茶の攻防1
「君も抜けたの? 僕もなんだ。少し一緒に話さない?」
初めて晴斗に声を掛けられた日、あんまり綺麗な奴だったんで、思わず目を見張った。男しかいない高校に通っていた俺は色んなタイプの男を見てきたが、記憶を辿ってみても晴斗ほどの端正な顔立ちの奴はいなかったと思う。生まれ持った透明感のある肌と、ビー玉のように丸くキラキラ光る眼はあっという間に俺を魅了した。
潔癖とまではいかないが、こまめに掃除や整頓をするのが好きで、部屋はいつもモデルルーム並みに片付いていた。俺がカーペットの上にパン屑でも落とそうものなら、それを片っ端からちまちま拾ったり、俺の部屋に来た日には、
「よくこんな不衛生な空間で生きてられるね!」
と、小言を洩らしながら、一日中掃除をするような奴だった。
晴斗には綺麗なところしかない。汚いところなんかひとつもない。「女はクソをしない」という幻想を抱く男と同じような感覚で、晴斗のことを見ていた。
けれど、その幻想は長く続かなかった。
「文雄って、誰だよ」
晴斗がトイレに行っているあいだに掛かってきた電話。「文雄」と表示されていた。晴斗は電話帳の名前を親族すら、すべてフルネームで登録するので、名前しか登録されていないその不自然さは疑うには充分だった。
「えっ……? えっと、同級生……」
ビー玉の眼がコロコロ動く。あいつは嘘が下手だった。
「どこの同級生だ」
「えっと、高校……。夏休みに、遊びに行っていいかって聞かれてて」
「夏休みの、いつ」
「お盆前」
「盆前は、俺と旅行するって約束してたよな?」
「あっ……あ、うん」
しどろもどろで嘘を付き通そうとする浅ましさと、確実に約束を忘れていただろう慌てっぷりに腹が立って、俺は初めて晴斗に手を上げた。晴斗の左頬は一瞬で赤く腫れた。
「ごめ、ごめん、康介……っ、ほんとは、先週友達が開いた飲み会に……いた人……で」
「――へえ。で?」
「ふたりで飲んだ、ら、連絡先教えてって、言われて……教えた、だけ」
「だけ?」
「一度、飲みに……行った」
「飲んだだけか?」
「う……ん」
またビー玉の眼を転がしながら、頷いた。
「ヤッたんだろ?」
「ちが、」
「正直に言ってみ?」
「………ご、ごめん、なさい……」
ガタガタと小鹿のように震えるあいつを見たら、再び打つ気がなくなった。その代わりに晴斗に抱いていた幻想はみるみるうちに崩れて、氷水に浸けられたように俺の中の何かが冷えていくのを感じた。
「康介」
「俺に触るな」
それが、俺が晴斗に言った最後の言葉だった。
――くっせぇ、なんてぇニオイだ。あいつ何を腐らしやがった。
つーか、鍵開けっ放しでどこ行ったんだよ。……まさか、あの「文雄」って奴のとこか?
「晴斗、……はる、……?」
いつも部屋も体も綺麗にしていたあいつが、あられもない格好で、散らかった部屋の中で変色して腐っている姿は、もう地獄絵図だった。情けなくも声を裏返して慌てふためき、トイレに駆け込んで吐いた。目の前に飛び込んできた予想もしなかった惨事に脳みそがパンクしそうだ。こんなに吐いて苦しいのに自分の体じゃないみたいな錯覚に陥った。
――そうだ、警察。警察に……連絡しないと。
「大丈夫かい? 気が動転しているところ悪いね。一刻も早く犯人を見つけないといけないから、辛いだろうけど協力してくれるかい」
優しい言葉を掛けてくれる山下部長の背後で、あの男は晴斗を傍観していた。もっと早く気付くべきだった。自分が弄んで殺して腐らせたその遺体を、うっとりと陶酔して眺めている男をあの時疑っていれば、のこのこ自白しに来たあいつを問い詰めることができたかもしれないのに。
「さっきはどうも。晴斗の恋人の菅野くん。いや、『康介』。いつもそうやって呼ばれていたんだろう? びっくりしただろう、まさか恋人をあんな形で失うなんて思いも寄らなかったよな。彼は本当に、可愛いね。あんなに美しい人を、僕は見たことがない。君がいつも彼を独り占めしていたのか。狡い男だ」
「……晴斗を、知っている……?」
「知っているよ。隅々までね。僕が彼に一目惚れしてね。ちょっと誘ったらシッポ振って付いてきたよ。案外尻軽なんだね、彼。まあ、そこが可愛いところでもあるんだけど」
「……文雄って、沢田刑事の、こと……?」
「嬉しいな。僕の名前を知っていたのか。そうさ、悔しいことに僕は二番手だったらしいけど。ただね、彼はもう、僕のものなんだよ。晴斗の体に僕の印をたっぷりつけておいた。彼は本当に、いい声で啼くよね。たまらないよ。だから、彼を永遠に僕のものにしたくて、僕が手を掛けたんだ。……ああ、勘違いするなよ。晴斗は自分で殺してくれと頼んできたんだからね」
「……自分から?」
「悪いね、晴斗はもう、僕のものだ。それを君に、ちゃんと伝えておきたかったんだ。……それじゃあ」
男が自殺したのは、その直後だった。
――晴斗、俺は一体、お前のなんだったんだ。
お前を殺したイカれた野郎と同レベルだったのか。
所詮、俺はその程度の男だったのか。
――菅野さん、晴斗さんが本当に自分のこと好きだったのかってずっと疑問に思ってたんじゃないですか? 浮気されて、ちゃんと本心も聞けないまま別れてしまったことに、苦しんでたんじゃないですか? ――
そうだ、その通りだ。
俺は知りたかったんだ。
晴斗は本当に俺を好きだったのか、それが一番、知りたかった。
――晴斗さんは菅野さんのことを、本当に愛していたみたいですね。――
手紙を読んだ日、晴斗が夢に現れた。白い肌とビー玉の眼を持った、生前の綺麗なままのあいつだった。俺と晴斗を隔てているのは、おそらく三途の川。向こう岸の晴斗に向かって、俺は必死に叫んだ。
「済まなかった」「許してくれ」
そして、
「野田を連れて行くな」
俺の声が晴斗に届いたのかは分からないが、夢から覚める直前に見た晴斗は穏やかに微笑した。
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初めて晴斗に声を掛けられた日、あんまり綺麗な奴だったんで、思わず目を見張った。男しかいない高校に通っていた俺は色んなタイプの男を見てきたが、記憶を辿ってみても晴斗ほどの端正な顔立ちの奴はいなかったと思う。生まれ持った透明感のある肌と、ビー玉のように丸くキラキラ光る眼はあっという間に俺を魅了した。
潔癖とまではいかないが、こまめに掃除や整頓をするのが好きで、部屋はいつもモデルルーム並みに片付いていた。俺がカーペットの上にパン屑でも落とそうものなら、それを片っ端からちまちま拾ったり、俺の部屋に来た日には、
「よくこんな不衛生な空間で生きてられるね!」
と、小言を洩らしながら、一日中掃除をするような奴だった。
晴斗には綺麗なところしかない。汚いところなんかひとつもない。「女はクソをしない」という幻想を抱く男と同じような感覚で、晴斗のことを見ていた。
けれど、その幻想は長く続かなかった。
「文雄って、誰だよ」
晴斗がトイレに行っているあいだに掛かってきた電話。「文雄」と表示されていた。晴斗は電話帳の名前を親族すら、すべてフルネームで登録するので、名前しか登録されていないその不自然さは疑うには充分だった。
「えっ……? えっと、同級生……」
ビー玉の眼がコロコロ動く。あいつは嘘が下手だった。
「どこの同級生だ」
「えっと、高校……。夏休みに、遊びに行っていいかって聞かれてて」
「夏休みの、いつ」
「お盆前」
「盆前は、俺と旅行するって約束してたよな?」
「あっ……あ、うん」
しどろもどろで嘘を付き通そうとする浅ましさと、確実に約束を忘れていただろう慌てっぷりに腹が立って、俺は初めて晴斗に手を上げた。晴斗の左頬は一瞬で赤く腫れた。
「ごめ、ごめん、康介……っ、ほんとは、先週友達が開いた飲み会に……いた人……で」
「――へえ。で?」
「ふたりで飲んだ、ら、連絡先教えてって、言われて……教えた、だけ」
「だけ?」
「一度、飲みに……行った」
「飲んだだけか?」
「う……ん」
またビー玉の眼を転がしながら、頷いた。
「ヤッたんだろ?」
「ちが、」
「正直に言ってみ?」
「………ご、ごめん、なさい……」
ガタガタと小鹿のように震えるあいつを見たら、再び打つ気がなくなった。その代わりに晴斗に抱いていた幻想はみるみるうちに崩れて、氷水に浸けられたように俺の中の何かが冷えていくのを感じた。
「康介」
「俺に触るな」
それが、俺が晴斗に言った最後の言葉だった。
――くっせぇ、なんてぇニオイだ。あいつ何を腐らしやがった。
つーか、鍵開けっ放しでどこ行ったんだよ。……まさか、あの「文雄」って奴のとこか?
「晴斗、……はる、……?」
いつも部屋も体も綺麗にしていたあいつが、あられもない格好で、散らかった部屋の中で変色して腐っている姿は、もう地獄絵図だった。情けなくも声を裏返して慌てふためき、トイレに駆け込んで吐いた。目の前に飛び込んできた予想もしなかった惨事に脳みそがパンクしそうだ。こんなに吐いて苦しいのに自分の体じゃないみたいな錯覚に陥った。
――そうだ、警察。警察に……連絡しないと。
「大丈夫かい? 気が動転しているところ悪いね。一刻も早く犯人を見つけないといけないから、辛いだろうけど協力してくれるかい」
優しい言葉を掛けてくれる山下部長の背後で、あの男は晴斗を傍観していた。もっと早く気付くべきだった。自分が弄んで殺して腐らせたその遺体を、うっとりと陶酔して眺めている男をあの時疑っていれば、のこのこ自白しに来たあいつを問い詰めることができたかもしれないのに。
「さっきはどうも。晴斗の恋人の菅野くん。いや、『康介』。いつもそうやって呼ばれていたんだろう? びっくりしただろう、まさか恋人をあんな形で失うなんて思いも寄らなかったよな。彼は本当に、可愛いね。あんなに美しい人を、僕は見たことがない。君がいつも彼を独り占めしていたのか。狡い男だ」
「……晴斗を、知っている……?」
「知っているよ。隅々までね。僕が彼に一目惚れしてね。ちょっと誘ったらシッポ振って付いてきたよ。案外尻軽なんだね、彼。まあ、そこが可愛いところでもあるんだけど」
「……文雄って、沢田刑事の、こと……?」
「嬉しいな。僕の名前を知っていたのか。そうさ、悔しいことに僕は二番手だったらしいけど。ただね、彼はもう、僕のものなんだよ。晴斗の体に僕の印をたっぷりつけておいた。彼は本当に、いい声で啼くよね。たまらないよ。だから、彼を永遠に僕のものにしたくて、僕が手を掛けたんだ。……ああ、勘違いするなよ。晴斗は自分で殺してくれと頼んできたんだからね」
「……自分から?」
「悪いね、晴斗はもう、僕のものだ。それを君に、ちゃんと伝えておきたかったんだ。……それじゃあ」
男が自殺したのは、その直後だった。
――晴斗、俺は一体、お前のなんだったんだ。
お前を殺したイカれた野郎と同レベルだったのか。
所詮、俺はその程度の男だったのか。
――菅野さん、晴斗さんが本当に自分のこと好きだったのかってずっと疑問に思ってたんじゃないですか? 浮気されて、ちゃんと本心も聞けないまま別れてしまったことに、苦しんでたんじゃないですか? ――
そうだ、その通りだ。
俺は知りたかったんだ。
晴斗は本当に俺を好きだったのか、それが一番、知りたかった。
――晴斗さんは菅野さんのことを、本当に愛していたみたいですね。――
手紙を読んだ日、晴斗が夢に現れた。白い肌とビー玉の眼を持った、生前の綺麗なままのあいつだった。俺と晴斗を隔てているのは、おそらく三途の川。向こう岸の晴斗に向かって、俺は必死に叫んだ。
「済まなかった」「許してくれ」
そして、
「野田を連れて行くな」
俺の声が晴斗に届いたのかは分からないが、夢から覚める直前に見た晴斗は穏やかに微笑した。
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- Posted in: ★GUILTY‐ギルティ‐
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