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平等にあるもの4

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 土曜の午後、珍しく私服姿で岬が瞬のマンションを訪ねてきた。自転車を走らせてきたのだと、鼻と頬を赤くして笑っていた。

「家で勉強しろよ、受験生」

「午前中いっぱい、ずっとしてたよ。ちょっと休憩」

 リビングに入り、いつもの割合でコーヒーを出した。岬はそれを美味そうにすする。温まったのか、岬はダウンジャケットを脱いだ。今日は今年一番の寒さと天気予報で聞いたが、薄いカットソーしか着ていない。衣服越しに浮く肩甲骨や白いうなじが健康的で美しく、思わず湧いた腕に招き入れたいという欲求を堪えた。瞬に振り向いた岬は、無垢な顔で言う。

「ねぇ、ピアノ弾いてよ」

「いいけど、なんの」

「なんか、明るい曲がいいな」

「『A列車でいこう』」

「ジャズも弾けるんだ。さすがだね」

 ピアノの前に座り、鍵盤に手を添えようとした時、岬のスマートフォンが鳴った。

「あ、ごめん」

 着信相手を確認すると、岬はほんの一瞬だけ表情を強張らせて、応答せずにスマートフォンをしまった。ポケットの中で暫く鳴り続いたが、それが止むと岬は「ごめんね」と言い直して、ピアノを催促する。電話の相手が誰なのか、察しがついてしまった。

「……出なくて良かったのか」

「……うん、またあとで掛けるし」

「怪しまれるんじゃないのか、『彼氏』に」

 岬の口元から、ゆっくり笑みが消えた。

「違……」

「違わねぇだろ。ただの友達が、『あんな風』に触ると思うか?」

 病院で斎藤が岬の髪を撫でた時のことを言った。岬は心当たりがあるせいで反論できずにいる。正直すぎる反応に、また苛々と嫉妬心が蘇る。瞬は決断を早めた。

「やっぱり、俺はお前とは会わないほうがいい」

「な、なんで……」

「お前に俺は抱えきれないよ。いつ倒れたりするか分からない奴と一緒にいても気が気じゃないだろう」

「そんなことない」

「病人に付添うことがどれだけ大変なことか、お前ならとっくに分かってるはずだ」

「……分かってるからこそ、俺がいるべきなんだ」

「俺なんかのために貴重な青春を無駄にするな。……斎藤だっけ? カレシ。健康そうで頼りがいのありそうな奴じゃないか」

 あえて自分と正反対のことを言うことで、自分では岬に釣り合わないことを意識しようと、また、させようとした。瞬の意図に気付いている岬は、返す言葉を探すうちに瞳をゆらゆらと揺らした。泣きそう、と思った直後に涙が落ちて、瞬はやっぱり、と、鼻で笑う。

「ほんっとに、すぐ泣くよな。それとも岬チャンって呼んだほうがいいか?」

 岬は言われて腕で顔を擦る。

「俺はそんなに……迷惑なの……」

「あーそんなすぐに泣かれちゃ迷惑だな。なんかある度に泣いてたんじゃ、身がもたないぜ。だから、ほんと、……もう来るな」

 それでも岬はその場に佇んだまま動かなかった。こういうところの岬はけっこう頑固だと瞬は思う。

「また約束がどうのって言われちゃ困るから、一曲弾いてやる。それ聴いたら帰れ」

 瞬はピアノを弾く時、曲に感情を合わせるのが得意だ。自分がどんなに暗い気分であっても、音楽の中では明るくなれるし、哀しくもなれる。ピアノは瞬にとって感情をコントロールできる唯一の方法なのだ。それなのに隣にいる岬のすすり泣きのほうに、耳がいく。ピアノの音が入ってこない。それは瞬にとって初めてのことだった。


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