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 深夜のホテル街でたまたま見かけたのがアイツじゃなかったら、こんなに目を奪われることはなかっただろう。
 初めて見た他人のキスは、あやしいネオンの中で濃厚に交わされる誰だか知らない男と同級生のものだった。
 堺修也。成績優秀、色白で華奢のわりには運動神経も良く、雑誌のモデルみたいに中性的で整った顔立ちは男女問わずに人気がある。けれども本人はそれを鼻にかけることも謙遜するわけでもなく、あくまでクールで無関心な一匹狼。不愛想だな、と俺は思うのだけど、その儚げな見た目で堅気というギャップが女心をくすぐるらしい。そんな校内でも一目置かれる存在だった奴が、まさか街中で堂々と、しかも男とキスをするとは。

 同性同士の恋愛なんて気味が悪いとすら思っていたのに、いざ目の当たりにすると意外と平気な自分がいる。だけどそれはたぶん、もっと生々しく嫌悪を抱くものだと思っていたことが案外美しく、あまりにも絵になっていたから。自分がそのシーンに釘付けになっていることにも暫く気付かなかった。

 唇を離した堺は、男の首に両腕を回して抱き付いたあと、すんなり別れて颯爽と立ち去った。暗闇に浮かぶ明るい茶色の髪。まるで映画のようなワンシーンに、妙にざわつく胸の潮騒。
 進学も就職先も決まっていない、行き場のない未来に不安を覚える、高校を卒業したばかりの春のことだった。

 ***

「別れろって言われたの」

 彼女から切り出された別れが、セックスを終えたあとの賢者タイムなのだから最初からこの時を狙っていたとしか思えない。

「ほら、わたしは県外の女子大に行くから地元を離れるでしょ。拓真は……進路決まってないし、」

「進路が決まってないと付き合っちゃ駄目なのかよ」

「あ、そういうんじゃなくて……その……」

 彼女は言いにくそうに言葉を詰まらせた。何を言いたいのか分かっているが、本題を振っておいて理由をはっきり口にしない曖昧な態度に苛立って、あえて分からないふりをした。しどろもどろに彼女が続ける。

「お父さんに、彼がいるって話したの。どんな人だって聞かれて拓真のことを話したら、……駄目って……」

「フーン……。それで別れたいわけね」

「わたしは拓真のこと好きなのよ」

「反対されたらハイ、分かりましたって簡単に別れられる程度の気持ちだったんだろ」

「そんな簡単な気持ちだったら三年間も付き合わなかったわよ。お父さんにもう一度説得するから、」

「もういいよ、お前が俺と付き合う気がなくなったのは分かったし。早く服着て帰れば」

「ひどい」

「どっちがだよ」

 彼女は機嫌を損ねて服を着ると、慌ただしく部屋を出ていった。ついさっきまで絡み合っていたとは思えないほど頭も気持ちも冷えてしまった。彼女はセックスをしながら、いつ別れようかと考えていたのかと思うと、ひとり盛り上がっていた自分が馬鹿馬鹿しくて情けない。丸まったティッシュをゴミ箱に向かって投げ捨てる。

「お父さんに反対されて、かぁ。そりゃそうだろうな」

 俺の両親はどちらも医者で、父親が外科医、母親が産婦人科医。ついでに三つ離れた姉も国立の医学部に通っている。典型的な医者家系だ。
 特に医者になれと言われたわけではなかったが、家庭の雰囲気で自然に俺も医学の道に進むのだろうと思っていた。血筋なのか小さい頃から理数系が得意で成績も悪くはない。高校でも堺と並ぶほどには良かった。
 高校三年の冬のことだ。推薦で志望校である私立の医学部に入学が決まった。父親の母校でもあり、医学部の中でもレベルの高い大学だ。当たり前のように順調な未来を約束されたはずだった。けれども中にはそれを快く思わない人間もいるようで、俺はまんまと罠にかかってしまったのだ。

 年末に開かれた大勢の同級生との忘年会。誰の家だったか覚えていないが、はめを外して酒を飲んだ。「もう進路も決まってるんだし、少しくらい良いだろう」と勧められたのだ。けれど、冬休みが明けて早々、校長室に呼ばれた俺は入学の取り消しを聞かされた。忘年会にいた中のひとりが、俺が酒を飲んだことを大学に知らせたらしかった。

 両親からは恥さらし呼ばわり、学校では笑い者。駄目元で一般入試を受けたが、当然、志望校には入れず、他の大学もすべて落ちた。潔く四年制に進む決心も就職するという選択もできず、何も決まらないまま卒業してしまったのだった。落胆した両親は「お前のような馬鹿は知らん」と匙を投げ、すっかり居場所をなくした俺は行く当てもないまま家を出た。今はコンビニとガソリンスタンドでアルバイトをしながら、家賃五万以内のボロアパートで暮らしている。

 いくら育ちが良くても、そんな落ちこぼれの彼氏なんて、どんな親だって反対するだろう。自分でも分かっていたことなのに、実際その時がくると悔しさでやりきれない。かと言って今更実家に戻ろうとも思わない。用意されていた道が完全に塞がれて、どうすればいいのか分からなくなった。

 ――堺なら、きっと誰もが羨む明るい道を進むんだろう。
 
 もし堺が夜の街で男とホテルに行ったと噂が流れたら、あいつも俺と同じように苦しむだろうか。あの衝撃的に綺麗だったキスを思い出しながら、俺はそんな最低なことを考えた。

 ***

 コンビニのシフトが夜だった日のことだ。ひと仕事終えて深夜十二時を回った頃に店を出た。真っ暗で物騒な駐車場。店の前にあるベンチでぼんやり座っているひとりの男に気が付いた。明るい茶髪に細長い首。人形のような整った哀愁ある横顔、男のくせに色気がある。堺だ。何故こんなところにいるのか、という疑問より興味が勝って、堺に話しかけることにした。

「煙草、もう一本ある?」

 堺は俺に気付くと、慌てて咥えていた煙草を外してベンチに押し付けた。

「あ、勿体ない。まだ新しかったのに」

「なんか用? 神崎」

「俺のこと知ってるんだ。意外」

「よく言うよ、きみ有名だからね」

 皮肉かと思って険を込めて「どういう意味だよ」と睨んだら、堺は少し戸惑った様子で「だって、よく女子に囲まれてたじゃないか」と答えた。

「女子に囲まれてたのは堺だろ?」

「そっちこそ、俺のこと知ってるんだ。学校では話したことなかったよね」

 ポケットから新しい煙草の箱を取り出し、俺に差し出した。少し箱から出ている煙草を一本、抜き取る。堺は慣れたようにライターで火を点けてくれた。かっこつけて煙草をもらったものの、俺は煙草なんか吸ったことがない。恐る恐る吸うと、案の定激しく咳込んでしまった。それを見た堺がくすくす笑う。

「なんだよ、吸ったことないの?」

「美味そうに見えたんだけどな……」

「美味いよ」

 そう言って、堺は新しい煙草に火を点け、フーッと暗闇に煙を放った。まっすぐ伸びた首筋が白かった。

「神崎、ここでバイトしてるの? さっき、制服着てるの見た」

「ああ、うん……。堺は?」

「別に。家にいたくなくて、散歩してただけ」

「こんな夜中にウロウロしてたら、襲われるぜ」

「男を襲う奴はいないよ」

「でも男と付き合ってるだろ」

 今度は俺が堺に睨まれた。

「ごめん、先週さ、見たんだ。ホテルの前でお前が知らない男とキスしてるの」

「……」

「さ、堺って、そっち?」

「まあね」

 思いのほかあっさり認めたので拍子抜けした。涼しい顔をして煙草を吸っている。

「いつから吸ってるの?」

「さあ……高二かな。当時付き合ってた男が吸ってたから、真似したんだ」

「いつから男が好きなの?」

「さっきから随分、無遠慮に聞くね」

「気が利かないもんで」

「嫌いじゃないよ、そういうの。俺もいつからって覚えてないんだけどね。まあ、気が付いたら。神崎はノーマルだろ? 三組の矢野さんと付き合ってるよな」

「こないだ別れたけどな」

「フーン、でも、きみならすぐに新しい彼女ができるんだろうね」

 できないと思うけど、と返そうとしてやめた。「なぜ?」とか聞かれると説明が面倒だからだった。
 春の深夜は風が冷たい。身震いをして立ち上がった。

「もう寒いし、眠いし、帰るわ。お前も帰れば?」

「んー……、もうちょっといる」

「風邪引くよ」

「帰りたくないんだ」

「なんで?」

 堺は微笑を浮かべたまま何も言わない。理由を言わないのは、さっきの俺と同じで面倒だからなのだろう。こちらもたいして興味がないので深く突っ込まないことにする。

「じゃあな」

「うん、ばいばい」

 背を向けて数メートルほど進んだが、ふいに振り返ると、堺は新しい煙草に火を点けていた。まだ当分あそこにいるつもりらしい。薄手のブルゾンジャケットが寒そうだ。無視してそのまま帰ってもよかったが、たぶんそうしたらあとで後悔しそうな気がして、俺はつい堺のところへ戻って、申し出た。

「うちに来る?」

 堺はきょとんとして子犬のような顔で俺を見上げた。

「行くとこないんなら……。俺、ひとり暮らしだし、……寒いし」

「それって俺を抱く気があるってこと?」

「は!?」  

 堺は大きな声を上げて笑い出した。学校ではいつもクールで不愛想なイメージしかなかったので、無邪気に大口を開けて笑っている姿が新鮮だった。

「うそうそ。神崎って、いつもムスッとしてて硬派なイメージだけど、優しいんだね」

「ムスッとしてるかぁ? お前に言われたくないけどな」

「面倒だったからね、人と群れるのが」

 堺は煙草を灰皿に押し付けると、立ち上がってすたすたと歩きだした。

「どこ行くんだよ」

 振り返った堺は、さも当然のように「神崎んちに行くんだろ?」と言う。

「案内してよ。実は手がかじかんで辛いんだ」



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