただけで……」
「岬が男に免疫があるのって、あいつのせい? 付き合ってたとか」
「違う」
「そうでなくても、なんかしら、あるよな?」
「ない」
絶対にバレてはいけないと思った。自分が責められたり侮蔑されるのは構わない。心配なのは斎藤の怒りが瞬に向けられることだった。考えすぎであればいいが、万が一、斎藤が瞬に直接、迫りでもしたら余計なストレスを与えかねない。それだけは避けなければならない。
斎藤は意地でも岬の本心を暴こうとしてくる。岬もまた意地でそれを否定する。
「もしかして今でも付き合ってんのか」
「だから、ない! そんなんじゃないって!」
「……そっか」
諦めたかと油断した一瞬の隙に、斎藤は岬を押し倒して強引に唇を奪った。無理やり舌を入れてくる。喉の奥まで押し込まれて苦しさのあまり抵抗するが、斎藤の肩はびくともしない。同じ年齢でも、こうも力に差があるものなのかと非力さが恨めしい。
「……っ、んぅ……はぁッ……んんっ」
一度離れたと思っても、すぐに塞がれる。強引なキスを続けられながら、両脚のあいだに斎藤の体が割り込んでくる。膝で下半身を擦られ、その刺激で思わず体が跳ねた。
「やっ……やめ……」
「なんで?」
「な、なんでって……」
「俺ら、付き合ってんだよな」
はっきり言って、あの時はやけくそだった。けれども、理由がやけくそであろうがなかろうが、斎藤を受け入れたのは紛れもない事実だ。
「だけど、こんなのは嫌だっ……」
「こんなのって? 付き合ってりゃ、ヤるときゃヤるんだよ。何も変じゃない。俺が今までどれだけ我慢してきたか、お前を大事にしてきたか分かるか?」
付き合ってから斎藤は岬に優しかった。キスは迫られたが、その先を強要することはなかった。それは彼がその行為を躊躇しているのではなく、岬を想ってこそだ。大事にされていることくらい分かっている。そして斎藤の気遣いを知りながらも、その想いに前向きに応えようとしない自分の卑劣さにも。
「あの男とはなんでもないんだろ? じゃあ後ろめたさもないよな?」
「……で、でも」
「抱かせろ」
低くそう言った斎藤の眼は座っている。まともに話ができる状態ではなさそうだ。そんな状態で自分に覆い被さっている斎藤がとてつもなく恐怖だった。
「や、やめて……斎藤……」
斎藤は岬のシャツをこじ開けて、手を滑り込ませた。大きな手だが、瞬とはまた違う、武骨で力強い手だ。軽く撫でられているだけなのに圧迫感がある。岬は重圧に耐えるようにギュッと目を窄めた。斎藤は岬の胸に舌を這わせ、先端に痛みを感じるほどに吸い付いた。歯を立てられ、岬は顔を歪める。
「い……ッ……」
斎藤も焦りがあるのか、細やかな工程は無視して弱点であろう箇所をダイレクトに触ってくる。斎藤の想いに応えたいのに、集中しようと思えば思うほどに意識と体は比例しない。瞬の時とは反対だった。あの時はいけないことだと思いながらも、触れられると体を許してしまったし、痛くても苦しくても、それ以上の快感にもっと欲しいと願った。
――瞬に会いたい……。
こんな時ですら瞬のことを考えるのが馬鹿馬鹿しい。斎藤が岬のズボンに手を掛けた時、岬はとうとう耐え切れなくなって斎藤を突き飛ばした。解放されて岬は急いで部屋から出ようと体を起こすが、後襟を掴まれてベッドにうつ伏せで押し付けられる。
「さっ、斎藤! やめて! やめてくれ!」
「黙れ」
背後からベルトを外し、直に掴む。力を込められて、強制的に反応させることは出来てもひとつも気持ち良いと思えない。痛くて、ただ恐怖しかなかった。「やめてくれ」と叫んでも斎藤は聞き入れない。
「俺を、見ろよ」
髪を掴まれ、無理やりに斎藤に向かされる。目を合わせるのが怖かった。やっとの思いで振りほどいて逃げようとしても、すぐに捉えられて乱暴に引き摺り戻された。
――これが付き合うってことなのか?
岬は心の中で叫んだが、それを声にはできなかった。力づくでどうにかしようとしても、心なんか手に入らない。けれど、そうなるまで彼を怒らせたのは他でもない自分なのだ。忘れられない相手がいるのに中途半端に期待を持たせて、受け入れて、それでもまだ腹を括らずに斎藤を直視しないよう避けてきた。
岬の着衣を剥がそうとする斎藤はもはや暴力的だった。岬は泣きながら許しを乞うが、そんな訴えも届かない。必死に抵抗するうちに斎藤の脛を蹴ってしまい、態勢を崩したところを押しのけた。乱れたシャツの胸元を握り締めて、出口へ向かう。斎藤はそのまま膝をついてうずくまり、声を震わせながら投げかける。
「なんでだよ……」
「ご、ごめ……ごめん、斎藤……ごめ……俺、やっぱり……」
お前とは付き合えない、と、小さく言って、部屋を飛び出した。
⇒
「相当、駄目だったみたいだな」
斎藤に指摘される。
「ん……、もうやる気もなくなってきた」
「そんなにショック?」
成績が下がったことについてはさほどショックではない。身にならない勉強しかしていないと自覚があるからだ。それよりも瞬に再び拒まれたことのほうがショックだった。こればかりはもう努力しても仕様がないことである。
「なあ、これから俺の家に来いよ」
「え、斎藤の?」
「一緒に勉強しようぜ。俺、図書室の空気苦手なんだよな。俺んちなら気兼ねなく話できるだろ?」
「勉強するのか喋りに行くのか、どっちだよ」
「だから、分からない問題教えてもらうのに、気兼ねしなくていいだろってこと」
あまり気は進まないが、気分転換にはいいかもしれない。どうせ家に帰ってもひとりだと集中できないだろう。岬は了承して、いつもの別れ道である交差点から斎藤の家に連れ立って向かった。
「親はいないんだ。俺の部屋は二階に上がってすぐの部屋だから待ってて。飲み物持っていくから」
斎藤の部屋は六帖の洋室で、部活をしていた名残か部屋の至るところに野球道具が置かれている。まめに整理整頓をするほうではないようだ。
斎藤はキャッチャーで、常にスタメンだった。部そのものは強くはないが、斎藤個人の能力は高かったのだろう。使い古した防具やミット、引退の際に後輩からもらったのか、本棚に飾られている色紙には彼の活躍を称賛した言葉が数多く書かれている。それらを見ていると、斎藤という人間を身近に感じることができた。
「何、見てんの?」
ジュースを盆に載せて斎藤が部屋に入る。
「なんかさ、こういうの見てたら、俺って斎藤とずっと一緒にいながら、斎藤のことあんまり知らなかったんだなって気がして」
「ふーん? 知る気がなかったんじゃなくて?」
意地悪気に言われる。「なんだよ、それ」と言いながらも目を合わせられないのは、図星を突かれたからかもしれない。
「その辺座れよ、それともベッドに一緒に座るか?」
「馬鹿」
部屋の中心にある座卓前に腰を下ろした。
「斎藤はなんの教科が苦手なんだっけ。国語?」
「英語。数学はわりと得意」
「キャッチャーって数学得意って聞いたことある」
「たまたまだろ。……もう始めるの?」
「勉強しに来たんだろ」
「そんなに生真面目にする必要なくない? 俺の前で。それとも俺の前だからか?」
さっきから挑発するようなことを言ってくる。ここで乗せられたらまずいことになるのは分かっていたので、岬は沈黙することで対応を避けた。
「……俺、あとで病院行かなきゃいけないから」
「もっともらしいな」
どこか機嫌が悪いようにも見えるが、まったく理由が分からない。
「……なんか、怒ってる?」
「このあいだ病院で一緒だった奴、誰だよ」
それか、と納得した。岬は焦ることもなく「知り合いだよ」と答えたが、その冷静さがかえって気に障ったらしかった。
「普通の知り合いには見えなかったけど。あの日、学校終わってから病院にすっ飛んで行ったよな。てっきり親父さんの病室に行ったのかと思ったけど、あの男と一緒だった。抱き締められてたよな」
「……あれは、ふざけ合ってただけで……」
「岬が男に免疫があるのって、あいつのせい? 付き合ってたとか」
「違う」
「そうでなくても、なんかしら、あるよな?」
「ない」
絶対にバレてはいけないと思った。自分が責められたり侮蔑されるのは構わない。心配なのは斎藤の怒りが瞬に向けられることだった。考えすぎであればいいが、万が一、斎藤が瞬に直接、迫りでもしたら余計なストレスを与えかねない。それだけは避けなければならない。
斎藤は意地でも岬の本心を暴こうとしてくる。岬もまた意地でそれを否定する。
「もしかして今でも付き合ってんのか」
「だから、ない! そんなんじゃないって!」
「……そっか」
諦めたかと油断した一瞬の隙に、斎藤は岬を押し倒して強引に唇を奪った。無理やり舌を入れてくる。喉の奥まで押し込まれて苦しさのあまり抵抗するが、斎藤の肩はびくともしない。同じ年齢でも、こうも力に差があるものなのかと非力さが恨めしい。
「……っ、んぅ……はぁッ……んんっ」
一度離れたと思っても、すぐに塞がれる。強引なキスを続けられながら、両脚のあいだに斎藤の体が割り込んでくる。膝で下半身を擦られ、その刺激で思わず体が跳ねた。
「やっ……やめ……」
「なんで?」
「な、なんでって……」
「俺ら、付き合ってんだよな」
はっきり言って、あの時はやけくそだった。けれども、理由がやけくそであろうがなかろうが、斎藤を受け入れたのは紛れもない事実だ。
「だけど、こんなのは嫌だっ……」
「こんなのって? 付き合ってりゃ、ヤるときゃヤるんだよ。何も変じゃない。俺が今までどれだけ我慢してきたか、お前を大事にしてきたか分かるか?」
付き合ってから斎藤は岬に優しかった。キスは迫られたが、その先を強要することはなかった。それは彼がその行為を躊躇しているのではなく、岬を想ってこそだ。大事にされていることくらい分かっている。そして斎藤の気遣いを知りながらも、その想いに前向きに応えようとしない自分の卑劣さにも。
「あの男とはなんでもないんだろ? じゃあ後ろめたさもないよな?」
「……で、でも」
「抱かせろ」
低くそう言った斎藤の眼は座っている。まともに話ができる状態ではなさそうだ。そんな状態で自分に覆い被さっている斎藤がとてつもなく恐怖だった。
「や、やめて……斎藤……」
斎藤は岬のシャツをこじ開けて、手を滑り込ませた。大きな手だが、瞬とはまた違う、武骨で力強い手だ。軽く撫でられているだけなのに圧迫感がある。岬は重圧に耐えるようにギュッと目を窄めた。斎藤は岬の胸に舌を這わせ、先端に痛みを感じるほどに吸い付いた。歯を立てられ、岬は顔を歪める。
「い……ッ……」
斎藤も焦りがあるのか、細やかな工程は無視して弱点であろう箇所をダイレクトに触ってくる。斎藤の想いに応えたいのに、集中しようと思えば思うほどに意識と体は比例しない。瞬の時とは反対だった。あの時はいけないことだと思いながらも、触れられると体を許してしまったし、痛くても苦しくても、それ以上の快感にもっと欲しいと願った。
――瞬に会いたい……。
こんな時ですら瞬のことを考えるのが馬鹿馬鹿しい。斎藤が岬のズボンに手を掛けた時、岬はとうとう耐え切れなくなって斎藤を突き飛ばした。解放されて岬は急いで部屋から出ようと体を起こすが、後襟を掴まれてベッドにうつ伏せで押し付けられる。
「さっ、斎藤! やめて! やめてくれ!」
「黙れ」
背後からベルトを外し、直に掴む。力を込められて、強制的に反応させることは出来てもひとつも気持ち良いと思えない。痛くて、ただ恐怖しかなかった。「やめてくれ」と叫んでも斎藤は聞き入れない。
「俺を、見ろよ」
髪を掴まれ、無理やりに斎藤に向かされる。目を合わせるのが怖かった。やっとの思いで振りほどいて逃げようとしても、すぐに捉えられて乱暴に引き摺り戻された。
――これが付き合うってことなのか?
岬は心の中で叫んだが、それを声にはできなかった。力づくでどうにかしようとしても、心なんか手に入らない。けれど、そうなるまで彼を怒らせたのは他でもない自分なのだ。忘れられない相手がいるのに中途半端に期待を持たせて、受け入れて、それでもまだ腹を括らずに斎藤を直視しないよう避けてきた。
岬の着衣を剥がそうとする斎藤はもはや暴力的だった。岬は泣きながら許しを乞うが、そんな訴えも届かない。必死に抵抗するうちに斎藤の脛を蹴ってしまい、態勢を崩したところを押しのけた。乱れたシャツの胸元を握り締めて、出口へ向かう。斎藤はそのまま膝をついてうずくまり、声を震わせながら投げかける。
「なんでだよ……」
「ご、ごめ……ごめん、斎藤……ごめ……俺、やっぱり……」
お前とは付き合えない、と、小さく言って、部屋を飛び出した。
⇒
スポンサーサイト