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同じ星の下3

 いつの間にか掛けられたシーツにくるまって、ベランダで煙草を吸う菅野の背中を見ていた。

 ――あんな薄いワイシャツ一枚で外にいて寒くねぇのかよ。

目が覚めてからどのくらい経ったんだろう。少なくとも十五分は経つ。俺は重い腰を上げてカットソーに腕を通しながら、ベランダへ近付いた。

「風邪引きますよ」

「いい汗かいたからな。むしろ涼しいぜ」

 菅野の隣に並んで同じように手すり壁に両腕を置いて、景色を眺めた。街中のマンションなので眼下に広がるのは忙しなく行き交う車や通行人と、コンクリートジャングル。聞こえてくる信号や踏切の騒音。きっと俺がこうして気ままにしているあいだにも、どこかで事件は起きているのかと考えてしまう。結局俺は、刑事を辞められないんだろう。

 もうすぐ日が暮れようとしている。目の前でくすんだ橙の夕日がビルの陰に隠れた。かろうじて残っていた光の線が段々細くなり、朱色のヴェール状の雲は次第にその色付きを落とし、薄紫色へと変化する。昔からこの瞬間を目の当たりにすると寂しくなる。 
 背後から毛布を掛けられた。

「菅野さんは?」

「いらん。俺は今、暑い」

 真新しい煙草を咥えてライターの火を点けた。煙をくゆらせて溜息をつくように吐いた。薄暗くなった紫色の空を仰いで、菅野は今、何を考えているのだろう。

「晴斗さんって、どんな人だったんです」

 どうせ聞いたところで嫉妬するだけなのに、知らないままでいるのも悔しいので聞いてみた。菅野は特に訝しむことなく答えた。

「お節介というか、世話好きというか。明るい素直な奴だった」

「どこが好きだったんですか?」

「さあ。ただ、最初のきっかけは大学に入ってすぐ、オリエンテーションが長いのが耐えられなくてよ。体育館から抜け出したんだ。そしたら後を追って来たのが晴斗だった」

 ――君も抜けたの? 僕もなんだ。少し一緒に話さない? ――

「俺はよく他人から怖がられたから、初対面の人間に馴れ馴れしく話し掛けられるのは初めてでよ。たぶん、それが嬉しかったんだと思う。あの大塚でさえ、最初はビビって声掛けられなかったとか言ってたんだぜ」

「……ふーん……」

「お前もあの手紙、読んだんだろ」

「はい」

「晴斗は本当に殺してくれって頼んだと思うか?」

 それは俺も幾度も考えていたことだった。いくら好きで、いつか離れるかもしれないとしても、死ぬ苦しみと死んでしまって何もできない歯痒さを考えたら、辛くても好きな相手の傍にいたいと願うものなんじゃないだろうかと。
 だけど菅野と抱き合っている時、俺は岡本晴斗の気持ちが少しだけ分かった。

「……擦過傷があったくらいだから、犯人に絞められている時は、もしかしたら死にたくないと思ったかもしれない。本当に死ぬことになるとは思わなかったかもしれない。でもたぶん、『殺してくれ』とは言ったと思うし、死にたいほど菅野さんを好きで苦しんでいたとは思います。文字通り、よくある『死ぬほど好き』ってやつです。犯人は犯人で、本当に殺してしまうほど晴斗さんを好きだったんだと思います。だから後を追って死んだ」

「……そうか」

「菅野さんはなんで刑事になったんですか?」

「急だな」

「ずっと疑問に思ってた」

「人を殺さないためだ」

「……」

「あの事件から暫く荒んでたからな。もともとキレやすい性格でもあるし、いつか憂さ晴らしに誰か殺すかもしれないと思った。ま、晴斗を殺した奴みたいに警察官でも罪を犯す奴はゴマンといる。事情聴取で拘束されてた時は警察なんか大嫌いだった。だけど逆にそんな大嫌いな環境にいて自分はそうはならないと言い聞かせるために、刑事になった」

 どんなに強い信念や目標があっても、時間が経てば大抵はその環境に影響されたり、本来自分が思い描いていたものとは異なってしまうものだ。けれど今の菅野を見れば、これまで菅野がその意志を揺るがすことなく邁進してきたことは分かる。むしろ、もしかしたら本来あるべき刑事の姿かもしれない。そうでなければ自分を検挙した刑事を慕う前科者なんかいないはずだ。
 俺はいち刑事として、菅野警部に嫉妬した。俺はきっとプライベートでもパブリックでも、菅野には敵わないのだろう……と、暗くなった夜空に小さく光る星を見ながら思った。

 菅野は職場では見せないような覇気のない憂いた表情で、だけどどこか満足そうに俺と同じ方向を見て、言った。

「野田」

「はい」

「ありがとよ」

 菅野さんが礼を言うなんて珍しいですね、なんて照れ隠しを言おうものなら、また捻くれ者と言われるのは分かっている。言葉を探すうちに返事をするタイミングを逃した。菅野は「冷えてきたな」と呟いて、先に部屋の中に戻った。俺はその姿を目で追い、着替えたり部屋を片付けている菅野を、ベランダから見つめていた。

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