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茶の攻防3

 ――野田の淹れた茶には続きがある。

 野田が俺好みの茶を出してきた日、ずっと捕まらなかった強姦事件の被疑者を確保できた。だが、取り調べで被疑者が中々落ちなかった。俺は頑なに絶対否認する被疑者より、最初から罪を認める被疑者のほうが面倒だと考えている。案の定、その被疑者も投げやりな態度で適当な供述を繰り返し、経緯や動機がはっきりしないまま取調官を煩わせた。

 証拠があっても、最初からそれをダシにして誘導尋問するのはいただけない。経歴や喋り方からして無駄に学のある奴だったので、強行しようとすればこっちが訴えられる可能性もなくはなかった。

 さあ、どうしたもんかと思案しているところに、お茶汲みのコツを掴んだらしい野田が俺に茶を出した。薄い黄緑の中に、茶柱が浮いている。俺はもともと縁起を気にする人間ではないが、その時はゆらゆら揺れている茶柱に願掛けしながら飲んだ。そして俺が尋問する番になった時、ふと被疑者のある弱みを思い出したのだった。

「なあ、田中。お前、若くして結婚したよな。三年後に離婚してる。俺は結婚したことないから分かんねぇんだけど、誰かと一緒になるってのはいいもんなのか?」

「窮屈ですけどね、いいこともあったと思いますよ」

「そうだよな。そうじゃないと結婚しねぇわな。ところで、娘は何歳になったんだ?」

「……」

「俺はこんな仕事してるから家庭を顧みるなんてできないと思ってる。だから結婚なんてする気はない。ただ、時々思う。自分の子がいたらどんなんだろってな。自分の血を分けた子は可愛いんだろ? 今でも、定期的に会ってるみたいだな」

「……今年、十五になります」

「恋愛に憧れる年齢か。……心配だな」

「……ははっ、でも僕の娘は器量が悪いんで」

「そうか? 綺麗な顔してたぞ」

「なんで知ってるんです……?」

「……」

「やめてください。娘には言わないで」

「勿論、娘は何も知らない。でも、お前のその大事な娘がどこの誰かも知らない男に無理やり犯されたら、お前、どう思うよ」 

 被疑者は目を見開いて、眉の端を緩めた。落ちた瞬間だった。

 ――ごめんなさい。寂しかったんです。離婚してからずっと孤独で、僕は冴えないしモテないし、友人も少ないから……。抑えられなかったんです。ごめんなさい。――

 野田の茶柱のおかげというには楽観的すぎるが、願掛けしたことによって頭の切り替えができた一種のプラシーボ効果はあっただろう。それから密かに「野田の茶に茶柱が立ったらホシが落ちる」と験担ぎをしている。それは異動してしまった今でも続いていて、職場で野田の茶を飲むことはなくなったが、捜査が長引きそうな事件があった場合は家で必ず緑茶を淹れてもらうのだ。
 ただし、さっきの茶柱に願掛けしたのは仕事とはまったく関係のない、別のことである。

「なあ、お前、俺より先に死んだらブッ殺すからな」

「……なんかソレ、おかしくないですか?」

 前方には新芽が大半を占めた桜並木が続いている。フロントガラスに張り付いた残り桜の花弁をワイパーで払いのけ、初夏の訪れを感じながら、俺は車を走らせた。

  
  (了)
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