拒絶2
***
「成績が下がってきてるな」
このところ思うような結果が出せず、授業で行われる小テストですら満点を取れなくなった。ついに個別に呼び出されてしまったのだ。
「まあ、それでもまだB判定だし、少しくらいのスランプは誰にでもあるんだけどな。お前は今までずっとムラなく良かったから、今になってこんなに下がると少し心配だな」
「……すみません。次は頑張ります」
何に対して謝っているのか分からないが、とりあえず「頑張ります」と言っておけばいい。
「何かあったのか?」
担任には父のことを話していない。家庭のことで変に気を遣われて周囲に誤解されたくないし、成績が下がった原因を父のせいにしたくはなかった。
勉強に集中できないのは、何も父のことだけではない。一日の大半、考えているのは瞬のことだ。あれだけ拒絶されたのに、まだ過去に囚われて瞬も自分と同じ気持ちであって欲しいと願う毎日だ。瞬の持病がなんなのかも気になって仕方がない。勉強に集中しなければと思うほど他事を考えてしまい、捗らずに時間が流れる。そしてたいして成果がないまま深夜を迎えて、無駄に寝不足になるのだ。結局、理由がどうであれ、岬が勉強に集中できていないことが一番の原因だった。
「……何もありません。しいていうなら風邪気味だったくらいです」
まったくの嘘であるが、担任は「そうか」と鵜呑みにした。
「体調管理も大事だぞ。気を付けろよ」
「はい、失礼します」
渡された全国模試の結果を、ぐしゃりと丸めて鞄に突っ込んだ。母は岬の成績について心配していないので、模試の手応えや結果をいちいち聞かない。だから岬の成績が落ちてきていることを知らない。たまに「どうだったの?」と聞かれても「いつも通り」と答えればそれで満足する。これが良いのか悪いのか分からないが、余計な心配を掛けなくて済むという点では良しとしている。靴箱の前で、斎藤が立っていた。
「呼び出されたんだって? 何、言われたんだ?」
「成績が下がってるから、ちゃんとしろって」
「それでも俺なんかより、よっぽど良いだろ?」
確かに斎藤は岬より成績は劣る。授業中も、よく居眠りをしてはノートを取り損ねて授業に付いて行けず、最終的に岬に助けを求めてくる。三年に上がってからその頻度は減ったが、野球部での練習が盛んだった二年の時は毎日のように尻を拭かされたものだ。
ただ、斎藤は一度も追試を受けたことはない。赤点だけは取らない程度にしていると、以前言っていた。要領は良いらしい。本気を出せば上位者になれるだろうに、本人にその気がないのが惜しむらくところだ。
「斎藤はどこの大学にするの? 県外?」
「東京か大阪」
「極端だな」
「都会であればどこでもいいのよ、俺は」
いつの間にか連れ立って帰っている。一緒に下校するのが決まり事なわけではないが、帰り道が同じなのでいつも斎藤が岬のあとを付いてくる。ひと気の少ない路地に入った途端、斎藤は岬との距離を突然、縮めた。やけに密着してくるな、と思った直後に、斎藤は岬の肩を抱いて顔を近付けた。咄嗟に避けたら「避けんな」と言って顎を掴み、無理やりに唇を捉えた。
「……っ……やっ……めろっ」
危うく舌を入れられそうになったところ、胸を押して阻止した。
「こんなところで、何を考えてるんだよ」
「俺は確信したんだ。岬は間違いなく、俺と同類だ」
「違う、勝手に決めるな」
「からかわれたからってノーマルの男が男とキスできるか? お前は動揺の『ど』の字も見せず、平然としてた。免疫があるんじゃないのか」
「……からかっただけなのか」
そうではないかとは思っていた。だが、実際にそれを耳にして迂闊にもまんまと乗せられたことが情けなくて、それを怒りとして斎藤に向けた。
「本当にするとは思わなかったな」
「……最低」
「あれ、誤解してる? 俺が岬のことを好きなのは事実だぜ。お前が平気そうなのが意外だっただけなんだ」
自分に対する呆れと斎藤に対する憤りで溜息をつくしかない。ここで付き合って抗議してもきりがないと思い、岬は斎藤を通り過ぎた。しかし、腕を捉えられて塀に押しやられる。
「またからかってるだけなら、やめてくれ」
「からかってない。……俺と付き合えよ」
「……斎藤のことは友達として好きだ。それ以上になるつもりはないんだ。キスだって、お前の要求に応えただけにすぎないよ」
「最初はそんなもんさ。付き合えば分かる」
なにが分かるって言うんだ、という言葉を飲み込んだ。大概しつこい。
「男同士のほうが、お互いイイところ分かるから、満足度高いぜ?」
その行為がどれだけ気持ちの良いことかは既に知っている。ただ、それは相手が瞬であることが前提だ。
――好きだよ。――
耳元で囁いた瞬の声が鮮明に蘇り、反射で顔が熱くなる。斎藤はそれを見て勘違いをした。
「赤くなっちゃって、お前マジで可愛いな。なに、女ともヤッたことない?」
手を振り上げたら、あっさり手首を掴まれた。斎藤は両肘を塀について岬を封じ、鼻先がぶつかる直前まで顔を近付けて、低い声で言った。
「いい加減、俺の気持ちも分かれよ」
斎藤が岬にどの程度本気なのかは図りかねるが、好きな相手に拒否され続けることがどれほど辛いことか岬も充分、身に染みている。瞬は、忘れろと言った。会いに来るなと突き飛ばした。その機会を斎藤が与えてくれていると思うしかない。岬は返事をする代わりに、目を閉じた。斎藤はすぐさま、キスをした。舌で無理やり岬の唇をこじ開ける。強引で押しつけがましい、自己満足のキスである。
岬はあくまで受け入れるだけで、同調はしない。斎藤と息を交えながら、どうしても違和感を取り除くことができなかった。
―――
岬の位置付けが変わると、斎藤の岬に対する態度が以前より違うように思えた。まず、物の言い方が柔らかくなった。頼み事ひとつするのにも高圧的な命令口調だったのが、最近では許可を求めるように下出に出る。
「悪いんだけど、さっきの授業の総まとめ、教えてくんない?」
そんな風に言われると断れず、
「お前、やっぱ頭良いんだな。スゲー分かりやすかったわ」
と、言って今度は頭を撫でられる。
乱暴に肩を掴まれたり、髪の毛を搔き乱されることはよくあったが、撫でられたり優しく扱われることはなかったので、密着されても「やめろ」とは言い辛かった。
図書室で勉強をしていたらひょっこり現れて目の前に座り、おもむろにノートを広げる。一緒に勉強をするというより、岬の気が済むまで傍で待っている、というように見えた。無駄に話しかけてもこず、ちょっかいも出さず、存在を主張しながらも岬が気兼ねないように好きなことをしている。そうなると「そろそろ帰ろうか」とこちらから声を掛けないわけにもいかず、結局毎日、一緒に下校する流れとなり、ひと気のない路地でキスを迫られる羽目になる。
斎藤とのキスは正直なところ、何か特別な感情を抱いたことはない。言ってしまえば義務のようなものだった。申し訳ないとは思うが、どうしてもこれが恋人同士のキスとは思えないのだ。
「口、そんな閉じるなよ」
言われて唇の力を抜く。無理やり舌を絡ませながら、斎藤は岬の太腿に手を添える。
「んっ……、それは、ちょっと……こんなところだし」
「……それも、そうだな。寒いしな」
「助かった」と思ってしまったことに罪悪感を覚える。斎藤はキスは迫ってもそれ以上のことはしてこないし、進もうとしても岬が止めるとすんなり退く。さすがに彼も時期尚早と考えているのだろう。
「今度、俺も親父さんのお見舞い行ってもいいか?」
「え? なんで?」
「ずっと前にさ、学校帰りにスゲー雨降ってて、傘なくてビショ濡れだった時に車乗せてくれたことあったじゃん」
「ああ、そういえばあったね」
二年の頃の話である。試験期間で部活動がない週間だった。午後から降り出した雨に身動きが取れなかった時、岬の父がちょうど仕事で近くにいるからと車で迎えに来てくれた。岬はなんの被害もなく済んだが、道中で車の中から、ずぶ濡れで全力疾走している斎藤を見かけて、父が「乗りなさい」と声を掛けたことがあった。シートが濡れるからけっこうですと断った斎藤に、父は「子どもがそんな気遣いをするものじゃない」と笑って、招き入れた。斎藤が父に会ったのは後にも先にもその一度だけだが、斎藤は暫くそのことをひどく感謝していた。いまだに覚えているとは思わなかった。
「あの時のお礼じゃないけど、一度くらいは、と思って」
「そっか」
斎藤の心遣いは素直に嬉しいが、いくら友人でも弱っている父の姿を見せるのは躊躇われた。
「ありがとう、でも気持ちだけもらっとく。父さんにも斎藤のこと伝えとく」
「そう? ……俺にできることあったら言えよ」
「ありがとう」
岬が考える以上に、岬は大事にされている。斎藤が特別な相手にはこうも態度を変えてくるとは思いもよらず、ただ戸惑うばかりだ。もともと斎藤のことは嫌いじゃない。もしかしたら、こんな穏やかな付き合いを続けるうちに斎藤のことを恋人として好きになれる日が来るかもしれないと、祈るように思った。
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「成績が下がってきてるな」
このところ思うような結果が出せず、授業で行われる小テストですら満点を取れなくなった。ついに個別に呼び出されてしまったのだ。
「まあ、それでもまだB判定だし、少しくらいのスランプは誰にでもあるんだけどな。お前は今までずっとムラなく良かったから、今になってこんなに下がると少し心配だな」
「……すみません。次は頑張ります」
何に対して謝っているのか分からないが、とりあえず「頑張ります」と言っておけばいい。
「何かあったのか?」
担任には父のことを話していない。家庭のことで変に気を遣われて周囲に誤解されたくないし、成績が下がった原因を父のせいにしたくはなかった。
勉強に集中できないのは、何も父のことだけではない。一日の大半、考えているのは瞬のことだ。あれだけ拒絶されたのに、まだ過去に囚われて瞬も自分と同じ気持ちであって欲しいと願う毎日だ。瞬の持病がなんなのかも気になって仕方がない。勉強に集中しなければと思うほど他事を考えてしまい、捗らずに時間が流れる。そしてたいして成果がないまま深夜を迎えて、無駄に寝不足になるのだ。結局、理由がどうであれ、岬が勉強に集中できていないことが一番の原因だった。
「……何もありません。しいていうなら風邪気味だったくらいです」
まったくの嘘であるが、担任は「そうか」と鵜呑みにした。
「体調管理も大事だぞ。気を付けろよ」
「はい、失礼します」
渡された全国模試の結果を、ぐしゃりと丸めて鞄に突っ込んだ。母は岬の成績について心配していないので、模試の手応えや結果をいちいち聞かない。だから岬の成績が落ちてきていることを知らない。たまに「どうだったの?」と聞かれても「いつも通り」と答えればそれで満足する。これが良いのか悪いのか分からないが、余計な心配を掛けなくて済むという点では良しとしている。靴箱の前で、斎藤が立っていた。
「呼び出されたんだって? 何、言われたんだ?」
「成績が下がってるから、ちゃんとしろって」
「それでも俺なんかより、よっぽど良いだろ?」
確かに斎藤は岬より成績は劣る。授業中も、よく居眠りをしてはノートを取り損ねて授業に付いて行けず、最終的に岬に助けを求めてくる。三年に上がってからその頻度は減ったが、野球部での練習が盛んだった二年の時は毎日のように尻を拭かされたものだ。
ただ、斎藤は一度も追試を受けたことはない。赤点だけは取らない程度にしていると、以前言っていた。要領は良いらしい。本気を出せば上位者になれるだろうに、本人にその気がないのが惜しむらくところだ。
「斎藤はどこの大学にするの? 県外?」
「東京か大阪」
「極端だな」
「都会であればどこでもいいのよ、俺は」
いつの間にか連れ立って帰っている。一緒に下校するのが決まり事なわけではないが、帰り道が同じなのでいつも斎藤が岬のあとを付いてくる。ひと気の少ない路地に入った途端、斎藤は岬との距離を突然、縮めた。やけに密着してくるな、と思った直後に、斎藤は岬の肩を抱いて顔を近付けた。咄嗟に避けたら「避けんな」と言って顎を掴み、無理やりに唇を捉えた。
「……っ……やっ……めろっ」
危うく舌を入れられそうになったところ、胸を押して阻止した。
「こんなところで、何を考えてるんだよ」
「俺は確信したんだ。岬は間違いなく、俺と同類だ」
「違う、勝手に決めるな」
「からかわれたからってノーマルの男が男とキスできるか? お前は動揺の『ど』の字も見せず、平然としてた。免疫があるんじゃないのか」
「……からかっただけなのか」
そうではないかとは思っていた。だが、実際にそれを耳にして迂闊にもまんまと乗せられたことが情けなくて、それを怒りとして斎藤に向けた。
「本当にするとは思わなかったな」
「……最低」
「あれ、誤解してる? 俺が岬のことを好きなのは事実だぜ。お前が平気そうなのが意外だっただけなんだ」
自分に対する呆れと斎藤に対する憤りで溜息をつくしかない。ここで付き合って抗議してもきりがないと思い、岬は斎藤を通り過ぎた。しかし、腕を捉えられて塀に押しやられる。
「またからかってるだけなら、やめてくれ」
「からかってない。……俺と付き合えよ」
「……斎藤のことは友達として好きだ。それ以上になるつもりはないんだ。キスだって、お前の要求に応えただけにすぎないよ」
「最初はそんなもんさ。付き合えば分かる」
なにが分かるって言うんだ、という言葉を飲み込んだ。大概しつこい。
「男同士のほうが、お互いイイところ分かるから、満足度高いぜ?」
その行為がどれだけ気持ちの良いことかは既に知っている。ただ、それは相手が瞬であることが前提だ。
――好きだよ。――
耳元で囁いた瞬の声が鮮明に蘇り、反射で顔が熱くなる。斎藤はそれを見て勘違いをした。
「赤くなっちゃって、お前マジで可愛いな。なに、女ともヤッたことない?」
手を振り上げたら、あっさり手首を掴まれた。斎藤は両肘を塀について岬を封じ、鼻先がぶつかる直前まで顔を近付けて、低い声で言った。
「いい加減、俺の気持ちも分かれよ」
斎藤が岬にどの程度本気なのかは図りかねるが、好きな相手に拒否され続けることがどれほど辛いことか岬も充分、身に染みている。瞬は、忘れろと言った。会いに来るなと突き飛ばした。その機会を斎藤が与えてくれていると思うしかない。岬は返事をする代わりに、目を閉じた。斎藤はすぐさま、キスをした。舌で無理やり岬の唇をこじ開ける。強引で押しつけがましい、自己満足のキスである。
岬はあくまで受け入れるだけで、同調はしない。斎藤と息を交えながら、どうしても違和感を取り除くことができなかった。
―――
岬の位置付けが変わると、斎藤の岬に対する態度が以前より違うように思えた。まず、物の言い方が柔らかくなった。頼み事ひとつするのにも高圧的な命令口調だったのが、最近では許可を求めるように下出に出る。
「悪いんだけど、さっきの授業の総まとめ、教えてくんない?」
そんな風に言われると断れず、
「お前、やっぱ頭良いんだな。スゲー分かりやすかったわ」
と、言って今度は頭を撫でられる。
乱暴に肩を掴まれたり、髪の毛を搔き乱されることはよくあったが、撫でられたり優しく扱われることはなかったので、密着されても「やめろ」とは言い辛かった。
図書室で勉強をしていたらひょっこり現れて目の前に座り、おもむろにノートを広げる。一緒に勉強をするというより、岬の気が済むまで傍で待っている、というように見えた。無駄に話しかけてもこず、ちょっかいも出さず、存在を主張しながらも岬が気兼ねないように好きなことをしている。そうなると「そろそろ帰ろうか」とこちらから声を掛けないわけにもいかず、結局毎日、一緒に下校する流れとなり、ひと気のない路地でキスを迫られる羽目になる。
斎藤とのキスは正直なところ、何か特別な感情を抱いたことはない。言ってしまえば義務のようなものだった。申し訳ないとは思うが、どうしてもこれが恋人同士のキスとは思えないのだ。
「口、そんな閉じるなよ」
言われて唇の力を抜く。無理やり舌を絡ませながら、斎藤は岬の太腿に手を添える。
「んっ……、それは、ちょっと……こんなところだし」
「……それも、そうだな。寒いしな」
「助かった」と思ってしまったことに罪悪感を覚える。斎藤はキスは迫ってもそれ以上のことはしてこないし、進もうとしても岬が止めるとすんなり退く。さすがに彼も時期尚早と考えているのだろう。
「今度、俺も親父さんのお見舞い行ってもいいか?」
「え? なんで?」
「ずっと前にさ、学校帰りにスゲー雨降ってて、傘なくてビショ濡れだった時に車乗せてくれたことあったじゃん」
「ああ、そういえばあったね」
二年の頃の話である。試験期間で部活動がない週間だった。午後から降り出した雨に身動きが取れなかった時、岬の父がちょうど仕事で近くにいるからと車で迎えに来てくれた。岬はなんの被害もなく済んだが、道中で車の中から、ずぶ濡れで全力疾走している斎藤を見かけて、父が「乗りなさい」と声を掛けたことがあった。シートが濡れるからけっこうですと断った斎藤に、父は「子どもがそんな気遣いをするものじゃない」と笑って、招き入れた。斎藤が父に会ったのは後にも先にもその一度だけだが、斎藤は暫くそのことをひどく感謝していた。いまだに覚えているとは思わなかった。
「あの時のお礼じゃないけど、一度くらいは、と思って」
「そっか」
斎藤の心遣いは素直に嬉しいが、いくら友人でも弱っている父の姿を見せるのは躊躇われた。
「ありがとう、でも気持ちだけもらっとく。父さんにも斎藤のこと伝えとく」
「そう? ……俺にできることあったら言えよ」
「ありがとう」
岬が考える以上に、岬は大事にされている。斎藤が特別な相手にはこうも態度を変えてくるとは思いもよらず、ただ戸惑うばかりだ。もともと斎藤のことは嫌いじゃない。もしかしたら、こんな穏やかな付き合いを続けるうちに斎藤のことを恋人として好きになれる日が来るかもしれないと、祈るように思った。
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