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追憶2【R】

 およそ三年間、瞬の家に入り浸っていながら、岬は瞬の両親を見たことがなかった。母は瞬が朝、学校へ向かった頃に仕事を終え、午前中に睡眠を取り、瞬が帰宅する頃に仕事へ向かう。父は医療関係だと言った。瞬もよく分からないのだと、詳しくは聞かされていない。親の仕事が分からないとはどういうことだと思ったが、岬も父の仕事がどんなものか聞かれても「公務員」としか答えられないので、そんなものかと深く考えはしなかった。

「別にいないならいないで諦めもつくんだ。だけど家にいた形跡はある。知らないあいだに食事が作り置きされている。そこにいた事実はあるのに姿はない。その方が虚しいかな」

 岬の母は専業主婦で、父は定時に仕事を終えることが多い。毎日三人で食卓を囲むので嫌でも顔を合わせる。当時の岬は一般的に難しい年頃だったが、目立った反抗期はなく比較的やりやすかったと母は振り返っていた。それでも表に出さなかっただけで、実際は家族間のやりとりを煩わしく思うことも多々あったので、両親とすれ違いの生活と聞いても「ひとりの時間が多くていいじゃないか」と、気楽に羨ましがった。むろん、それを口にはしなかったが。

 肌寒くなると物悲しくなるせいか、日が沈んでから岬が家を出ようとすると、瞬はいつも寂しそうな顔をする。キスをしたり軽く手を握り合ったりするようになってからは、ふらりと近寄っては意味もなく肩を抱くし、唇を重ねている時間が長いようにも感じた。瞬と気息を合わせながら、これが瞬の甘え方なのだろうと思った。

 自分は瞬の寂しさを受け止めるだけ。それでいいと思ったし、それで瞬の気が紛れるなら大いにけっこうなことだった。締め付けられるような胸の痛みは、この誰にも言えない、常識では考えられない禁秘な慰め方に対する後ろめたさなのだ、と。
 初雪が降った夜だった。両親が結婚記念日で、二人で食事に行くからと岬は留守を頼まれたが、健全な中学生男子がひとりの夜におとなしく待っているわけがない。両親が家を出た直後、瞬に電話を掛けた。

「二、三時間は自由が利くから、少し行ってもいいかな」

 瞬はかまわないと歓迎し、いつもとは少し違う訪問にどこか心を弾ませながら瞬のマンションへ向かった。出迎えた瞬は、予期せず青白い顔をしていた。

「え……、どうしたの……?」

 中に促され、扉が閉まるなり抱き締められた。

「……瞬、」

 瞬は「赤くなってる」と、微笑んで岬の鼻をつまむ。

「瞬、何かあった?」

「別に何もないよ。こんな時間に岬が訪ねてくるのが、なんか嬉しくて」

 何もないわけはないだろうと問い詰めたかったが、瞬の微笑はそうさせない力がある。

「服が少し濡れてるけど、雨でも降ってる?」

「いや、雪だよ。粒は小さいし、ちょっとしか降ってないからすぐ止むだろうけど」

「そうか、雪か。今夜はやたら冷えると思った」

 ソファに座り、牛乳の割合が多目のコーヒーを渡される。数口飲むと、冷えた鼻がじん、と痺れた。ひとり分の間隔を空けて隣に座っていた瞬が、微笑みながらも寂しげな眼差しを向けてくる。あんまり見つめてくるので落ち着かない。コーヒーを飲むことすら躊躇うほどだった。岬はマグをサイドテーブルに置き、不自然に話を振った。

「さっきまで何してたの? ピアノ?」

「夜は近所迷惑になるから弾かないんだ」

「……勉強」

「何もしてなかった。ボーッとしてただけ」

「……なんでさっきから、俺の顔ばっかり見てんの? なんかついてる?」

「可愛いなと思って」

「俺、男だけど」

「知ってるよ。だけど岬は可愛いんだ」

腕を掴んで引き寄せられ、瞬に被さるようにして倒れ込んだ。そして力強く抱擁される。

「ちょっと……おかしくない?」

「おかしくないよ。……俺がどういうつもりで、こういうことをするか気付いてるだろ?」

「こ、こういうことって……」

「キスとか」

 これまでその行為について互いに言及したことはない。改めて口にされると恥ずかしくてたまらなかった。何より、何故今頃そんなことを言うのかと戸惑った。

「や、やっぱりおかしいって。熱でもあるんじゃないの」

 離れようとすると背中に回された腕に余計に力が入る。そして岬の耳元で、瞬は囁いた。

「好きだよ」

 心臓が痛みを伴って跳ねた。嫌なんじゃない、それを言われて咄嗟に嬉しいと思った。耳が熱い。耳どころか、おそらく全身が真っ赤になっているに違いない。

「こっち向いて」

 瞬の肩に顔を埋めたまま、上げられなかった。茹で上がっている顔を見られたくない。体を離した瞬は両手を岬の頬に添え、唇を捉えた。舌で岬の下唇をなぞる。岬は身震いをして、侵入してこようとする瞬の舌を躊躇いながら受け入れた。いったん許すと、そこからは強引だった。舌を絡ませながら口内をくまなく侵し、可愛らしくも卑猥な音を立てて唇に吸い付いてくる。

 戯れのキスじゃない。恋人同士がする本気のキスだ。いつもと違うやり方に若干の恐怖を覚えた。だけど、それがまた良かった。上手く呼吸ができず、互いの吐息が段々熱を帯びながら交じり合う。随分長いキスだった。頭がクラクラしてきたところで、ようやく瞬が唇を離した。

「し……瞬、なんで」

「いつもと違うことがしたい」

「違うことって」

 瞬は岬の両肩を抱いてソファに押し倒した。岬の首に唇を当て、セーターの下から手を入れる。

「えっ、あ……ちょっと……」

 岬の戸惑いなどよそに瞬の両手は岬の素肌を這う。腹、腰、脇、そして胸の頂をつまむと、岬は自分でも信じられないくらい悩ましい声を洩らした。すると瞬はセーターをたくし上げて突起を舌で試すように転がし、押し潰しては吸った。

「んぁ……っ、やっ……」

「……嫌?」

 体を離されると途端に寒くなった。

「ち、違う……、恥ずかしい……だけ」

「嫌じゃない?」

 むしろ、気持ち良くてもっとして欲しかった。いずれ自分もこういう行為はするのだろうと漠然とした予想は持っていたが、まさかその機会がこんな唐突に訪れて、しかも相手が男という未知すぎる世界に不安があった。

 嬉しい、気持ち良い、でも怖かった。けれど、瞬の目を見ると「怖い」とは言えなかった。
 見せて、と言われて、岬は言われるがままに服を脱いだ。さすがにジーンズを脱ぐのは躊躇したが、ベルトを外され、ジッパーを下ろされると妙な解放感に疼いた。下着の中に瞬の手が滑り込む。既に下半身はそれなりの反応を示しているが、瞬の大きな手で直に包まれると一気に硬化した。瞬が指を動かす度に呼吸が乱れ、体の芯が痺れるような快感に襲われた。無意識のうちに溢れる先走りが纏わりついて粘着質な音を立てる。瞬が上下に手を動かすと、いよいよ目も開けていられなくなった。口の中には唾液が溜まり、恥ずかしいと言いながらも足が自然に開いてしまう。

「あっ……あ、……瞬っ、だめ……っ」

「気持ち良い?」

 耳元で聞かれると腰が抜けてしまいそうだ。すると瞬は手を離し、岬が一瞬不満に思った時、ジーンズを剥ぎ取られて内腿を押さえつけられた。

「何っ……わ!」

 なんの迷いもなく、瞬は岬のものを口に含んだ。生暖かい感触に鳥肌が立つ。

「な、に……これ……っ、やだ……」

「嫌なの?」

「汚、い……」

「汚くない」

 俺がしたいんだ、岬を気持ち良くしたい、と言って唇が動く。舌で先端を刺激されながら吸い上げられると、全身が震えた。精も意識も魂まですべて持って行かれそうな感覚だ。

「んっ、あぁっ……も、出そっ……あ――……っ」

 たまらず瞬の口の中に吐き出し、瞬はそれを飲み込んだ。

「……うそ、なんで飲むんだよ……」

「可愛いから」

 その理由だけで、普通なら嫌悪するようなことを平気でやってのける彼の精神が理解できない。しかし、直後にその精神は更に逸脱する。息をつく暇もなく、知らぬ間に膨れ上がった欲望を岬に押し当てた。想像を絶する痛みに岬は悲鳴を上げる。けれど、いくら大人びていても瞬も歯止めが難しい年頃だ。やめてと言われて、抑えられるはずがなかった。それでもなんとか残っている理性を呼び戻しながら、岬のまだ穢れ知らずのそこを、念入りに指でほぐしていく。

力、抜いて
だめ、痛い
ごめんね、痛いよね
お願い、やめて
ごめん、どうしても岬と一緒になりたいんだ。

 真冬に男二人がソファの上で裸で汗をかいて、一体自分は何をしているんだとふいに我に返るが、こんなところ誰にも見せられないし、知られてもいけないと思うと痛みに耐えながらも興奮した。

 気が付けば岬は自ら瞬の首に両腕を回していた。痛みから違和感へ、違和感から快感に変わる。再び岬の中に進んでくる瞬自身を、今度は受け入れられた。痛くて苦しいのに気持ちが良い。瞬の背中に手を当てると、汗でしっとり濡れていた。何故かそれが嬉しかった。ただの慰めだけでここまでできない。そこで初めて瞬が好きなのだとようやく自覚した。

 目が覚めると深夜だった。
 家を空けていることを思い出して飛び起きたが、体中の重さと局所の痛みで床に崩れ落ちた。その音に気付いて、キッチンにいた瞬が少し慌てた様子で現れた。

「大丈夫?」

「今、何時?」

「十一時半。そっか、帰らないといけないよね。ごめん」

「もう帰るけど、瞬は大丈夫?」

「ん、来てくれてありがとう」

「その前に、水、もらってもいい?」

 キッチンに入ろうとする岬を、瞬は血相を変えて止めた。

「……あ、ごめん。持ってくるから、そこで待ってて」

「え? あぁ……うん」

 あきらかに不自然だったが、あまり深く考えなかった。受け取ったグラスの水を一気に飲み干して、瞬に渡す。玄関に向かおうとする岬に、瞬が真面目な顔で「歩ける?」と聞くので、岬は噴き出して「大丈夫」と答えた。

「瞬さ、プーランクの『エディットピアフを讃えて』って曲、弾ける?」

「弾けるよ」

「さっすが。昨日、テレビでたまたま聴いてさ、すごくいい曲だったから瞬に弾いてもらいたいなと思って」

「……岬だって、練習すれば弾けるだろう」

「俺が弾いたんじゃ意味がないよ。本当は今日、弾いてもらいたかったんだけど……」

 想定外の事態を思い出して、口をつぐんだ。赤くなって俯いている岬に、瞬は笑みをこぼした。

「分かった、今度弾くよ」

「明日……は、土曜だから、月曜ね」

 靴を履いて「じゃあ」と言ったところで、抱き締められた。

「岬、ごめんね。好きだよ」

「な、なんだよ、恥ずかしいじゃないか。……なんで謝るんだよ」

「岬と一緒に弾けて良かった」

「え? ……うん、俺も」

 離れてドアを開けると冷たい夜風が吹き込んだ。瞬が今にも泣きそうな顔をしているのが引っ掛かったが、理由は月曜に聞けばいい、学校帰りにまた寄れば、瞬が笑顔で出迎えてくれると信じて疑わなかった。
 瞬に会ったのはその夜で最後だった。月曜日、いつも通りに瞬のマンションへ寄ったが、インターホンを鳴らしても瞬は出てこなかった。しばらく部屋の前で待っていると通りかかった住人が、

「そこ、引っ越したよ」

 と、声を掛け、岬は慌ててドアを開けた。いつも暖かかった部屋の中は、ひんやりとして床は氷のように冷たい。もともと殺風景な部屋ではあったけれど、テーブルもなく、ソファもなく、勿論ピアノもなかった。

「……嘘だ……」

 部屋を飛び出して隣人に瞬の行方を聞いたが、行方を知るどころか挨拶もなかったと、まったく無関心に言った。ピアノ教室に問い合わせても、

『昨日、電話で引っ越しますからお世話になりましたって、一言それだけ。どこに行くとも何も言われなかったわ。どうしちゃったのかしらねぇ』

 駄目元で瞬の通う高校にも尋ねた。けれども当然、岬の得体など知られていないので教えてもらえるはずもない。
 岬はそれから瞬を思い出しては泣く日々が続いた。女々しいとは思うが、この悔しさを紛らわすには泣くしかなかった。

 好きだって言ったじゃないか。
 せめて一言くらい挨拶があっても良かったのに。
 連絡先も教えてくれないなんてひどすぎる。
 瞼の裏に残る瞬の残像に、何度も罵った。

 ――俺も好きって言えば良かった。
 
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