同じ星の下2【R】
「……署に戻るんですか?」
「今日は日曜だ。阿呆」
「なんでスーツなんですか?」
「夜勤明けだ」
「ああ……」
促されるまま菅野の車に乗り、行き先を告げられずに走り出した。雪はまだ僅かに舞っているが、まもなく止むだろう。なんのBGMもない静かな車内で、サイドガラスに頭を預けて目の前で雪の粒が溶けていくのを見届けた。
この密室の中で菅野と無言でいるのは居たたまれない。初めて菅野と寝た次の日、取調室で二人きりになってこの上なく気まずい思いをしたが、あの時と同じ緊張感がある。違うところがあるとすれば、俺が菅野を好きだということだ。けれども、今更どの面下げてそんなことを言えるのか。菅野からもキスをされたり可愛らしいとは言われても、肝心な言葉は聞かされていない。何か言われる気配もない。次の信号を左に曲がれば俺の自宅が見えてくる。
――これで終わりか。
聞こえるか聞こえないかの小さな溜息をついた時、車は交差点を通り過ぎた。
「あれっ、俺の家、あっちです」
「誰がお前を送ると言った。厚かましいにも程があるぞ」
「じゃあ、どこに……」
「俺、来月、本部に異動するからよ」
唐突な告知だった。
「え……あ、おめでとうございます。きゅ、急ですね」
「鈴木課長補佐が、辞めるんだってよ。その空きに俺を推してると前から言ってくれてたんだ。一度断ったんだけど、先週、連続窃盗犯とっ捕まえたら、やっぱり来てくれって頭下げられて。最近、窃盗が多いからな。三課の指揮してくれっつって」
「……なんで一度、断ったんですか?」
「野田が心配だったからだ。最初に声を掛けられたのは、夏だ。本部に呼ばれてそんな話をもらって、考えさせてくれって署に戻った時だよ。お前が独断で動いて通り魔捕まえたと報告受けて、見張っとかねぇとコイツ早死にするなと思った」
「独断で動いたのはあの時だけですよ」
「たった一回でもな、それを他の部下が真似してみろ。下手すりゃ殉職だらけだ。結果が良けりゃいいって考えはセンスがない」
ミラー越しに睨まれて、それまで腕組みをしていた俺は慌てて姿勢を正した。仮にもこいつが上司であることを忘れていたのである。
「お前も五月の昇任試験受けろよ。本部の山本部長が推薦するっつってたぞ」
「えー……」
辞めようと思ってたのに、という心の呟きは菅野には聞こえていたらしい。
「本部の三課なら、一係と合同ですることもあるだろ。野田が勝手なことしねぇように常に見張っててやる」
「……怖いっすよ」
「それが嫌なら今から言うことを、耳の穴かっぽじってよく聞け」
「はあ」
「一回しか言わんからな」
さっさと言えよ、と、若干苛立ちながら、再び腕組みをして「はいはい」といい加減に受け流した。
「なんかしら行動する前は必ず言え。ホウレンソウは基本だろ。特に危険な捜査の場合は絶対に単独で動くんじゃない」
「はい」
「俺より先に死ぬな。殉職なんか以ての外だ。物事には順番ってもんがある」
「……諸先輩を差し置いて出世するあなたが言うんですか」
「話を逸らすな。あと最後、」
踏切で引っ掛かり、遮断桿の前で停まった。
「俺のもんになれ」
「……」
目を泳がせて必死でその言葉の意味を考えた。こんなにストレートで、こんなに分かりにくい言い方があるだろうか。
「どういう……ことですか?」
「なんで俺はお前を抱いたのか、改めて考えてみたんだよ。晴斗を殺した男に対する復讐心とか、憎しみを紛らわすとか、どれも嘘じゃないけど、やっぱり根っこにあったのは野田瑞樹っつー人間に興味があったからだ。だけど俺も素直じゃねぇし、晴斗やあの男のこともあったからよ、いい態度は取れてなかったと思う。実を言うとお前とヤるのも一度だけのつもりだった」
「……」
「だけど見事に、はまったよ。お前のことを傷付けたのは分かってるけど、やっぱり俺は今後も抱くならお前がいい」
「つまり」
「察しが悪いな。好きだっつってんだよ」
目の前を快速列車が通過した。遮断桿が上がり、車を走らせる。菅野はずっと進路方向を見たまま顔色を変えない。聞き間違いかとも思った。列車の音がそう聞こえるように俺の願望が作り出した幻聴かもしれない。俺は返事をしなかった。
「なんで黙ってる」
「……疑わしくて」
「普通に『信じられない』と言え。いちいち捻くれた言い方をするな」
「菅野さんは晴斗さんが好きなんだ」
「昔の話だろう。手紙を破いたのを見てたじゃねぇか。未練はない」
「……だけど、俺は晴斗さんを越せる気がしない」
一瞬だけ目を見開いた菅野は、ひと呼吸置いて声を上げて笑い出した。
「そんなに俺が好きか」
「どこをどう聞いたら、そうなるんです」
「好きだと言え」
「強制ですか。尚更言いたくない」
なんで俺はこうも素直じゃないんだろう。普段多くを語らない菅野がここまで胸の内を曝け出しているのに、欲しかった言葉を言ってくれているのに、なぜ一言「俺も好きです」と言えないのだろう。
人間って欲深い。好きな相手に好きだと言われるだけで充分じゃないか。しかもゲイの俺に。こんな奇跡は中々ない。なのに自分が相手にとっての最高でありたいと願ってしまう。……我儘極まりない。
――早く、言え。
「……菅野さん」
「悪い、電話だ」
なんてタイミングで掛かってきやがる。菅野はそのまま応答した。本部の人間からなのか話はすぐには終わらず、それを待っているあいだに俺の決心はすっかり萎えてしまった。電話を終えてから「なんだ、」と聞かれたが、改めて言い直すのも格好がつかない気がして「忘れました」とはぐらかした。
当然のように菅野のマンションに到着した。相変わらずマイペースな菅野はひとりだけさっさと下りて車を離れる。俺は下りてもいいのか、菅野の部屋にのこのこ付いていっていいのか、とか色々考えて助手席で固まっていた。振り返った菅野は呆れ顔で戻って来る。助手席のドアを開けられ、「世話を焼かすな」と、やや怒気の籠もった声で言いながら引っ張り出された。
そんなにガッチリ握らなくてもいいだろうと言いたくなるほどの力で手首を縛られている。部屋に入り、扉が閉まり切る前に壁に押し付けられ、キスをされた。唇にかかる菅野の吐息は既に野性化しており、甘噛みをされながら次第に大きく開けて口全体を覆われる。俺はこんなに強引で、野獣のようなキスを知らない。本能を煽るのが本当に上手い。戸惑っていたくせに、ものの数秒でその気にさせられた。壁に追いやられたまま受け身だった俺は、ゆっくりした動作で菅野の腰に手を当てた。菅野も連動して俺の背中や首に腕を回して体を包む。ふ、と漂った煙草の匂い。あれだけ嫌だったこの匂いが今は懐かしくてどうしようもなく愛しい。頭を激しく左右に振りながら、互いの全身に手を這わせて吐息も唾液も完全に融合しようとしている。キスだけで喘いでしまう。靴を履いたまま片足を菅野の太腿に絡ませて、自分から引き寄せると、衣服越しに二人のそこがすっかり覚醒しているのが分かった。菅野はカットソーの下に手を忍ばせ、まだテープを貼っている傷口を撫でた。
「……っ」
「痛むか」
「す、こし……でも大丈夫……それより、」
「それより?」
「……はやく、したい……菅野さんと……したい」
「俺もだ」
もう服を脱ぐのも移動するのも我慢できなかった。そのまま玄関で菅野は俺のジーンズの前と自分のスラックスの前を開いて、恥ずかし気もなく飛び出した準備万端のものを重ねた。じんわり伝わる熱と脈。軽く擦り合わせているだけで震えた。
「ん、ぁ……あぁ……」
「久しぶりだから感度がいいな……」
「ああぁっ、ん、……っ、イッ……」
ぐっ、と強めに握られただけで早くも達してしまった。だけどそれは菅野も同じだったようで、二人分の精が菅野の手を濡らしている。余韻に浸る間もなく慌ただしく靴を脱ぐと寝室に入り、セミダブルのベッドに押し倒された。何度も何度もされる深いキス。一度抜いて落ち着いたからか、今度は丁寧に体中を撫で、順を追って服を脱がされた。尖りを見せた胸の先を優しく舌で愛撫され、ぬるぬるとくすぐられる感触に肌が粟立つ。かと思えばいきなりきつく吸われて、ちょっとした悲鳴を上げながら体が跳ねた。耳の裏をスーッと嗅がれながら両胸を中指で押し回される。遊ばれているのか可愛がられているのか、為すがままだ。
菅野がまだ服を着ているのがもどかしく、俺は力の入らない手で菅野のシャツのボタンを外しにかかった。指先が震えて中々外せない。痺れを切らせた菅野が、
「焦らすな」
と、俺の手の上からボタンを解く手助けをする。あっという間にすべての衣服を脱ぎ捨て、妄想までして切望した菅野の逞しい体が現れた。俺はその体に手を伸ばし、肩から胸、だんだん下に向かって這い、大きく膨らんだ欲望に辿り着いた時、俺の顔をまたがせて、それを口に含んだ。火傷しそうなくらい熱い。顎が外れそうなくらいでかい。けど口の中で増していく硬度と甘みに夢中になって貪った。上から聞こえてくる菅野の息遣いにもそそられる。以前菅野にされたように、先端の窪みを舌先で円を描くようにグリグリ刺激してやったら、菅野はすぐにそこから逃れた。
「あっぶね」
「なんで」
「俺のやり方でイカされんのは気に食わない」
唾液や先走りで濡れ光っている反り返ったものを携えたまま、菅野は「手本を見せてやるよ」と俺のを咥えた。根元から先に向かってギュウ、と吸われるだけで危うく出しそうだ。袋を揉みながらすごいスピードで菅野の口が上下している。そのまま飲み込まれてしまうんじゃないかと恐怖を覚えるほどだ。
「あっ、あっ、出るっ、やめ……菅野さ……出ちゃ、う……ッ」
「すげぇ我慢汁だな。ここにどんだけ溜めてんだ」
張り裂けそうで痛くてたまらないものを、パシン、と叩かれた。
「いっ……」
「痛いか? 出したいか? ……それとも、まだ我慢できるか?」
「まだ……出したく、ない……」
菅野は俺の上半身を起こし、肩を抱くと、今度は手で優しく包んだ。射精をさせるためでもない、弄ぶわけでもない、ただ屹立を保つためだけの柔らかい愛撫だった。ぬるま湯に浸っているような心地よさに俺の目はとろんとろんになって、涙で視界が滲んだ。
「ん……ぁ、気持ちい、……」
この良さを心の中で留めておくのが無理だった。菅野の胸に体を預けて温かさに安心しきった。粘着性のある音を響かせながら、額と頬にキスされる。目に溜まっていた涙が零れた。
「菅野さん……」
「名前を呼べ」
「……こう、すけ……さん」
こうすけ、さん
康介……さん
康介さん
「……き、です」
「聞こえないな」
「すき……です。好きです……好き、」
「ああ、知ってるよ。お前ほど馬鹿で可愛い奴はいない」
菅野の頭を引き寄せて、キスをした。そのまま再びベッドに倒されて、互いの短い髪をぐちゃぐちゃに搔き乱しながらケダモノのキスに熱中する。耳元で「いいか」と囁かれて頷くと、後ろに菅野の指がいきなり二本、入った。焦らさず前立腺を撫でられる。
「や、ぁあッ! あっ、押さないでっ! 腹が……変……っ」
「もっと良くなりたいだろ?」
そう言うのと同時に指を抜き、代わりに菅野の逞しいものが体に刺さる。脳から足の先まで走る電流。
「……ぁ、くっ……やっぱ、いいな。お前ん中」
そんな熱の籠った声でそんなことを言われると、それだけイキそうだった。腰を蠢かせながら奥に進んでくる。完全に菅野の体と俺の体が繋がって、接着剤でもつけているのかと言いたいくらいの密着ぶりだ。こんなにくっついているのに、まだ欲しい、足りない。両脚を菅野の腰に巻き付けた。肩に顔を埋めていた菅野が噴き出した。
「んなホールドされたら、動けねぇだろうが」
「康介さんなら動ける」
「無茶言うな」
「……離れたくない」
「そんなに俺が好きか」
「このまま感動死してもいい」
「俺より先に死ぬなと言ったろう」
「康介さんも一緒に死ぬんですよ」
「この状態で一緒に感動死したら、火葬されるまで離れねぇだろうな」
「検視は誰がするんですかね。島村ですか」
「たまげて気絶するだろうな」
そんな俺ららしい下らない会話すら嬉しくなって、笑いながら泣けてきた。
「死んでも離れないのか。それもいいな」
何気なく言った菅野の台詞に、本当に死ぬかもしれないと思った。
俺の言った通り、菅野は俺の両脚に腰を封じられたままでも、構わず打ち付けた。皮膚と皮膚が合わさる音、汗。抱き合ったまま上になったり下になったり、プロレス並みに暴れる。快楽の海に溺れまくり、抑えることも知らずに叫びまくった俺の声は、もしかしたら隣人に聞こえているんじゃないだろうか。突かれる衝撃の中でそんなことを口にしたら、
「聞かせてやれ」
なんて言うもんだから、もはや気兼ねも何もあったもんじゃない。
「瑞樹、俺の指をしゃぶれ」
普通に息をするのも苦しいのに、まだ苦しめる気か……。
だけど多少苦しくても、どうせなら気持ち良くさせたかった。菅野の指を一本一本、舐めていった。俺以外の人間がこの指に触れないようマーキングするつもりで。唾液を口から流しながら菅野の指を吸い、不意打ちで手の平を舐めたら、菅野はいよいよ限界が近付いたらしく、
「くそっ、なあ、おい……もう、イくぞ」
「俺も……イキたい……」
そして一気にスピードアップして激しく奥まで突かれ、その上待ち望んでいる俺のものも、同じくらいの速さで擦られた。
「はっ……ぁ、あぁあっ、イくっ、イ、くぅ……ッ」
体を震わせたのは、たぶん同時だったと思う。菅野の手の中に放った俺の精は、菅野の指のあいだから溢れ、俺の中で放った菅野は、まだ中で小刻みに震えている。
暫くくっついたまま動けずに、菅野は俺の上に倒れ込んだ。全体重が掛かる。重すぎて潰れそうだ。
「……生きてるか」
「……は、い……」
だけど返事をしたすぐ傍から、意識が飛んだ。
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「今日は日曜だ。阿呆」
「なんでスーツなんですか?」
「夜勤明けだ」
「ああ……」
促されるまま菅野の車に乗り、行き先を告げられずに走り出した。雪はまだ僅かに舞っているが、まもなく止むだろう。なんのBGMもない静かな車内で、サイドガラスに頭を預けて目の前で雪の粒が溶けていくのを見届けた。
この密室の中で菅野と無言でいるのは居たたまれない。初めて菅野と寝た次の日、取調室で二人きりになってこの上なく気まずい思いをしたが、あの時と同じ緊張感がある。違うところがあるとすれば、俺が菅野を好きだということだ。けれども、今更どの面下げてそんなことを言えるのか。菅野からもキスをされたり可愛らしいとは言われても、肝心な言葉は聞かされていない。何か言われる気配もない。次の信号を左に曲がれば俺の自宅が見えてくる。
――これで終わりか。
聞こえるか聞こえないかの小さな溜息をついた時、車は交差点を通り過ぎた。
「あれっ、俺の家、あっちです」
「誰がお前を送ると言った。厚かましいにも程があるぞ」
「じゃあ、どこに……」
「俺、来月、本部に異動するからよ」
唐突な告知だった。
「え……あ、おめでとうございます。きゅ、急ですね」
「鈴木課長補佐が、辞めるんだってよ。その空きに俺を推してると前から言ってくれてたんだ。一度断ったんだけど、先週、連続窃盗犯とっ捕まえたら、やっぱり来てくれって頭下げられて。最近、窃盗が多いからな。三課の指揮してくれっつって」
「……なんで一度、断ったんですか?」
「野田が心配だったからだ。最初に声を掛けられたのは、夏だ。本部に呼ばれてそんな話をもらって、考えさせてくれって署に戻った時だよ。お前が独断で動いて通り魔捕まえたと報告受けて、見張っとかねぇとコイツ早死にするなと思った」
「独断で動いたのはあの時だけですよ」
「たった一回でもな、それを他の部下が真似してみろ。下手すりゃ殉職だらけだ。結果が良けりゃいいって考えはセンスがない」
ミラー越しに睨まれて、それまで腕組みをしていた俺は慌てて姿勢を正した。仮にもこいつが上司であることを忘れていたのである。
「お前も五月の昇任試験受けろよ。本部の山本部長が推薦するっつってたぞ」
「えー……」
辞めようと思ってたのに、という心の呟きは菅野には聞こえていたらしい。
「本部の三課なら、一係と合同ですることもあるだろ。野田が勝手なことしねぇように常に見張っててやる」
「……怖いっすよ」
「それが嫌なら今から言うことを、耳の穴かっぽじってよく聞け」
「はあ」
「一回しか言わんからな」
さっさと言えよ、と、若干苛立ちながら、再び腕組みをして「はいはい」といい加減に受け流した。
「なんかしら行動する前は必ず言え。ホウレンソウは基本だろ。特に危険な捜査の場合は絶対に単独で動くんじゃない」
「はい」
「俺より先に死ぬな。殉職なんか以ての外だ。物事には順番ってもんがある」
「……諸先輩を差し置いて出世するあなたが言うんですか」
「話を逸らすな。あと最後、」
踏切で引っ掛かり、遮断桿の前で停まった。
「俺のもんになれ」
「……」
目を泳がせて必死でその言葉の意味を考えた。こんなにストレートで、こんなに分かりにくい言い方があるだろうか。
「どういう……ことですか?」
「なんで俺はお前を抱いたのか、改めて考えてみたんだよ。晴斗を殺した男に対する復讐心とか、憎しみを紛らわすとか、どれも嘘じゃないけど、やっぱり根っこにあったのは野田瑞樹っつー人間に興味があったからだ。だけど俺も素直じゃねぇし、晴斗やあの男のこともあったからよ、いい態度は取れてなかったと思う。実を言うとお前とヤるのも一度だけのつもりだった」
「……」
「だけど見事に、はまったよ。お前のことを傷付けたのは分かってるけど、やっぱり俺は今後も抱くならお前がいい」
「つまり」
「察しが悪いな。好きだっつってんだよ」
目の前を快速列車が通過した。遮断桿が上がり、車を走らせる。菅野はずっと進路方向を見たまま顔色を変えない。聞き間違いかとも思った。列車の音がそう聞こえるように俺の願望が作り出した幻聴かもしれない。俺は返事をしなかった。
「なんで黙ってる」
「……疑わしくて」
「普通に『信じられない』と言え。いちいち捻くれた言い方をするな」
「菅野さんは晴斗さんが好きなんだ」
「昔の話だろう。手紙を破いたのを見てたじゃねぇか。未練はない」
「……だけど、俺は晴斗さんを越せる気がしない」
一瞬だけ目を見開いた菅野は、ひと呼吸置いて声を上げて笑い出した。
「そんなに俺が好きか」
「どこをどう聞いたら、そうなるんです」
「好きだと言え」
「強制ですか。尚更言いたくない」
なんで俺はこうも素直じゃないんだろう。普段多くを語らない菅野がここまで胸の内を曝け出しているのに、欲しかった言葉を言ってくれているのに、なぜ一言「俺も好きです」と言えないのだろう。
人間って欲深い。好きな相手に好きだと言われるだけで充分じゃないか。しかもゲイの俺に。こんな奇跡は中々ない。なのに自分が相手にとっての最高でありたいと願ってしまう。……我儘極まりない。
――早く、言え。
「……菅野さん」
「悪い、電話だ」
なんてタイミングで掛かってきやがる。菅野はそのまま応答した。本部の人間からなのか話はすぐには終わらず、それを待っているあいだに俺の決心はすっかり萎えてしまった。電話を終えてから「なんだ、」と聞かれたが、改めて言い直すのも格好がつかない気がして「忘れました」とはぐらかした。
当然のように菅野のマンションに到着した。相変わらずマイペースな菅野はひとりだけさっさと下りて車を離れる。俺は下りてもいいのか、菅野の部屋にのこのこ付いていっていいのか、とか色々考えて助手席で固まっていた。振り返った菅野は呆れ顔で戻って来る。助手席のドアを開けられ、「世話を焼かすな」と、やや怒気の籠もった声で言いながら引っ張り出された。
そんなにガッチリ握らなくてもいいだろうと言いたくなるほどの力で手首を縛られている。部屋に入り、扉が閉まり切る前に壁に押し付けられ、キスをされた。唇にかかる菅野の吐息は既に野性化しており、甘噛みをされながら次第に大きく開けて口全体を覆われる。俺はこんなに強引で、野獣のようなキスを知らない。本能を煽るのが本当に上手い。戸惑っていたくせに、ものの数秒でその気にさせられた。壁に追いやられたまま受け身だった俺は、ゆっくりした動作で菅野の腰に手を当てた。菅野も連動して俺の背中や首に腕を回して体を包む。ふ、と漂った煙草の匂い。あれだけ嫌だったこの匂いが今は懐かしくてどうしようもなく愛しい。頭を激しく左右に振りながら、互いの全身に手を這わせて吐息も唾液も完全に融合しようとしている。キスだけで喘いでしまう。靴を履いたまま片足を菅野の太腿に絡ませて、自分から引き寄せると、衣服越しに二人のそこがすっかり覚醒しているのが分かった。菅野はカットソーの下に手を忍ばせ、まだテープを貼っている傷口を撫でた。
「……っ」
「痛むか」
「す、こし……でも大丈夫……それより、」
「それより?」
「……はやく、したい……菅野さんと……したい」
「俺もだ」
もう服を脱ぐのも移動するのも我慢できなかった。そのまま玄関で菅野は俺のジーンズの前と自分のスラックスの前を開いて、恥ずかし気もなく飛び出した準備万端のものを重ねた。じんわり伝わる熱と脈。軽く擦り合わせているだけで震えた。
「ん、ぁ……あぁ……」
「久しぶりだから感度がいいな……」
「ああぁっ、ん、……っ、イッ……」
ぐっ、と強めに握られただけで早くも達してしまった。だけどそれは菅野も同じだったようで、二人分の精が菅野の手を濡らしている。余韻に浸る間もなく慌ただしく靴を脱ぐと寝室に入り、セミダブルのベッドに押し倒された。何度も何度もされる深いキス。一度抜いて落ち着いたからか、今度は丁寧に体中を撫で、順を追って服を脱がされた。尖りを見せた胸の先を優しく舌で愛撫され、ぬるぬるとくすぐられる感触に肌が粟立つ。かと思えばいきなりきつく吸われて、ちょっとした悲鳴を上げながら体が跳ねた。耳の裏をスーッと嗅がれながら両胸を中指で押し回される。遊ばれているのか可愛がられているのか、為すがままだ。
菅野がまだ服を着ているのがもどかしく、俺は力の入らない手で菅野のシャツのボタンを外しにかかった。指先が震えて中々外せない。痺れを切らせた菅野が、
「焦らすな」
と、俺の手の上からボタンを解く手助けをする。あっという間にすべての衣服を脱ぎ捨て、妄想までして切望した菅野の逞しい体が現れた。俺はその体に手を伸ばし、肩から胸、だんだん下に向かって這い、大きく膨らんだ欲望に辿り着いた時、俺の顔をまたがせて、それを口に含んだ。火傷しそうなくらい熱い。顎が外れそうなくらいでかい。けど口の中で増していく硬度と甘みに夢中になって貪った。上から聞こえてくる菅野の息遣いにもそそられる。以前菅野にされたように、先端の窪みを舌先で円を描くようにグリグリ刺激してやったら、菅野はすぐにそこから逃れた。
「あっぶね」
「なんで」
「俺のやり方でイカされんのは気に食わない」
唾液や先走りで濡れ光っている反り返ったものを携えたまま、菅野は「手本を見せてやるよ」と俺のを咥えた。根元から先に向かってギュウ、と吸われるだけで危うく出しそうだ。袋を揉みながらすごいスピードで菅野の口が上下している。そのまま飲み込まれてしまうんじゃないかと恐怖を覚えるほどだ。
「あっ、あっ、出るっ、やめ……菅野さ……出ちゃ、う……ッ」
「すげぇ我慢汁だな。ここにどんだけ溜めてんだ」
張り裂けそうで痛くてたまらないものを、パシン、と叩かれた。
「いっ……」
「痛いか? 出したいか? ……それとも、まだ我慢できるか?」
「まだ……出したく、ない……」
菅野は俺の上半身を起こし、肩を抱くと、今度は手で優しく包んだ。射精をさせるためでもない、弄ぶわけでもない、ただ屹立を保つためだけの柔らかい愛撫だった。ぬるま湯に浸っているような心地よさに俺の目はとろんとろんになって、涙で視界が滲んだ。
「ん……ぁ、気持ちい、……」
この良さを心の中で留めておくのが無理だった。菅野の胸に体を預けて温かさに安心しきった。粘着性のある音を響かせながら、額と頬にキスされる。目に溜まっていた涙が零れた。
「菅野さん……」
「名前を呼べ」
「……こう、すけ……さん」
こうすけ、さん
康介……さん
康介さん
「……き、です」
「聞こえないな」
「すき……です。好きです……好き、」
「ああ、知ってるよ。お前ほど馬鹿で可愛い奴はいない」
菅野の頭を引き寄せて、キスをした。そのまま再びベッドに倒されて、互いの短い髪をぐちゃぐちゃに搔き乱しながらケダモノのキスに熱中する。耳元で「いいか」と囁かれて頷くと、後ろに菅野の指がいきなり二本、入った。焦らさず前立腺を撫でられる。
「や、ぁあッ! あっ、押さないでっ! 腹が……変……っ」
「もっと良くなりたいだろ?」
そう言うのと同時に指を抜き、代わりに菅野の逞しいものが体に刺さる。脳から足の先まで走る電流。
「……ぁ、くっ……やっぱ、いいな。お前ん中」
そんな熱の籠った声でそんなことを言われると、それだけイキそうだった。腰を蠢かせながら奥に進んでくる。完全に菅野の体と俺の体が繋がって、接着剤でもつけているのかと言いたいくらいの密着ぶりだ。こんなにくっついているのに、まだ欲しい、足りない。両脚を菅野の腰に巻き付けた。肩に顔を埋めていた菅野が噴き出した。
「んなホールドされたら、動けねぇだろうが」
「康介さんなら動ける」
「無茶言うな」
「……離れたくない」
「そんなに俺が好きか」
「このまま感動死してもいい」
「俺より先に死ぬなと言ったろう」
「康介さんも一緒に死ぬんですよ」
「この状態で一緒に感動死したら、火葬されるまで離れねぇだろうな」
「検視は誰がするんですかね。島村ですか」
「たまげて気絶するだろうな」
そんな俺ららしい下らない会話すら嬉しくなって、笑いながら泣けてきた。
「死んでも離れないのか。それもいいな」
何気なく言った菅野の台詞に、本当に死ぬかもしれないと思った。
俺の言った通り、菅野は俺の両脚に腰を封じられたままでも、構わず打ち付けた。皮膚と皮膚が合わさる音、汗。抱き合ったまま上になったり下になったり、プロレス並みに暴れる。快楽の海に溺れまくり、抑えることも知らずに叫びまくった俺の声は、もしかしたら隣人に聞こえているんじゃないだろうか。突かれる衝撃の中でそんなことを口にしたら、
「聞かせてやれ」
なんて言うもんだから、もはや気兼ねも何もあったもんじゃない。
「瑞樹、俺の指をしゃぶれ」
普通に息をするのも苦しいのに、まだ苦しめる気か……。
だけど多少苦しくても、どうせなら気持ち良くさせたかった。菅野の指を一本一本、舐めていった。俺以外の人間がこの指に触れないようマーキングするつもりで。唾液を口から流しながら菅野の指を吸い、不意打ちで手の平を舐めたら、菅野はいよいよ限界が近付いたらしく、
「くそっ、なあ、おい……もう、イくぞ」
「俺も……イキたい……」
そして一気にスピードアップして激しく奥まで突かれ、その上待ち望んでいる俺のものも、同じくらいの速さで擦られた。
「はっ……ぁ、あぁあっ、イくっ、イ、くぅ……ッ」
体を震わせたのは、たぶん同時だったと思う。菅野の手の中に放った俺の精は、菅野の指のあいだから溢れ、俺の中で放った菅野は、まだ中で小刻みに震えている。
暫くくっついたまま動けずに、菅野は俺の上に倒れ込んだ。全体重が掛かる。重すぎて潰れそうだ。
「……生きてるか」
「……は、い……」
だけど返事をしたすぐ傍から、意識が飛んだ。
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